〜Everybody Needs Love〜14 - つね 様
『初めての言葉』
凍り付く…
ここにいるすべての人の視線はただ一つ開いているその窓に向けられる。
一人の少女の頬から流れる血。
(このままじゃ…こずえちゃんが危ない…!)
『このままじゃあ…』、そんな危機感と犯人に対する怒りが俺の体を動かしていた。
(あんなやつ…絶対許さない……それにあいつが西野を…)
そう考えると抑えられなかった。
そんな中で辛うじて冷静な自分を働かせ犯人に気付かれないように校舎の裏側に回り込む。
校舎の裏側の入口の前にも警察の人たちがいた。
きっと犯人が逃げた時のためだろう。
警官の目の前に立ち、俺はためらいなく言った。
「お願いします!校舎の中に入らせてください!友達が人質になっているんです!だから…!」
警察側の答えはもちろん、
「だめだ!警官以外を中に入れる訳にはいかない!」
その警官はそう強く言い切った。
「そんなこと言ってる場合じゃないんです!!どうしても止めるって言うんなら…」
俺はそう言いながら走り出した。
「ま、待て!何をするんだ!」
後々考えてみると何でこんなことができたのか分からない。
俺の目の前にいる人たちは紛れも無く、鍛え抜かれた警官たち。
それにも関わらず止めにかかる警官たちを巧みにかわして俺は校舎の中へと入っていった。
「こら!君!待ちなさい!」
背中で聞こえるその声に振り返る事もなく俺は必死で階段を上った。
(こずえちゃん…頼むから無事でいてくれ…)
俺は思ったよりも早く犯人がいると思われる教室にたどり着いた。
校舎の表側から犯人の姿が見えた場所を考えればそれを予測するのは容易だった。
(この中に…犯人とこずえちゃんが…)
息は切れていたが心は意外と落ち着いていた。
いざこういう状況に立たされるともうそんなことは関係ないのかな、と思ったりもした。
そして俺は教室の引き戸に手をかけた。
ガラガラと音をたててドアが開く。
「誰だ!?」
その瞬間教室の中にいた男が声を上げる。
この事件の犯人であるその男は声を上げると同時に素早くこずえちゃんの首にナイフを突き付けた。
俺の中で一気に緊張が高まった。
(下手に動くとこずえちゃんの命が危ない。)
俺は大きく息を吸って一度気持ちを落ち着かせた。
そして犯人に向かって言う。
「その子を離せ!」
「いやだね。」
犯人の男は嘲るように笑いながらそう言い切った。
「この子にはこれからしっかり楽しませてもらわないといけないからなぁ。 つかさちゃんを逃してしまった分もしっかりとな。」
「そして俺はこの後つかさちゃんの所に行くんだ。」
「やっぱりお前が西野に…」
怒りで震える声。
「ああ、そうさ。お前の携帯からいろいろと送らせてもらったぜ。東城とずっと前から付き合ってるとか、『西野』なんかもともと大切じゃないとか、今までのは付き合ってるふりしてただけだ、とかな。」
(…嘘…だろ…)
男の言葉は俺の想像を絶するものだった。
まさかそこまでとは思わなかった。あまりにひどすぎる…
俺は呆然と立ち尽くした。
そんな俺を見て、笑いながら男は続けた。
「つかさちゃん、ショックだったろうなぁ。今まで一筋に思ってきたやつにそんなこと言われたんだから。」
「…ふ、ふざけるな!!!」
絶対に許せなかった。
西野の心を弄んだ目の前の男を、俺は絶対に許せなかった。
男に向かって突っ込んで行く。
だけど…
「動くな!!!」
その言葉に俺の体は止められた。
男はこずえちゃんの首にナイフの刃を当てている。
「…う…」
目を固く閉じた彼女が声にならない声を上げる。
動けない…
そんな中で男が再び話し始める。
「それに悪いのはお前さ、真中。」
「お前がつかさちゃんを独占するからダメなんだ。お前は東城とでも一緒にいればいいんだよ。」
(…やっぱり俺と東城の名前を…でも何で…)
目の前の男に見覚えは無い。
だけどその男は俺のこと、そして東城のことまでも知っている。
「『何で俺のことを』、とでも言いたそうだな。」
俺の心を見透かしたように男が言った。
「そりゃあ知ってるに決まってるさ。俺とお前は泉坂高校の同級生なんだからな。」
(…泉坂の同級生……だからか……)
「でも…見たことは無いな……違うクラスか…」
思わず考えていたことが口に出た。
無意識のうちに…俺にはよくあることだった。
だけどそれを聞いた瞬間に男の態度が豹変した。
「…っぱり……ぃんだ…っ…り…」
何か小声でぶつぶつと呟いている。
そして…
「…っ…やっぱり誰も俺のことなんて覚えてくれてないんだあぁぁ!!!」
男はいきなり大きな声で叫んだ。
そして…
「ハァッ、ハァッ……でも…つかさちゃんは…ハァッ…きっと俺のことを受け入れてくれるはずさ…」
「…つかさちゃんはっ…俺のものだぁぁ!!」
息を切らしながら再び叫ぶ。
「…ハァ、ハァ…やっぱりつかさちゃんだけなんだ…俺のことを理解してくれるのは………もう…お前も、この女も邪魔だ…殺してやる…」
男の目がどす黒い、濁った輝きを見せる。
男は無言でこずえちゃんの首を掴み、ナイフを振り上げた。
「止めろおぉぉ!!!」
男の手を止めようとして叫びながら走り出す。
そんな中、男は気味悪く笑ってナイフを握る手に力を込めた。
(…ダメだ…間に合わない…)
走りながらも思わず目をつぶったその時、
カランカランッ
(……えっ?……)
突然、軽く響く金属音が聞こえた。
不思議に思い目を開けると男の手からナイフが吹っ飛び、男は右腕を押さえている。
(…あれ…?)
犯人の隣にもう一人の男がいた。
ダボッとしたジーパンとTシャツを身につけた金髪で大柄の男。
その男は素早く犯人の腹に鋭い蹴りを入れた。
「う゛っ…」
強烈な一撃を食らった犯人は鈍い声を出し、その場に倒れた。
そして大柄の男はこずえちゃんを抱き上げて声をかける。
「おい、大丈夫か?」
男の呼びかけに対する返事は無い。
どうやらは気を失っているようだ。
(…それにしても…この声…この雰囲気…)
どこか聞き覚えのある低い声。
「え…と…」
俺が声をかけようとしたその時、
「ったく、俺が来なきゃこいつが殺されてたぜ。そしたらどうするつもりだったんだよ。」
大柄の男は呆れるようにそう言いながら振り向いた。
「み、右島! やっぱり、」
「まさかお前との再会がこんな場面になるとはなぁ。まったくお前の無鉄砲さにも呆れるぜ。」
右島はそう言って軽く溜め息をついた。
「そういや右島、お前どっから入ってきたんだ?…まさか警官になったとか…?」
「バーカ、んな訳ねぇだろ。俺はここの大学の教育学部にいるんだ。今日は調べ物があってちょうど大学に来てたんだよ。それでこいつが侵入した後もこの校舎の中にいた訳よ。」
右島は気絶している犯人を指差してそう言った。
なるほど、と頷きながらも俺にはちょっと引っ掛かることがあった。
「…待てよ?…でも何で校舎に残ってたんだ…?犯人がいるのが分かってたのに…」
「それにこの教室に入ってきたってことは…この教室の近くにいたってことだよな?」
「それは…」
右島には珍しく言葉に詰まる。
そして…
「それは…こいつのことが…心配だったから…」
窓の外を見ながら照れ臭そうにそう言った。
しばらくすると警察の人が来て犯人を連行していった。
俺は警察の人に「人質の身に何かあったらどうするつもりだったんだ。」とひどく叱られた。
今から考えてみるとやはりかなり無謀で、危険なことをしたと思う。
警察の人の説教は俺にとってきつく、重たいものだった。
今まで感じたことのない迫力と説得力のある言葉に俺はすっかり参ってしまう。
帰り間際の「…それでも感謝している、ありがとう。」 という言葉が唯一の救いだった。
そして今、すっかり日が暮れてしまった泉坂大学の構内には俺と唯、そして右島とこずえちゃんの四人だけが残っている。
構内を吹き抜ける風が涼しくて心地よい。
俺と唯は右島とこずえちゃんのやりとりを少し遠くから見守っていた。
こずえちゃんは右島に対して何度も頭を下げている。
そして照れを隠すようにそっぽを向いている右島。
この二人は似た者同士なのかも…
俺はそんなことを思いながら二人を見ていた。
そしてしばらくしてからこずえちゃんはこっちに来て俺に頭を下げた。
「真中さんもありがとうございました。迷惑かけてごめんなさい。」
「いや、いいよ。俺は何もできてないし…」
「そんなことないです。本当にありがとうございました。」
もう一度深々と頭を下げるこずえちゃん。
それにつられて俺も頭を下げる。
「じゃあ帰ろうか。もう遅いしさ。」
少し間を置いて俺はみんなに呼び掛けた。
そして歩き始めた時に、後ろからこずえちゃんの声が聞こえた。
「え…と…その…
……右島くん……
…ありがとう……」
振り返ると、こずえちゃんは横目でチラッと右島の方を見て、顔を赤くして縮こまっていた。
…右島『くん』…こずえちゃんが男に対して初めて使ったその言葉にはどんな意味が込められていたのだろう…
俺は夜空を見上げた。
(…次は俺の番だな…俺も覚悟を決めなきゃ…)
不安な要素が無い訳では無い。
だけど立ち止まってはいられない。
(…明日……西野に会いに行く…)
口に出して言った訳でも無く、
空に向かって手を合わせた訳でも無く、
頭を下げてお願いした訳でも無い。
だけど何よりも強く、
心の中で強く、空に向かって再会を誓った。
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