『真実の瞳』−21.「夢駆」 - スタンダード  様





これからえいぞう会がある、そう思うとどうしても緊張しまう。

ほどよい緊張は心地よいが、それでもやはり淳平は落ち着かなかった。

やがて扉に手をかけ開くが、室内を覗き込んだ瞬間に「え!?」と驚いて声を上げた。

無理もない。

いつも早め到着する淳平が、今日はさらに早く来たはずなのに、すでに会員全員が集合していたからである。


「ちょっと・・・なんかみんな早くないですか・・・?」


そう驚く淳平に、

「みんなお前の新作を一秒でも早く見たいんだよ」

下山がそう言うと、あちらこちらから同意の声が上がった。

頷くもの、笑みを向けるもの。

しかし、一人だけ興味なさ気にしている者がいる。

平野喜介。


俺はこんなところにいたくないんだ、そんな表情を浮かべてはいるが、しかしどんなに見目を繕おうとも平野がいつもより早く来たことは事実であった。

自分に向けられた期待の眼差しが嬉しく、同時にその期待に応えられているのか不安にもなったが、やるべきことは全てやりきったという自負の元、強い口調で言い切った。


「え〜っと・・・ありがとうございます。


 今回は・・・・・・




  自信作です。」


周囲を見据える淳平の自信に満ちた瞳が、会員のボルテージを一気に引き上げた。

渡したフィルムが映写機にセットされ、映像が流れ始めた。

刹那、オフィスの一室は聖域となる。

映像にはそうさせるだけの力があった。
















作品の全体を通した雰囲気、センスと言ったものは大抵オープニングを見るだけで分かる。

それを踏まえれば、この作品は疑うことなく名作だった。

シナリオ上、激しいシーンや迫力ある場面はない。

それでも、哀愁漂うその作品は、開始早々トップギアだった。











やがて物語が終焉を迎える。

決して幸せでなく不幸せでもないエンディングが、何も語らない淳平の本心を告げていた。

シナリオと重なる自分とつかさの姿。

もともと淳平が自ら脚本に手を加え、故意に重ねたものである。

しかし、この作品に自分たちの未来の姿を映し出したのならば、それはあまりにも無欲で哀れな未来だったかもしれない。



監督は泣かない。

そういう言葉がある。

言葉と言うよりも、むしろ監督達の常識、基本である。

他人の映画を批評する際に、正当な評価を下すためには泣いてはいけない。

感情移入しすぎてしまい、何の根拠もない評価になってしまう。

もちろん、一般の人からしてみれば、

「この映画は泣ける」「この本は泣ける」

という批評の方が分かりやすいし、期待も持てるかもしれない。

だが、映画監督が映画における技術を評価する際には好ましくない。


たしかに、『感情移入させる技術』というのも評価すべき点ではあるが、問題はその後である。

自分はこの映画で泣いたからこれはいい映画なんだ、と無意識のうちに決めつけてしまい、マイナス面に気付かなくなる。

良きに敏、悪しに鈍、である。

つまるところ、感情移入した後の評価は、するまでの技術評価から一転して根拠のないものになってしまうため、一歩間を置いて映画を見る必要がある。

だから泣かない。















それらの基本事項は、少なくともこの室内ではほとんど守られていなかった。

皆が皆、うっすらと目に涙をためている。

隠したり拭ったりしているのは基本事項が守れていない自分が恥ずかしいということではなく、ただ単に涙を見せるのが恥ずかしいというだけだ。

おまけのようなエンドロールが終わり、映像が止まった。

誰かが部屋の電気をつけると同時に、張りつめていた空気がすっと元に戻った。

自然に淳平に集まる視線。

それに気付き、「まあ・・・以上です」と、一言挨拶をする。

パチパチと拍手をしたのは下山だった。

会員全員もそれに続き拍手を始める。

拍手喝采、まさにその言葉通りである。

平野はというと、嫌そうではあるがパチパチと音を鳴らしていた。

次第に拍手がやみ静寂が訪れる。

決まって進行役となる下山に視線が集まった。


「で・・・


 これのどこが『監督は主役じゃない』んだ?」


下山の言葉にお互いを見合う。


そういえば・・・


そんな思いが表情から見て取れた。

ざわざわとする室内で、一人下山は淳平を見つめる。

それに気付いた淳平が微笑んだ。

また下山が口を開く。



「のっけから派手な演出バンバンに使ってあるし。

 役者の質から考えればしょうがないかもしれないけどな、これは前見た高校時代の作品と違いすぎるな」


酷評。

多くのものはそう思っていた。

元々下山はどちらかと言えば辛口であるし、容赦しない。

その分いいところはよく褒めるのだが、今回は良くないのだろうと皆思い込んでいた。

きっと下山は、真中の器に期待してあえて厳しくしているんだ、と。


しかし、そんな予想も裏切る。


「・・・ま、お前には驚かされるよ。ホントに。


 流石というか何というか。


 すげえよ。素直に感動した」



恥ずかしそうに、言う。

会員は呆気にとられたような顔をした。

同時に訪れる安堵。

恐らく彼らは、下山が悪いと思ったものを良いと思ってしまったことに不安を感じていたのだろう。

誰かがまた手を鳴らす。

触発され2度目の拍手が広がった。







「それで・・・何で今回はこんなに派手にやったんだよ?

 お前らしくないというかさ」


下山が改めて尋ねた。

お前らしくないというのも、前回に見た高校時代の作品と比べただけであり、どちらが本当に淳平らしい作品かというのは分からないが。



「ああ・・・いや・・・まあ・・・

 
 訳ありで・・・。

 
 今回のは賞を取るとかそういうものじゃなかったですから・・・


 スタッフには悪いけど結構わがままにやらせてもらいました。


 それに・・・これはある人に見せるために作ったものでして、「俺の映画だ」っていうふうにしたかったんです」




もちろん、ある人とはつかさである。

これはつかさのために作った映画。

賞を取るわけでも、評価を得るためでもない。

いわば、映像の形をしたただのメッセージだ。

淳平はスタッフに感謝しているし、役者もよくやってくれたと思っている。

ただ、この映画だけは、主役が自分である必要があった。

それこそが自分の本心を伝えると思っていた。



「まあそんな感じで・・・


 今回は俺の創りたかったものを作っただけなんですよ」



照れながらそう言う淳平。

やがて話は映画に関することとなる。

演出方法やそのバックグラウンドまでありとあらゆることを絞り出すように言わされたのであった。












映画の話となれば時間が経つのは早いもので、いつの間にか日は暮れていた。

窓の外の暗さに気付き、淳平はつかさに会えないかもしれないと言うことを懸念したが、急ぐことではないと思い直した。

話せることは全て話しきったと言えるほど、ただひたすらこの映画について話し合っていた。

そろそろかと見切りをつけて下山が話を切った。


「じゃあまあ今回はこの辺で解放してやろうか。

 死なれても困るしな」


いつもならばこれで解散であるが、しかし今日は少し違った。


「それと・・・」



おもむろに下山が口を開く。


「これを、一般上映する」


「は!?」


真っ先に驚いた声を上げたのは、当人の淳平だ。

それも当然のことである。

まさか新人も新人、超新人が試験的に作った映画を一般上映するなどまともな考えではない。

いや、最近の考えでは年功序列が排除され実力重視となってきており、確かに新人の淳平でも問題はない。

ただ、だからといってすぐに上映に踏み出せるものではない。



「何で急にそういうこと言うんですか・・・

 ちょっとぐらい相談してくれても・・・」


苦笑いする淳平に対し、下山は心からの笑顔である。


「大丈夫だって!お前の実力は俺が保証する!」


それは冗談を言っている顔ではなかった、

この作品を全国へと送り出すことに、一抹の不安もない自信に満ちた表情だ。

その自信はさらに確実なものとなる。

下山の強烈なプッシュに引き続いて他の会員も一般上映することに賛成しだしたのだ。


「そうだよ!俺らが保証する!」


何の信頼も出来ない保証といえるものもあるが、それでもここまで言われて悪い気はしない。

淳平も全国へこの映画を見せることを考え始めていた。

しかし少し、悩み所がある。


これがつかさのために作ったと言うことだ。

私的な映画、これを公的なものとするには恥じらいもあり、また、つかさとの関係を売り物にするのが嫌であった。










流れを変えたのは平野だ。

低く、くぐもった声で、呟いた。


「そんなのが売れると思うか?」



何の遠慮もない、強烈な否定である。




「そんなもの?

 何言ってるんだよ。

 真中はちゃんと映画を作ったし文句をつけるようなできじゃなかっただろう。

 十分に作り込んであるし、一般公開するのに何の問題もない!」



会員の一人がそう怒鳴った。

自分が涙したこの作品をけなされるのが許せなかったのだろう。

しかし、平野は冷静に返す。



「私たちが泣いたかどうかは問題でない。

 大事なのは大衆だ。

 お客様が第一なんだろう?

 私にはこの作品が一般客向けには思えんのだよ


 映像全体を包み込む暗い雰囲気に、消化不良気味な終幕。

 それでもやるのかね?」




誰も言い返せなかった。

淳平を除いて。



この映画を生み出した監督として、この映画の信念を貫き通す責任があった。


「それは、この映画から何かを感じ取って欲しかったからです」

淳平は映画の中で全てを解決しなかった。

大切な人を失ったヒロインは、失った人を忘れることによって新たに歩み始める。

それは解決ではない。

悲しみを悲しみで誤魔化したに過ぎない。


そこから観客が何を感じ取るか、それが淳平の期待であり不安だった。


「そんなことが一般の客に出来ると思うか?

 映画館に来る客は、素直に映画を楽しみにしてくるんだ。

 そこを監督のわがままで訳の分からない終わり方をされて気持ちが良いはず無かろう?


 意味がないんだよ。


 映画が人を幸せにするためにあるというのなら、幸せにしないと意味がないだろう?」






珍しく、感情がこもった話し方だった。

彼らしくない、素直な意見だったかもしれない。

静寂が訪れる。

会員の多くが平野の言葉に唇をかみしめた。

確かに平野の言うことも確かだ。

そこに淳平の声が響いた。


「最初から意味なんて無いさ」


自信に満ちた声である。

全ての不安をかき消すような、根拠のない期待感。


「言ったでしょう。

 これはある人に向けた映画なんだから。

 ある人を幸せにするために作ったんです。


 エゴとでも何と言われてもかまいません」



その迫力に平野がたじろいだ。


「・・・ならばなぜ一般上映する必要がある?」


「それを望む人がここにいるからと、


 それによって幸せになる人が必ずいるから・・・」


「幸せになる・・・だと・・・?


 誰がなるというのだ?」


「例え暗い雰囲気と消化不良な結末でもきっとこの映画から何か見出してくれる。


 別に技術なんて無くても、考察なんて出来なくても、

 
 この映画を真剣に見てくれれば、必ず伝わります。」




また静寂となる。

全員が平野の発言に耳を向けた。



「そんなことして・・・なんになる・・・」


その瞬間、映画監督・真中淳平の、全国への一歩目が決まった。

平野の言葉は、何の力も無く、ただ負けを認めるだけの悪あがきだった。



「映画は、創りたいから作るんです。」






























部屋には平野一人が残っている。

先程の出来事が脳裏をかすめてはいらつかせる。

それも次第に無くなってきた。

自分でも驚くほど心が穏やかになる瞬間すらある。


栄蔵・・・


心の中で思う。


お前のガキがとんでもないやつになりそうだぞ・・・


あの瞬間、淳平に栄蔵が重なって見えた。

そのまま淳平は続けた。



俺は映画を、人を幸せにするっていう理想を持って撮ってます。

でも、意味を求めてそれを作品としてるわけじゃない。





忘れていたものを思い出すような感覚。

青春時代、自分も映画監督を目指す一人の若造だった。

いつの間にか老いぼれて、昔なりたくなかった姿になっている

それを今日、淳平に思い知らされた。

思い出されるのは、栄蔵との口論。

一度言われたことがあった。

面と向かって一言。

「お前は昔なりたくなかった姿になってることに気付け!」



奇しくもその愛弟子に同じことを気付かされた。



栄蔵・・・今お前どこで映画を撮ってるんだったかな・・・?

早く帰ってきてあいつを見てやれよ




自嘲気味に笑うと静かに退室していった。

どことなく、健やかな表情を浮かべていた。





























いつも通り、淳平と下山が雑談を交わしている。

決まって平野のことを話した後、映画の話となる。


「それで、さっきの映画のあれ、なんだったんだよ?」


「あれって何ですか?」


「何しらじらしいこと言ってんだよ」


下山が尋ねたのは映画の1シーン。






「『自らが恋をしていることに気付いたとき、人は恋をする


 探す者には見つからず、求める者には訪れず』




 
 ヤマ場で出てきたけど脈絡が全然無くて唐突だったからな。

 あれがお前のメッセージだってのにはすぐ気付いたよ。」


下山の言うとおり、そのセリフは無理に詰め込んだものだった。

どうしても使いたかったのである。


「あれは本心ですよ。

 ホントにそう思ってるんです」


「俺には矛盾してるように思えるんだが?」


下山の問いに、淳平は嬉しそうに答えた。


「だからですね、結構簡単なことなんですよ。

 ふと思うことがあるでしょ?


 『自分はこの人が好きなんだ』って。

 そう思った瞬間が恋だっていう・・・」



「その後のは?

 求める者にはとか」


「あれは・・・

 例えば恋を求めるっていうのは・・・まあ恋に恋してるわけで・・・

 好きな人が出来ても自分が好きな気でいるだけってのがありますよね?

 目先だけの恋というか。

 そういうのは恋じゃないんじゃないかなって。

 それで改めて自分がその人のことが本当に好きだと分かったら、それは目先だけの恋じゃなく本当の恋になる」


力説したものの、実を言えば淳平は自分の創り出したこの言葉がイマイチピンと来ない。

インスピレーションによるもので、綾の脚本を読んだときいつの間にか頭の中にあった。

自分の言葉なのに使いこなせていないのが我ながらおかしかったが、それでも使うべきだと思ったのである。




「分かんないんですよね、自分でも。

 何でこんな言葉が浮かんで、何でメッセージにしたのか」


空を仰ぎ呟く淳平。

下山は淳平を一瞥して軽い調子で応えた。


「ま、創った本人が気付かなくても他人が気付くってのはよくあることさ」


その言葉に活気づく淳平。

「そうですよね」と素っ気ない返事をしながら心の中でありがとうと深く感謝した。


「じゃあこれで」


軽く頭を下げて別れる。

小走りで去る後ろ姿に下山が声をかけた。


「真中!」


「はーい?」


「リレーはどんな感じだ?」


リレー。

それは淳平が下山に語った、つかさとのことである。

あるパティシエからたすきを受け取った。

それは人を幸せにするためのレース。



「ぶっちぎり1位!





  ・・・を目指してラストスパート中!」






その返事に下山は微笑み、最後にもう一度叫んだ。


「せいぜい気張れよ!」























いつの間にかもう夜だ。

今日中につかさに映画を見せることは出来そうにない。

空を見上げると、星が満天に輝いている。

温室効果ガス削減の政策が次々と施行され、温暖化は改善に向かっている。


周囲に誰もいないことを確かめると、淳平は軽くストレッチをした。


「俺はアンカーか・・・」



だんっ!と地面を蹴って駆けだした。

体力は落ちているだろうが、家ぐらいまでなら走っていけそうだ。

夜風が気持ちいい。


走る。

ただ走る。

たすきを放さないで。




「だああああぁぁぁぁぁぁぁ」



誰もいない路地に淳平の声だけがこだまする。

近隣の人々が窓を開け、何かと思って顔を出すが淳平は気にしない。



この暗闇に一人。


競争相手はいない。



ぶっちぎりの1位だった。


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