記憶鮮明3 現在編 あるエピソード/この世の果て



ねえ、世界の果てってどこにあるか知ってる?



 世界の果てはね



 キミの



 あたしの



 いない世界





俺は定期健診に病院に来ている。

この病院は歴史ある古い大学病院で入院棟の旧館と外来棟の新館をつなぐ渡り廊下がある。

長い入院期間の間そこから外をながめるのが日課になっていた。

退院して外来診察が終わっても入院してたときと同じように渡り廊下からながめるのが習慣になっていた。

食堂のラーメンは健康第一の病院だけあってスープの薄さと味気なさに全部食べれなかったけど、ここから見える山の手方面と都心部は最高だった。

待ち時間だけが過ぎる外来診察もやっと終わり、のんびりとした昼下がりの院内を見舞い客にまぎれて渡り廊下にむかう。

今日は晴天、日差しはきつく梅雨もまだなのに夏の気配がする。窓から差し込む光のまぶしさに目を細めて件の渡り廊下まであと角を曲がれば到着という時になって俺は異変に気づいた。何に気付いたという訳ではなく場の雰囲気の不自然さにうなじの毛がピリピリと逆立ち警戒を発していたのだ。このまま進めば何かがあると。

それでもまさかと思い一歩踏み出した。



長い渡り廊下には誰もいない。

あれほどいた見舞い客はどこに行ったのだろう。

自分と同じように景色を眺めて憩う患者達はどこに行ったのか。

時折あわただしく行きかうはずの看護士達もどこへ。

面会時間が変わったのだろうか、患者達は午後の日光浴をやめておとなしくベットで寝ているのか、そして仕事中であるはずの看護士達は遅い昼ご飯を一斉に取ったりしているのだろうか。





それよりもなによりも、この廊下は先が見えないほど長かったのだろうか。





日差しのきつさは変わらないはずなのになぜ廊下の先は夜のように暗いのだろうか。





そしてその暗い中に光るように見える少女は誰なのだろう。

よく知っていたような気がする。

よく知っているような気がする。

久しぶりに見たような、それなのに毎日逢っていたような気もする。






さらさらの髪は日の光を受け金色の輝き。

前を簡素に合わせただけの服は白い作務衣のようにも薄手のガウンのようにも見る。

エメラルドの瞳はいつ見ても吸い込まれそうな南海の色で深く澄んでいる。

光と命の翠色と黄金色が暗い廊下を照らしなんの不安も憂いも感じさせない。

微笑がそこにある、俺を見つめて微笑んでくれる。

望んでいたものが今ここにある。







知らず知らずに俺は長い廊下を渡りきっていたようだ。

ほらもう、彼女がこんなに近くにいる。

やっと逢えた。






俺は手を伸ばした。

西野の痩せた細い身体を抱きしめた。

西野からも腕が伸びて抱きしめる。

もう離したくない離れたくないと心に強く思いながら、間近にある翡翠の輝きに吸い込まれるように顔を近づける。

自然と西野の唇に俺の唇が触れた。




微笑みに微笑みを返す。

笑顔がある。



西野が笑っている。




本当の目的を思い出した。

定期検診に行くたびにここに来る理由を思い出した。







おれは、 にしのに、ふれたくて、 ここにきていたんだ。







にしのは ここにいたんだ

キミは ここにいたんだね




おれは ここにいたよ

あたしは ここにいるよ









帰りの遅い息子を自宅で母が寄り道してるのかしらと心配しかけている頃、かかってきた電話を取った。

真っ青な顔のまま普段着で家を飛び出すと住宅地を抜け本通りでタクシーを拾った。

母は息子が行った先の大学病院へとむかった。




記憶鮮明3 現在編 あるエピソード/境界



薄暗いと感じた部屋は既に夕暮れの紅い色も消えかかった紫で照らされ、これから点灯しようかどうしようかという時間になっていた。
見覚えのある雰囲気、なじみのあるカーテンが自分を四角く囲って狭い境界を作っている。
ただ窓側のカーテンのみ開け放たれ刻々と暗くなる外が見える。
身体はだるく指一本も動かしたくない、ただ身体は正直に空腹だと俺に教えてきた。
そう言えば空腹なら食べれるんじゃないかと頼んだ病院付属の食堂の超ヘルシーでうまみなんてちっともないラーメンを半分しか食べてないことを思い出した。
帰ったらおやつに何か食べようと思ってたっけ、ああ、めんどくさい、そう思ったとき身体が素直に反応した。


ぐぎゅ〜ぅううううっ


「あらっ目が覚めたのね!お母さんよわかる?」
「うん、おなかすいた」
「やだ、この子ったら、ふふふ」


深い安堵に包まれた母の顔を俺は改めてみた。自分の状況を少し理解できた気がする。

「よかった、ちょっと待って、先生に聞いて食べてよかったらなにか食ようね」

母はまるで小学生の俺をあやすように優しく語りかける。

「うん、わかった。でも待てないかも」
「あらあら、とってもお腹へってるのね、売店へ行ってくるからほんの少し待って」
「もう行くから、早く探しに行かなきゃ」

自分には自分にしか出来ないことがある。
たとえ空腹だろうと今度は自分から進んで行かなきゃいけない。
母はあからさまな困惑の表情を浮かべナースコールを押した。
でも看護士さんは間に合わないだろうな、俺もう行かなきゃ。
どこへ行くとは聞かれなかった。
どこへと聞かれても答えにくいし、答えたとしても母を混乱させるのはわかっていた。
だけど黙って行くのはなんだか悪い気がして俺は自分に説明できるだけの言い訳をした。

「今度は俺のほうから探しに行くんだ、俺を支えてくれて・・・」
「・・・ずっと俺を待ってる・・・必要とされてる・・・絶対みつける・・・だから・・・・・・」

俺は深く目を閉じた。
母が何か言った気がする。
周りの喧騒もざわめきも遠くに聞こえ世界は融解して形も色も音も失われていく。
さっきまで強く感じていた空腹も、ベットにけだるく沈んでいた身体の感覚も感じない。
限りなく眠りに近いところへ意識は向かってる。


俺は行かなきゃいけない。
あの時、あの場所へ。
バラバラのピースをつなげるように記憶と想いをつなげて、一枚の絵のように連続した画像のように存在と命がありつづけることを願って。



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