〜君に贈る〜第八話 - つね  様



〜君に贈る〜第八話『Start!』







上映開始30分前。


館内が次第にざわめき始めた。


客入りは上々。


俺は慎重に映写機にフィルムをセットした。









『今までで一番自信がある作品を上映してみな』







…今までで一番自信のある作品…







そう思い、俺が選んだ作品は…





















蛍崎に帰って来てから一週間が経っていた。


一週間の間を開けての上映。


実はこれはできる限り―――いや、それ以上の配慮を受けたものだった。



















豊三さんが俺に上映の話を持ちかけたとき、既にそこから先二週間の上映予定は決まっていた。


という訳で、この上映も本当は最短でも二週間後になるはずだった。





それが、泉坂から帰ってきた次の日、


「おい、兄ちゃん、上映いつがいいかの?」


驚いた。


自分から言わなければ上映がそのまま流れてしまう可能性だってあるかもしれない。


そんな不安を見事に吹き飛ばしてくれた一言だった。


いつでもいいと答えると、「早いほうがいいだろう」ということでこの日に決まった。




















「幕、上げま〜す!」


みのりさんの明るい声が響き渡る。


彼女に対する呼び方もこの一週間で『岩谷さん』から『みのりさん』に変わった。


これは上映が決まった次の日だった。


その日の上映がすべて終わりフロアの掃除をしている時、


「岩谷さーん、こっち終わりました」


「はーい、りょうかーい。こっちもオッケー」


そして掃除用具を持って事務室の奥の流し場に行く。


モップを洗い終えると、二人並んで手を洗いながら話を始めた。


「岩谷さんは…」


俺がそう切り出したときだった。


「ちょっとストップ。ねぇ、そのよそよそしい呼び方、何とかならないかな?」


「え…と…すみません…そんなつもりじゃあ…」


そう、そんなつもりじゃない。


何しろまだ知り合って間もないのだから。


「あ、別に悪い意味じゃなくてね、何て言うのかな…その…あんまり堅苦しいの苦手なんだよね」


舌を出して笑う岩谷さん。


なるほど、と俺もそれに合わせて笑う。


それでもどう呼べばいいのか…


そんな気持ちを見透かしたように岩谷さんが口を開く。


「下の名前でいいよ」


自分の世界に入りかけていた俺はすぐに答えられず、反射的に岩谷さんの方に振り向いた。


岩谷さんは少し驚いた表情で俺の顔を見る。






「あ、わかりました。じゃあ、みのりさん、でいいですか?」


一瞬の沈黙の後の返答。


お互いの顔を見合わせて笑い合った。




















「あと三十秒…」


左腕の時計を見てそう呟いた。


客席のざわめきは収まることはないが全てのお客さんが席に着いていた。






客入りは……満席……






「いよいよじゃねえか、淳平」





そう…ここから、ここから始まるんだ。





豊三さんの声に応えると、片手は映写機にガラス越しの大きなスクリーンに目を向ける。


心の中でカウントが始まっていく。


それは胸の鼓動とリンクして段々と大きくなっていく。





十秒…









五秒…











…3…













…2…













…1…









映写機のスイッチに手を掛けた。



こんなことは何の意味もなさないのかもしれない。



ただ、俺はいつもこの瞬間、一つの感情を込める。













―――ありがとう―――












ガコン





感謝の気持ち。


それは誰に向けるでもなく――――いや、それはただ、その対象が多くて誰に向けるでもないように感じるだけ。


今ここに見に来てくれたお客さん、映画の出演者、そして上映に携わったすべての人へ。


もしかするとその気持ちは世界全体に向けられたものなのかもしれない。











フィルムが回転する音とともにスクリーンに光が照らされる。



…そこに映し出された映像…


その物語は海岸沿いの田舎を舞台に繰り広げられる。


時代は昭和初期、


旧家の令嬢と使用人の切ない恋愛を描いたストーリー。


脚本、そしてヒロインは東城綾。


俺達が高校三年生の時に作った作品。


これが俺の選んだ最高傑作だった。



















「あなたのことがずっとずっと好き」


大きなスクリーンに映し出された東城の姿。


この話のクライマックスである海辺でのシーン。


まるで客席の空気の流れが止まり、ただ映画の中でだけ時間が流れていく。


















時間が再び動き出したとき、そこにはどよめきと拍手の嵐があった。


体の芯から震え上がるような感覚が懐かしい。


そういえば、こうして人に自分の映画を見てもらうのは久しぶりだった。


長く余韻に浸っていたために出口へ向かう人の群れにさして気をかけなかった。


しかしみのりさんの声に自分の仕事を思い出す。


「こら、真中くん、映写機止めたら早くこっち来る」


「あ、はい!」


急いで階段を下り、通路を流れるお客さんの群れに挨拶をしに行く。


「よし!午後の仕事も頑張るか!」


流れる人の群れの中から耳に入ってくる声。


「いや〜、今日もなかなかいい映画じゃった」


「でも、豊さんの映画じゃなかったよな。誰が作った映画だろう」


小さな子供から老人まで、俺の作品に対する数々の評価。


こうして見てくれる人がいるからこそ映画は成り立つ。


久しぶりの上映の所為か、ありがい気持ちでいっぱいだった。





「豊さんのじゃないんだ。なるほどなあ。確かによかったけど少し物足りない感じがしてたんだよな」


「まだまだ豊さんには及ばないよな」



聞いた瞬間ガクッと来る、そんな意見もあったけど仕方ないかな、とも思う。




自信はあった。


だけど修業を積んだとはいえ、まだ二十歳の映画監督。


自分に多少なりとも未熟さがあることは分かっているつもりだった。


豊三さんとの差も感じていた。


豊三さんの映画は別格のような気がしていた。


今はまだ仕方ない。


今はまだ…


だけど、必ずいつかは、


必ずいつか追い付いてみせたい。


そんな風に思っていた。
























「なかなかいい映画撮るじゃない。高校生のときの作品でしょ、これ」


片付けが終わった事務室の中、バッグを持ったみのりさんが話し掛ける。


「あ、ありがとうございます。これは高校三年のときの作品で…」


「ふーん。ねえ、映画見てて思ったんだけどヒロインの子、どこかで見たことあるのよね…」


みのりさんは視線を斜め上に持って行き、顎に手を当てながらそう言う。


「あ、高校のとき小説で賞をとって、小説家デビューしたんで、たぶん…」


「そう!それそれ」


ポンッと手を打ち、声に合わせて俺を指差す。


そして再び視線は斜め上へ


「そっかぁ…だから見たことあるんだ。あの子面白い話書くなあって思ってたんだけど、デビュー作出した後ぴたりと出版途絶えちゃって…もう書かないのかなあ」








…東城、小説書いてないんだ…


もう創作を止めてしまったのか、それとも出版していないだけなのか…










「真中くん?」


「はい、何ですか?」


少し心配そうにも見えるみのりさんの表情。


「どうしたの?思い詰めた顔しちゃって」


「いえ、何でもないです」


どんな顔をしてたのかは分からない。


だけどみのりさんの反応を見て笑顔を見せる。


「そう?…ところでさあ、あの子…東城さんだっけ…映画に出てるってことは真中くんの同級生?」


「はい。そうですけど…」


俺がそう答えた瞬間、彼女の表情が少し緩んだような気がした。


「ねえ、あの子彼女だったの?海辺の告白シーン、あんな表情普通出来ないでしょ。まさか今も続いてるとか?」



「えっと…」



そういえば、西野のこと話してなかったっけ…


そのことに気付き、俺は東城、そして西野のことをみのりさんに話した。



















「へえ、そうなんだ。なるほどね〜」


みのりさんは納得した顔をしている。


しばらく、なるほど、と繰り返しながら何かを考えているようだったが、何かを思い付いたように突然口を開いた。


「そうだ。今日は時間もちょうどいいくらいだしさ、蛍見に連れていってあげれば?せっかくこの町にいるんだからさ」







そういえば西野の店の人――――西崎渚…ちゃんだったかな―――が言ってたな。


あの灯台のある丘に蛍が集まるって…








「そうですね、ちょうどいい機会なんでそうさせてもらいますよ」


そう答えた後、豊三さんのもとへ行く。


今日の上映をさせてくれたことにもう一度お礼を言ってから、お先に失礼します、と挨拶をした。


豊三さんは、「なかなかいい映画だった」と言った後、「まだまだワシには及ばんようじゃの」、と冗談を言う時のような笑顔で付け足した。
















外へ出ると日はすっかり暮れていて、なるほど蛍を見るには十分な夜がそこにはあった。


「雲一つないね。うん、いい星空」


振り返るとみのりさんが階段を下り切ったところだった。


「夜になってから仕事終えるのもなかなかいいよね。やっぱりここは星空が綺麗」


そう、今日から上映回数は三回まで伸びていた。


いくら満員になろうとも一人従業員が増えたために上映回数を増やさなければ配分の問題が出てくる。


映画館での仕事、給料はお世辞にも多いとは言えない。


それでもそんなことはどうでもよかった。


ここにはもっと大切なものがあるような、そんな気がするから。


















店を覗くとカウンターには誰もいないようだったが、厨房から漏れる光で西野がまだ働いていることが分かった。


どうしようかと思っていると一人の女性が裏口から出てきた。


金色のつややかな髪、細身でしなやかな体


「あ、西野…」


自然と声が出てしまった。


「淳平くん?」


そう言うと西野はこちらに向かって歩いて来た。


「わざわざ迎えに来てくれたんだ。ありがとね。


         あれ…?…その人は?」


その人とはもちろんみのりさんのことだ。


「えっと、こちら、映画館で一緒に働いてる岩谷みのりさん」


紹介されたみのりさんがその場で軽く頭を下げる。


「どうも、岩谷です。


…それにしても…あなたが西野つかささん?すごい。アイドルみたいね」




「いえ…そんな…」


西野は困ったような表情で顔の前に両手を広げた。


そんな西野の様子に気付いてか、みのりさんは一歩引いて、西野から顔を遠ざけた。


「あっ、ごめんなさいね。つい…」


「いえ、気にしないでください」


相手を安心させようと西野が笑顔を見せる。


彼女は落ち着いていて、気遣いが出来る人なんだと改めて思わされた。


「まだ来たばかりでわからないことばかりですが、これからよろしくお願いします」


一呼吸置いて深く頭を下げる西野。


「そんなに畏まらなくてもいいよ。こちらこそよろしくね」


そう言った後、次は俺に顔を向ける。


「それじゃあ、あたしはこれで。あとは二人でごゆっくり」


みのりさんは笑顔でそう言いながら俺達に手を振った。


どうやら、彼女の目的は西野を一目見ることだったようだ。














「明るい人だね」


みのりさんの姿が見えなくなってから西野がそう言う。


「それとさ、せっかく迎えに来てくれたのにごめんね。仕事がもう少しかかりそうなんだ。先に帰ってていいよ」


手を合わせて申し訳なさそうにする姿がやけにかわいらしく思えた。


「そう?ちょっとなら待ってるけど…」




「うーん……それなら…お言葉に甘えちゃおっかな」


西野は少し控えめながらも自然な笑顔を見せてそう言った。
















西野が再び店の中へ入ってから、俺は店の入り口の横に備えられた木製ベンチに腰掛けた。


背もたれの傾きと背の低い建物のおかげで泉坂では見られないような星空が自然と視界に入ってきた。


ほっと息をつくとすうっと肩が落ち、力が抜けた。


気持ちよくなって目を閉じれば、カタコトと料理道具のぶつかる音が聞こえる。






……蛍…か……二年生の夏の合宿でも西野と一緒に蛍を見たっけ……








見回せば、右に、左に、遠くに、そして近くに、







そんな柔かな光の群れがまぶたの裏に見えたような気がして目を閉じたまま微笑んだ。



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