〜君に贈る〜第十九話 - つね 様
〜君に贈る〜第十九話『青の海』
気付くと俺は何も無い白く霞んだ空間にいた。
果てが見えないその場所で、しばらくするとどこからともなく誰かの声が聞こえてきた。
「…。…ぇ…」
「えっ!?何て?」
「…ねぇ…。ねぇってば…聞こえてる?」
「…うん。聞こえてるけど…。君は…誰?」
「私?私は―――。―――」
「…えっ!?」
聞きたかった名前がノイズで聞こえない。
「聞こえない?私の名前が。そっか、まだ出会ってないんだね」
「出会うって…誰に?」
「いつか分かるときが来るよ。ううん、分からなくてもいい。それでもいつかはきっと…」
「…それって…どういう…」
言いかけた言葉を遮るようにまたさっきの声が聞こえて来る。
「今はまだ分からなくていいよ。それにたぶんすぐに会えるから」
俺は彼女の言う言葉の意味が理解できず呆然としていた。
「未来は君次第。さあどうする?君が望むものは何?」
どこか意識がぼんやりとした、そんな感覚に包まれていた俺だったけど、その言葉にようやく目覚めた。
「あっ!そういえば西野は!?」
さっきまで目の前にいたはずの影を慌てて探し始めるが、どこを見渡しても西野の姿は見当たらない。
「大丈夫。彼女も無事だから。今は君とは違う場所にいるだけ」
無事だということを聞いてひとまず安心した。
でもそれで納得がいく訳がない。
「そんな…さっきまで一緒にいたのに何で離れ離れになってるんだよ!一体西野をどこにやったんだ!西野を返せよ!」
「そう…大切なんだね。あの子が」
「大切も何も…西野は俺にとって必要なんだ!西野がいないと…ダメなんだ。だから…」
「一緒にいたいって言うの?」
俺は無言で頷いた。
「でも一緒にいたいっていうのは君のエゴなんじゃないの?君のために彼女がいるってだけじゃダメなはずでしょ?」
「それは違う!きっと西野だって…。それに、俺だって西野のためなら何でもしてあげたいって、そう思ってるんだ。西野の笑顔が見られるなら、何だって…」
「そう…。その結果、君が苦しむことになっても?」
俺はまた頷いた。
「分かったわ。じゃあもう一度聞くよ。未来は君次第。君が望むものは何?」
「俺は…西野の笑顔を、西野の幸せを願う」
そう言った瞬間、辺り一面に眩しい光が差し込み、目の前が真っ白になった。
午前一時頃、シネマ蛍崎の電話が鳴った。
たまたま事務所に泊まり込んでいた豊三が電話に出る。
「もしもし、シネマ蛍崎ですが」
『豊さん?』
「お前か…こんな時間に、どうした?」
声の主は時子だった。
『豊さん…、淳平くん、まだそっちで働いてる?』
「いや、今日は灯台の丘に行ってそのままじゃが…、まさか、まだ帰ってないのか?」
『そうなのよ…。しかもつかさちゃんも、まだ家に帰って来てないのよ。携帯にかけても出ないし…』
「まさか…、ワシはてっきりもう家に帰ってるもんだと…。今日、営業自体は午前で終わりじゃったから…」
予想外の事態に豊三も動揺を隠せずにいた。
『豊さん…、どうしよう…。私…』
「時子、落ち着け。とりあえず二人を探しに行こう。ワシも今からお前の家に行くから」
豊三は急いで映画館を後にした。
気付くと暗闇が辺りを包んでいた。
…ここは…灯台の丘…そうか…俺、気付かないうちに眠ってたんだな…
辺りを見回すとすっかり日が落ちて、満点の星空が夜を照らしていた。
…あっ、そういえば仕事は…って言ってももう終わってるか…
思わず寝過ごしてしまい、午前上がりとは言え結果として仕事をサボることになってしまったことを少し後悔する。
…それにこの状態だし…
俺の腕の中では西野が寝息を立てていた。
安らかなその表情と確かな温もりに安心する。
…さっきのは…やっぱり夢だったのか…
俺は気持ち良さそうに眠る西野の顔を見てから遠くの夜空に目を移した。
…あれ?…
しばらく星空を見ていた俺だったが、景色の変化に気付き、空から海へと視線を落とした。
その変化をこの目で確認した瞬間、まだ少しぼんやりとしていた意識が完全に覚醒し、俺は思わず灯台にもたれかかっていた身体を素早く起こした。
「西野!西野!」
「…ん…うん?……どしたの?」
眠たい目を擦りながら寝ぼけた口調で応える西野。
「西野!早く!海が!海が!」
見たことも無い情景に興奮していた。
それをどう表現すればいいのかも分からなかった。
ただ、早く西野にも見てほしくて…
「…う…ん…そんなに急かさなくても…」
そう言いながら目を開けた西野は言葉を失ったように固まった。
俺だって、驚いていた。
遠く、水平線の彼方からゆっくりと広がっていく瑠璃色の光。
その輝きはマーブリングのように海を染めていき、やがて海一面に広がった。
俺の頭の中に無意識のうちにいつかの渚ちゃんの言葉が浮かんでいた。
『“青の海”って言うんですけど……』
『……聞いた話によると海が青く光るんです』
あまりに神秘的な海の色…
この気持ちをなんと言えばいいのか分からなかった。
でも、今、間違いなく、俺達はこの町の伝説に…奇跡に出会っていた。
青く光る海は静かな波の音をたてている。
暗闇の中で、その景色を見ている俺達の顔を照らし出すほどの明るい光。
波に太陽の光が反射してきらめくのと同じように青い光がその色を豊かに変化させながらそこらじゅうで輝いている。
きらきらと、きらめいて、
どこまでも、明るく、優しく、
瑠璃色に輝くその光は、しばらくの間、蛍崎の海を染め続けていた。
時間が経つと海を彩った光たちは少しずつ消えていった。
そしてそのすべてが消え去っても俺達はしばらくの間、無言でいた。
何も喋らないでいた。
本当に、言葉が出なかった。
さっきまで目の前に広がっていた景色は奇跡としか言いようが無い。
太陽の光の加減によって昼間に見られると思っていた「青の海」。
実は夜に姿を見せるその伝説に俺達を導いたのは偶然の連鎖だった。
「青の海」は蛍崎に、確かにあった。
「…ウミホタル…」
伝説が消え去ってから、ずいぶん長い時間が経ってから、西野が呟いた。
「…えっ?…」
「今の光…ウミホタルの光みたい。もしかして…『蛍崎』って…」
「…西野……!覚えてるの?渚ちゃんの話」
蛍崎という名前の由来なんて、西野は覚えていないはずなのに…
俺の言葉に不思議そうな顔を見せた西野だがすぐに何かに気付いたような表情に変わり、改まって答えた。
「今まで迷惑かけてごめんね。今、思い出したんだ。全部。えーっと…そうだ、淳平くん?」
「…え…何?」
「ただいま」
ひさびさに見せた満面の笑み。
その笑顔に俺も笑顔で答える。
「おかえり」
灯台からの帰り道、二人並んで歩く。
涼しげな夜風が二人の間を通り過ぎていく。
「ねぇ…淳平くん」
「何?」
「あたし、青の海を見る前に、夢を見たの」
「それってどんな夢?」
「何も無い白い空間で、誰かが語りかけてくるの。『未来は君次第。どうする?君が望むものは何?』って。それで最後に白い光に包まれて…何でかそれで思い出したんだ、全部」
「それって…」
「ん?どうしたの?」
「俺も見たんだ、同じ夢。西野と同じ夢」
「…えっ…じゃああの夢の中に淳平くんもいたんだね」
「うん。ねえ西野、全部思い出したって…じゃあ、どうしてケーキ作りを始めたのかも思い出せたんだ?」
「うん。だから、もう大丈夫だよ」
「それで…淳平くんは何を願ったの?」
「…西野こそ…、何を願ったの?」
「…それじゃあ…せーので言おうか」
「分かった。それじゃあ行くよ。せーの!」
「西野が幸せでいられますように!……って、あれ…?」
「あはは、淳平くん、ひっかかった」
「…なっ…西野!卑怯だぞ!」
「あはは、ごめんごめん。そんなに怒らないで」
「お、俺だって恥ずかしかったんだからな」
「まあいいじゃん。淳平くんの願いも聞けたことだし…それに…」
「…それに…何…?」
西野は黙って俺の手を握った。
「淳平くんの願いも、あたしの願いも、きっともう叶ってる」
…エピローグへつづく…
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