Summer 2.MEET YOU - スタンダード   様


ふと眩しさが消えた。


手をかざすのをやめてもそれは同じことだった。


「暗い!暗い!」


急に耳元で叫ばれた。


バッと起きあがると、目の前にあまりにも綺麗な女の子が立っていた。


僕の瞳を覗き込んできて、まるで吸い込まれそうだった。


「ちょっと君!さっきから見てれば溜息ばっかついて…


 まるで『俺は人生に疲れたんだ』って言ってるみたいだよ?」


一体全体何なんだ?


全く訳が分からない。


何で見ず知らずの女の子にズカズカと人の中に入り込まれなければならないんだ?


さらに注意までされて…。


ちょっとムカッと来て、反論した。


「な…何なんだよ!別にいいだろ迷惑かけてないんだから!」


でもその娘は、


「おっ、やっと元気を取り戻したか」と、軽く言うだけだった。


軽くあしらわれたように思え、だが、奇妙なことに全く腹ただしくなかった。


「名前は?」


やっぱり訳が分からない。


いきなり注意されて、何の関係もなく名前を聞き出したり、不思議な女の子だった。


それでも断る理由もなかったし、こっちを見るその笑顔がかわいくて、つい乗せられてしまった。


「真中……淳平…」


そう言うと彼女は少し申し訳なさそうな顔になった、ように見えた。


「真中淳平…淳平…?」


「どうかした…?」


妙なタイミングで考え込む目の前の少女。


こちらとしても、名前に疑問を持たれてはたまったもんじゃない。


「あ、ううん。何でもない。それより真中って…一平おじいちゃんの…?」


やっぱり知っていた。


真中といえば村の人みんなが反応し、そんな風に暮らしていた祖父は幸せだっただろうと思った。


「そっか…それは悪いことしちゃったかな…」


普通の人に言われたら頭に来るに間違いない。


お前に何が分かるんだ!ってやつだと思う。


でも彼女は不思議とそんなこと感じさせなかった。


そして、彼女に対して怒っていた(もちろん本気ではなかったが)時は、決して一時も忘れなかった祖父の死を、多少なり忘れていた。


ただ、彼女の申し訳なさそうな顔は見たくない、とそう思った。


会ったばかりの女の子にそんな感情を抱く僕も、案外不思議な少年の部類にはいるのかもしれない。


だから僕は急いで訂正した。


「いや…そんなこと……無くもないけど…でも別に…」


「…ごめんなさい。でも…おじいちゃんもきっと君の悲しむ姿なんて見たくないよ?


 まああたしが言うのもなんだけどさ…」


彼女が言っていることは正しい。


でも僕は同じようなセリフを何度も何度も違う人から聞かされた。


それでも当然僕の気持ちは収まらなかった。


友人達は、僕のこの苦しみを知らないからそんなことが言えるんだ、そう思っていたからだ。


しかし…


彼女が言うと、なぜか説得力があった。


正論、と見ることが出来た。


一目惚れとはちょっと違うと思うけど、少なからず僕(の好奇心)は彼女に惹かれていた。


「君は……なんていうの?」


言ってから馴れ馴れしかったかなと思ったが、都会風さ、とでも言えば何とかなるかと思えば良かった。


しかし、彼女は名前の返事を返す前に、こんなことを話した。


「君……か…」


「どうかした…?」


「今さっき…えっと…淳平君、あたしのことを君と言ったでしょ?」


いつの間にか、というかさっきからだが、僕は淳平君と呼ばれている。


「あたし『君』っていう言葉好きなんだ。


 無愛想な言葉に聞こえるじゃない?
 
 
 でも『あなた』とか『お前』とかよりも…


 なんて言うのかな…神聖…な感じって言うのかな?」


彼女は腕を組み、自分の『君』に対する思いを説明してくれた。


彼女は分かるかな、と小さく呟いていた。


なんとなくなら理解できた。


でも深いところまでは分からない。


彼女は思い出したように、


「名前は西野つかさっていうの」


と教えてくれた。


西野つかさ。


心の中で反芻し、その響きを確かめた。


「で…淳平君?」


「何…?西野…さん」


「何?そのあからさまに嫌悪感を表したさん付けは。


 別に西野でいいよ」


彼女は笑いながら言った。


「う…ん…で、何?」


「さっきも言ったけどちょっと暗すぎるよ?
  
 
 そりゃおじいさんが亡くなった悲しみはあたしにも分からないけどさぁ」


ぐっと顔を近づけながらそう言う。


「でもおじいさんだって淳平君を悲しませたくて亡くなった訳じゃないんだから。


 おじいさんを心配させないためにも元気に楽しく生きなきゃ!」


あまりに近い西野の顔から、はずかしさゆえ顔を離した。


僕の顔は今真っ赤かもしれない。


「そ…そんなことは分かってるんだよ…」


「じゃあ…」


「分かってるけどさ、そんな風に割り切れないって。


 俺はじいちゃんと家族で一番仲が良かったんだよ?


 逆にそんな風に死を忘れるのは失礼だと思うし…」


そう思っているのは本当のことだ。


祖父と過ごした日々は、日常とは輝きが違う。


だからこそ祖父のことを忘れず、心の中ででも生きていて欲しいと思ってる。


そしてそれが逃げていると分かっているのも本当のことだ。


僕は間違いなく祖父の死を恐れていて、祖父のいない世界に絶望しかけている。


いつか救われる、なんてことはなく、僕を救えるのは死となってしまった。
















そう思っていた。













でも……


「それはそうだけど…


 でもさ、淳平君が笑顔で暮らしてさ、それでいて心の中でちゃんとおじいさんのことを覚えていればいいでしょ?」


でも……


「たまに思い返しては、“俺は元気だよ”って報告すればいいじゃない」


なんで……


「ほら!だから元気出して!」





なんで今僕は救われているのだろう…?


彼女は死か?


違う。


絶対に。


だったら…。


そう思って初めて気が付いた。


まだこの世界にだって、僕を救ってくれる人がいるんだって。


死にも適うような大きな価値を持った人が。












「おっし」


僕はベンチから腰を上げた。


「復活?」


「復活」


「よろしい」


他愛のない会話。


こんな会話二度と出来ないと思っていたのに…。


「じゃ、行こっか。淳平君」


いつの間にか幼なじみみたいになってて…


「行くってどこに?」


自然に話している。


「帰るのよ」


この娘は何者…そう思った。


「って…どこに?」


でもそんな考え、すぐ消えた。


「あたしの家と一平おじいさんの家、隣なんだよ?」


この娘は…


「えぇっ!?そうなの!?」


死でも天使でもなく。


「何をそんなに驚いてるのよ?」






ただ、僕の好きな人だろう。




























「ふあぁぁ…」


「起きたかい?淳平」


目を開けると前掛けをした祖母が洗濯物をたたんでいた。


手でアイロンをかけるように撫でる。


すっと伸びた衣類がそこに積まれていた。


「んん…おはよう…」


まだ寝ぼけていた僕は、祖母の後ろの『あるもの』気づかなかった。


「眠……」


昨日は、祖父の家に行くということであまり眠れなかったので、今日何時間寝てもこの眠気はとれないだろう。


僕はまた布団に倒れ込んだ。


眠ろうとしながらも脳が覚醒してくると思い出してしまう。


祖父は死んだんだ。


祖母の隣にいつもいたのに…。


でも今祖母を見て違和感がなかったのはなぜだ…?


いつもなら祖父と並んでおはようと言うのに…


今は祖父はいないはずなのに…


そう思って僕は飛び起きた。


またあの顔がすぐ近くにあった。


「うわっ!」


「きゃ!」


僕と西野が同時に声を上げた。


「びっくりした…」


西野が呟く。


「それは俺のセリフだって…」


やけに動悸が…


「なんで西野がここにいるのさ…?」


のけぞっていた彼女が体を起こしながら答える。


「昨日もいったでしょ?あたしん家隣だって」


西野の口調は“言うまでもないでしょう”って感じだった。


「そうじゃなくて…」


僕はなんと説明していいか分からず項垂れた。


すると西野が急に、


「そっか。都会ではこんなことないか」


都会では?


「田舎じゃ隣の子が家にいるなんて日常茶飯事だよ?」


本当だろうか…。


確かに小さい頃起きたらさつきが目の前にいたことはある。


でもそれは3歳か4歳の頃だったはずだ。


さすがに17、18歳になってからそんなことはない。


でも西野はそれが当然と言う。


さすがと思っていると、西野が、


「起きた?」と。


「起きた…かな…」


僕は背伸びをする。


背中の骨が音を立て、同時に腹も鳴る。


深呼吸をしてやっと目が覚めた気になる。


「うん。起きた」


西野は僕が起きたのを確認すると立ち上がって、


「よし、じゃあ顔洗ってレッツゴー!」


と、はしゃぐ。


「レ…レッツゴーって…どこに…?」


そう僕が尋ねると、西野はさも楽しそうに、


「森林探検!」


と言いながら僕を叩き起こした。


「ほらほら!ウェイクアップ!」


僕の背中に蹴りがはいる。


「イテテ…ホントに行くの…?」


「当たり前でしょ。だからは〜や〜く!顔洗って着替えてご飯食べて!」


西野は僕を洗面所へと押しやっていく。


思いっきり押しているのか、寝起きの僕よりも勢いがあり、僕は洗面所へと追い込まれていく。


「ちょ…俺はそんなことしに来たんじゃないの!」


必死に抗議するも…


「どうせぐうたらしてるんだからいいでしょ」


と軽くあしらわれる。


「俺はまだじいちゃんの死から立ち直ってないんだよ!」


「そんなセリフ。そんな楽しそうな顔で言われても説得力ないよ!」


「な…これは楽しいんじゃなくて…」


「とにかく行くの!おじいさんのことなんか忘れちゃえ!」


「あ!ひっでぇ…」


「ほ〜ら!いい加減諦めなさい!」


大声で叫びあってる僕たちを見て、祖母が笑っていた気がした。


祖父の死以来、あんな笑顔を見るのは初めてだったかもしれない。


そして僕はまた、祖父の死の悲しみから救われていた。
























「ふああぁぁ〜」


眠い。


顔を洗ってもとれない頭のふらつき。


体のだるさ。


これは僕の体が寝ろ、と警告しているのでは…?


そんなことを西野に言ってまた蹴られた。




















僕が表へ出ると、西野が今か今かと待ちきれない顔をして待っていた。


「朝食はいかがでしたか?」


そう尋ねる西野。


「いや〜うまかった。さすがばあちゃん。


 昔から料理はうまかったんだよ。


 ばあちゃんの飯食った次の日は母さんのが食べられなくてさ。


 でも昔よりも今日の方がさらにうまかった」


と、正直な意見を言った。


すると西野はうれしそうな顔をして、


「ふっふ〜今日のご飯はあたしが作りました」


と笑った。


西野の料理は一般的なものだった。


普通の白い米、みそ汁、卵焼きとハム。


どこでも食べられる朝食。


でも、そのみそ汁の微妙な辛さや卵焼きのほのかな甘み、ハムの絶妙な焼き具合。


同じ食材で同じ料理だったら適う者はいない、そんな風に思わせた。


さっきの僕のセリフは祖母よりも西野の方が料理がうまい、といったようなものだ。


思いっきり褒めたことに、少し恥ずかしさを感じながらも、先程のあの味を思い出していた。






























本当に森林探検だった。


森林探検、とか言っておいて絶景を見せる、といった洒落たことはなく、あくまで普通の探検。


西野は僕の少し前を、木の棒を持ちながら歩いている。


鼻歌を唄いながら、手に持った木の棒で草花をつつき、蝶を見つけては楽しそうに微笑む。


別にこのまま西野の行動を見ていても飽きないが、あまりに西野が熱中している(ように感じた)ので、当たり障りのない会話をした。


「すっげぇ綺麗な景色!


 俺 こんな山の中に来たのって初めてなんだ。


 ねぇ君は!?」


西野はこっちを振り向いて、ちょっと困ったように言った。


「……あたしは山って怖い。


 小さい時 迷ったことがあるの。


 夜になって月も見えない真っ暗闇の中、延々さまよって…」


ふと西野にもそんな過去があるんだな、と思った。


もちろん普通の女の子で、怖いことがない方がおかしいのだけれど、


西野は怖いことも嫌なことも全部吹っ飛ばせる気がしたから…。


僕が妙なタイミングで黙ったので西野がそれより、と話を変えた。


「渋々来たって感じだったのに随分楽しそうですねぇ」


やけにニヤニヤしている。


僕が楽しそうなのが嬉しいとかじゃなくて、何か別の理由がありそうだった。


そのことを聞こうとは思わなかったが、少しだけ違和感があった。


「別に…渋々ってことも…」


そう。


別に俺は渋々来たわけでも嫌々連れてこられたわけでもない。


内心はデートのようなものを楽しみにしていた。


期待はずれではあったが。























その後、やっと気付いた。


僕が西野に向かって『君』と言ったことに。


『君』は聖なる言葉と忘れていた。


そして僕は『君』を封印した。


いつか西野のことをとまどいなく『君』と呼べる日が来るまで…。






















「う〜ん…ちょっと疲れた〜」


西野がぐ〜っと背伸びをしながらこっちを向いた。


「ねぇ、どっか行きたいとこある?」


そう訊かれたが、僕はこの街のどこに何があってどんなところが綺麗なのかなんて全然分からない。


だから行きたい場所なんて見当も付かない。


「いや…分かんないかな」


そう答えると、西野は、


「じゃああたしの行きたいところへレッツゴー!」


前を指さしてより元気になる。


「えぇ…まだ歩くの…?」


そんな僕の悲しい抗議はもちろん通じないのだ。


「若い男の子が何言ってるの!これだから都会のもやしっ子は…」


「もやしっ子って…」


「もやしっ子じゃないなら行くよ」


「へいへい…」


どうやら僕はまだ死の悲しみから救われていられるらしい。
























やっと会話が増えてきた。


さすがの西野も周りの風景に飽きてきたらしい。


初めて見る僕でも飽きたのに…。


一体西野の好奇心はどれ程なんだろう…?


西野が前を向いたまま僕に訊く。


「ねえ、淳平君は夢とかないの?」


「ん?あるよ」


僕がそっけなく言うと西野は何々?と食いついてきた。


「立派な男になる…かな。要約すれば」


「立派な男?」


「そう」


西野は首をかしげてこっちを見ている。


その仕草がなんともかわいらしくて僕は微笑んだ。


「なんて言うのかな?
 

 みんなに期待されたいっていうのかな…?


 別にかっこつけてる訳じゃないんだ。


 例えば…スポーツの日本代表とかってのは、日本中の期待を背負っているわけじゃん?


 そんな中ですごいプレーをしたりするのに俺憧れてるのかもしれない。


 なんか…


 あいつなら何とかしてくれる!とか、お前しかいないんだ!とか


 お前なら出来る!とか、あいつには適わないよ…とか。


 そうやって頼りにされたいんだ。


 ただの自己満足には変わりないんだけど…。






 例えば…


 9回裏満塁ツーアウトフルカウントで、逆転サヨナラ満塁ホームラン打ったり…


 ロスタイムでフリーキックを決めてくれたり…


 ラスト一分で華麗なドリブルをしてダンクシュートとか。


 最後の最後で最高のサービスエースを決めちゃうとか…。
 






 

 まあ要するにそんな感じ。






 別にそんな大きな舞台じゃなくて…


 普通の学校生活とかでもいいんだ。


 宿題写させて…はちょっと情けなさ過ぎるけど…


 アンカーはお前しかいないとか…お前ならキャプテンとしてやっていける、とかね。


 


 とにかくそんな感じで…


 かっこよく言えば、『希望を力にして、その希望と引き替えに勇気を与える』みたいな感じかな…?


 クサ過ぎ?」






ガラにもなく力説してしまった。


正直なところ、やっちゃったかと思った。


普通の女の子に『男のロマン』は通用しない。


でも西野は真剣に俺の話を聞いていてくれた。


「ちょっとクサイね。でもかっこいいよ」


そう笑ってくれた。


口がカラカラでうまく舌が回らなかったが、俺の心は満たされた。








その後少しの間西野が黙り込んだ。


何か考え事をしているようだったが、たまに頬を赤く染めニヤリと笑う。


とても気色悪い仕草だった。


西野以外がやったとしたら。




















延々と歩いて数時間。


「西野〜どこまで歩くのさ…」


一体どこを目指しているのだろうか。


そもそもこんなド田舎に何があるのだろうか。


「どこまでってもうすぐ家だよ?」


「へ?何で…」


「何でって言われても家だから家なのよ。


 方向転換したのに気付かなかった?」


「う…ん……だって周り全部木だもん」


「ふ〜ん…淳平君は方向音痴」


西野は手に持ったメモ帳に書き込む、という仕草をしてみせる。


だから僕は「それはそれはなかなかな観察力で」と答えた。


僕は方向音痴ではないが。


そんな会話をしていると、電柱に取り付けられたスピーカーから音楽が流れてきた。




〔ゆうや〜けこやけ〜の〜あかと〜ん〜ぼ〜〜〕


「お…赤とんぼ。何これ?」


「これは5時の音楽」


「そんなん流れるんだ」


そう言って僕はスピーカーを眺める。


音が割れていて耳に響いたが、懐かしさもあり心地よかった。


「最後に聞いたのって小学生くらいかなぁ…」


「あたしは一週間ぐらい前だな〜」




赤とんぼが終わりを迎える。


少しの間、辺りを沈黙の音が支配する。


西野を見てみると、ちょうど西野もちょうどこっちを向いた瞬間だった。


目が合い、言葉が出ず、西野が微笑む。


耳まで熱くなり、心の中でかわいいなあと思っていた。


その時。


〔トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥ〕


スピーカーからベース音が流れた。


一瞬、僕は固まった。


「は…?」


その後英語の歌詞で曲が進む。


赤とんぼとのギャップがあまりにも激しくて、驚いた。


「洋楽…?」


「淳平君は洋楽聴く?」


「う…ビートルズ…ぐらいかな…?」


そう答えた。


ホントにビートルズ“ぐらい”なのだ。


あとはマイケル・ジャクソンとセリーヌ・ディオンでギブアップ。


そもそも音楽にそんな興味がないのだから。


「この街の町長さんがね、すごい働き者で、街の色々なことを決めてるのよ。


 でも自己中心的なことはあまりしないから、町内支持率は結構高いの。


 その町長さんは、放送する音楽も決めてて。


 それが大の洋楽好きなんだ」


西野は両手を大きく広げて言った。


「だからこの街の人は次第に洋楽ばっか聴くようになってね。


 あたしなんかは生まれてからほとんど聴いてるの


 そうするとみんなは日本のアイドルとかなんて全然聴かなくなって。


 CD屋さんにも全然置いてないんだ」


最後に笑い僕に意見を求めた。


この街にCD屋があったんだね、とは言わず、正直な感想を言った。


「俺、洋楽はあんま聴かないから分かんないけど…


 世界で売れる曲って言うのはやっぱり名曲なんだよな。


 でも日本じゃ出せば売れるって言う状態だから。


 そこにきっと質の差が出るんだろうな」


そう言った。


知ったかぶりの意見だが、西野は


「なかなか通なこと言うね。


 あたしもそう思う」


西野と同じ意見だったことに安堵し、やっぱり、と思った。


「でももったいないよ。


 それだけ理解してるならもっと音楽聴かなきゃ」


西野は言った。


今まで洋楽を聴いてみたいなんて少しも思わなかった。


たった今まで。


「やっぱいい曲が多いんだろうな…」


「あたしがいろいろ教えてあげる」


「そう?」


「うん。淳平君の中に眠った音楽的才能を呼び覚ましてあげるよ」


「あればの話だけどね」


僕たちはクスクスと笑いながら夕焼けの下歩いていった。

























棚にずらりと並ぶCDのコレクション。


数えるには一苦労なほどの量だ。


「すごい量だね…」


僕が独り言のように呟くと西野が答えた。


「CD屋さんの店長が知り合いだから」


日本語としてはおかしい受け答えだが、常識的に考えれば安く売ってもらえるということだろう。


そこには僕の知らないアーティストばかりがそろっていた。


「淳平君はどんな音楽が好き?」


「どんな…?う〜ん…静かな方が好きかな…でも明るい曲も好きだな」


西野は「じゃあロックは好きじゃないかもね」といいながらCDを物色していた。


ちょっとの後、これはと言いながら西野が一枚のCDを差し出した。


『エリック・クラプトン/アンプラグド』


どこかで聞いたことがあるような、そんな名前が飛び出した。














ものすごく繊細な音楽だった。


アコースティックのクセのある音が耳に震える。


「どう?」


「すごい…」


僕はものすごく驚いていた。


目を見開き歯を食いしばり、というわけではなく、静かに聞き入りながら感心していた。


「日本人じゃ絶対作れない…」


「だよね…」


その後、無言のまま、静かに『ティアーズ イン ヘヴン』だけが流れていた。











その後、僕たちは延々と話し合った。


その中に西野の情報が色々隠されていた。


将来はここで過ごしたい。


そんなに都会に出たいと思わない。


田舎育ちの少女が都会に上京なんて恥をかくだけ。


そんな西野の小さな願望は、僕の抽象的で巨大な野望よりも、ぐっと近くにあると思った。


もちろん話したのはそれだけではない。


西野は俳句や短歌が好き。


これは予想していなかった。


金髪(かなり綺麗なので地毛と推理)で、今風の格好をして


まさかそんな古風なことに興味を持っているとは思わなかった。


そして二つのお気に入りの歌を教えてくれた。





 
   みやこへと 思ふをものの 悲しきは



              帰らぬ人の あればなりつる




土佐日記の一文。


地方へと遣わされた国司の紀貫之が読んだものだ。


都へ帰るのは普通嬉しいことであるが、それでも悲しいのは共に帰れない人がいるからだ。


そう訳されるこの文は、一人の少女が任国で亡くなった悲しみを詠っている。









 あるものと 忘れつつなほ なき人を



            いづらと問ふぞ 悲しかりける




これも土佐日記である。


同じく少女が死んだことの歌である。


死んでしまったことを忘れ、どこだと問うことは悲しいことだ。


そんな意味を持ったこの歌を、純粋な気持ちが表れていて、悲しいと教えてくれた。


土佐日記。


それは著者の紀貫之が女性のふりをして、普通は男が書く日記を女であるあたしも という書き出しで始まる。


所々にユーモアがちりばめられ、文学的に高い評価を受けているこの作品。


そのユーモアに混じった悲しみに、西野は心を奪われた。
 

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