〜君に贈る〜第四話 - つね 様
〜君に贈る〜第四話『シネマ蛍崎』
綺麗に晴れた日だった。
ふと上を向くと吸い込まれそうな青空が広がっている。
少し離れた場所からでもざわざわと微かな音を立てる水面に、町の建物に沿った銀色のパイプに、
至る所に白く輝く宝石がちりばめられている。
町に出ると、そんな情景が俺を迎えてくれた。
〜君に贈る〜第四話『シネマ蛍崎』
俺は西野と分かれた後、石畳の道を歩いていた。
この町で仕事を見つける
まだ来てから間もないこの町でその希望があるとすれば…、いや、たぶんこの町を深く知ったとしても働くとすればあそこしかない。
そんなことを考えながら歩く、その歩調はだんだんと早くなり、そしてある建物の前で足が止まった。
…そう、それはこの町に来てから初めて足を運んだ映画館…
ここが今日からの職場になるかもしれない。
そんなことを思うと初めて見たときとはまた違った印象がしたような気がした。
俺は少しドキドキしながらまた歩き出す。
今は上映していないらしく、『準備中』の札がホールの入口にはかけられていた。
それを確認して俺が事務室への階段を上ろうとするとホールの入口の扉が音を立てた。
あれっ、と思い、足を止めて扉に目をやると掃除用具を持った豊三さんがホールから出てきた。
豊三さんは、ふぅ、と溜息をつき、顔を上げる。
そして、俺と目が合った。
「あ、こんにちは。」
「お、昨日の兄ちゃんじゃねえか。今日はまだ上映してねえぞ。」
ほうきを担ぐようにして俺の方に歩いてくる豊三さん。
「今日は十時からだよ」、と言いながら俺の前を通り過ぎ、階段を淡々と上り始める。
このままじゃ、話ができない。
「いえ、今日は映画を見に来たわけじゃなくて…!」
慌てて豊三さんを呼び止める。
豊三さんは「お?」と声を漏らし振り返った。
「ここで働かさせてくれませんか?俺、この町に住むことになって、仕事見つけなきゃいけないんです。」
豊三さんの方を見ると、その手が俺を招いている。
俺は豊三さんに遅れないように階段を上がった。
豊三さんは階段を上りきり、事務室に入ると少し大きめの椅子にもたれ掛かるように座った。
そこに座れ、と手で示す豊三さんに従い俺は机を挟んで向かいに座った。
「ほらよ。」
面接でもするのかと思い、握りこぶしを膝の上に置いて待つ俺の目の前に差し出されたのは映画館内の詳細を記した図だった。
俺は驚き、顔を上げて豊三さんを見た。
「契約書とか…いいんですか?それにいきなり採用で…」
「あぁ、いいのいいの。ここで働きたいなんてやつほとんどいねぇから。まずはそれを頭に叩き込んでくれ。」
「ただし…」
そう切り出した瞬間、豊三さんの口調が少し真剣みを帯びた。
「一つだけ条件があるわい。」
「条件…ですか?」
「ああ。お前さん昨日話したところによると映画何本か作っとるんじゃろ?」
「はい。高校の時のを合わせると…」
「その中で一番自信がある作品、ここで上映してみな。」
「えっ?」
驚いた…
その『条件』とは俺にとって願ってもないものだった。
「どうかの?」
豊三さんが俺の顔を見て微笑む。
だんだんと表情が明るくなっていくのが自分でもよく分かった。
「喜んでやらせてもらいます!」
大きな声で、そしてはっきりと俺はそう答えた。
人生で初めての就職先…この映画館の名前は、『シネマ蛍崎』
俺は無事にこの町での仕事を得ることができた。
今頃、西野はどうしてるだろう…
そんなことを考えながらふと窓の外に目を移す。
今頃、西野はたぶん…ケーキ屋で働くことが決まってる。
とは言ってもこの町に来た時からその店でバイトはしていたらしいので今日から働くというわけではないのだけど…
西野の話によるとこの町に来てから一番に目に留まったその店は偶然にもパティシエを募集していたらしい。
その経緯を話すと長くなるのだが、簡単に言ってしまえば以前その店のパティシエとして働いていた人が家の事情で田舎に帰ってしまったということだ。
そのパティシエはどうやらもう戻ってくることもできそうになく、店員たちは困り果てていたようだ。
そこへ都合よく、とでも言えばよいのか、西野が来たわけだ。
西野はその店の救世主的な存在だったのかもしれない。
西野本人が大丈夫と言っていたから今日のこともきっとうまくいっているだろう。
俺は、今のところは特に仕事はないということで事務室の椅子に座ったまま映画館の見取り図を見ていた。
映画館の構造は至ってシンプルで以前バイトをしていたテアトル泉坂のそれとほぼ同じであった。
ただ一つ違うとすれば客席などの新しさだろうか。
にしてもこの映画館の構造を頭に入れるのは難しいことではなかった。
その大体が頭に入ってから俺は見取り図から目を離し窓の外を眺めた。
目の前に広がる綺麗な空に気持ちが落ち着く。
そして、ふぅ、と一息ついた時、事務室のドアが騒がしく音を立てた。
「こんにちはー。遅れてすみませーん。」
俺がドアに目をやったのとほぼ同時に明るい声が事務室に響いた。
そこには俺よりも少し年上だと思われる女性が立っていた。
ショートカットの黒い髪で背は西野よりも少し高いくらいか…
ぴったりとしたジーパンの上から、すっと綺麗に伸びた脚のラインが浮かび上がっている。
ふと彼女と目が合い、不思議そうな表情が俺に向けられる。
一瞬の沈黙の後、彼女の口が開きかけた。
しかし、ちょうどその時、
「みのりちゃん、どうじゃったか?」
豊三さんの声が事務室に響き渡る。
すると彼女は事務室の奥から出てきた豊三さんの方にパッと向き直った。
彼女の言おうとしたことが何なのか、少し気になったけど、俺はそのまま二人のやりとりに目を向けた。
「やっぱり久しぶりの実家はよかったですよ〜。わがまま聞いてくださってすみません。」
「いいんじゃよ。気にせんでかまわんよ。」
そんな風に話す二人をずっと眺めていると彼女と再び目が合った。
(…あ…)
少しドキッとして、体が一瞬ビクッと震えた。
彼女は微笑み、豊三さんに向かって話し掛ける。
「あの子、どうしたんですか?」
「あぁ、あいつ今日からここで働くことになったんよ。」
「ふ〜ん。」
彼女は俺を見て意味深な笑みを浮かべた。
(え…、何…?)
その笑顔が意味するものがうまく分からず少し戸惑う。
二人の会話が終わるまで、その笑顔が気になって仕方なかった。
でも、その笑顔の理由もすぐに判明した。
豊三さんが「ちょっと出てくる」と事務室から出ていくと、彼女は俺の目の前に座った。
「あたしここで働いてる岩谷みのりって言うの。よろしくね。」
明るいその声はショートカットの髪に爽やかな笑顔、いかにも活発そうな彼女の外見とぴったりだった。
「あ、今日からここで働くことになった真中淳平です。」
そう言いながらも彼女と目を合わせられないでいたが、自分の顔に固定された視線にふと気付く。
「あの…、僕の顔、何か付いてますか?」
「いや、どんな人かと思って。あのね、豊三さんが従業員雇うなんて珍しい、と言うよりも一度もなかったのよ。ここで働きたいって来た人、何人かいたんだけどね。」
なるほど。これでさっきの不思議そうな表情も意味深な笑顔の理由もなんとなく分かった気がする。
でも、そうすると岩谷さんはどういう経緯でここに務めることになったのだろう。
そんな疑問が頭に浮かんだけど、会っていきなり聞くのも失礼かな、と思い、頭の中で留めておいた。
「あっ、そうだ!」
何かを思い出したように突然岩谷さんが声を上げた。
大きな声に驚かされた俺の体がビクンッと大きく動く。
「君、確か昨日ここで豊三さんと話してた人だよね?」
明らかに先程までとは声のトーンが違う。
「あ、はい。そうですけど…」
突然の彼女の様子の変化に多少の動揺を隠せない。
「なるほどねえ。ふーん。」
妙に納得した様子で岩谷さんが微笑んだ。
「君、何か豊三さんに言われた?」
「言われたことっていえば…この見取り図を頭に入れろというのと…、もう一つ、僕が作った映画をここで上映させてくれるって…それくらいですけど…」
そのことを聞くと「そっか。」と言って岩谷さんは立ち上がった。
そして事務室の奥の方に歩いていく途中で顔だけ振り返る。
「真中くん、映画、楽しみにしてるよ。」
そう言い残してドアの向こうに消えていった。
(なんだかよく分からないけど…期待されてるって思って良いのかな…?)
そんな気分に浸る間も無く、すぐに部屋の向こう側から大きな声が聞こえてくる。
「何してるの!君も来るの!準備するから。」
「は、はい!」
俺は急いで立ち上がり、声の方へと向かう。
その途中、俺は慌てて駆け出したその足を止め、瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりと目を開ける。
(…よし、しっかり見えてる…)
そして…前へ…強く一歩を踏み出した。
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