〜君に贈る〜第三話 - つね 様
〜君に贈る〜第三話『時子さん』
真夏の夜、心地良い風が吹いている。
歩幅を揃えながら公園からの道を二人で歩いた。
「はい、到着。」
しばらく歩くと西野はそう言ってそれらしい家の前で足を止めた。
「ここ?西野が泊まってる家って。」
「うん、なかなか立派な家でしょ。」
微笑みながら西野が答えた。
その家は豪邸とまではいかないが、民家が並ぶこの場所で少し目立つくらいの大きさはある。
西野の話によると、この家の持ち主であるおばあさんは西野の親類にあたり、西野が自分の家へ連絡できたのもその人のおかげらしい。
こちらに来てからは一週間ほどはホテルに泊まっていたのだが、あるときちょっとしたことからこの町に親戚の人がいるということが分かりこの家を訪ねたようだ。
初めは泊めてもらうことまでは考えていなかったのだが、一人暮しであるおばあさんは西野をえらく気に入り、泊めてもらえることになったということだ。
西野は俺を門の中に入れ家のドアを開けた。
「ただいま、おばあちゃん。お客さん連れてきたよ。」
西野の振る舞い方はものすごく自然で、まるでここに住んでいるおばあさんと本当の家族であるかのようだった。
「あら、つかさちゃんおかえり。」
落ち着いた声が聞こえてしばらくすると奥から一人の女性が歩いてきた。
「あらあら、その方がつかさちゃんが言ってた淳平くんかしら。」
その女性は優しく微笑みながらそう言った。
西野の親戚ってみんなこうなのかな?、一目見た瞬間にそんなことを思った。
すっとした綺麗な立ち姿、落ち着いた振る舞い、その様子はどこか品を感じさせた。
それでいて嫌な感じはちっともしない。
人は見かけによらないなんて言うけれど、この人はきっといい人だろうなと直感で分かった。
「ねぇおばあちゃん、淳平くん今日ここに泊まってもいいかな?」
目の前の女性が足を止めると西野はそう尋ねた。
「もちろんいいわよ。ゆっくりしてらっしゃい。」
それに対して何のためらいも無くその人は答える。
「だってさ。良かったね、淳平くん。」
「あ、うん。」
軽く肩を叩いた西野に対しそう答えた後、少し間をおいて俺は目の前に立つ女性の方に向き直った。
俺は大きく息を吸い込んだ。
「真中淳平といいます。今日一晩お世話になります。どうぞよろしくお願いします。」
俺の言葉を聞いたその人は「あらあら」と微笑みながら小さく言った後、かしこまって床に正座をした。
「この家に住んでおります、中野時子と申します。こちらこそよろしくお願いします。」
そしてそう言った後に俺に向かって頭を下げた。
あまりに丁寧でしっかりとした振る舞いに驚き、俺は呆然とした。
相手が立ち上がった後もしばらく動けない。
「あのね、おばあちゃん若い頃旅館で働いてたんだってさ。だから振る舞いがあんなにしっかりしてるの。」
耳元でそう言われてようやく動き出す。
そしてドアの近くに置いていた荷物を手に取り靴を脱ぎ家の中へと足を踏み入れた。
部屋に入った直後に聞こえてきた「ご飯ができてるからいらっしゃい」という時子さんの声に俺は手早く荷物を部屋に置き台所へ向かった。
台所にはまだ温かいままの食事が三人分用意されていた。
…最初からそのつもりで用意してくれてたんだ。
そう思うと心が温まった。
「さ、座って。どうぞ召し上がれ。」
俺はそう言われて椅子にかけた。
少し遅れて西野も台所にやって来て腰を下ろす。
自分と同年代ではないが、初対面の女性を前にしての食事。
それにも関わらず、嫌な緊張感など微塵も無く、何故か落ち着けて、三人の間には温かい、穏やかな空気が流れていた。
食卓にはこの町の海で捕れたという魚の刺身、焼き魚など天然の素材を使った料理が並んだ。
親しみのあるメニューだったけれど味は格別だった。
俺は料理を食べながら、捕れたての味は違うって言うけど本当にそうだよな、なんて妙に感心していた。
「ごちそうさまでした」
俺は食事を済ませると手を合わせそう言った。
「とてもおいしかったです」と言うと時子さんは「そう言ってもらえると嬉しいわ」と微笑んだ。
片付けまで完了した後、西野がやって来て俺のお腹に拳を当ててニカッと笑った。
「明日はあたしの料理で淳平くんを満足させてあげるからね」
「あ、うん」
突然の言葉に何を言っていいか分からずに間抜けな返事が口から漏れた。
「ん?あたしの手料理、楽しみじゃないのかな?」
そんな俺を見て西野は体を傾け、俺の顔を覗き込むように言った。
かわいらしいその仕草に少し顔が赤くなる。
「い、いえ、すっげぇ楽しみです!」
「そ。」
慌てて答える俺の声を聞いて西野はどこか満足そうに微笑んだ。
そしてクルッと向きを変えて次は時子さんの方に向いた。
「おばあちゃん、お風呂沸いてるかな?」
「もう沸いてるわよ。いつでもどうぞ。」
食器乾燥機のボタンを押しながら時子さんが答える。
「それじゃあ、あたし先に入るね。」
西野は明るい声でそう言うと台所を出ていった。
「紅茶いかがかしら?」
西野の足音を耳で追い掛けていると、時子さんの穏やかな声がした。
振り返るとテーブルの上には二人分のティーカップが置かれていた。
「わざわざありがとうございます。」
時子さんにお礼を言って俺は椅子にかけた。
ティーカップに口をつけると軽く舌を火傷してしまいコップをテーブルに置き直す。
「あのね」、しばらく経ってから時子さんが口を開いた。
「つかさちゃん、ここに来てから毎日あなたのこと話してたのよ。」
「そうなんですか?」
「つかさちゃんあなたのこと話すとき本当にいい顔して話してたわよ。よっぽどあなたのことが好きなんだと思うわ。」
そう言った後に軽く微笑む。
「真中くん、つかさちゃんを幸せにしてあげてね。」
そう…西野はこんなに俺のことを思ってくれていて、いつも俺に笑顔を、幸せをくれる。
…だから俺は西野を幸せにしてあげたい…
きっとそれが今の俺にとって一番の…
「はい、もちろんです。」
俺は気持ちを込めてそう答えた。
時子さんはそれを聞いて「なんだか大丈夫そうね。」と微笑みながら言った。
西野が風呂から出てくると続いて俺が入り、俺達は寝る準備に入った。
俺と西野は一つの部屋に布団を並べて寝ることになった。
布団が入った押し入れがその部屋にちょうどあったし、もういちいちそんなことを気にするような仲ではないだろう。
むしろ同じ部屋で寝ることのほうが自然に思えた。
並べ終えた布団の上に座って西野が呼び掛ける。
「ねぇ淳平くん。」
「何?」
「いっそのことここに住んじゃわない?」
突然の提案だったけどそんなに驚くこともなかった。
「…俺もそれ、ちょっと思ってた…」
「ホント?」
「…うん…」
確かに俺達の両親も心配しているかもしれないし、明日になれば帰ってくるものだと思っているかもしれない。
ただ…この町に、いや、ここに住む時子さんにたった一日で情がわいていた。
俺が風呂場に向かう時、ふと振り返ると今までずっと穏やかな微笑みを浮かべていた時子さんが寂しそうな表情であらぬ方を見ていた。
あの表情が今でも俺の頭の中に強く残っている。
「おばあちゃんね、十年前に旦那さんに先立たれて以来一人暮しなの。」
…やっぱり…
俺はそう思った。
「あたしは可哀相だなんて思ってるんじゃない。
…ただあたしたちがおばあちゃんの近くにいてあげることでおばあちゃんが少しでも幸せを感じられるのならそれってすばらしいことじゃないのかな。」
いつになく真剣に、それでいて優しい口調で西野はそう言った。
「どうかな?淳平くん。」
少し考えた後、はっきりとした口調で俺は答える。
「…うん、そうしよう。たぶん仕事だって何とかなるさ。もう大人なんだし、それに俺にも西野にも特技があるから、きっと大丈夫さ。」
「それじゃあ、決まりだね。連絡は…今日はもう遅いから明日の朝にしようか。」
「うん、じゃあそういうことで。そろそろ寝よっか。」
二人の間で一つの大きな決断が下された。
…ここに…この町に住む…
話はいたってスムーズに、そしてスピーディに進んだが決して軽い気持ちなどない。
ここに住むことは時子さんのためにということも、もちろんある。
でもその理由の大部分を占めたのは、もうそろそろ自分たちだけで何かを成し遂げたい、未来を自分たちの手で切り開いていきたい。そんな思いだったような気がする。
「じゃあおやすみ。淳平くん。」
「おやすみ、西野。」
お互いに微笑みを交わし合い、俺達は眠りについた。
そして次の日の朝、
俺達の予想通りここに住むということを時子さんは簡単に許してくれた。
「大歓迎よ。」そう言った時子さんの顔に言葉通りの喜びが浮かんでいたのが印象的だった。
そして今、俺は既に親への連絡を終え、西野の電話が終わるのを待っている。
「うん、心配いらないから。何かあったら連絡するね。」
どうやら西野の方もOKなようだ。
「お待たせ、あたしの親はいいってさ。淳平くんは?」
電話を終えた西野が俺に駆け寄ってくる。
「俺の方もOKだよ。」
俺は笑顔でそう答える。
「それじゃあ…今日からここでの生活が始まるんだね。」
少し遠くに見える海を見ながら西野は微笑む。
「ああ。今日から…だな。」
いつもよりも太陽の光が明るく、海の色が綺麗に見えた。
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