深夜、昼夜、問わず鳴り続ける呼び出し音。

答えるものはなく、無常の開幕音となる。


記憶鮮明  -キオクセンメイ- 03

『voice』


トモコがそれを聞いたのは一月七日、クラスの緊急連絡網に寄ってクラスメートからの電話であった。
内容は亡くなったクラスメートの葬儀出席について、そして香典はクラスを代表して先生とクラスの雑費から出るということが決まった趣旨でった。

「もう一度言って・・・お願い!名前をもう一度・・・」

(受話器の向こうが涙声で聞こえないじゃない、誰の葬式だって?・・・。)

「・・・!」

電話をすばやく指で切ると短縮ダイヤルでかけ直した、数回の呼び出し音の後向こうが出てくる。

「あ、私、トモコ・・・」

「ただいま電話に出ることが出来ません、ピーと鳴ったら------」

受話器を置くと、自室に行き机の上のペーパーウエイトを持ち家を飛び出した。

「トモコちゃん、どこ行くの?コート着ていきなさい!雪が降るわよ、トモコちゃん!!」

部屋着のまま親が言うのも聞かず走り出す、ちらちら雪が舞い散る空が予報通りの天候を指していた。
今年はめずらしく東京に大雪が降る・・・泉坂も注意報が報道され、奥多摩はすでに警報となっていた。

(嘘よ・・・そんなの嘘・・・だって年賀状も来たし、私のリクエストの置物も届いたし・・・国際電話で新年の挨拶もしたわ・・・嘘よ・・・)

駆け出した先の空は暗く、車もヘッドライトを付けねば走行できないほどであった。



はあはあはあはあはあ



白くなっていく路面。
既に白く煙る吐息。

薄いスウェットとジャージのズボン姿の少女が、後で一本にまとめてある髪を振り乱し街を疾走する。
最寄のバス停で待っていたが一向に来ない、駅までダッシュで駆けて行く。
麻痺し始めた交通機関が首都の雪に対する弱さを物語っていた、それは行き交う人も同じであった。
タイル張りの歩道、シャーベット状の雪、そこに溝のない靴。
雪が降れば転倒事故が多発する、車もスリップしどこかに衝突して止まる。
雪が当たり前の地方では信じられないくらい備えがない。
そしてトモコも既に数回派手にこけていた、しかしスピードを緩めない・・・その顔は必死だ。

(あと少し・・・もう少し・・・いつもならすぐなのに・・・どうしてこの日に限って雪なんか降るのよ!!)

二駅先にある泉坂は厚く暗い雪雲に覆われていた。



それから数刻前、真中家に一つの電話があった。
クラスメイトに姉を持つ友人から聞いた話しだと唯から電話があった。
電話を取るまでの真中は、受験生に終業式など関係なく最後の追い込みにおわれていた。
それが日常だった、彼が夢をかなえるための片翼の希望、もう一つの翼ははるか外国の空を飛翔しているはずであった。

暗転。

つかさの家に電話をかけた。

「只今留守にしております、しばらくたってからおかけなおし下さい」

留守電ではなかった。
暗い空の下、トレーナー上下の少年は走る。
胸を鷲掴みにされたような苦しさは正月でなまった身体が感じるものではない、虚無のうちに足は速くなる。
その手にはパリに無事到着したと報告している、つかさからのエアメールが握られていた。

(西野、西野、うそだろ・・・帰国は確か今日だったよな・・・予定じゃあ帰ってるはずなんだよな・・・西野!!!)

家は近くとも・・・遠い・・・はるかに遠い・・・。

友人を思う影が二つ、暗鬱な空の下で疾走する。



はーっ はーっ はーっ はーっ

信号待ちの交差点でジャージのポケットに違和感を感じた少女はそれを取り出す。

パチンと二つ折りの携帯を開けると未読メールが数件入っている。
項目だけ見ても目的の人は居ない。


いつもなら・・・微笑がさみしそうに見えたりする時は・・・授業中には出さないが放課後にメールを出す仲になっていた。
バイトの簡単な内容、日常の他愛のない話、いつも素っ気ない数行の文字。
普段の飄々とした彼女を知る人にはそれで通るだろう、しかし、それが親友の精一杯だと知っている。
頑なな秘密主義者、頑固者・・・見せない一面を語ればそんな感じだろうか。
実際は自分の事で周りの人を困らせたくない一心の外見の華やかさとは裏腹のやさしい親友。
踏み込めばさらりとかわす、引けばいつの間にかグループの中心に居る親友。

一度だけ親友の『お願い』を聞いた時も、必要最低限よりも少ない説明とは言えない説明があった。
好きな人と二人っきりの修学旅行を実行した日の夜に、邪魔の入らない寝室で本当ならレポート用紙10枚分は仔細を提出して欲しかった。
トモコには二つ返事で協力してくれた同じグループの友達に報告義務があったのだから。
めずらしく親友が真っ赤な顔でオロオロしている、困窮して固まってる彼女を見てたらまるで罰ゲームのようだった。

『えっと・・・そのう・・・前から好きな人で・・・あの、言わなきゃダメ?・・・』

『しょうがないなあ、今回は許してやるか〜』

『ありがとう、トモコ!』

その言葉だけで許してしまった、リスクも何もかもを。
つかさが幸せならいい、そのためならいくらでも友人たちも自分も手を貸すだろう。
今も昔もそれは変らないはずだった。


携帯から見慣れた番号にかける。

「ただいま電話に出ることが出来ません、ピーと鳴ったら------」



信号が変る、再びマラソンはスタートした。
安穏な日常は遠く、彼女の眉間の皺はなくならない。
あてのないゴールに向っていることに気付いてはいない。
気付くことはこの先一度もないだろう、それが親友の絆なのだから。




 
記憶鮮明 2 『voice』 04


真中は息を切らせつかさの自宅へと走っていた。
白くなった道をザクザクと白いしぶきを上げ猛スピードで駆ける。

(あの角を曲がれば西野の家が見える・・・)

本来なら帰国して普通に明日の始業式に出る、真中の様に受験生なら休む生徒もいるだろう。
つかさの様に就職を決めた子は名残惜しさからか、休まずに三学期を過ごす生徒が大半だ。
受験組が休んでいるガラガラの教室で授業もそこそこに、登校している同じく就職組たちと最後の学生気分を味わう。
必ず登校するはずである。
そのはずであった。
つかさの部屋には壁にかかったアイロンの利いたブラウスとブリーツスカート、簡単な身だしなみの為のポーチと筆記道具の入った学園指定のカバンなど、半日程度の始業式に出るための用意もすでにしてあった。

空は暗雲が垂れ込め、今しがた白い粒を降らせていたのを再び繰り返しそうであった。
門柱が見える。
後数歩で西野家の玄関である。
門柱に手をかけようとしたその時、ふらりと黒い影が半開きの門と玄関の間で見え隠れした。

「西野!」
「えっ?つかさの知合い・・・?」

修学旅行以来まともに顔もあわせたことのない、つかさにとって最愛であり心砕く二人が邂逅した。

(西野じゃない・・・)

真中の心の呟きは顔に出て落胆の表情をトモコに見せる。

「えっと・・・えーっと・・・彼氏さんですか?・・・」

つかさは女子高であるから男子の友達はいない、それも呼び捨てできる人なんてトモコも知らない。
好きな人は修学旅行の一件もあって必ずいると予想はするけど、つかさは言わない。
正式には付き合ってないかもしれない、でもぞっこんな人がいることぐらいはわかってる。
もしかしてその彼なんじゃあと目の前の真中の必死さを見て思うのは当たり前だった。
ただ、ためらったのはもしかして彼氏というほど深い付き合いじゃないかもしれないと思ったから。

「えっ!彼氏!あ、まあ、そのう、今は友達です・・・はい・・・」

二人のことをどれほど知ってるかわからないつかさの友達に真中はいきなり彼氏と言われて驚く。
真冬の凍てつく豪雪警報が出ている空の下、
自分の様に部屋着のまま駆けつけるほど心配している友達なんだから、それは親しいに違いはないと思う。

-----つかさの事が心配で心配でたまらないの-----

彼女の蒼白な頬と下がった目じりと潤んだ瞳からはそんな言葉が溢れてくる。
ああ、このコも心配してるんだ、俺と同じなんだと思うと、心の中にある絶望も少しは軽くなった気がした。
ただし出来事の重大さは変わらない。
そして二人揃ったことで「つかさはここにはいない」と真っ黒な現実を叩きつけられたと等しい、
固く閉ざされた玄関の前で言葉を失った二人は暫く無言のまま立ち尽くしていた。






沈黙と時が流れる。
腰掛けている玄関のタイル敷きから真冬の冷たさが凍みてくる。
真中とトモコの二人は雑談をしに集まったわけではない、
たった一人の少女を待ちわびているから、
あれから会話もなくただヒザを抱え待っている。

沈黙はそのまま寒さになった。



トゥルルルルルル トゥルルルルルル


時折室内から電話の呼び出し音が響いてくる。
トモコが肩を震わせ玄関の扉をじっと見る、
その視線の先には一人の少女が写っている。
目前の扉ではなく開いた先の空間にいるべき女の子、
それは真中も同じだった。


トゥルルルルル カチッ


呼び出し音は不意に消え留守番電話に切り替わる。
既にメッセージが受付けないのを真中は知っている。
つかさのクラスメートなのか、或いは親の仕事関係なのか、沈黙の玄関に響くそれは止まらない。
携帯も持たない真中には時間がいくら経過したのか分からない、
そして空は黒く閃光がまたたき雷鳴が轟く、
空から白いものが落ちていき、地面は白く白く無垢に還っていった。





トモコは沈黙の中に疑問を秘めていた。
かつてはつかさの恋人てあった真中に対して暗雲の様に疑問は次々と浮かぶ。
なぜ別れたのか、それはいつなのか?
修学旅行で見たのは彼ではなかったのか?
恋人だからこそ全てをかけてつかさは行動したのだろうか?
それにしては当時のつかさのあまりの必死さに驚き、親友の恋の行方に皆が協力した。
普通に付き合ってるのならあの必死さは要らない、
あの後別れたのだろうか?あれから一年以上過ぎるのだからそれもありえるとトモコは考える。

なにより自分の知らないうちに親友の恋が終わっていたことに軽いショックがある。
でも心配して元恋人にがここにいる時点でそれは幸せなのかもしれないとも思う。

『どーなってんのよっ・・・
 つかさったらそんなこと何も言わないんだから
 帰ったら問い詰めてやるんだから
 問い詰めて・・・聞いて・・・』

勝気な眉が下がりヒザの間に顔を埋める。
目じりに浮かぶそれを誰にも見られたくないから。

『・・・だから、だから・・・早く帰ってきなさいよ、つかさ!
 帰ってきて・・・必ずここに、 みんなのところに
 いつもの感じで、桜海の窓際の机でお話しようよ
 お願い早く帰ってきてよ・・・みんな待ってるんだからさぁ・・・』

痛いほど右手に握っているエッフェル塔の置物を掴む。
指の関節は寒さと力みで感覚がなくなっていく。
雪は本降りになり玄関ポーチの軒下ぐらいでは吹き込んでくる。


思考は最初からループしてしまう
どんなに身を小さくしても待っていても
どんなに時が経っても
何も変らない


世界が白くなる





 記憶鮮明2 過去編  『voice』 05 


ごうごうと風が庭木をゆらし住宅地の人気のない夜の道に雪の白波を舞い上がらせる。
吹き込む雪も増え、二人の待ち人のつま先にかすかに降り積もる。
降る雪が街灯に照らされキラキラと光る、それをただぼんやりと真中は眺めていた。


沈黙のまま暗い景色を眺めて険しい表情の女の子と微妙な空気に戸惑いつつも何もできない自分は同じ目的のはずなのに、滑稽なほどばらばらに見えてここにはいない待ち人に申し訳なく思えた。
何か話したほうが良いに決まっている、時間の経過がつらすぎる。
しかし何を話せばいいのだろう?
そして時間がいくら心地よく経過したとしても肝心の西野が帰ってこなければ意味がない。
いくら時間が経とうが意味がない
ヒザをかかえた女の子に西野の学校生活の様子を聞くことだってできる。
普段知ることのできない様子が聞けるはず。


真中は少女のヒザが震えているのに気づいた、この寒さなのに薄いスウェットとジャージ姿なのだと始めて気づいた。
ポケットに放りっぱなしの小銭を確かめると門柱を開け敷地から雪降る世界へ走り去った。
その姿を見てトモコは小さく「・・・あっ」っと声を出すがもう届かない、雪が降っているため真中の足音も聞こえない、独りになったトモコは開放されたかのように長いため息をついた。

「・・・つかさ・・・私待ってるから・・・ずっと・・・ずっとずっと待ってるから・・・」

少女は意を決したように立ち上がり半開きの門柱をくぐりきっちりと閉める。
つかさの部屋のある二階の窓を見上げると黒目の多い瞳から大粒の光が落ちた。

「あたし、あたし、つかさのこと大好きだから、ずっと忘れないから、だから絶対戻ってきて、絶対よ!」

たちまち黒髪が雪で白く染まる。
彼女は振り向きもせず、白い世界をものともせず来た道を走っていった。




しばらくすると真中が門柱をくぐり頭の雪を払いながら、街灯の光が届かない薄暗い玄関ポーチに近づき声をかけた。

「あたたかいココアだけど、よかったら飲んで・・・」
「・・・あ・・・」

床には今さっきまでいた人の形に雪が降りこんではなかった。
隣に腰掛けると買ってきたココアを少女がいた場所に置いた。

カコォン

それは玄関に軽く響く。
自分用のコーヒーを空けると一息ついた。白く煙る吐く息がさらに寒さが増したのだと気づかせる。
女の子の名前さえも、つかさとの関係も詳しく知らないことに、そして少女の名前を知る方法さえも知らない自分に気づく。

「・・・名前ぐらい聞けばよかった、西野に聞けばすぐわかるのになあ・・・」




肩の雪をはらってくれる人も、凍える体を心配して扉を開けてくれる人もいない。
灰色の空を眺めて深く長いため息をついた。
雪が音を閉ざし人気の無い真冬の住宅地はなおさらに無音であった。


無人無言無音。
そして無常の時が流れる。


記憶鮮明 2 過去編 『voice』編 完


間章の現在形の彼方へ

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