『真実の瞳』−3.「仲間」 - スタンダード 様
淳平はマンションの一室の前で呆然としていた。
「指紋…照合…?」
つい呟いたその言葉。
無理もない。
表札には間違いなく『外村』とあるのだから。
(あいつが指紋照合…?)
確かに最近では近代化が進み、一般向けのマンションでも指紋照合セキュリティシステムの導入が盛んになってきている。
それでも、コストや手間の関係で、誰もがというわけにはいかない。
ましてやあの外村ヒロシの家が…である。
しかし、ありえない話でもない。
進学校である泉坂高校をトップの成績で卒業。
某有名大学へと進む超エリートコース。
IT関係の仕事についている。
ITという名前だけでさえ十分な迫力のある仕事だ。
なんとも受け入れがたい事実を飲み込み、インターフォンを押してみた。
カスッ…
指先のボタンはつまらない音を立てめり込んだ。
(壊れてやがる…)
まさか指紋照合のついている家のインターフォンが壊れているとは思わなかった。
なんとなく気が抜けてしまいながらも、しぶしぶドアをノックする。
「外村〜!俺だ〜!真中淳平!」
そう言いながらどんどんと何度もたたくが返事がない。
(自殺未遂か?)
悪い冗談を考えながらドアノブを握ってみると、開いてしまった。
一体何のための指紋照合なのだろうか…。
なんだそれと呟きながら中へ入っていく淳平。
「お〜い…外村〜?」
一部屋一部屋確かめながら奥へ進む。
しかしどこにもいない。
一番奥の部屋にいるのだろうか…
そう思って最後の扉を開けたとき、淳平は信じられないものを目撃した。
「ん〜いいね〜この弾力〜」
「ちょ…ちょっと…外村さん…あん…」
どこか見覚えのある女性が四つんばいになっている。
そして後ろから抱きしめるように外村が胸を揉みしだいているのだった。
二人ともまだ服は着ていたが、すでに夜のモードである。
淳平は驚き、外村に自分の存在を気づかせようとした。
が、しかし、その前に固まってしまった。
その女性が向井こずえであることに気づいたからであった。
強姦だと思い止めようとしたが、こずえがそんなに嫌がっていないように見える。
これは止めないほうがいいのだろうか。
そうこうしているうちに落ち着かない手が衣服の中に進入していた。
さすがに、と声をかけた。
「ストップストップ!外村待った!」
外村がゆっくりとこちらを向き「あれ?なんでお前がいるの?」と言った。
あまりにも自然に。
「え?何?どうしたの?誰かいるの?」
こずえは外村に覆いかぶさられているので淳平の姿が見えないのである。
「ああ、真中がいる」
当然、こずえは頭が真っ白になった。
真中…?
真…中…?
真…ま…か…?
マ…ナ…カ…?
まるでプシューと音を立て煙が出たかのようだった。
「は…離して!外村さん!やめて!」
顔を真っ赤にして暴れるこずえ。
そんなこずえをからかうのが外村の務め。
「何を〜この期に及んでまだ真中に反応するか!」
そういって転がり、自分を下にする。
上側になったこずえは淳平と完全に目が合った。
「あ…はは…」
「久しぶりだね…」
そして、その瞬間外村がこずえの服をめくる。
何もつけていない上半身があらわになり、豊満な胸がプルンと現れた。
「キャアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
頬が赤くはれた外村が正座していた。
隣には同じように正座しているこずえ。
だが怒りの炎が見えるかのように、オーラを感じる。
淳平は何と言っていいのかわからない。
気まずい雰囲気。
すかさず外村が和ませようと試みる。
「真中どうだった?こずえちゃんのおっぱいは?」
ビシッともう一発、ビンタが炸裂した。
今度はさすがに反省した様子の外村が正座している。
隣には同じように正座しているこずえ。
さっきとは違い、あきれながら申し訳なさそうな表情をしていた。
「冗談なんだからそんな思い切りやらなくても…」
ヒリヒリと痛む頬を押さえながらつぶやく。
「女の子の胸は冗談じゃないんですっ!」
夫婦漫才をやっているかのようなのりで、見ていて微笑ましいといえば違いない。
なんとなく見守ってやりたい気持ちになった淳平。
「外村たち付き合ってんの?」
「え…いや…そういうわけじゃ…」
「イエス!」
こずえに割り込んで答える外村。
腕を組み、どこかエラそうだ。
たぶんこの様子だと付き合っているのだろう。
見た目こそ変わらないが、やはり二人とも少しずつ変わっているのだろう。
まさかこずえが自分以外の男性と付き合えるようになるとは思っても見なかったし、外村も真剣に女性と付き合うように思えなかったからである。
男性恐怖症から一転している。
確かに最後に会った頃、既にその症状を克服しかけていた感じはある。
しかし外村はどうだろうか。
美少女、美少女と追いかけ回していた時代が懐かしいが、それでも彼は恋を求めていたわけではなかったように思える。
どこか真剣味にかけ、悪くいえば遊んでいたようにも見えた。
それが一人の女性に恋をしたのである。
完全に彼女であると断言するほど。
何がその心境に変化を与えたのだろうか。
もちろん淳平にわかるはずはなく、考えては消えていった。
5年ぶりの再会である。
積もる話もあるが、逆に積もりすぎていて、どこから話していいかわからない。
と、その時、違う部屋で携帯が鳴った。
「あ…あたしのだ…ごめんなさい、ちょっと」
そう言って部屋を出て行くこずえ。
数秒して、隣の部屋からこずえが顔だけ出して玄関を指さした。
おそらく〔ちょっと出かける〕程度の意味だろう。
玄関の開く音がして、そして閉じる音がした。
部屋には二人きりとなった。
「さ〜ていろいろ聞きたいことがあるんだが」
聞きたいことだらけである。
西野は?
東城は?
さつきは?
小宮山、大草、天地は?
が、そんなことよりも聞きたいこと…
「どうやってこずえちゃん口説いたんだ?」
これが一番聞きたかった。
他のものはなんとなく想像通りま気がするし、あとからも分かる。
それよりも分からないのはこの問題だ。
なぜこの組み合わせなんだろう。
「な〜に簡単さ」
外村は自慢げに話し始めた。
「お前が飛び出した頃、こずえちゃんは真中依存症となっていた。
覚えているだろ?
さて依存症の人間から依存対象物を取り上げるとどうなるのか…
当然精神的にも肉体的にも不安定になる。
こずえちゃんはずいぶん参ってたんだ。
ある日町で彼女を見かけたとき、かなりやつれてたからな。おかしいと思ったんだよ。
まあそれで俺が保護したようなもんさ。
なんかに頼りたかったみたいで、たまたまその対象が俺だったのかもな。
もしくは真中以外で初めて優しくしてあげたのが俺だったか」
黄昏れた表情を見つめてみる。
ここまでの話は分からないでもない。
しかし気になるのはこの次だ。
なぜ外村がここまで惚れ込んでいるのか。
「で、お前は何で付き合ってんの?」
単刀直入に聞いてみる。
「何で?何でって…
東城たちにも引けをとらない美人だろ?
細く見えて案外ボインだし。
そして何より守ってあげたくなるあの性格!
そりゃあの子に泣きながら抱きしめられてみろって。
お前も絶対落ちるから」
うんうんと自らうなずく外村。
淳平は、というと、会話の中に出てきた東城と、ボインが気になって仕方がなかった。
それでもやはり答えには納得できない。
「そうじゃなくて…なんていうんだろうなぁ…」
納得はできないが、間違いでもないだろう。
しかし説明できず、まあいいかと言おうとしたとき、
「あぁ…つらくなっただけだよ」
そう外村がつぶやいた。
そんな台詞が外村から出てくるとは思っても見なかった。
他人にはつらいなんて絶対言わないと思っていたし、そもそもつらく感じることがあるのだろうかとすら思っていた。
これが変化なのだろうか。
どこか話の続きをするのを燻っているようだったが、静かに話し始めた。
「大学出てさ…今の企業に入ったんだ。
その時まではたぶんお前の想像通りの付き合い方をしてたよ。
企業に入って、いろいろな仕事が来て、初めは戸惑いの連続だった。
ああいう知識には自信があったのに、はるかに膨大な知識がいるんだ。
知識だけじゃなく技術とかセンスとかもな。
まあ図に乗ってたんだろうな。
あの大学を出たんだから絶対通用すると思ってた。
楽な仕事とすら思った。
でも俺は落ちこぼれ扱いだったわけさ。
で、つらくなったんだ。
なんだかんだで毎日が作業化していった。
朝食というエネルギーを蓄え、仕事という作業をし、睡眠という充電をする。
そんな感じだ。
つまり生気がなかったんだよ。
そんで思ったんだよ。
孤立するってつらいな〜って。
一流メーカーだからみんな心にゆとりがないんだよ。
それぞれが出世することばっか考えててさ。
別にそんなことはかまわないんだけど、俺にはきつかった。
こずえちゃんがいると言うことに気づいたのはその頃だ。
もっと頼っていいのかなと一瞬思った。
そ瞬間がこうなることの始まりだ。
気になって気になって仕方がなくなった。
いなくなることが怖くなって仕方がなくなった。
だから四六時中一緒にいたくなった。
で、今に至るわけだ」
長々と話した外村は恥ずかしそうにしていたが、満足したようにも見えた。
淳平は、あの外村が挫折するというのが考えられなかった。
そしてこずえを好きになったその気持ちがいやと言うほど分かった。
向こうへ行ったばかりの時、誰も頼れる人がおらず、途方に暮れたものだ。
あの人にあったとき、どれほど安心しただろうか。
孤独の中に見つけた光の眩しさがよく分かった。
その光を一度見ると、見慣れたはずの闇がより一層恐ろしくなることも。
淳平はその恐怖を知っているのだ。
光の後にきた暗黒のおぞましさを。
「そっか…もしかして話したくなかった?」
「いんや、落ち着いたよ。
孤独を抜け出したっていっても俺とこずちゃんお二人きりだったしな。
これでお前も我が家の一員だぜ」
そう言って外村はやっと笑顔を見せた。
確かに安堵した様子があった。
「やっぱ同棲してんのか…」
「もち!今や名主婦だぜ。
まあ離れて暮らす理由もないからな」
「親は何も言わないのか?お前はともかくこずえちゃんとこは…」
「彼女のお母さんな、体悪くして実家に帰って療養してるんだよ。
お父さんもついて行ったらしいんだ。
だから一人暮らししてたってわけ。
そこをこの外村家へ連れ込んだのさ」
というように二人は同棲していた。
四六時中離れたくないという思いも、今は確かなものとなっていた。
そこまで話してこずえが帰ってきた。
近所の奥さんに魚を分けてもらったという。
同じマンションの住民であり、そこには小さなコミューンが形成されているわけである。
外村は決して孤独ではない。
お前は十分仲間がいるよ。
心ではそう思ったが口には出さなかった。
こずえがビニール袋の中の魚を見せる。
活きのいいアマゴとイワナがいた。
「おっ!アマゴじゃ〜ん。イワナも。
よし、俺に任せろ。
あっちで結構たくさん料理したんだぜ。
というかさせられたんだけど。
ということで、淳平'S 料理を食わせてやるよ」
そういって、袋を受け取りキッチンを借りた。
「もう…お客なのに…」
こずえはあきれている。
反面、真中淳平という人物を思い出していた。
そういえばこういう人だった。
損得の感情が少なく、やりたいように行動する。
自分の憧れていた淳平がそこにいた。
外村もその視線に気付いていた。
「まっ、あいつも俺らに会えてうれしいんだろ。
仕方ないから料理ぐらいはさせてあげよう」
そう言って、淳平を見つめていた。
そして、
「じゃあ俺はあいつが魚を料理している間、こずえちゃんを料理しちゃおうかな」
そう言いながら、胸を触る。
こずえの口から「あん…」と声が出るが、顔を赤くして「ダ〜メ」と言った。
二人で一緒に笑いあった。
不意に外村が訪ねる。
「なあ…正直言って、俺のどこが好きになった?」
こずえは驚きながらも、その真意が分かったようだった。
だから正直に答える。
「優しいところ」
嘘ではない。
外村は付け足す。
「どんなふうに?」
こずえは予想通りの答えが返ってきて、少し微笑んだ。
この答えを言わせたいのだろうか?
でも、たぶん言うべき言葉はこの言葉だろう。
「ふふ…真中さんみたいに…かな」
「だよな」
見合ってもう一度微笑み合う。
淳平の背後で、二つのシルエットが一瞬一つに重なったのが見えた。
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