未完成―プロローグ― つね様



『未完成』    つね






―物語の前、ある男の見なれた情景―




仕事からの帰り道。

小さな頃から慣れ親しんだ景色。

郊外の住宅地の雲一つ無い夜空を見上げながら歩いていく。

忙しい月末に身も心も滅入っている。


一人きりの帰り道、静かな世界に自分の足音だけが響く。

微かに聞こえる虫の声も夜の闇に溶け込んでいた。


なんとなく口にくわえて火をつけた煙草は今の職に就いて吸いはじめた。

ふうっとため息のように煙を吐き出し、その行方を見つめる。

煙は目の前の空を白く染めて、そして消えていった。

夜の静けさはどうしてこんなにも寂しさを引き出すのだろう。

見上げれば掴めそうなくらい、広がる星空はどうして過去を呼び起こすのだろう。



「からっぽだな」

夜空に向かって呟いた。




その言葉は暗闇に吸い込まれ、余韻を残しながら消えてゆく。

後には何も残らず、世界はもとの静寂へ。

しばらくすれば自分がその言葉を発したかさえも曖昧になる。



時間は残酷だ。



遠い過去のことを闇の中に連れていき、掻き消してしまう。

あれは夢だったのか。

また煙を吐き出し、曖昧な意識を呼び起こす。


あの日、『しばらく会えないから』と過ごした二人だけの夜はなんだったんだろう。

『また会おうね』、交わした約束に意味はあったんだろうか。



時間が過去を霞ませていく。

言葉が、薄れていく。

心が、廃れていく。





「ひどく…からっぽだな」

感覚が鈍っていくのが分かる。
感情が支配する世界へと切り替わっていく。

幻は、僕の隣で浮かんでは消えた。

今では顔もうまく思い出せない。

「…からっぽだ…」

この闇の中、自分の存在を確認するように、もう一度、呟いた。



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