〜君に贈る〜第十一話 - つね 様
〜君に贈る〜第十一話『わからない』
「つかさちゃんもすっかり有名になったねぇ…」
二人でテレビを見ている時、時子さんが呟く。
確かに…
西野つかさがどんどんと有名になっていくことは明らかだった。
今日もこうして見ている番組で西野が取材を受けている。
勿論それに伴って客足も増えていく。
この一週間での来店者の増加はまさにうなぎ登り。
西野の夢が叶おうとしている…少なくとも、その方向に向かっている。
だけど…
「…いいことばかりじゃないような気がするな…」
「えっ?」
「あ…いや、ただ…何となく不安で…」
時子さんの声に我に還り俺は何とか言葉を繋いだ。
今日は休日だった。
…西野を除いて…
そうは言っても時子さんはもう退職しているしこの家で仕事に就いているのは俺と西野の二人なのだけど…
「淳平くんは何でそう思うの?」
時子さんが穏やかな声で尋ねた。
「…これから有名になっていくにつれて西野は忙しくなっていくだろうし、それに…上手くは言えないけど…」
「そう」、と答える時子さん。
終始穏やかな口調だった。
「本当に…つかさちゃん、働き過ぎなきゃいいけどね…」
視線の先には夏の青空があった。
「ただいま〜」
明かりの点いた玄関から明るい声が聞こえる。
「あら、つかさちゃん、おかえり」
まずそう言って迎えたのは時子さんだ。
靴を脱いでいるためだろう、しばらく経ってから足音が近づいてくる。
そして、
足を止めた西野と目が合う。
「淳平くん、ただいま」
優しい表情で言われたそのありきたりな台詞には何故だか温かみが感じられた。
「…ああ、おかえり」
一瞬流れる時間が遅くなったような錯覚。西野の笑顔が少し照れくさかった。
西野が動き出すとまた時間が今まで通り流れ始める。
「おばあちゃんただいま。あのね―――」
西野の声を少し遠くに聞きながらやけに安心した気持ちになった。
毎日が穏やかに進んでいる…
「淳平く〜ん、ご飯だよ〜!」
「はーい、分かった」
西野の声に立ち上がり台所へと足を進める。
三人分の食器が並べられ食事が始まる。
「あのね、今日もお客さんがたくさん来てね、たった三人だから忙しくて…」
席につくとこうやって会話が始まる。
これが自然な流れだった。
まるで本当の家族のように…そんな雰囲気がここにはあった。
「…だけどあたしが作ったケーキがお客さんに手渡されて、それでお年寄りの人や子ども、もちろん若い人達やほかの人たちも、みんなの笑顔が見えるから…」
「ケーキを食べるときの笑顔を想像するとまた頑張ろうって気持ちになれるんだ」
そう言ってまた笑顔になる西野。
毎日のようにこの笑顔を見ることができた。
西野が一歩ずつ夢に近づいている。
なんだかそんな気がする。
そして月が変わった。
西野のケーキ屋はそれまでに何度かの取材を受けた。
俺は変化を感じていた。
客足は増えている。
ここ一週間で爆発的に増えたような気さえする。
たぶんそれは気の所為なんかじゃ無い。
映画館からの帰り道。
久しぶりの早上がりで仕事が昼過ぎに終わった時だった。
西野の働くケーキ屋の前を通りかかったとき。偶然にもそこにはみのりさんも居合わせていた。
「うわぁ…何、あれ」
そんなみのりさんの声。
それが西野の働くケーキ屋の様子を形容するのにピッタリだった。
溢れんばかりの人だかり。
これは見る限り、ここ数日のうちでも際立って多い客足だ。
みのりさんが驚くのも無理は無い。
「西野さん、ここで働いてるんだよね。この間もテレビに出てたし……それにしてもすごい人込みだね」
本当にすごい…こんなにも人が来るなんて…
でも…これっていつかと同じような気がする…
上手く思い出せないけど…
だけど間違いなく、この人込みを見て胸騒ぎがしてる。
「どうしたの?真中くん?」
みのりさんが不思議そうに俺の顔をうかがっている。
「い、いや…何でもないです。すみません、ボーッとしちゃって」
気付かないうちに立ち止まっていた。
俺は慌てて再び足を進め始める。
店の前に近づくにつれ、集まった人々の声がはっきりと聞こえてきた。
「つかさちゃーん!この間のテレビ見たよー!」
「一目見てファンになりました!」
「つかさちゃん!彼氏いるって本当なの!?」
「今度一緒に遊ぼうよ〜!頼むからさぁ、ねぇ、つかさちゃん」
その瞬間背筋がゾクッと震えた。
…これ…あの時と同じだ…
思い出した…西野が高校三年生の時、情報誌に載って、バイト先のパティスリー鶴屋にも西野が通う桜海学園にもものすごい人が押しかけたこと…
あの時と…まったく同じ…
西野は…?
店の中の様子が気になり人込みの隙間から店内を覗いてみる。
西野の姿は見えない。
きっと奥の厨房で働いているのだろう。カウンターには慌ただしく、それでいて丁寧に客に対応する渚ちゃんと、それに加えて時折厨房へ向かって話し掛ける西崎さんの姿が見えた。
そして次の瞬間、一気にざわめきが止まる。
「いちごのミルフィール、お待たせしました〜!」
厨房から大きなプレートにいくつものケーキを乗せて西野が姿を現した。
その途端、店を取り巻く客が店の中に入ろうとするがあまりの人の多さに押し戻される。
…この人気…俺の悪い予感は当たるのだろうか…
かと言って何ができるわけでもなかった。
一瞬頭の中に浮かんだ考えを必死で振り切って俺はその場を後にした。
連日あんなにもたくさんの人が店に押し寄せて、それに…
西野は疲れてるんじゃないだろうか…
そんな心配とは裏腹に西野はいつも笑顔だった。
真っすぐで、前向きで、明るくて、
そんな西野の強さが彼女の心の奥の弱さを隠していた。
だから俺にはこの時、そんな幸せな西野しか見えていなかったんだ。
何で気付いてやれなかったんだろう。
でも、気付いていたとしてもきっと西野は「大丈夫」と一言言ったんだと思う。
もしかすると俺にはまだ完全な西野の逃げ場になれるだけの強さと心の広さがなかっただけなのかもしれない。
テレビや雑誌の取材は日増しに増えていった。
口コミの力も手伝って西野の噂はどんどんと広がり、いつの間にかその名前は全国区となる。
初めてテレビに出てから間もなく西野の人気は異常なまでなものになっていた。
しかしその人気は少なくとも俺の考えるかぎりでは西野の望むものではなかった。
マスコミはこの短期間に西野を見事なまでにアイドルに仕立て上げてしまったのだ。
どのテレビ番組でも、どの雑誌でも西野が正当にパティシエとして評価されているとは思えなかった。
どこへいっても『美人パティシエ』、そう騒ぎ立てられる。
本人が望んだわけでもなく、マスコミにより『アイドル 西野つかさ』が誕生しようとしていた。
シネマ蛍崎の電話が鳴ったのはそれから何日か経った日の夜だった。
ちょうど仕事が終わり、汗をかいたTシャツを着替えようとしたとき、
プルルルルッ
事務室の電話が鳴り響く。
確か事務室には豊三さんがいるはず…
そう思って汗が染み込んだTシャツを脱ぎ、タオルで汗を拭う。
しかし、まだ電話には誰も出ない。
それから間もなく、階段の方から豊三さんの怒鳴り声が聞こえた。
「淳平!今、手が放せんのじゃ!早く電話に出んか!」
…結局俺かよ…
少し呆れながらも急いで着替えを済ませ、受話器を手に取る。
「もしもし、シネマ蛍崎です」
「…えっ?…」
「…あ、うん、分かった。それで大丈夫そうなの…?」
「分かった…じゃあ今から行くから。それじゃあ…」
そうやって話を切り、俺は受話器を置いた。
そこへちょうどみのりさんが入ってきた。
「どうしたの?今の知ってる人からでしょ。西野さん?」
思いの外冷静だったのは電話の相手があまりに落ち着いていたからだろう。
「西野がまた病院に運ばれたらしいんです。頭を打って気を失ったって……ただ、大事には至らなくて安心できる範囲のものらしいんですけど…」
俺が話している間にみのりさんの表情が変わっていくのが目に見えて分かった。
ただ俺がゆっくりと話した所為か俺が言い終えるとすぐに言葉を発した。
「それならすぐ行かなきゃ!あたし今日バイクだから、後ろ乗りなよ。ついておいで」
「は、はい」
俺はすぐにみのりさんについて階段を降りた。
階段の下ではちょうど仕事を終えた豊三さんがいた。
さすがの豊三さんも俺とみのりさんの様子を見て何事かと驚いている。
「みのりちゃん、どうしたんじゃ?そんなに急いで」
「西野さんが病院に運ばれたらしいんです。だから、今から真中くん連れて病院まで行ってきます。事務室の鍵は締めてくれて構わないんで」
そう言いながらみのりさんはヘルメットを被り、俺に後ろに乗るよう促した。
俺は言われるままにみのりさんの後ろに腰を下ろし、足を車体の手頃な位置に乗せた。
「はい、これ被って」
そう言って俺にもヘルメットが被せられる。
頭の上からストンと落とされるような形で被せられたため、視界が遮られる。
俺は被されたヘルメットを上げて視界を確保した。
「じゃあ行くよ!そのままじゃ落ちちゃうからしっかり捕まって」
…と、言われても…
俺の両手はみのりさんの服を掴む形になっていた。
このままじゃ落ちちゃうってことは…
少しの恥ずかしさを感じながらも俺は自分の腕をしっかりとみのりさんの体に回した。
「よしっ、OK!じゃあ行くよ!」
二人を乗せたバイクはエンジン音を残しながら勢いよく走り出していった。
病室の扉を開けると、落ち着いた表情で眠る西野がいた。
みのりさんと一緒にベッドに近づくと渚ちゃんがこっちに振り向き、俺たちを安心させるように微笑んだ。
「眠っているんです。脳にも異常は無いし、目立った外傷も無くて、後は目を覚ますのを待つだけなんです」
電話の時といい、少し意外な対応に思わず渚ちゃんの顔をじっと見てしまう。
「どうしたんですか?」
「いや…何でも…」
そう言いかけた時、彼女の隣に立っていた西崎さんが口を挟む。
「西野さんが倒れたときはこんなに落ち着いていなかったんだけどね。それはもうすごい慌て様で…」
そこへすかさず渚ちゃんが反論する。
「なっ、何よ!それでも今回はその後落ち着いてたでしょ。この前あんなにパニックになっちゃって迷惑かけたこと、反省してるんだから」
そう言いながら顔を赤く染める渚ちゃん。
その姿をかわいらしく思いながら、落ち着いた電話での話し方の原因はそういうだったのか、と理解できた。
そして反省を元にそうしてくれた渚ちゃんに感謝する。
あとは…
そう思いベッドに目を移すと気持ちよさそうな寝顔が目に入ってくる。
その表情を見て俺はほっと一息ついた。
それから数時間、俺たちは他愛の無い話をしながら過ごした。
もちろんみのりさんと西崎親子はここの住人として知り合いであるし、病室にいながらも明るい雰囲気で時間は進んだ。
『あとは目を覚ますのを待つだけ』、医師のそんな言葉が誰もを安心させていた。
「…ん…」
数時間後、ベッドから聞こえたかすかな声に病室にいた全ての人の視線が集まる。
無事だと分かっていたものの、その声を聞いて完全に肩の荷が降りた。
静かに目を開ける西野。
そしてついに西野が口を開いた。
「…淳平くん?」
その言葉に微笑みがこぼれ、ベッドに歩み寄る。
「西野さん、良かった」
そう言って俺に続いて西野の方に歩み寄る渚ちゃん。
しかし次の瞬間、俺の笑顔は消える。
「えっと……
…ごめんなさい…君、誰かな?」
俺は思わず振り返り、渚ちゃんを見た。
西崎さんもみのりさんも驚きを隠せない様子だった。
「そんなぁ、またまた、西野さん冗談きついんだから。あたしですよ。西崎渚」
目一杯明るくそう言いながらも、彼女の笑顔はぎこちなかった。
きっと不安で、信じたくなくて…
それはこの場にいる誰もが同じだった。
「……ごめん……わからない…」
「えっ?」
声にならない声でそう言うと、渚ちゃんはその場に立ち尽くした。
そして俯き、小さく呟く。
「…西野さん…嘘でしょ…」
かろうじて聞き取れたその声は西野には届かない。
震えるほど固く拳を握り締め、渚ちゃんは病室から飛び出していった。
「ちょっと、渚ちゃん!」
そう叫び、後を追おうとするが西崎さんに制された。
「渚のことは任せて。淳平君は西野さんのそばにいてあげなさい」
その言葉に何とか頷き、俺はその場に踏みとどまった。
固まった視界の中、渚ちゃんを追って西崎さんが病室を出て行く。
渚ちゃんが飛び出していった時に開け放された扉。
西崎さんが後を追って行った後もそのままで…
何処から入り込んだのだろうか、開けっ放しの扉からの風が頬を撫でた。
自然に戻るはずの引き戸はなぜかそのままで、その様子がやけに寂しかった。
まるで渚ちゃんの気持ちがそこに残されているようで…
NEXT