『真実の瞳』−5.「悲境」 - スタンダード 様 




それは、予想していたようで、予想できなかった言葉であった。

西野が俺を恨んでいる?

目の前の世界が音を立てて崩れていくようだった。

「な…何で西野が俺のこと…!」

そう言うほかになかった。

自分の耳を疑い、目を疑い、しかし確かに外村はそう言った。

「お前…覚えてるだろ。

 あの時のこと」

ばつが悪そうにうつむいている外村。

言いたいことも、あの時のことというのも分かった。

忘れたわけでは決してない。
















5年前、旅立つ日だった。

その頃は、ちょうど淳平が地方の大学へ進学することを決めたあたりである。

もちろん誰にも伝えずに行く、ということはせず、みなに報告をしてから行くつもりだった。

つかさに伝え、綾に伝え、さつきに伝え。

出発の詳細な日程こそ決まってないものの、その旨を伝えた。

伝えた人数だけ悲しみ、残念がる人がいた。

しかし、それも幸せなことであり、また淳平にとって必要なことであると、周りの人間が理解してくれた。

パリに留学すると言っていたつかさにはその気持ちがよく分かったし、

「日本とパリとの距離だったら、例え淳平君が東京にいても沖縄にいてもあんま変わんないもんね」

と笑顔を見せてくれた。

綾は、淳平と同じ大学へ行くと決めていたからこそ確かに戸惑い悲しんだが、両親の強い反対との対立があり、結局同じ大学へ行くことは難しかった。

3人の中ではさつきが一番悲しんだだろう。

あの頃は、まだ淳平はさつきにとっての大きな存在であったし、また一番大変な時期だったと言える。

そろそろ決断が迫っているころだった。

そしてそれはやはり、必然的にさつきに別れを告げる時だったのであろう。

そう思ってみるとあのときの行動はやっぱり『逃げ』だったように思えた。



みなにこれからの行動を伝え、意志を固め…

出発をいつにしようかと迷っていた頃、つかさがパリに発つということになった。

留学する意志は固く、その下見に行ってみるということだった。

たった1週間の旅だったし、日暮と一緒だからと言って、他の女性店員やあの婆さんと一緒だから、そんなに心配はしていなかった。

つかさからは「あたしが他の男の人と旅行に行っても気にしないんだ」とからかわれたが。

空港まで見送りに行き、短い別れが訪れた。

そして手違いが起こったのはその直後だ。

進学先の大学から急に来て欲しいとの連絡が来たのだ。

もちろん断れず、結局つかさとの挨拶なく、向こうへ行ってしまった。

その後、つかさとは2,3回電話をしてそのままだった。

淳平の全く予想していなかった、あまりにも忙しく壮絶な毎日が訪れたのである。

経済面の問題からも、極貧生活を続けた。

この街との繋がりは次第になくなっていった。




















そこまでが淳平の心当たりだった。

「確かに西野には悪い子としたけどさ…

 でも、恨まれるなんて…!」

反論を続ける淳平。

しかしそれを遮る外村。

まだ続きがあるんだ、と一言。

確かにここまでの話ならば、小さなすれ違いと言えるし、つかさや淳平の性格から考えれば、あり得ない話ではない。

それなりにめんどうぐさがりな淳平ならば、電話をしないのも頷けるし、電話番号すら教えないかもしれない。

だからそのまま再会し、淳平がつかさに小言を言われてことを終えることだっただろう。

しかし、今回はそれだけにとどまらないのである。





淳平が東京を出、つかさとの連絡を終えた後、まさに淳平は映画一筋となった。

大切な師匠とも呼べる人の下で、すべてを盗み吸収しようとした。

つかさも同じで、淳平と同じようにと、夢への努力を惜しまなくなっていた。

そして4年近くが過ぎた頃だった。

つまり、現在から遡って一年になる。

日暮がつかさにプロポーズしたのである。

プロポーズと言っても、「結婚してくれ」とかという類ではなくて、結婚することを考え始めてくれ、ということであった。

パリでの本格的な進出に向けて、やはり家族ぐるみの経営が必要だと考えたのである。

もちろん、つかさはまだ若かったし、あまりにも急な話だったので、考え込みすぎないようにと言われていた。

しかし、高校時代に受けた同じ内容の話よりも、よっぽど重要で、現実味を帯びていた。

当然つかさは淳平に相談したいと考えた。

いくら歳月がかかろうとも、一生忘れられない人間であることに間違いはない。

電話番号が分からず、淳平の両親に聞き、かけてみても、繋がらない。

留守番電話にメッセージを入れても、決して答えは返ってこない。

どうしていいか分からなくなり、不安で目が滲む。

結局返事も出来ず、ただ何もないまま過ぎていった。

だが、胸の中ではいつもちゃんとした返事を、と考えていた。

何度も何度も、毎日毎日電話をかける。

そして、折り返しの電話を待ち続ける。

決して鳴らぬその電話を…。













それから半年もたっていないだろう。

日暮が死んだのは。

ひき逃げであった。

あまりにも急で、あまりにも惨かった。

なぜ?

つかさは自分にそう問いかける。

もちろん答えは返ってこない。

つい昨日まで一緒にいた人が、もう二度と笑わなくなる。

今まで考えたこともなかった。

その死に顔は、笑って死んだとか、どこか満足げだったとか、そんなものではなかった。

目は開いたまま、苦悶の表情を浮かべ横たわっているのである。

もうつかさには分からなかった。

自分はどこにいるのだろう?

自分はなぜここにいるのだろう?

神様のような存在。

自らそう形容した人の死。

それによって、パティシエという夢は、もろくも崩れ去っていった。

それだけではもちろん終わらない。

あの最期の表情が自分に向けられていた気がするのである。

まるで、プロポーズの答えを聞かせろとでも言うかのように…

そしてつかさはふさぎ込んだ。

日本に戻り、親の元を離れて一人暮らしを始めた。

親しい人といることが怖くなったのだ。

命とは想像していたよりも、あまりに儚くあまりに重い。

心臓が止まり、脳が死に、それでも人は心の中に生き続ける。

思い出なんて素晴らしいものではない。

もっとどす黒くて、飲み込まれそうな。

死とは、それが突然やってくるということなのだ。

親しくなればなるほど、その闇は姿を変え形を変え襲ってくる。

結局つかさが選んだ解決の道は、〔誰と接するときも一線を引く〕という悲しいものであった。

傷つきたくないから…親しくなってなくすのが怖いから…

住民とは最低限のコミュニケーションですまし、愛想を振る舞って、なるべく人の印象に残らないように生きる。

もうかれこれ半年間、つかさはそう生きてきた。

そして、淳平に出会った。

























外村の説明を聞き終えると、小さな静寂が訪れた。

なんと言っていいか分からない淳平。

すると外村が付け足すように言った。

「確かにな…お前が恨まれるのは理不尽だけどな…

 でもやっぱ辛いんだよ。たぶん。

 誰かのせいにしたり、自分を棚に上げるって言うか…

 そういうことしないと耐えられないんだろ。

 別につかさちゃんがお前を嫌いになったということではなくてだな…

 たまたまどうしようもない気持ちのぶつけ先がお前になってしまったというか…

 だから憎いっていうよりやっぱ辛いんだろうな…」

再度訪れる静寂。

淳平は考える。

確かに自分が恨まれれば理不尽である。

しかしだからといってそれで終わりというわけにはいかない。

確かにふさぎ込んだのがプロポーズに答えなかったことから来ているのなら、自分にも責任がないとは言い切れない。

なぜ自分は電話に出なかったんだろう。

あの時電話に出て、結婚を促すか、俺と結婚しろとでも言っていたら、少なくともこんなふうにはならなかった。

なぜだ?

そこまで考えて、ふと思い出す。

1年前…

あの頃か……

あきらめたようにため息が一つ漏れる。

外村が思い出したように訪ねる。

「お前が電話に出てたらなんか変わってたのかなぁ…?」

そう言って、

「ああ…わりい…責めてる訳じゃないぞ?」

と訂正する。

分かってるよと小さく頷き、しかし胸中で考える。

電話に出られなかったことは確かに悔やまれる。

だが…

あの頃はやはり…

…電話には出られなかったのだ。

つかさどころではない、というわけでは決してないが、やはりそれどころではなかった。

三度の沈黙。

所在なさげに指を見つめる外村。

「そうだな…

 でも…

 ちょっと出られなかったなぁ…」

淳平が不意に言葉をついた。

自分のものではないかのように、無意識のうちに。

『出られなかったなぁ』という悲しみを携えた言葉に外村は振り向く。

そこにいるのは間違いなく、真中淳平である。

だが、その瞬間見えた瞳は、とても同い年とは思えない、切なくて、儚い色をしていた。



NEXT