〜君に贈る〜エピローグ
- つね 様
ザザァ…
晴れ渡った空に波の音が微かに聞こえてくる。
蛍崎の町は今日も明るく賑わう。
俺はと言えば、いつもと変わらず映画館での仕事に汗を流している。
「おーい、真中くーん、豊三さん呼んでるよ〜」
「はーい、今行きまーす!」
みのりさんの呼び掛けに急いで豊三さんのいる映写室に向かう。
「今来ました。豊三さん、何でしょうか?」
「おう、来たか淳平。フィルムの整理をしたいんじゃがちょっと手伝ってくれ。みのりちゃんは今別件で忙しいようじゃから」
映写機をいじりながらそう言う豊三さん。
「はい。それじゃあここにあるフィルム、奥に運べばいいですか?」
「おう、頼むわ」
そして俺は映写室の奥にある、フィルムをしまってある部屋の扉を開けた。
そこには年代別、作者別と、様々な映画のフィルムが整理されていた。
とても古い、昔の映画のフィルムもあるが、そのどれもが丁寧にしまわれていた。
実は初めて足を踏み入れたこの部屋。膨大な量のフィルムの数に圧倒される。
映画好きにとって心が踊るようなこの空間。
その部屋の一番奥の棚の右端で俺は足を止めた。
そこには『山本豊三』と書かれたプレートが打ち込まれている。
…豊三さん、今までにこんなにも映画作ってるんだ…
…やっぱりどれもいい作品なんだろうな…
そんなことを思いながらそこに並べられた大量のフィルムを目で追っていく。
すると、その右隣りにもう一つのプレートが打ちつけられていることに気付いた。
そこに書かれていた名前は…
…『真中淳平』…
そのプレートの下にはまだたくさんの空きスペースがある。
「お前の撮った映画がこれからそこに収まっていくんだ。そこの棚がいっぱいになるくらい、これからたくさんの映画を作っていけ。楽しみじゃの。なあ、淳平」
気付けば俺の真後ろに豊三さんがいた。
感激して涙が出てきそうだった。
込み上げる思いに身体が震えていた。
「…はい!」
俺はただ、そう答えた。
フィルムを整理し終えると豊三さんが俺に言った。
「淳平、今日は行かねぇのか?灯台の丘へ」
「はい…、今日からは勤務時間はここで働かせてもらいます」
「そうか」
「はい。今までわがまま聞いていただいて、ありがとうございました」
そして、映写室を後にしようとしたときだった。
「ありがとうよ」
俺は思わず振り返った。
「…えっ?…」
「…あ、何でもねぇよ。フィルムの整理ご苦労さん」
「…はい!」
淳平が出ていった後の映写室で豊三は独り、また呟いた。
「…淳平、ありがとうよ」
太陽の光を浴びていっそう輝く丘の上の灯台。
その下に、今日は一人の女性が立っていた。
「もう…ここにこんな風に一人では来ないかと思っていましたよ」
「あなたも見ていましたか?昨日の夜の海を…」
彼女はそう言って外した指輪を胸の前で握りしめる。
「豊さん…、そして淳平くん…、ありがとう」
丘の上の空が笑った気がした。
潮風が涼しさをもたらし、秋の訪れを告げている。
大通りに面したケーキ屋は昼からたくさんの客で賑わっていた。
「つかさちゃんはどこにいるの?」
「あの美人のパティシエさん、復帰したらしいね」
「あのケーキがまた食べられるんじゃの」
「……あー、もう!西野さんなら今ケーキ作ってるから、できるの大人しく待ってて!」
朝から続く似たような質問に我慢できずにカウンターで叫んだ渚の頭にコツンと軽いげんこつが入る。
「こら、渚、ちゃんと接客しろ!」
「いったーい…。だって…この人たちが…」
そしてそこでもう一発。
「いたっ!」
「知ってる顔だからってお客様を指差すな」
「うー、暴力はんたーい。お父さん、訴えるよ?この人たち証人にして」
渚がそう言うと客のうちの一人の老人が笑いながら口を挟んだ。
「言っておくがわしらは渚ちゃんの擁護はせんぞ。今のは渚ちゃんが悪いわ」
「えー、そんなぁー」
そしてまた笑いが起きる。
「渚ちゃん、注文分のケーキできたよー。取りに来て」
「あ、はぁーい」
渚はつかさの声に厨房へと小走りで向かった。
「はい。じゃあこれ持っていってね。売れちゃったケーキもまた作るから」
微笑みながら渚にケーキの乗ったプレートを渡すつかさ。
そこに並べられた数々のケーキを見て渚は目を輝かせる。
「わあ…おいしそう。さすが西野さん」
「ふふ…ありがと。あ、そうだ。渚ちゃん、あとで新作ケーキの味見してほしいんだけど、食べてくれるかな?」
「えっ、いいんですか?ありがとうございます!やったー!」
目をさらにキラキラと輝かせる渚。
渚はそのまま跳ねるようにカウンターに向かっていった。
「西野さんの特製ケーキ!おまたせしましたー!」
そして元気のいい声が厨房にまで聞こえてくる。
その声を聞いて表情を緩めるつかさ。
「…ケーキ作り…思い出して、本当に良かった…」
「…ありがとう。淳平くん…」
「あー、ひとまず一段落したね。お疲れ様。ねぇ、真中くん、ケーキでも食べない?たぶん豊三さんもそろそろ休憩入るでしょ」
事務室の椅子に座ったまま背伸びをしながらみのりさんがそう言う。
「あ、じゃあ僕、買ってきましょうか?」
「ありがとー。気が利くね。それじゃあこれ、少し足しにして」
「あ、ありがとうございます。じゃあ行ってきます」
みのりさんが差し出したその手からお金を受け取り、そのまま外に出る。
階段を降り、大通りに出ると郵便配達のバイクとすれ違った。
何となくその行き先を目で追っていると、バイクは俺のすぐ後ろで止まり、配達員は映画館のポストに一枚の封筒を入れた。
その時はその郵便物が俺の新たな一歩のきっかけとなることに気付いていなかった。
封筒の出発した場所は泉坂。
贈り主は…「小説家・東城綾」
俺は下り坂の大通りを小走りで、西野のいるケーキ屋へと向かう。
涼しげなデザインの扉を開けるとカラカラと小さな鐘が音をたてる。
その時偶然にも店内に客はいなかった。
「いらっしゃいませー…って、真中さん!」
「こんにちは、渚ちゃん。ケーキ、もらえるかな?おつかい頼まれてさ」
「はい、もちろんです。どれにしますか?」
渚ちゃんはそう言って明るく微笑んだ。
「それじゃあ…、これと…これと、あとはこれで」
俺はショーケースの中のケーキを指差して注文する。
「はい、かしこまりました。あっ、そうだ。西野さーん!真中さん来てますよ〜」
渚ちゃんが思い出したように厨房に向かって呼び掛けると「えっ?」という声の後、西野がカウンターに顔を覗かせた。
「あ…西野…」
注文したケーキを袋に詰めてもらい、外に出ると、渚ちゃんと西野が見送りに出てきてくれた。
そこで渚ちゃんが俺に向かってささやくようにして尋ねた。
「今日は丘に行ってないみたいですけど、諦めたんですか?西野さんの記憶も戻ったし」
「いや、そういう訳じゃあ…」
「じゃあもう青の海、撮れたんですか?」
「んーっと…それは…」
「あー、なんかあやしい!西野さん、西野さんは何も知らないんですか!?青の海、見たとか」
「うーん…それは…」
西野は苦笑いで俺を見た。
「あーっ!やっぱり何か隠してる!」
実はあの時、何かの弾みで偶然にもビデオカメラのスイッチが入っていた。
結果的に青の海は映像としても残ることとなった。
でも当分はそれを見ることも見せることもないだろう。
奇跡に出逢ったあの瞬間の感動を、大切にしておきたいから。
この町がくれた奇跡の贈り物。
伝説と言われたあの景色を、君に贈る。
『SERENDIPITY』第二部〜君に贈る〜完