〜Everybody Needs Love〜15 - つね 様
『僕らは愛を…』
夜道を歩く二人の間に時折涼しい風が吹き抜ける。
泉坂大学からの帰り道を俺は唯と一緒に歩いていた。
「こずえちゃんって泉坂大学の学生だったんだな。前会ったときはそんなこと言ってなかったからびっくりしたよ。」
「こずえちゃんって向井さんのこと?へぇ〜、淳平って向井さんとそんな関係なんだ〜。西野先輩いるのにね〜。」
唯はにやけた顔で俺の方を見てきた。
「ばっ…お前なぁ、高校の時一緒の塾だっただけだよ。」
「…でも、淳平が『ちゃん』づけで女の子呼ぶなんて今までなかったじゃん。」
「…う゛…」
更に唯は続けた。
「それにさあ…付き合ってる西野さんに対しては依然として『西野』だもんね〜。西野さん可哀相だよね。彼氏から名前で呼んでもらえないなんて、」
(…そうなのか!?やっぱり女の子ってそういうの気にするのかな…)
唯の言葉に焦りを感じ、そして考え込む。
(…口に出さないだけで西野ももしかして名前で呼んでほしいと思ってる?)
(名前で呼ぶとしたら『つかさ』って言うのか〜。緊張しそうだよな〜。唯とかさつきを呼ぶときみたいに自然に言えたらなぁ…)
そう思い、ふと唯の方を見た。
(…ん?…)
唯は俺の顔を覗き込むようにしてニヤニヤと笑っている。
「唯…お前…」
「だってちょっとからかっただけなのに淳平ったら真剣に考えてるんだもん。あ〜おかしい。」
唯の目には笑い涙が浮かんでいる。
「こいつ…人をからかって遊びやがって…」
「…淳平、もしかして怒ってる…?…わ〜、逃げろ〜」
そう言って唯は走り出した。
「こら、待て!唯!」
俺も走って唯を追いかける。
すると唯は走りながら振り返り俺に向かって言った。
「やっといつもの淳平に戻ったね!さっきまではこんな顔してたよ。」
そう言って眉間にシワを寄せる唯。
(…そういえば、西野のことでかなり不安だった部分もあったから…)
思い返せば、さっきまで固い表情をしていたことに気付く。
そして唯のおかげで今まで感じていた緊張が消えていたことにも、
(…唯のやつ…わざと俺をからかって…)
前を行く唯を見て、俺は微笑む。
「唯…ありがとう。」
唯に聞こえないような小さな声でそう言った。
するとその瞬間、唯が振り向いた。
(…もしかして聞こえてた?)
一瞬ドキッとしたけど…
「それじゃあ淳平、淳平のマンショまで競争ね!はい、ヨーイ、ドン!」
(…そんな訳無いか…)
唯はそう言ってスピードを上げた。
「あ、こら、待てって!」
「やったー、あたしの勝ち!」
「…お前の方が早くスタートしただけだろ…それに俺は疲れてるんだから…」
俺の住むマンションの前で手を膝につく。
そんな俺の目の前で両手を挙げて喜ぶ唯。
(ったくこいつは子供なんだか大人なんだか…)
そんなことを思いながら呼吸を整える。
そうしてるうちに上の方から唯の声がした。
「じゅんぺー、いつまでへばってんの?早く来なよ。」
見上げると唯はもう俺の家がある階まで上がっていた。
「……」
俺は思わず固まった。
「…で、なんでお前は俺の家の前まで来てる訳?」
俺は唯のいる階まで上がり唯に尋ねた。
「なんでって、淳平の家に泊めてもらうからに決まってるじゃん。」
当然のようにそう言ってドアに手をかける唯。
「お前なあ、お前がベッド使うと俺が寝るとこなくなるんだぜ。」
「こんばんわー、お邪魔しまーす。」
「って聞いてないし…」
仕方なく俺は唯と一緒に家の中に入っていった。
家に入ると母さんが台所で忙しくしていた。
「あらあら、唯ちゃんいらっしゃい。今日は美人さんばっかり揃うわねぇ。」
唯に気付いた母さんがそう言った。
「淳平も犯人捕まったみたいね。良かったわねぇ。」
「ああ。それより母さんさっき美人ばっかりって言ってたけど…誰か来てるの?」
「そうそう。そういえば今淳平の部屋で待ってもらってるんだけど…」
それを聞いた瞬間、俺は部屋に直行した。
「ちょっと、淳平?」
(…まさか西野が自分から俺に…)
そして…
「西野!」
そう言って期待いっぱいにドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、部屋の中にいた少女は一旦驚いた顔を見せて俺から目を逸らした。
久しぶりに見たその顔はとても寂しそうだった。
「……東城……」
俺の口から言葉がこぼれると、東城は体をすぼめて俯いた。
その姿を見ると俺まで悲しい気持ちになった。
「どうしたの?こんな時間に家に来るなんてさ、」
東城の向かいに座って俺はわざと明るく話し掛けた。
東城からの答えはなかなか返ってこなかった。
だけどここで俺が口を開いてしまったら東城が何も言えなくなりなりそうな、そんな気がして…
それにいくらあんなことがあったからって俺が東城を恨み続ける訳にもいかなくて、いつかは東城と話をして、それで決着をつけなきゃいけないことは分かってて…
そして今がまさにその時。
そう感じたから、だから東城の言葉をずっと待ち続けた。
そして…
「やっぱり…」
「やっぱりあたしは真中くんのことが好き。」
(……えっ!?……)
「ちょっ、東城!だから俺には西野が!」
慌てて東城の口を止める。
その時、
「真中くん…」
今日初めて、東城が俺と目を合わせた。
「あたしの話を最後まで聞いて…」
東城は潤んだ瞳で俺を見つめる。
(…まさか…本当に俺と西野の関係を壊すために…)
不安が胸に押しよせる。
「あたしは今も真中くんが好き。」
(…やっぱり…)
「…でも…」
(えっ?…『でも』…?)
「でも、真中くんを好きだから…だから真中くんに幸せになってほしいと思ってる。だけど…そのためにはあたしじゃなくて…西野さんが必要だって、そうだよね?真中くん。」
「あたしはそのことは前から分かってた。だけどいつもそこから逃げてきたの。その現実を受け止め切れなかった。でも今になってそのことを受けとめられるようになったから…そして気持ちの整理がついたから…だから今日、改めて謝りに来たの。」
「もう…許してはくれないかもしれないけど…」
「せめて気持ちだけでも伝えないと…」
心なしか、東城の表情が少し明るくなったような気がした。
(…何だかやけにさっぱりしてるな……東城…そんなにあのことを重大なことだとは思ってないのかな…?)
今までは決して無かったことだが、このとき、俺は東城の人間性を疑った。
(あんなことしたくらいだからやっぱり東城も変わってしまったのかな…?)
あんなにも信頼していた、信頼しあっていた東城にそんな感情を抱いた。
…だけど…
「西野さんにも…真中くんにも…本当に…悪いことして……」
東城の声が涙で詰まる。
「…本当に…本当に…ごめんなさい……」
東城はただそれだけ言って後は何も言わなかった、と言うより、言うことができなかった。
瞳から溢れる涙が彼女の言葉を止めていた。
…俺の知っている東城がそこにいた…
俺は東城を優しく抱き締めた。
(俺と同じように東城もずっと辛かったんだ。)
見方によっては東城は犯人に加担したことになるのかもしれない。
だけど、俺ももう子供じゃ無い。
今許さなきゃ、今受け止めてあげなきゃ、いつまでも進まないまま、
そのくらい分かってる。
それに、今ここにいるのは間違いなく俺の知っている東城だから。
「…うっ…ごめん…なさい……ひっく……ごめんなさい…うっ…」
「東城、もういいから。俺も西野も大丈夫だから。」
東城が泣き止むまで俺は彼女を抱き締め続けた。
東城が落ち着いてから俺は東城に事件のことを隠す事なく全て話した。
もちろんついさっき犯人が捕まったことも含めて…
「そう…だったんだ…」
俺の話を聞いてそう言った後、少し俯く。
「だ、だけどさ、俺、明日西野に会いに行くんだ。」
突然大きな声で言った俺に対して少し驚いたように俺の顔を見る東城。
「そうすれば全部解決するからさ。だから心配しないで。」
しばらくしてから東城は何も言わずに優しく微笑んだ。
(これからは…いつもその笑顔でいてほしいな…)
俺は素直にそう思った。
「あ、送っていくよ。」
家のドアの前で急いで靴を履きながら俺はそう言った。
「いいよ、あたしは大丈夫だから。」
「…でも…こんなに暗いし…女の子一人だと危ないよ。」
「その…気持ちはありがたいんだけど……その…弟が来てるの…」
「別に呼んだ訳じゃ無いんだけど…勝手に迎えに来たみたい…」
東城は少し恥ずかしそうにそう言った。
マンションの下の道路を見ると白のスポーツカーが停まっていた。
(…あれかな…?)
念のため階段の下まで東城を送っていく。
「それじゃあな東城。」
俺は東城に向かって小さく手を振った。
「うん。……真中くん…あたしがこんなこと言う資格なんて無いかも知れないけど……頑張ってね…」
「うん。ありがとう、東城。」
そして東城は俺に向かって笑顔を見せて車に向かって走っていった。
そして運命の朝…
いつもよりもずっと早く起きたはずだったが、昨日の夜俺のベッドで寝ていたはずの唯の姿はすでに無かった。
(まったく薄情なやつだな…応援くらいしてくれてもいいのに…)
少し不満に思いながら家を出る支度をする。
母さんも父さんもまだ寝てたけど、起こしちゃ悪いと思って置き手紙を書いておいた。
家を出ると夏の終わりであっても街はまだ少し暗く、どこの家で飼っているのかも分からない犬の鳴き声だけが静かな街に響いていた。
どんどんと朝がやってくるのが分かる。
太陽の動きを実感できる唯一の時間を歩いてるみたいで何故だか嬉しくなった。
そして…
『泉坂駅』、そう書かれた建物の中へ…
泉坂発、始発の電車に俺は乗る。
二人で行こうとして行けなかった旅を、今度は一人で…
『よし!』、と心の中で気合いを入れて駅の中に入っていった。
「あ、真中来たよ!」
(…え…?)
「おっ、本当だ。」
たくさんの声がする、その方に俺は振り向いた。
「みんな…」
そこには東城、さつき、外村兄妹、小宮山、こずえ、右島がいた。
「驚いたでしょ、淳平。あたしがみんなに知らせてあげたんだからね。感謝してよね。」
そう言いながらみんなの中からヒョコっと顔を出す唯。
(唯のやつ…このために早く起きてたんだ…)
唯に対して感謝の気持ちが込み上げてくる。
「真中くん、頑張ってね。」
(…東城…)
「真中、しっかり決めてきなよ。」
(…さつき…)
「真中さん頑張ってくださいね。」
(…こずえちゃん…)
「頑張れよ、真中。」
(…右島…)
「じゅんぺー、いい加減西野先輩捕まえちゃいなよ。」
(…唯…)
「もう、だらしないんだから。いつまでこんなことしてるんだよ。」
(…きっつー、相変わらずだなこいつは…)
「真中、我慢してやってくれ。こいつ一旦大学のある京都まで戻ったのに真中がつかさちゃんに会いに行くって聞いて応援するためだけに泉坂まで戻って来たんだから。」
「こら、兄貴!余計なこと言わなくていい!」
(…美鈴のやつ…そこまでして…)
「あっ、もうすぐ電車の時間みたい。」
東城がふと気付いたように言った。
「あ、ホントだ。それじゃあ……」
そう言って俺はホームへの階段へと向かう。
「真中!」
外村の声に俺は振り向いた。
「男前なとこ見せてこいよ。」
「ああ。」
俺はそう応え、外村に向け拳を突き出した。
この世界の中で、
誰もが『愛』を必要としている。
その『愛』から生まれた歪んだ欲望は誰かを傷つけ、取り返しのつかないことを起こす可能性を持っているのかもしれない。
実際にそんな事件に巻き込まれたのは他でもない俺だった。
だけど、人ってこんなにも温かくて…
人の愛ってこんなにもすばらしいから…
だから今日も人と関わって、触れ合って、
そして愛を求め、人から愛をもらい、人に愛をあげて僕らは生きていく。
「3番ホームに列車が入ります。危険ですから、白い線までお下がりください。」
夢と希望を乗せた車の到着を告げるアナウンスが静かなホームに流れる。
大きな音を立てながら止まった夢の箱に乗り込む。
みんなの気持ちを胸に、みんなの『愛』を胸に…
今度は俺が西野にあげる番。
今日、俺は泉坂を出発した。
第一部〜Everybody Needs Love〜完……第二部へ続く