『真実の瞳』−8.「愛護」 - スタンダード 様
今、淳平に抱かれてけらけらと笑っている幼女は、いつき、と名付けられていた。
淳平も淳平で、子供のような笑顔を見せている。
「両方とも子供ね…」
そう呟くのは、隣の部屋で茶をすすっているさつきだ。
そうね、と綾も肯くように、いつきと淳平はまるで子供のように、見るものすべてが興味深いという感じだ。
いや、いつきは実際にそうなのであるが、淳平もそのように振る舞っている。
いつきも淳平になつき、さっきからはずっと二人で遊んでいる。
「真中君ってあんなに子供が好きだったんだね。」
「う〜んそうかなあ…?
うちの子なら誰でもああなると思うんだけどなあ…」
綾の呟きには、親バカで返すバカ親。
しかしそうとも言えず、やはり我が子はかわいいもので、淳平の行動こそが自然であると完全に思いこむ。
なんと返していいか分からない綾であった。
「む〜〜〜!!!」
数分後、大声でいつきが走り始めた。
さつきと綾が驚いて振り返ると、けらけらと笑いながら、それでいて頑張って走っている。
やや後ろを追いかける淳平。
やがてテーブルを間に挟み対峙し、一瞬止まると淳平がだっと駆け出す。
いつきは急いで逃げ出すが、そこを淳平が捕まえ抱きしめた。
「いつきちゃん、ゲットだぜ〜!」
「だぁ〜」
いつきはまたけらけらと笑い、手足をばたつかせている。
まるで本当の親子のように仲のよい二人を見ていると、やはりこちらも楽しくなってくるようで、さつきも綾も笑っていた。
「やっぱり子供の相手は子供に限るわ。
ありがとうね〜」
子供をとられたせいで、じつはちょっと寂しいさつきである。
皮肉ったつもりでの発言だが、しかし淳平は聞いてすらいない。
「なあ〜さつき〜どうしてこんなかわいいんだよ〜
なあ〜もらってっていい〜?」
「アホなこと言ってんじゃないわよ…
それよりあんたそういう台詞をあたしにも言えなかったの?」
淳平のべたべたな甘えぶりに、またしても我が子を前にしてふさわしくない発言である。
「だから〜子供を前にそういうことを言うなってーの。
お前みたいに育ったらどうするんだよ。
ねぇ〜いつきちゃん」
淳平はそういっていつきに話しかける。
当のいつきは何が?という表情であるが。
「何よ〜
いいでしょあたしの子なんだから〜」
さつきがふくれっ面をしながらそう言うと、淳平はまたしても
「だから俺が育てるって。
ねぇ〜」
と子供に話しかける。
あまりのぞっこんぶりにさすがのさつきも呆れていた。
が、しかしそこまでだった。
「ママ〜」
さっきまで笑うかぼ〜っとするか首をかしげるかだったいつきが言葉を発した。
「どうしたの?」
さつきが尋ねる。
同時に淳平は少し顔を離す。
その直後、いつきは二人の予想外の発言をした。
「あいじんかぎょおって?」
周囲が固まる。
呆れ笑いは当然、苦笑いへと変わる。
「ほら見ろ…」
淳平がそう突っ込むが、後の祭りである。
「あ…え〜っとなんのことかな〜」
白々しいごまかしをするさつき。
しかし、子供は興味を持ったものからは離れないものであり、また忘れないものである。
「さっきママあいじんかぎょおって…」
子供のかわいらしさと、おかしな発音のせいで言葉の奥深さが出ていないのがせめてもの救いだっただろうか。
結局、その場は「なんのこと?」で貫き通した大人たちであった。
「それでいつ戻ってきたの?」
さっきまでとは違い、今度は大人たちだけで話している。
いつきは隣の部屋で気持ちよさそうに眠っていた。
「昨日帰ってきたばっかだよ」
さつきの問いにそう答える淳平。
茶をすすっている。
「ふ〜ん…でもまた何でこんな時期に…」
「う〜んまあ色々あってさ…」
「帰ってくるって言えばあんたそういえばあたしたちの結婚式来てない!!!」
喋りながら、急に思い出される過去の出来事。
さつきはもちろん淳平を結婚式に誘おうとしたのであるが、その時淳平はどこにいるか分からなかった。
電話にも出ず、招待状にも返事は来ない。
確か一年前のことだったか…。
その記憶にはつかさが結びついていた。
結婚が決まったときはパリにいた。
電話したら「飛んでいきたいけどパリでコンテストがある」と、本当に残念そうにしていた。
その申し訳なさそうにしてくれたことがうれしかったのを覚えている。
そして式を終え数ヶ月が過ぎ、帰国の報を聞き久しぶりに会った時には…。
真中は知ってるのかな?
ごめんごめん、と同じいいわけをする淳平を程々に許し、それより、と話題を変える。
「真中、西野さんに会った?」
いきなりの問いに驚く淳平。
しかし、このことはおそらく話題になるであろうと予想していたため、身を入れ直して肯いた。
「ああ…」
綾もつられて真剣な表情になる。
「なんか…俺の知らないところで色々起こってるんだもんな…
まあ俺のせいなんだけど」
頭の後ろで腕を組む。
つかさのことを話すと、必ずその後ろに『自分のせい』という印象がつきまとっている。
しかし、自分でも驚くほどすんなりとその印象を受け入れている。
なぜだろう…。
そして、何度同じ自答をしただろう…。
結局いつも答えは出ない。
「そんな…真中君のせいじゃないよ…」
悲観的な発言に、綾があわててフォローするも、淳平は首を横に振る。
「いや…俺知ってるんだよ。何があったか」
「え…」
沈黙が訪れる。
綾は何を言っていいか分からず、またさつきも何を言うべきか分からない。
すぐに淳平が埋めるように「外村から聞いたんだ」と、笑ったが、場の雰囲気は言わずとも暗くなっていった。
昔とは違う…
淳平はふと、そう感じた。
俺が「西野」と言えば、「あんな女〜」と闘志を燃やしていたのに。
恋敵ではあったにせよ、少なくとも場が暗くなることなんてなかった。
西野つかさがいたら、俺がいて、トモコという女の子がいて、大草がいて、親衛隊がいて…。
あの頃と何も変わっていないような面子なのに、一人の存在が違う次元のものみたいだった。
そこまで考え、訂正する。
いや…二人だったか…と。
そんな時にやってきたのが、ある意味天を味方につける奇跡的な男、天地だった。
「のわ〜〜〜!!!!!」
大声が玄関から響き渡る。
「天地…?」
こちらに来て、会う人会う人がことごとく衝撃的な再会をしている気がする。
普通に会ったのはせいぜい綾ぐらいだ。
「ど…どうしたのかしら…」
「さ…さあ…」
綾は立ち上がり夫を迎えに玄関へと向かう。
声の主が次第に近づいてくる。
「お…おかえり…?」
恐る恐るのぞくように顔を出した。
見えるのは放心したように立っている天地だ。
しかし綾の声に反応し瞳が動き、妻を視界にとらえる。
「綾すゎん!!!」
そう叫んだかと思うと、いきなり飛びつく。
「あっあっあの男物の靴は…!!??」
綾は状況を一瞬で理解した。
そもそも泉坂に綾の男友達はそんなにいない。
家に入れる男と言えば、自分か、もしくは会社の人間だ。
小説家・東城綾の編集者たちも女性陣で固めてあるぐらいである。
それなのに、男物のスニーカーがあるとはどういうことか。
そして、そこから、浮気ではと不安になり取り乱しているわけだ。
「ちょ…ちょっと待って!
真中君が来てるの!変な人じゃないから!」
必死で状況を説明する綾。
「へ…?」
顔を上げ、周囲を見渡す天地と、遅れて玄関に現れた淳平の目が合う。
「お…おっす」
一件落着。
「いや〜はっはっは〜
どうも情けないところを見せてしまったようだな〜!」
天地は腕を組み、高らかに笑っている。
「ああ…ほんとだよ…
それで政治家やってるんだから世も末だよ…」
「何を!
お前が映画を撮るよりよっぽど世のため人のためになるぞ!」
「何だと!?」
「だー!!!うるさい!!!」
当然仲裁に入ったのはさつきである。
「あんたたち静かにしなさい!
だいたいさっきの『のわ〜!』でいつきが起きちゃったんだから!」
指を差す先には、綾にあやされているいつきがいた。
怒られた後も肘で、『お前のせいだ』と無言のケンカを続ける大人二人。
当然、二度目の叱咤が飛ぶ。
「はあ…なんでこんなのが政治家になっちゃったのかしら…
だいたいその歳でなれるの?」
さつきが尋ねる。
綾を除き、ここにいる大人たちは今23歳である。
確かに23歳の政治家はまだまだそんなにいない。
「なれるのさ。
まあ僕のおかげだがね」
鼻高々。
どこから沸いてくるのか、その顔は恐怖を感じるほど自信に満ちている。
アホだ。
淳平はそう直感した。
「今、日本の政治家は堕落しきっている!!」
「お前を含めてな」
「うるさい!
僕は政治家になろうと考えた!
しかし!
日本の被選挙権は25歳が最低だ。
このままじゃあと2年も無駄に時を過ごさねばならない。
そこで被選挙権低齢化運動に加わったのだ!
幸いそれなりの規模にもなっていたから僕は迷わず入ったさ。
そして半年ほどたったある日僕が代表として選ばれ、評議の結果学歴と能力に応じて、25歳以下の議員化が認められたのだ!
25歳以下の議員はまだ日本に13人しかいないぞ!」
そう熱く、強く、語りきった天地。
「へぇ〜」と真中。
「1へぇ?」とさつきが尋ねる。
「トリビアじゃないんだぞ!」
また天地が大声で反論する。
結局家に来てこの男は叫びっぱなしだ。
と、急に静かになる。
淳平もさつきも、ある不気味さにとりつかれる。
「な…なんで黙るんだよ…」
しかし天地の答えは抜けたものだった。
「トイレだ」
そういってトイレに向かっていく。
ひるんだ自分が馬鹿だったと怒りを覚える二人。
まあまあとなだめる綾。
この関係は変わってないかな?
そう思う。
「ねえ…なんで綾ちゃんあんな男と結婚しちゃったの?」
呆れ半分に尋ねるさつき。
人の主人をバカにするとは、なかなかの嫌みだが、綾も気にしない。
淳平も気になっていたことではある。
二人の間には何か劇的な変化があったのだろう。
それはなんなのか。
「う〜ん…結構いいところあるんだけどな〜」
「じゃあ結婚しようと思った瞬間は?」
さつきのストレートな質問に即答できない。
腕を組んで少しの間考える。
そして逡巡の後出した答えは次のようだった。
「議会で予算案の話し合いがあった時かな…
その時にね、予算の端数をどう使うかって問題で、天地君は女性の権利拡大化の告知とかに使おうって言ってたの。
けど同等数ぐらいで官庁の備品に環境にいいものを使うっていう案があった。
でもね、その環境にいいものっていうのは、タバコの排煙機能とか、そういう私欲的なもので…
それで投票で負けたときに怒っちゃって。
『自然環境自然環境って…一番身近な自然は人間じゃないのか?
その半数を占める女性すら守れずに地球を守れると思ってるのか?』って。
それでかな〜」
語っている綾自身は、のろけ話であることに気付いてない。
自分の頬が染まっていることにも気付いてない。
頭がいい人ってどこか抜けてるもんな〜。
ある意味東城と天地もバカップルかも…。
成長しながらも、あの頃と変わらない三人をそれぞれ見渡し、
あの頃にはいなかった新しい生命を見つめ、
結局結論など出さずに、微笑んだ。
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