〜君に贈る〜第十五話 - つね  様


昼下がりの町並み。


残暑が残る日差しの中、俺は目的地へと足を進めた。


そこは高校からさほど遠くない場所にあった。


…何度か来たことのある家だけど…相変わらずすごいな…


目の前の豪華な建物に右手で強い日差しを遮りながら見上げる。


インターホンを鳴らすと間もなく一人の女性が静かにドアを開けた。





「真中くん、待ってたよ」













〜君に贈る〜第十五話『東城と僕』
















東城について家の中の広い廊下を歩く。


俺は数えるほどの回数しか足を踏み入れたことのないこの家の部屋の作りを確認するように辺りを見回していた。


これだけの豪華な家だとどうしても身構えてしまう。


西野の家も綺麗で立派なものだがそういう次元の問題では無かった。


そんなことを考えているうちに東城の足は止まっていた。


彼女の背中にぶつかりそうになって、慌ててブレーキをかける。


東城は部屋の前で軽く微笑み俺を促した。


「さ、入って」


「あぁ、ありがと」


俺はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。


「ちょっと待っててね。紅茶でも入れてくるから」


俺がテーブルを挟んで向かい合ったソファの片方に腰を降ろすと東城はそう言って部屋を出ていった。
















そこは一度だけ来たことのある場所だった。


いつかの正月に東城の従姉妹の遥さんと会った部屋。


そういえばあの時は天地も一緒だった。


客間らしいこの部屋の景色は変わっていない。


あの頃は…


























「お待たせ」


回想を止めたのは東城の声だった。


二人分の紅茶と小さめのケーキを乗せたプレートをテーブルの上に降ろし、カップと皿を並べていく。


それがすべて終わると東城はプレートをテーブルの隅にやって微笑んだ。


「はい、どうぞ」


「あ…、ありがと」


俺がお礼を告げると彼女はもう一度はにかむような笑顔を見せて腰を降ろした。


まだほてりの残る体に冷えた紅茶を一口流し込む。


冷たい感触が喉を通り抜け、暑さを和らげる。


お互いにふっと息をついてから、どちらからとも無く会話が始まった。


向こうでの生活のこと、そして東城からも泉坂でのことを、話題がそんなにたいしたことでなくても会話は自然で途切れることは無かった。


それでも蛍崎についての話となるとどうしても避けては通れない話題もあるわけで…


「西野さんは元気にしてる?」


とはいえ…実はこれが本題なのだけれど…





東城には言っておきたかった。


相談というわけではなく、今、俺の中にある気持ちを東城に分かっていてほしかった。


そうすることで、多分俺はためらう事無く前に進める…


「元気は元気だよ。…だけどただ…もしかしたら聞いてるかもしれないけど…」


「うん…外村くんから聞いた。ごめん、悪いこと聞いちゃったね…そういうつもりじゃなかったんだけど…」


余計な気を遣わせてしまったかと思い、俺は慌てて付け足す。


「あ、いや…、いいんだ。ちゃんと話しときたかったし」


俺の声に一旦動いていた空気が止まり、そしてまた動き出す。


俺はゆっくりと続けた。


まず西野の病状を告げ、そうなるまでの経緯も予測を含めて話した。


そして最後に蛍崎に残る伝説について話す。


そう、『青の海』だ。


最近、いつも西野の話の後にはこの話がついてくるのが不思議でもある。


事実かも分からない、しかもそれを見て、そして撮るとなってはその可能性は余りに低い。


それでも幻想を追いかけ、それに頼りきるのということでは決して無く、何故だか自信のような、それでいて自信とはまた違うような、不思議な感情があった。


「…それで、俺、撮ることに決めたんだ。青の海を。確かに伝説って言われてるけどやってみなきゃ分からないだろ。何もしなきゃマシだし…
西野に…見せてやりたいんだ…できれば直接見せたいけど…そうもいかないかもしれないから」


『何もしなきゃマシ』という本心とは少しずれた、自分をかばう為の保険のような言葉に自分で言っておきながら後味の悪さを感じる。


まだ、心のどこかで世間体を気にしていた。





それでも東城は何も言わず、真剣に話を聞いてくれた。


そして、少し間をおいてから笑顔でこう言った。


「頑張ってね」


ありふれたその言葉には東城が言った所為か、温かみがあった。そして俺はその一言に救われていた。




























それから一時間近くも東城と話した。


どれもこれからのことを前向きに捉えた明るい会話ばかりだった。


これでいいんだと思った。


慎重過ぎた心が和らいでいた。





東城の家を後にするとき、門の前で見送る東城が言った。


「ねぇ、真中くん、覚えてる?中学三年生の時、真中くんがあたしに屋上で言ったこと」


俺が考えているうちに東城はまるで言うのを我慢できないかのように続ける。


「ほら、あたしの小説読んで、『映画の中に不可能は無い』って」


まるで子どものように目を輝かせて彼女はそう言った。


「だからきっとできるよ。あたしはそう信じてる」









そうだ…俺はこんな東城に惹かれ、そして助けられてきたんだ。








そして彼女は少し照れたようにはにかみながら付け加えた。


「…もちろん直接見せることができれば、それが理想だろうけど…」


…東城は、大事なとき、勇気が欲しいときに一歩踏み出させてくれる。


俺は東城の言葉をしっかりと噛み締めて頷いた。


「…ありがとう」


そして振り返り、歩き出そうとしたとき、頭の片隅にあったものが足を止めた。







…そういえば…






俺はもう一度東城の方を向き、尋ねた。


「そういえば東城、小説まだ書いてるの?」


さっきの東城の言葉に呼び覚まされた疑問だった。


校舎の屋上で小説と映画を語り合った思い出。


そして蛍崎に行ったばかりの時、みのりさんから聞いたこと。


…『デビュー作以来、ぱたりと出版が止まっちゃって…』


ずっと気になり続けていることだった。


「うん…、実は大学に入ってあんまりいいアイディアが浮かばなくて、大学での勉強もそれなりに忙しかったから…書くのやめてたんだ」


…やっぱり…


「だけど大丈夫。真中くんと話して元気もらったしなんかいいストーリー思いついちゃった。だから近いうちに書こうと思うの、小説」


そう言った東城の顔は希望に満ちていた。


そう…それはまるで彼女の小説が俺を魅了したあの時のように…


「…そっか。よかった。楽しみにしてるよ」


またひとつ、俺は勇気をもらって進んでく。


運命が俺を呼んでいるような気がする。


と、そこまで考えて訂正した。


違う、運命が呼んでいるのでも、運命に引き寄せられるのでもない。


そう…未来を、自分で切り開いていくんだ。


俺は自分の右手を見つめた。


…この手が、俺の未来を、そして『俺たち』の未来を担っているんだ…


そしてその手を強く握り締める。何かを掴み取るように。そして二度と離さないように。


俺はいつの間にか走り出していた。


加速した風が頬を撫でていく。


東城の家の前の“一本道”


もうだいぶ家からは離れたけど、東城の温かな笑顔がずっと背中を押してくれているような気がした。





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