全年齢【BE IN LOVE】「REPORT」 - スタンダード 様
【2004年10月6日】
《さよならの贈り物》
新聞の片隅に掲載される予定の記事はそう題付けられていた。
敏腕新聞記者がパソコンに文字を打ち込んでいる。
『街角情報局』という文字がポップ体で書かれており、波線で囲まれている。
間に合わせのよう装飾の中、内容は、小さな幸福と、それに相反する悲しさを携えていた。
以下の通りだ。
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9月27日、都内泉坂高校において催された学校祭(通称:嵐泉祭)で、
ある感動のエピソードが幕を閉じた。
同高校の部活動の一つ、“映像研究部(以下映研部)”は毎年学校祭で自作の映画を発表している。
評判は良く、前年の放映では涙を流す人もいたと言う。
しかし悲しい事故は起こってしまった。
例年通り今年も発表の準備をしていたところである。
映研部の監督兼出演者が撮影中の不慮の事故で亡くなった。
監督不在の中、映画制作を続けるのは難しい。
誰もがそう思って当然だったと私は思う。
だがそれは思い込みであったのかもしれない。
都内でも優秀な生徒の集まる泉坂高校。
しかしそのある部活の中には、
「監督不在の中、映画制作を続けるのは難しい」
というごく簡単な自然の摂理を理解できる生徒はいなかったようだ。
撮影自体はほとんど終了し、残る作業は編集・処理だった中、
誰もが監督の惜念を果たすため努力した。
その努力を、意味を、結果を、誰も疑わなかった…。
開催された学校祭では、凄まじいとしか言い様のないほどの人数が押し寄せた。
使用した教室には人が流れ込み、二日目以降は体育館を使用したという。
客はほぼ全員が涙。
亡くなった少年のことを思い出していたのかもしれない。
私は先ほど、この一連の出来事をエピソードと述べた。
エピソード。
それはプロローグだけでは成り立たない。
言葉を変えよう。
日本語には起承転結という言葉がある。
英語にも、もちろんある。
イントロダクション、ディベロープメント、ターン、コンクルージョン。
この中でもイントロダクションはプロローグ的な意味を持つ。
駒がそろい、エピソードが幕を開けた。
まだ映画すら始まっていない、この時点での涙は、
プロローグ、イントロダクションにすぎないのだ。
ディベロープメント。
映画が終焉を迎え、映像の中の故人がこちらに笑顔を向けている。
彼は心からの、最高の笑顔をしようとしたのかもしれない。
だがその一生懸命さが逆に顔をこわばらせている部分があった。
その表情は苦笑いに近かった。
しかし冷やかしを入れる人間はいない。
それどころか、涙する人間が増えたぐらいだろう。
彼の台詞を聞けば当然かもしれない。
カメラに視線を向け、呟く。
「悲しむなよ…」
映画の中で、ヒロインに向けられたはずだったその言葉は、
どんな美しい台詞よりも、どんな悲しい結末よりも、
会場の涙を誘った。
エピソードはターンする。
一般的に、文学の世界ではこれが勝負を決める。
張り巡らされた伏線。
読者をあっと驚かすギミック。
それをすべて解消していくのだ。
だがこのエピソードには伏線など、ギミックなどない。
すべてが事実。
すべてが真実。
それでもシンプルな、圧倒的なターンだった。
上映が終わり、スタッフが現れたところから折り返し始める。
「みなさんも知っていると思います。
今回の出来事を…不幸を…。」
黒髪の少女はそう語り始めた。
メッセージ性の強い演説だった。
途中、涙で言葉が出なくなるが、
頑張って、という声援が彼女を後押しした。
涙を必死に拭い、自分の役目を全うしようとするその姿は、
間違いもなく空にいる監督涙腺をも緩ませたであろう。
語りは美しかった。
「―――――――――」
会場はスタンディングオペレーションで監督に、少女に拍手を向ける。
誰もが涙を流し、そして誰も隠そうとしなかった。
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ここまで来て記者はパソコンの画面の電源を落とし席を立った。
休憩か、別の仕事か、何かは分からない。
恐らく数分後か、長くても数時間後には戻ってくるだろう。
その時、彼は何を綴るのだろうか。
彼なりの解釈をした、最高のハッピーエンドだろうか。
彼は知らない。
まだエピソードは終わっていないことを。
一年後に…
知られざるコンクルージョンが…
静かなエピローグが待っていることを…。
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