〜君に贈る〜第十二話 - つね   様



〜君に贈る〜第十二話『泉坂に…』







車体がガタゴトと音を立てながら揺れる。


窓の外にはどこまでも続く海。


水面に白く波が輝いている。


向かいに座った西野は目を閉じていた。いつもは眠たい俺を起こそうとするのに…


俺はほおづえをついたまま窓の外へ向けていた視線を目の前の少女に移した。

























…あれから、もう一週間か…












渚ちゃんが飛び出してしまった後の病室はそれまでの明るさが嘘だったかのように静まった。


状況の分からない西野だけがキョロキョロと周りを見渡していたが、やがて彼女は悲しそうな表情になり俯いた。


西野は勘がいいから、今の状況を何となく感じ取ったのかもしれない。


重い空気。沈黙の中、かろうじて口を開いた。


「西野、この人が誰か分かる?」


俺はそう言ってみのりさんの方に手を伸ばした。


俺が西野の名前を呼ぶとはっと顔を上げたが質問が終わると再び表情は曇り、そして俯いた。


「…ごめん…」


小さくそう呟いたその後に言葉は続かなかった。


気の利いた言葉なんて見つからず、俺はたった一言呟く。


「…西野は…悪くなんかないよ…」




どうして…




どうして…余計な心配をさせまいとしたときに、思うように話せないんだろう。




不安にさせるような声になるんだろう…




…俺がしっかりしなきゃ…





「みのりさん、西野が目を覚ましたって、下に言って来てくれませんか?」


「あ、うん」


西野を不安にさせないように、俺はさりげなくそう言った。


病室を出たみのりさんの足音がだんだんと遠ざかり、部屋の中は俺と西野だけになった。






だけど…特に喋ることが見つからない…


こんなことは最近ではほとんど無かった。


そんな状況に少し戸惑いながらポケットに手を突っ込む。


その時、手に触れた財布の中に偶然にも入っていた二枚のチケット。


「…あ、そういえば西野がさつきにもらったサッカーの試合のチケット。あの試合確かちょうど来週の今日だよな」


何とか見つけた話題に、言った後で気付く。




…今の西野にこんなこと言っても…




しかし、西野の答えはあまりに意外なものだった。


「えっ?さつきちゃん!?あたしそんなものもらってたっけ?」


「えっ…」


思わず声が出てしまった。


今、確かにさつきの名前を…


「うん、さつきからもらってるんだ。大草が試合に出る試合のチケット」


思わぬ答えに驚くが、なんとか平静を保ち、答え返す。


「大草君?何で大草君の試合のチケットをさつきちゃんが…」






何となく…確証は無いけど分かり始めた。


ただ、『今の西野』が知らないことを一から説明するには時間がかかるし、西野がまた覚えていないことをショックに思うかもしれない。




…もう少し落ち着くのを待つか…




「俺もよく知らないんだけど友達からもらったみたいなんだ。それで余ったからって」


だからその予感を確かなものに変えるため、探ってみる。


その予感というものも決していいものではないけれど…


「だから来週、泉坂に帰ろうか。大草の試合を見て、それで東城や外村、唯とか、いろんな人に会ってさ」


そう言って西野の様子をうかがう。




東城や外村の名前を聞いての反応に…違和感は…無い。











そして…







「帰るって…ここ、泉坂じゃないの?」










…やっぱり…










西野の記憶は泉坂で止まっている。と言うより、蛍崎での記憶が完全に無くなっている。


俺はこのとき、そう判断した。

















…俺の予想はほぼ当たっていた。


西野には高校生までの記憶しかない。


西野は今、高校二年生の西野つかさに…











そして…彼女はまだケーキ作りに出会っていない。





































この一週間、西野の心からの笑顔を見ることは無かった。


ぎこちなくも少しずつ今の状況に慣れていく西野。


だけど何をしててもいつも不安そうで、寂しそうで、


西野の心の中はどんなだったのだろうか。


そんな西野を見て俺の頭の中にはある考えが浮かんでいた。


ただ、まだ決断には至らなかった。


心を決められない自分を情けなく思う。別に覚悟がいる訳でもないのに…


西野のためならなんでもしてやりたい。


だけど…





































西野が記憶を無くした、その直接の原因はおそらく頭を強く打ったことだろう。


だけど…それだけのことで、果たして記憶喪失が起こり得るのか。


何か他の要因が絡んでいる。それは何なのか…





思い当たる節が一つだけあった。








…ケーキ…








…それはパティシエとしての西野だった。











思い返してみれば、二年ぶりに泉坂に帰って来たあの日から…俺はパティシエ西野に対するどんな評価を見てきただろう、聞いてきただろう。





”そういえば”…だった。





日暮さんに聞いたことがあった。


西野が連れ去られそうになった、汗まみれになって西野を探したあの日、西野を家まで送って行った日暮さんはこんなことを俺にこぼした。


『西野さん、もっと評価されてもいいと思うんだけどね。マスコミも取り巻きも、みんなアイドル扱いしてる。努力も十分してるし、この二年間の上達はすごいよ。それで今は俺がライバルだと思えるくらいの実力になっている』


『…でも…それにしては…あまりに評価が低すぎる』



実力は間違いない。


だが、同時に正当に評価されていないとも言われている、それが『パティシエ西野』


西野はケーキ作りに真摯だ。見ていて分かる。


彼女は自分のケーキで誰かを幸せにしようと、そう思ってケーキを作っている。


上辺だけのそれではない。


だからケーキを作る西野は綺麗だ。


別に西野だって見返りが欲しくてケーキを作っているのではないだろう。


だけど自分の腕がものを言う仕事でそれに対する評価は付きまとう。


いくら西野だって聖人君子じゃない。


評価が正当で無ければ多少なりとも不満を感じたり…とにかくいい気分では無いだろう。


西野は自分のケーキに人々の笑顔を求めた。


だけど人々は西野のその容姿に目をやった。


もちろんケーキに感動した人もいるだろうけど…それでも足りないくらいに…


だから―――――なのか?

































西野の記憶を取り戻すため、いや、もっと言えば西野を幸せにするために…俺ができること…


記憶喪失にこれといった治療法は見当たらなかった。


そんな中、ただ一つ思い浮かんだもの、それが『青の海』だった。


見た人を幸せにするという伝説の海。


ただ、目撃者もいなくて、それが実在するものなのか定かでは無い。




―――――そんな伝説に縋ろうとするのか…?




そんないやに大人びた考えが時折頭をよぎり、すぐに行動には移せなかった。









それに『青の海』に関して、聞いたことがあった。


…豊三さんがかつて『青の海』を撮ろうとしたことがあるという話だ。


これはみのりさんから聞いた話なのだけど、今まではさほど気にしなかった。


ただ、今になって急に気になり始めている。




…あの豊三さんでも撮れなかった…


そんなものを…俺が撮れるのか…




























――――まもなく泉坂、泉坂です。お降りの方はお忘れ物の無いようにお気を付けください。


車内にアナウンスが流れる。


俺は整理のつかない頭のまま腰を浮かせた。


西野は眠たそうに目を擦って寝ぼけ眼のまま網棚の荷物を降ろし始める。


電車が停まり、俺は西野に呼び掛ける。


「じゃあ…行こうか、西野」


「うん」


それでも何かを探しにここに帰って来たような気がする。


今俺の目の前にいる”過去の西野”を訪ねて、今、泉坂に…



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