〜君に贈る〜第十四話 - つね  様
 

静寂の中にコツコツと音を立てながら階段を昇る。


もうすでに日が変わろうとしていた。


先程から空高い月が雲に隠れたり
そこから覗いたりを繰り返している。


四階分の階段を上り切ると俺は立ち止まり、
少し重みのある扉に手をかけた。


蛍崎の時子さんの家の引き戸とはまた違う
その感覚に懐かしさを覚える。


俺はゆっくりとドアを開けた。

 

 

 

 


〜君に贈る〜第十四話『南戸唯』

 

 

 

 


静かにドアを引くと部屋の光が外へ漏れ出た。


どうやらまだ母さんは起きているようだ。


「ただいま」


そう言ってから玄関で靴を脱ぎ始めると廊下の向こう側から
ドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。

 

…起きているのは母さんだけではなかったらしい…

 

「おかえり〜!」


底抜けに明るい声が響き渡る。


俺の前で両手を広げる姿に思わず表情が緩んだ。


「…ただいま…。で、今日はどうしたんだ?」


「淳平が帰ってくるって聞いて来たんだけど…何か不満でもある?」


「いや、別に無いよ。わざわざありがとな」


「へー、それにしても淳平、今日はやけに素直だね。
なんかいいことでもあったの?」


ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む唯。


何だかからかわれているみたいでしゃくに触って
すれ違いざまにおでこをコツンと軽くノックしてやる。


「も、もう〜、なによお〜」


ぷうっと頬を膨らませた顔がかわいらしい。

 


俺は唯の先を歩きながら彼女に話し掛ける。


「母さんは?」


「おばさんならまだ起きてるよ。居間でテレビ見てる」


と、その時、聞き慣れた笑い声が耳に飛び込んできた。


「…言われなくても今分かったよ」


俺は呆れながら居間の戸を引く。


戸を開けきると、その音に振り向いた母さんと目が合った。


「あら、淳平おかえり」


「一人息子の久々の帰宅にそれだけかよ…」


「だって前もって聞いてたから」


「いや…そうじゃなくって…」


「何?もっと派手に迎えてほしかったかしら?
玄関で待ち構えて抱き着いたりすればよかったかもね。ふふ…」


「…『ふふ』…って…」


もう言い返す気力も失せた。


何だかこの人は無敵な気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ところで明日にはもう出るの?」


机を三人で囲む形になり、母さんが尋ねる。


「うん、これ以上仕事休む訳にもいかないし、
特別に休みをもらって来てるわけだから」


「ふーん。もう淳平も社会人なのね」


ここで横から唯がとぼけた顔で
「淳平って映画撮らないときは何もしてないんじゃなかったの?」と口を挟む。


「映画館で働いてるから上映のための準備とかしなきゃならないんだよ」
と答えてやった後も「ほぇー、そうなんだ」と興味なさそうな声で相槌を打った。


こいつはまったく変わってないな、と思ったが
相変わらずの反応に少し心が和んだ気がした。

 

 

 

 

 

「それで、つかさちゃんは…?」


ひと呼吸置いて母さんが尋ねた。


そして俺は今の西野のことを母さんたちに一通り話した。


こっちに来てから誰かに会うたびに同じ話を繰り返している。


口を開く瞬間、事情を話すことに慣れた自分が少し嫌になった。

 

 

 

 

 


「そうなの…。つかさちゃん辛いでしょうね」


俺の話を聞き終えた母さんが手に持った
コップの中を見ながら言った。


「うん。本人もそんなそぶりを見せないようにしてるけど
かなり気にしてると思うんだ。…西野は責任感が強いから」


「そうなの…つかさちゃんしっかりしてるものねぇ。
それにしても…早く戻るといいわね」


「うん…」


気持ちは落ち着いていた。


もう一時期のような悲観的な感情は押し寄せてこなかった。


「…それじゃあそろそろ風呂入ってから寝るよ。
明日は昼過ぎくらいに出るから」


俺はゆっくり立ち上がって自分の部屋に向かった。


「淳平」


呼び止めた声に振り返る。


「頑張ってね」


「あぁ、わかってる」


後押しするような母さんの表情に俺は頷いた。

3 名前:つね[] 投稿日:2006/11/27(月) 01:59:10 ID:/GfPPyUM
自分の部屋に入ると意外にに片付いていることに気付いた。


しばらく使っていないはずの勉強机を
軽く指で撫でてみても埃一つ付かない。


窓は軽く空けられ、カーテンも新しいものに差し替えられていた。


どうしたものかと不思議に思っていると
後ろでパタンと戸が閉まる音がした。


振り返ると唯が得意げな顔で立っていた。


「ビックリした?
今日淳平が帰ってくるって聞いて唯が掃除しといたんだ」

 

 

…ありがたかった…

 

 

すぐにその感情が湧いてきたけれどいつの間にか唯に対して
素直になりきれなくなっている自分に気付く。


『ありがとう』


その言葉が喉の奥でつっかえて、すぐには出てこなかった。


俺が戸惑っているうちに唯は続ける。


「お風呂入るんだったら着替えはあそこの引き出しの中だよ」


言われたままにTシャツとジャージを引き出しの中から取り出す。


これもしっかりと洗濯されていた。


そして部屋から出ようとした時、ようやく思いが口からこぼれる。


「なあ唯…」


背中の方で「ん?」と小さく答えた声がした。

 


「…ありがとな…」

 


「どういたしまして。お風呂、ゆっくり入ってきなよ」


振り向くと笑顔でそう言う唯がいた。
風呂から上がり部屋に入ると唯はまだ部屋の中にいて
俺のベッドの上にちょこんと座っていた。


俺は濡れた髪を拭きながら唯に話し掛ける。


「もう風呂には入ったのか?」


うん、と唯は頷いた。


「そっか」


それだけ言って俺は腰を降ろす。


何故だか唯が何か言い出したくて言えないような表情でいた。


今、口を開いてしまうとその言葉を奪ってしまうような、
そんな気がして俺は唯の方に注意を向けながらも
何も言わずに唯の言葉を待った。


しばらくたってようやく唯が口を開いた。


「淳平…」


その口調に自ずと緊張が高まる。


俺は息を呑んだ。


「…何だよ…」

 

 

 

 

 

「…一緒に寝よ」

 

 

 

 

 

 

「…へ…?」


驚きと同時に気が抜けた。


まったくこいつは、何を言い出すのかと思えば
『一緒に寝よう』なんて。


「一緒に寝よって…お前何言ってるのか分かってんのか?」


「ほぇ、何って?だから一緒に寝よって」


「一緒にって…」


「小さい頃は一緒に寝たこともあるじゃん。
あ、それとあたしが高校一年の夏も」


「いや、そういうことじゃなくて……」


「いいからいいから。ね、お願い」


微笑みながらその笑顔の前で両手を合わせる唯の姿に
俺は願いを聞かざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「なぁ唯」


「ん?」


「やっぱりさすがにこれはやばいんじゃないかな…?」


そして今、俺は唯と一つの布団の中にいる。


ベッドに寝転がり布団をかぶった時から
唯は俺の背中にくっつきっぱなしだった。


「大丈夫だよ。どうせあたしたち兄妹みたいなもんじゃん」


そんな状況の中、唯は落ち着いた声で言う。


今にも寝そうな唯がささやく度に背中に振動が伝わり、
迂闊にもドキッとしてしまう。


それでももう諦めるほかなく、俺はようやく覚悟を決めた。


「…何が起きても知らねえからな」


「…変なことしたら西野先輩に言いつけてやる…」


寝息を立てる間際に唯が発したその言葉に何故か安心し、
俺も目を閉じた。
とは言え、やはりすぐには寝付けなかった。


目を開け、窓に目をやれば月の光りが差し込んでいる。

 

…眠れないのはこの光りの明るさの所為か?…

 

今の状況から目を逸らすためにそう考えてみたが
そんなはずは無かった。


眠れないのはほかでもない背中に微かに触れる
この人肌の感触なのだ。


いくら幼馴染みとは言え、今では唯も大学生だ。


心臓の鼓動が高鳴らないほうがおかしかった。


しかもその所為でこうやってベッドに入ったとき
からまったく身動きがとれていない。


頭の下に敷いた右腕はもう痺れてしまい
感覚が鈍くなっていた。


このままじゃ埒が開かない、
そう思い体勢を変えようと身体を少し動かす。

 

その時だった。

 


「…じゅんぺー」


か細い声が俺の耳に届いた。


思わず振り返ると先程までぐっすりと眠っていたはずの
唯が目を開けていた。


唯は視線を俺から逸らしたまま呟いた。


「西野さん…大丈夫だよね…?」


不安そうなその声に息が詰まりそうになる。


それでも、ここで俺が弱みを見せる訳にはいかなかった。


それは唯をより不安にさせることにしか
ならないのだから。


「…大丈夫さ。俺が何とかして見せるから」


「そっか……そうだよね。淳平がいれば…大丈夫だよね…」


「うん、だから心配するな。
きっと…いや必ず俺が治して見せるから」


「…ん…わかった。約束ね、淳平」


「ああ、約束だ」

 


それからしばらくして唯は深い寝息をたて始めた。


俺もその呼吸のリズムに安心して目を閉じる。

 

 

唯はいつもそうだ。


本当は心の奥に弱い部分を抱えている。


でも普段はそんな素振りを全く見せない。


それは周りの人を気遣う唯なりの努力だった。


周りの人が心配しないように、不安にならないように、


そうやって時には無理をして強がってまで
笑顔でいようとする。


それが南戸唯だった。

 

 

 

 

今日、唯のお願いを聞いてあげてよかった。


同時に心配させてたんだな、とも思う。

 

 

 

 


朝目が覚めると、俺の背中に張り付いたままの唯は
ちゃんと服を着たままで安心した。


荷物をまとめ、とりあえず出発の準備をしておく。


まだもうひとつ、行かなければならないところがあった。


昼食を済ませた後、俺は玄関の戸を開けた。


「それじゃ行ってくるよ。また夕方には戻ってくるから」


「うん、それじゃあね。いってらっしゃい」


そう言って見送る唯に笑顔が戻っていた。



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