『真実の瞳』−9.「閉想」 - スタンダード  様



時計が三時を指した頃だった。

淳平がおもむろに切り出す。

「もうこんな時間か…俺はそろそろ帰ろうかな…」

綾はもう、という表情をしたが、淳平が用事があると目で答えた。

「西野に会って来なきゃね…

 まあいろいろあるし…」

いつきとじゃれ合いながらそう言う。

しかしその笑みも、どこか切ないものだった。

「そっか…」

しょぼくれる綾に、なんで東城が暗くなるのさと笑いかけ、腰を上げた。

「真中…君も結構大変なんだな…」

天地が腕を組みながら言う。

が、やはりどこかえらそうだ。

「お前にそんなこと言われるとはな…

 ま、しょうがないさ。

 あ、そうだ。

 西野って今どこに住んでるか分かる?」

「郵便局の向かいの茶色いマンションだけど…」

「サンキュ」

礼を言うと、淳平はいつきに向かってバイバイと手を振り玄関へと向かう。

さつきがいつきを引き取り、いつきは少し名残惜しそうな顔をした。




これからのことを思うと正直身が重い…




「じゃ、そういうことで。

 またな」

ガチャンとドアを開け外に出ようとしたちょうどその時、さつきが声をかけた。

「真中〜あんた子供欲しくなったでしょ?」

「なんだよ急に」

不意な問いに戸惑い、そう答えた。

「だってあんたいつきにずっとくっついてたし。

 でも子供が欲しかったら相手見つけなくっちゃね〜

 あんたの相手なんているのかな〜?」

そう言うと、さつきは含みのある笑いをし、淳平を見た。

さつきの言いたいことはすぐに分かった。





結婚相手。

考えたことなんてなかったけど…

あの日々がなんの問題もなく過ぎていたら誰と結婚しただろう…?

東城?

今は天地といる。

さつき?

彼女も結婚している。

じゃあ?

つまり、そういうことだ。






「まかせとけ」

淳平はそう笑って外に出た。

さつきのおかげだろうか。

身が重いなんてこともなく、ただ覚悟だけが胸の奥にあった。






















つかさのマンションはすぐに見つかった。

なんとなく寂れたイメージのある、小さめのものだった。

まるでつかさの心情を表している気がして、やりきれなくなった。

自動ドアが小さな音を発しながら開き、中の少し冷たい空気が頬にふれた。

何号室だろうかと思い、たくさん並んだポストから『西野』という名を探した。

しかしなかなか見つからない。

名前の書いてないポストもあるが、少なくとも『西野』とかかれたポストはなかった。

違うマンションに入ってしまったのかと訝って、一度外に出ようとした。

その時、振り返った先につかさがいた。

「あ…西野…」

「淳平君…」

予想外の訪問客に驚き目を見開いたが、すぐにうつむき顔を背ける。

嫌悪を表した顔、というよりもどちらかというと申し訳なさそうな表情だった。

しかし淳平は何を言っていいか分からない。

一応話し合いに来たはずだけれども、立ち話で済む内容ではない。

しかし、まさか中に入れてくれと言えるはずもなく、身動きがとれなくなってしまった。

先に口を開いたのはつかさだった。

「久しぶり…だね…」

その言葉を聞いてはっとする淳平。

よく考えたら帰ってきてから挨拶すらしてない。

案外、というよりも予想自体が最低を想定していたから当然であるが、そこまで恨まれているという気はしない。

もちろん、昔と変わらないわけでは決してなかったが。

「あ…うん…久しぶり」

昨日会ったけど、とは言えなかった。

相手だって気付いているはずだ。

だがそこまでで会話は止まった。




つかさ自身も悩んでいた。

淳平は『客人』であるのだから、部屋に入れるべきなのかもしれない。

しかし…

不安だった。

悲しみや苦しみを全て目の前の男にぶつけてしまいそうだったから。

「何しに来たの…?」

そう言ってから後悔した。

悪意はなく、ストレートに聞いたのだが、嫌味な言い方になってしまったからだ。

しかし淳平は気にするどころか気付いてないようだった。




目的…

そう聞かれると答えに戸惑った。

「えっと…話をしに…かな」

結局苦し紛れにそう答えるしかなかった。

嘘でもないのだが。



話をしに…

その言葉は直接心に話しかけるように響いた。



あの頃はこの人と話したくて…一緒にいたくてしょうがなかった。

でも今は…

辛い…


「ごめんね…淳平君…」

つかさはか細い声で呟いた。

「お互い…いろいろ話すこともあるだろうし…

 本当はいらっしゃいって招きたいんだけどね…

 でも…

 ごめんなさい…

 今は入れられない。

 長く一緒にいるとね…

 あたし…淳平君のことを嫌な目で見ちゃうかも知れないから…

 ごめんね…」

そこまで喋るとつかさは黙り込んだ。

やはり一緒にはいられない。

しかし、淳平を恨みたくない、嫌いたくない、そう思っている今も、あの頃と変わらない想いが奥に眠っているのかも知れない。

つかさの反応はそれなりに予想していたものであった。

もしかしたらまともな話は出来ないかも知れない。

でも、だったら少なくとも謝ろうと思っていた。

「あ、いやいいんだ。

 ただ…えっと…今までごめん。

 電話くれたり手紙くれたりしたけど…その…返事とか返せなくて…

 色々…辛いこととかあったのに…相談に乗ってあげられなくて…

 本当にごめん…」

項垂れる淳平。

しかし今度の反応は予想外だった。

「淳平君が謝ることじゃないよ」

「え…?」

「あたしは淳平君を恨んだりしてないから…。

 ただどうしようもなくなった時には…誰かのせいだって思いこむのが一番楽な方法で…

 それを淳平君に当てはめてたんだから…。

 むしろ謝らなくちゃいけないのはあたしのほう…」

つかさはそう言って淳平を見つめた。

5年前と変わらない、真っすくな瞳がそこにあった。

ふと、その表情がゆるんだように見えた。

あのつかさらしいつかさが顔を出したように…。

懐かしさがこみ上げてくる。

その懐かしさを作り上げた自分に罪悪感を感じ、あの頃を思い出していた。

「そっか…。

 俺も今日は帰るよ…

 西野が辛そうだから…」

「ごめんね…」

「あ、いや俺はいいんだって。

 本当に」

そう笑った淳平が、昔の面影とピッタリ一致した。

ずっと好きだった。

本当に好きだった。

じゃあ今は?

分からない。

でも、特別な人だと思う。

だからこそ、今はいられない。

こんな自分を見せたくない。

「淳平君は変わってないね」

不意に口からその言葉が出た。

無意識の行動だった。

淳平は呆気にとられた顔をしている。

でも…

「西野だって変わってないよ」

きっとそう。

人はそんなに簡単には変わらない。

誰かが死んだり生まれたりしたとしても。

変わっているように見えるだけ。

人が死んだとき、本当は逆のことが起こる。

変われなくなる。

もちろん目の前のつかさのように、ふさぎ込み対人恐怖症のようになることもある。

でもそれは変わったように見えるだけで、ただ違う一面を見せているだけ。

その死がなかったとしても見せる可能性があった、ただの一面が現れただけ。

死を体験すると、変われなくなる。

心の中身が成長を止め、感受を拒否し、現状維持が続く。

つかさもそうだ。

今は心が成長を止めている。

感じるものがないのだ。

毎日は単調に過ぎていくし、映画を見たり、本を読んだりしても、何の興味も覚えない。

心が閉ざされる。




だからつかさはあの頃から変わっていない。

でも、これから変わることもない。

このままでは。

たったらどうする?



決まっている。


自分がその心を開けばいい。

どうやってと言われれば答えられない。

でも、そうやって努力し奔走することこそが、鍵なんじゃないかと思っている。

今はその想いで十分かも知れない。

「じゃあ俺は帰るよ」

引き留める間もなく、逃げるように帰って行った淳平。

取り残されたつかさは何か物足りなさを感じていた。

久しぶりの想いだった。



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