〜第一章 “石の国フェイスタ”編〜第二話  - つね様


〜第一章〜第二話『邂逅〜石の巨人/庭園の少女〜』






太陽の国サンウエア、その城下の農村地帯を越すと人の気配がすっかりとなくなる。


次第に緑が多くなり、今は森の中、踏みならされた道を歩く。


しばらくはなだらかな斜面が続いたが、徐々に起伏が激しくなっていく。


リュウジとその一行の進むペースはさほど早くはない。


…が、その中で一人、汗まみれになって息を上げている男がいた。


少年の名はジュンペイ。


サンウェア最強の剣士…





…の、親友である…。





「はぁっ…、はぁっ…、…ぜぃっ…」


息遣いが荒くなり、一歩が足を重くしていく。



―――日ごろ農作業の手伝いとかで身体動かしてるから大丈夫だと思ってたけど…


―――これはさすがにきつい…



渇く喉に何かが張り付くような感触。


出立には絶好の天気だったが、それが今はジュンペイを追い込んでいた。



―――しかも…



ジュンペイは酸欠からくる視界の揺らぎに耐えながら隣に目を向ける。



―――馬じゃん、二人とも。俺は歩きだぜ?



涼しげな顔で真っ直ぐ前を見据えるリュウジ。


そしてその隣にはこの陽気だというのに深い紺色のローブを羽織った小柄な男。



―――というか、男かどうかも分からないんだけど…



リュウジへの護衛は二人。


もちろん一人はジュンペイ。


そしてもう一人がローブを羽織ったその人物だった。



―――でも、気味が悪いよ…。出発してから何も喋らないし…



目深にかぶったローブのフードが影を作って、その表情もまったく読み取れない。


というより、顔自体がよく見えなかった…。


そうしているうちにジュンペイの息はどんどんと上がっていく。


ずっと自分たちのほうを見続けていた視線に気付きリュウジがジュンペイと目を合わせたのはジュンペイが完全にへばってしまう直前だった。


「どうした?ジュンペイ。もうギブアップか?」


どこか楽しそうにリュウジが笑う。


「バカやろ…、こっちは徒歩だぞ…」


渇いた喉からの恨みのこもった声にリュウジはまた「ははっ」と、ひとつ笑って、馬に乗ったまま手を差し出した。


「ほら、ジュンペイ、手を貸せ」


その言葉に無言でリュウジの手をとると、ジュンペイの身体はいとも簡単に浮き上がった。


そして、そのままリュウジの後ろに座る形で着地する。


宙に浮いて解放された両足が気持ちいい。


「リュウジ…」


「ん?どうした?」


「お前、バテるの分かってて俺を歩かせただろ…」


「まあな」


「おまえっ…」


「まあ許してくれ。しばらく会えないかもしれないから見ておきたかったんだ、お前の頑張る姿を、どんな形でもいいから」


つっかかっていこうとしたジュンペイはリュウジの落ち着いた口調に口を閉じた。


昔を懐かしむような声でリュウジが続ける。


「お前は一見頼りなさそうに見えるが、頑張るときは頑張る男だ。俺は知っている」


親友からの言葉に照れくさくなってジュンペイは下を向いた。


「アヤやヒロシたちを頼むぞ」


リュウジは最後にそう付け足した。






森に入ってから一時間ほど経った頃だろうか、ようやく木々の群れの終わりが見えてきた。


そこを出るとぱっと視界が開け、目の前に広大な草原が現れた。


遠くの山が霞んで見えるほど、広く、広く、平らな大地が広がっている。


「ウィルフォ草原だ」


いったん馬の足を止めて、リュウジが言った。


ウィルフォ草原――それはサンウェアとフェイスタのちょうど中間地点にある草原だった。古くからの言い伝えでは、始まり・転機の場所となる場所だと言われている。


「ここまでくればあと少しだ。さあ行こう」


リュウジのその言葉を合図に、一行はまた進み始める。







草原を横切り、検問を抜けると、ぱらぱらと人の姿が見え始めた。


地質も先ほどまでとは変わり、ごつごつとした岩が多く見られるようになっている。



…そして、しばらく歩くと、「それ」が一行を迎えた。



「あれだ」


以前、サンウェア王の護衛でフェイスタに来たことのあるリュウジが「それ」を指差す。


しかしジュンペイにとってその必要は無いほどに「それ」は異様な存在感を放っていた。


隣でも今まで無言だった男が息を飲む気配を感じた。


現在地はまだ農村地帯ではあったが、城が近づいてくれば、その城壁が遠くから見えることは決して不自然なことではない。


だが、その大きさは、明らかに対象までの距離とつり合っていなかった。


「何だ…、あれは…」


そして、その中心部に立っていると思われる建築物を見て、ジュンペイは思わず声を漏らしていた。


「…怪物…だ…」


どっしりとした円柱状のバカでかい塔が、バカでかい城壁の遥か上まで伸びている。



―――これが…『石の巨人』…



それはジュンペイにとって、今まで様々な人から聞いた、「建物」の概念を覆すものだった。


「塔」というものを見ること自体初めてだったが、ジュンペイが知識として知っている「塔」のどれにも当てはまらない。


近づくにつれ、「塔」と城壁の大きさが増していく。


そして、城門を守る兵士の姿を目視できるようになった頃、それは強い圧迫感と威圧感を持って、ジュンペイの前に立ちはだかった。


一歩一歩、進んでいくたびに、逃げ出したくなるような気持ちが胸の中で広がっていく。


馬に乗って、歩く。


自分の意思とは無縁に進んでいく。


…近づきたくないのに、近づく。


その感覚がジュンペイの恐怖心をさらに助長していた。


それに気付いたように口を開いたのはジュンペイの目の前の背中だった。


「大丈夫か?…最初は俺もそうだった。まあ…そのうち慣れるかどうかは分からんが…」


その言葉にジュンペイは少しだけ、平静を取り戻し、隣の様子を伺った。


…そこには今までと変わりなく淡々と馬を進める姿。



―――おいおい…、こいつ何者だ。感情あるのか?…というか、まずどんな顔してるのか分からん。



一度気になりはじめると、もう、いてもたってもいられなかった。


「なあ、リュウジ、」


「ん?」


「この人は一体何者だ?…というか、まず、人なのか?」


ジュンペイが尋ねるとリュウジは声を上げて笑った。


ここまでリュウジが馬鹿笑いするのも珍しい。


「何がおかしいんだよっ!だって何もしゃべらねぇし、誰だって不気味に思うだろ」


笑い涙を拭いながら「それもそうか」と言って、紺のローブに顔を向けると、リュウジは小さく呼びかけた。


「コズエ、城門の兵士に見えないよう、こいつに顔を見せてやってくれ」


『コズエ』というその名前に少し違和感を覚える。


なんというか、しっくりこない。


イメージとあまりに違うのだ。


しかし、ジュンペイはこちらに顔を向けて、ローブのフードを上げた、その顔に衝撃を受けた。



「……え…?……」



かろうじて喉を通り抜けたその声を聞くと、相手は控えめな表情を見せ、再びフードを深くかぶり直す。


城門はすでに目の前まで来ていた。



―――今のは…俺の見間違いじゃなければ…



「城下に入るぞ。ジュンペイ、お前は一旦降りたほうがいい」









城門でのチェックを受けて、城下町へ入る。


一行はそのまま敷地の中央に位置する天守を目指した。



この時代、城とは城門により城下の街も一緒に囲った城壁都市となることが主であった。


それはこのフェイスタでも同じことで、城壁都市の中央に王の住まう天守が存在していた。



そして「塔」の正体は、城壁内に入ってからはっきりとした。


それは容易に想像できたものであるが、ジュンペイにとってはそれまでは得体の知れない建物への衝撃の方が勝っていたのだ。


それは天守とつながっており、物見のための場所となっているようであった。


城壁の中に入って分かったことはまだあった。


一番外側に張り巡らされた城壁の中にも、さらに二枚の巨大な城壁があり、それは中に進むにつれて次第に高く、厚くなっているようだった。


城壁の外でも取引はされていたが、ここではそれと比べ物にならないほどの賑わいがあり、たくさんの人々が行き交う。


しかし、そんな中でも、絶対強固な防衛ラインが敷かれているのだ。


そして、周りの景色は二枚目の城壁を通り抜けたときに突如として変化を見せる。


先ほどまでとは違い、そこにいるほとんどは鍛え抜かれた兵士だった。


広場で訓練をする者、大きな何かを運ぶもの、


先ほどまでとは打って変わって、ここにはどこか張り詰めた空気が流れていた。


そして、二枚目の城壁をくぐると、ようやく天守だった。


護衛のものはここで止められると思っていたが、意外なことに二人とも城の中へ通された。


兵士の話によると、ここまでリュウジを送り届けたことに対して礼を言いたいということだった。


とはいえ、一端の村人がこんな城に入ってもいいのだろうか、とジュンペイは浮き足立った気持ちになる。


対照的に、紺色のローブからはやはり感情の起伏は見られなかった。


普段は城に務めているのだろうか、とジュンペイは思いを巡らせてみる。


―――でも…


素顔を見た後では、ジュンペイにはそう思えてしまうのだった。





三人は王の間に通された。


ジュンペイもリュウジに習い、王座の前にひざまずく。


ほどなくして、国王が姿を現した。


それと同時、三人は揃って頭を下げる。


「サンウェアの剣士、リュウジ、ただいま到着いたしました」


よく通る声でリュウジがそう言うと、王は「ご苦労であった」と、ねぎらいの言葉をかけた。



―――なんというか…、威厳のある声だ…



王座に向かって長いカーペットが敷かれた石張りの床を見たまま、ジュンペイは純粋にそう思っていた。


あるいは慣れないこの雰囲気に呑まれていたのかもしれない。


「よくぞ参った。横のものは護衛の者だな」


「はっ、その通りでございます」


王の前でも物怖じしない態度、それは丁寧な口調の中でもはっきりと感じ取れた。


リュウジは仕えることはあっても、屈服することは無いのかもしれない。


王は「…ふむ」と鼻を鳴らし、ゆっくりと口を開いた。


「…護衛にしては、幾分か頼りなく見えるが?」


それは試すような口調だった。


「いえ、『最も信頼できる者』を護衛に選びましたので」


リュウジは即座に堂々と答えた。


「…うむ、なるほど。 よい、この者たちに褒美を取らせよ」


そう命じると、兵士が動く気配がした。


「よいぞ、三人とも顔を上げよ」


そう言われてようやく顔を上げた先、目の前にいたのは、細身で長身の男だった。


細身、とは言っても、決して華奢なわけではなく、無駄のないその体躯は堂々として見える。


少し目尻のつり上がった瞳は鷹のように鋭く、顎に生えた髭と皺の寄った顔は有無を言わせぬ貫禄を感じさせる。


しばらくすると、一人の兵士が、ジュンペイと紺色のローブの元にやってきて、その目の前にひとつずつ包みを置いていく。


「フェイスタ産の貴重な宝石です。どうぞ、お持ち帰りください」


丁寧にそう告げると、兵士はまた王座の隣に戻っていく。


それを目で追って、そのまま王座に目を移したとき、紺色のローブをまじまじと見つめていた王の姿にジュンペイは気付いた。


しかし、それも一瞬のこと、すぐに王は元の表情に戻る。


「リュウジ、護衛のものと別れを済ませたら奥にある私の私室に来るがよい。それと護衛の二人、ご苦労であった。行ってよいぞ」


「はっ」、と歯切れよく答えるリュウジ。


その後、王が立ち去るのをその場で待っていた一行だったが、柔らかな口調で「行ってよいぞ」と言われ、立ち上がる。


そして、王の間を出る瞬間、ジュンペイの背中に独り言のような王の声が、確かに聞こえた。


その瞬間、隣で紺色のローブに包まれた小さな身体がビクンとひとつ震えたのをジュンペイは見逃さなかった。


きっとリュウジもそれに気付いていたはずだ。


王は確かにこう言った。









―――『…女か』、と。






























天守の城門の前でリュウジと向き合う。


フェイスタまで、三人という少数で移動をしてきたが、その間、襲撃の不安を感じずにいられたのはリュウジのおかげだった。


別れの時となった今、そのことをひしひしと感じる。


「本当に感謝している。二人ともありがとな」


リュウジがそう切り出す。


「ジュンペイ、そんな顔をするな。ここはサンウェアの同盟国だ。またいつでも会える」


「それは分かっているけど…」


思わず隣を見てしまう。


王は感づいていた。


思い返せば、ローブのフードをかぶったまま王に接見するのは明らかに無礼にあたる行動である。


それについて何も言わなかったということは、早い段階で気付いていたのかもしれない。


王が相当勘の鋭い人物であると思わずにはいられない。


そして、ジュンペイは再びこれからのことに思考を巡らす。


二人での長距離の移動。


さらにそこにいるのが一端の村人と女となれば、誰しも不安にならないわけが無い。


いくら同盟国とはいえ、立場はフェイスタのほうが上な訳で、スパイの危険性を感じ、ジュンペイは自分達にたちに追っ手を向ける可能性も無いとは言い切れない気がしていた。


それを読みとったのか、リュウジは言う。


「大丈夫だ。お前達にもしものことがあれば、その国ごとぶっ壊してやる。フェイスタにもそう言ってあるんだ」


リュウジが言うと、本当に頼もしかった。それはリュウジならば可能なことに思えたからだ。


それほどリュウジの強さは、ずば抜けている。


「それに…」


リュウジはそう続ける。


「コズエのことを心配しているのかもしれないが、大丈夫だ。こいつがいれば、お前も必ず無事で帰れる。安心しろ」





……


紺色のローブに包まった、小柄な少女に目をやる。




ジュンペイにとっては、不安を抱えたままの不思議な別れとなった。




























「コズエ…、でいいんだよね…?」


天守の城門から第二の城門へ向かう間、ジュンペイは思い切ってコズエに向かって話しかけていた。


「…はい」


大きなフード中の顔、やはり自分と同じくらいの歳の女の子だった。


「あのさ、」


そう呼びかけた瞬間だった。


「次の城門を抜けるまで、待っていただけますか?」


コズエはささやくような声でジュンペイを制した。


その声はまだ幼さを残しているように思える。


「私が…、その、女であることを兵士には悟られたくはないのです」


王には悟られたようだが、できる限り、隠しておきたいということだろう。


今までの行動からもそれは理解できることであったし、何とはなしにその気持ちが分かる気がする。


ジュンペイはそれ以上は聞かなかった。














そうして、無言で歩き続ける中、ある光景がジュンペイの足を止めた。


それは、無数の花びらが舞う庭園の芝生に、少女が一人、ぽつんと座り込んでいる、そんな風景だった。


その少女がおそらく王女であることはその身なりから予想ができた。


見惚れるほどに美しい少女。


少女は不規則に舞い散る花びらを慈しむように見ている。


まるでそこだけに別の世界があるとさえ感じさせる、幻想的な風景。


だが、その姿はどこか儚げで、今にも消えてしまいそうにも見えた。






―――なんだろう、この感じ…






コズエが立ち止まった袖を引くまで、ジュンペイはそこから動くことができなかった。








つづく…