〜君に贈る〜第七話 - つね  様



〜君に贈る〜第七話『門出と変化と自覚』






西野を家の前まで送って行き、マンションの階段を上がる。


ドアを開けて家に入ると人の気配は感じられなかった。


両親には事前に連絡していたのだがよく考えれば今日は平日であり、父さんは仕事に行っている時間だ。






それでも母さんは一日中家にいるといっていたけど…






久しぶりに吸った家の空気は少し懐かしくて俺を落ち着かせてくれた。


がらんとした台所を見回すと机の上のメモに気がつく。




『買い物に行ってきます。親の顔見ないまま帰るなんて愛想の無いことしないのよ』




「また気まぐれなお出かけか…」


そうぼやきながら手にしたメモを元の場所に戻し、俺は自分の部屋のドアに手をかけた。




「えっ…と、ビデオカメラは…と」


約三ヶ月の間使っていなかったビデオカメラ。


「今まではこんなこと無かったのにな」


部屋の隅の収納の中から取り出し、窓から差し込む光にかざして苦笑い。


「まあ休養もここまで。これからまた…」





「…ん…」










「『…ん…』?」











「…う…ん……んん…」






もう一度、寝言のような声。




…女の人の声だ…




間違いなくその声はベッドから聞こえてくる。


そしてベッドに目を移せば膨らみを持った薄手のタオルケット。


それを見て確信した。




唯だ。




「ったく、母さんに留守番頼まれたんだろうけど…こいつは何で寝ていくかな…」




…あれ…?




ベッドの端を見たときに少し違和感を感じた。






…この見覚えのある紐状の物体は…






さらに視線を落とすとシャツとジーンズが乱雑に脱ぎ捨てられている。


そして極めつけ。


脱ぎ捨てられた服の上に上下の下着がベッドの端から落下する。


「パ、パンツ!?」


「…う〜ん…」


その声で起きてしまったのか、ベッドの上の膨らみがもぞもぞと動き始める。


「バッ、バカッ、起きるな!唯、お前今すっぽんぽん!」



「う…ん…?

…あ、じゅんぺーお帰り…」


寝ぼけ眼の唯。




……遅かった……






















「お前まだ治してないのかよ、その癖」


目を覚まし、服を着た唯に向かって話し掛ける。


「うーん、治ってた気がしたんだけど…。まあいいじゃん。淳平の家はそれだけ唯にとって落ち着く場所ってことだよ」


唯は何事も無かったかのようにけろっとしている。


「バカ、よくねえよ。俺の身にもなってみろ」


「なによ〜、そんなこと言ってホントは嬉しいんじゃないの?」


「な、何言って…」


「だって唯の裸見たでしょ。淳平のえっち」


「なっ…!あれは不可抗力……、じゃなくて。そもそもお前が悪いんだろうが」


と言いながらもほんの少しだけ大人っぽくなった唯の体を思い出してしまう自分にちょっとだけ自己嫌悪。










それにしても、


整った顔立ち、小さく細身な体。


客観的に見ても唯はかわいい。


しかも俺が二年間泉坂を離れて海外を回っていた間に少しだけ大人っぽさも身についたような気がする。


泉坂に帰って来て蛍崎に行くまで、


その間は『唯は子供っぽい』という先入観があった所為か、あまり思わなかったけどこうやって見てみるとそんな気がする。




「なあ、唯、お前彼氏とかいるの?」


言い寄る男の一人や二人はいるだろう。


「何?いきなり」


改めて理由を問われると答えにくい。


「いや、そりゃあ特に意味はないけどさ」


「えへへ〜、淳平はどう思う?」


唯はどこか嬉しそうに微笑む。




この様子だと…




「まあ…いてもおかしくはないかな」


俺を直視する唯の視線の所為もあり少し曖昧に答える


「残念〜、今のところいません〜」


少し意外な答えだったが、唯にとってはこれが自然な答えかもしれないな、と思う。




だって、



「安心した?」


「何で?」


「だって唯に彼氏できたら淳平寂しいでしょ?」





唯はいつまでも唯のような気がするから。
























やがて母さんが帰って来て家の中は一気に賑やかになった。


相変わらず唯と母さんの中はいい。


終始笑顔で話す二人を見て胸の中にあった小さな不安がほぼ消えた。



…これなら母さんも寂しくは思わないかな…と…



確かに今まで躊躇いがちではあったが、決心は固まり迷いなくドアを開けることができた。


しばらくはここには帰ってこないんだと思うと少し名残惜しい気もするけどこれは自分で選んだ道だから。


「頑張ってらっしゃい」と笑顔で見送る母さん。


「ああ、ありがと。唯も元気でな」


「うん。ありがと淳平」


「それじゃあ」


足を進め始める。


コンクリートの通路の音が心なしかいつもよりはっきり聞こえた。


「お盆と正月くらいは帰ってきなさいよ」


その声に俺は振り返りもう一度手を振った。























そんなに長く家にいたのか既に太陽の色は薄いオレンジ色だった。


西野を迎えに行くと彼女は俺の持っているそれよりもずっと少ない荷物を手にしていた。


「お待たせ〜。うわあ淳平くんすごい荷物。少し持ったげようか?」


明るい声で西野が言う。


「いや、いいよ。中身は軽いものばっかりだから」



…いや、ホントに軽いのか?…



心の声、いや、この荷物を持つ右腕の声だろうか。


どちらにしろ強がって少し後悔した。


バッグの中には撮影の機材等が入っていてかなり重たい。


大きく膨らんだバッグを見て自分の職業を恨みながらも、我慢するしかないと諦めをつけ、見送りに出ていた西野の両親に挨拶をしてから駅へと向かった。
















その道の途中、


ずっと話しながら歩いていた俺達の会話がふっと途切れる。


二人が見たのはガードレールに持たれかかる一人の女性。


坂の上から町を見下ろす横顔は太陽の色を少しもらって、


そよ風になびく黒い髪。


その姿は神々しくさえあった。


今から坂を上ろうとする時、俺はその姿に見とれてしまった。


そんな俺の思考を再び動かし始めたのは西野の言葉。






「あれ…東城さん?」






…えっ…?



そう言われるまでわからなかった。


それはたぶん坂の上に立つ東城が今までとは全く違う雰囲気だったから。


…いや…きっと違う…


これが本来の二十歳の東城なのだろう。










「久しぶりだね。真中くん、西野さん」


俺達に気付き、微笑みかける東城。


たった二日間会わなかっただけなのにこんなにも変わって見えるなんて…


「あれ…その荷物、あ、そうか。そういえば真中くんと西野さんこれから二人で暮らすんだよね」


何もやましいことなどないのはずなのに、吹っ切れたような東城の笑顔に少し決まりが悪い。


「え…と、二人じゃあないんだけど…知ってたんだ」


「うん。外村くんから聞いたの。でも二人じゃあないって言うことは誰かいるの?」


「うーんと、どこから話せばいいのかな…」


外村のやつ…たぶんちゃんと説明してないな…


俺が返答に困っていると西野が助け舟を出す。


「えっとね、あたしたちはこれから蛍崎っていうところに住むんだけど、そこにあたしの親類のおばあさんがいて、あたしたちはそのおばあさんの家にお世話になることにしたんだ」


「そうなんだ。あたしはてっきり…


   外村くんが…その…二人っきりって言ってたから」


なんでもないことなのに時折詰まったり、顔を赤らめて俯いたりしながら話す東城。


しばらく、何でだろうと思いながら見ていたけど、そのうちはっきりとした理由が見えてきた。



………外村か、と。



きっとあることないこと言ったのだろう。


あの男はその場にいなくてもあらゆる場面で存在感を示す。


…外村イズム…とでも言えばいいのだろうか…




「その町がすごく綺麗でさ、夏には蛍がたくさん集まる場所もあったりして…」


笑顔でそう話すのは西野だ。



さつきの時もそうだったけど…



こんなにも東城と西野は仲が良かったんだ。



そう思わされた。



でもさつきの場合とは少し違うような気もする。



この二人の場合は元からそうだったのではないだろうか。



ただ高校生の俺の立場から見ると違った風に見えただけなのかもしれない。



そしてそれと同時に思う。












……しっかりしなきゃ……












「…あ、そうだ。東城さんも時間ができたらおいでよ。きっと気に入ると思うよ。ね、淳平くん」


西野の話はまだ続いてたようだ。


「あ、ああ。そうだな。気が向いたらいつでもいいよ」


笑顔で語りかける。






…謝罪の意も込めて…






この様子だと大丈夫だとは思う。


大丈夫だと思うけど…東城はどう思ってる?



















今まで気付かなかっただけなのか、


それとも…






変化するこの町を見て、やっとわかってきた気がする。




自分が彼女たちに何をしてきたのか








………しっかりしなきゃ………






もう一度自分に言い聞かせ、笑顔で話す二人を見つめた。



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