〜Everybody Needs Love〜9 - つね  様



『霞む視界、遠ざかる音』






それからどれだけの時間が経ったのかよく分からない。


階段を上がる足音が聞こえて来た。


その足音が近づくにつれて心臓の音が早くなっていく。


ガチャ


扉が開く、その時の音を聞いて胸の鼓動は一気に最高潮に達した。






背中で西野がベッドに倒れ込む音がする。


俺は振り返ることもできずに、何も言えずに、ただただ体を硬直させ続けている。


「ねえ、淳平くん何固まってんの?もっと楽にしなよ。」


「…あ、うん。」







それから途切れた会話。


俺は西野からの言葉を待った。


自分の欲望だけで行動するのは嫌だったから。










「淳平くん。」


長い沈黙を破り、西野が口を開く。


「こっち向いて…ベッドまで来て。」





(来た…西野から、)




俺はその言葉の通りに立ち上がりベッドに向かう。


目の前にはベッドに横たわる西野。


少し潤んだ瞳、恍惚とした表情が俺の本能を刺激する。


気がつけば動き出していた。


西野に覆いかぶさるようにベッドに手をつく。


「西野、いい?」


「…いいよ、来て。」


その言葉で完全にブレーキは解除され、キスをしようと顔を近づける。


お互いの顔の距離があと数センチまで近づいたその時、





ピンポーン




突然鳴り響くインターフォンの音。


「あっ、誰か来たみたい。行かなきゃ。」


西野はそう言って立ち上がり、部屋から出ていった。


(ここまで来て邪魔が入るなんて…)


完全にやる気を削がれた俺はうなだれ、勢いなくベッドに倒れ込んだ。















(ったく、こんな時間に誰だよ。)


そう思い階段の真ん中あたりまで行き、玄関を見てみる。


「どちらさまですか〜?」


そう言いながら玄関へと向かう西野。


明かりの点いた玄関に大柄の人の影が見える。


「…?…あの、どなたですか…?」


返事がないことを不審に思い西野が尋ねる。






俺は直感で玄関へ走り出した。たぶん第六感が働くとはこういうことをいうのだろう。


(…確信はない…でもたぶんこいつが…西野を襲った犯人…)


俺が走り出した直後、西野がドアのノブに手をかけた。


「西野!開けちゃダメだ!」


「えっ?」


西野は俺の方を向いたがもう遅かった。


ドアは既に開きかけている。


(…こうなったら…)


俺はとっさに壁に立て掛けられていたほうきを手にとった。


「きゃっ、何? 助けて!淳平くん!」


ドアが開き、男に手を掴まれた西野が声を上げた。


(…今日西野の家に来てて良かった。俺が守らないと。)


「その手を!!離せ!!!」


そう叫び、ほうきを振り上げる。


そして走った勢いはそのままに俺は男に向かってほうきを振り下ろした。


男は予想もしてなかったであろう攻撃を間一髪で避けたが、突然のことに驚き、そのまま走り去って行った。






「西野、大丈夫!?」


そう言って西野の方を見る。


西野の顔は色を失い、大きく体を震わせている。


「…西野…」


(まさか家まで知られてたなんて…)


何を言えばいいか分からずに俺はその場に立ち尽くした。









「…淳平くん…あたしどうなっちゃうの?」


「…怖いよ…淳平くん…このままじゃ…あたし…」


その場に座り込んだまま、震える声で弱々しく西野が言った。




(…確かに、このままじゃ西野が危ない…何とかしないと…)





「…二人でどこか遠くに行こうか。」


呟くように言った俺の言葉。


西野は突然の提案に少し驚いたように俺を見る。


「二人で…遠くに…?」


「もう犯人に家まで知られてるんだ。これ以上ここにいたらいつ襲われてもおかしくない。だからそれが一番安全だと思うんだ。」





西野からの答えは返ってこない。






「無理…かな?」


「ううん。親に聞いてみるね。あたしもそれが一番安心できるから。」






そして次の日、西野の両親からもOKが出て、俺と西野は泉坂を出ることになった。













そしてさらに1日経った朝、俺は携帯電話を買いに来ていた。


ここまで来た経緯をすべて話せば長くなるが、遠くに行くからにはいつでも連絡が取れる状態でなければならない、というのが一応の理由だ。


今まで携帯を持たなかった俺も今回ばかりはさすがに必要だと思っていた。







ただ、こんなにも朝早くから来たのには別の理由がある。


「あ〜、これもいいかも。ね、淳平、どう?」


「どれでもいいから早くしろよ。俺はもう手続き終わってんだから。」


「何よ、その言い方。淳平のはあたしが選んであげたんでしょ。」






そう。俺が携帯を買うと聞いて唯が機種を変えると言い出し、それにも付き合わされているのだ。


こんなにも朝早いのは『今日は講義があるから』、らしい。




とりあえず携帯を買った俺は店を出て家の方へと足を進めた。





そのとき、




「えっ、淳平何でそっち行ってるの?」


背後から唯の声がした。


「何でって、これから帰るからだろ。」


用事が終わったから帰る。それは当たり前のことだろう。




しかし、




「あれ、学校まで送ってくれるんじゃなかったの?」

















数分後


「ったく、自分で漕いでいけばいいだろ。」


「別にいいでしょ。淳平が漕いだ方が速いんだし。」


俺は唯を自転車の後ろに乗せて汗びっしょりになりペダルを漕いでいた。







しばらくして唯の通う大学に着いた。


「淳平、ありがとね〜。」


自転車から降りた唯が手を振りながら言う。


「お前なぁ、明日から俺はいなくなるんだぜ。分かってんのか?」


「だからこそこうやってたっぷり甘えさせてもらってるんでしょ。」


そう言って微笑む唯。


その言葉と笑顔に少し照れて俺は俯き、そのまま自転車を漕ぎ始めた。



そして帰り道の下り坂、その上から見える景色を見て思う。


(いよいよ明日か…この景色とも少しの間お別れだな。)



















そして出発の朝がやって来た。


「淳平、荷物は持った?」


「ああ、大丈夫。それじゃあ。」


家の玄関まで見送りに来た母さんにあいさつをして家を出る。








待ち合わせ場所は泉坂駅。






午前八時の電車に乗って、






二人で遠くヘと…







高校三年の夏休み以来の二人きりでの旅。


様々な思いが胸を駆け巡り、気がつけば街の中心部まで来ていた。


休日の朝であるせいか、街を歩く人は見当たらない。


いつもはたくさんの人で賑わう街の一時の休息。


そんな街の雰囲気が新鮮で少しホッとした気持ちになる。





そんな中、





ビクッ


突然強烈な寒気に襲われた。






(…何だ?今の…)






そう思い振り向く。






その瞬間、







「うっ…」







脇腹に激痛がはしる。






霞んでいく視界の中、俺の目が捕らえたのは一人の大柄の男の姿。





男は俺のシャツのポケットから携帯電話を引き抜いて去って行った。






「…や…めろ…何する…」






もう声を出すのもやっとの状態で、視界はみるみるうちに狭くなっていく。













最後に男の姿を見てから何分経ったのだろうか。







もう俺の目には何も映らずに、ガタゴトという電車の音だけが耳に届いた。




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