『真実の瞳』−20.「休息」 - スタンダード 様
美鈴が走っていた。
しきりに時間を見ては、やばい、と独り言を呟きまた駆ける。
向かう先は公園である。
今日は大事な用があったのだ。
「あちゃ〜もう始まっちゃってるよ・・・」
この日、公園は映画撮影現場となっていた。
監督は真中淳平という無名の青年。
その大きな機材、夢中に演技する役者達を見て、誰もが映画やドラマの撮影をしていることが分かったが、いかんせん淳平が無名であるのでどんな作品なのかは分からなかった。
「ねぇ、あの人見たことない?」
「あ!そういえば脇役で出てたよね!何の映画だったっけ?」
そんな会話があちらこちらで行われていた。
それでいて大きな人集りが出来ないのは、主役と思われる男優が有名な人物でなかったからであろう。
ヒロインも、美人ではあるがやはり見覚えのない顔なのである。
やがて美鈴は公園の中に入り、機材が一番集中しているところへと目を向けた。
そこには隣の人と会話をしている淳平がいた。
急いでその元へと走り寄る。
その足音にか、淳平がこちらに気付き同時に軽く手を挙げた。
「はぁ・・・はぁ・・・疲れた・・・・・・」
駅からこの公園まで、約500メートルを全力に近いスピードで走ってきたため息が上がっていた。
「珍しいな、お前が遅刻なんて。
ま、一杯どうかね?」
淳平は冗談を交え、近くにあったお茶を勧めた。
美鈴はお礼を言いながら受け取るとがばっと一気に飲み干し、もう一度お礼を言い呼吸を整えていた。
少しの間を置いて遅れた理由を愚痴のように話し出した。
「それが・・・電車が30分も遅れてたんですよ。
15分前に着く予定だったんですけど、結局15分遅れになっちゃいました・・・」
その不平を言う表情はどこかかわいらしくもあったが、それに関連して彼氏がいることを思い出し、今の状況を聞いてみた。
唐突に恋愛事情を聞かれたためか美鈴は一瞬迷っていたようだったが、今の円満な関係も淳平のおかげだったと思うと断れずつらつらと話し出した。
なんだかんだ言ってやっぱり彼氏のことが好きみたいです云々・・・
彼氏はかっこいいから浮気とかしないか心配です云々・・・
このペンダントをくれたんです云々・・・
軽い気持ちで聞いたのだが、意外に美鈴が乗り気であり、後半はただののろけ話となっていた。
そこに淳平の隣に立っていた男が話しかけた。
「監督・・・そろそろ・・・」
もちろんスタッフや俳優にも都合というものがある。
監督の雑談で時間をくってはたまらない。
とは言っても彼らも雑談に興じていたが。
「あ、ごめんなさい・・・あたしが話し込んじゃったから・・・」
そう申し訳なさそうに謝る美鈴にいいよいいよと笑いかけ、さて、と座り直した。
「やるか!」
美鈴の視線は淳平の目に釘付けられていた。
やるか、という声と共に瞳の色が変わったように錯覚したためだ。
そんなことはあり得ないのだが、確かに先ほどまでとは目の輝きがうってかわっている。
だが、真剣な表情になった、というのとは少し違う。
ウキウキする気持ちを抑えられないような、大声を出したくなるのを我慢しているような、そんな目だ。
美鈴は思った。
この人は他人に力を分けてあげられる人だ、と。
そして淳平自身、映画という宝物から、分けても有り余るほどの力を貰っているんだな、と。
それこそが淳平の行動意欲の全てなのかもしれない。
映画は人を幸せにするためにあるのだから。
ここまで面白い撮影現場は初めてだ。
美鈴は素直にそう思った。
先ほどから機材の片隅に座り込んでいる男性がいる。
気分でも悪いのだろうかと思っていたが、酒に酔ってダウンしていただけであった。
その人が急に目を覚ましたかと思うといきなり説教を始める。
捕まったのは淳平。
べらんめぇ、と江戸弁でまくし立てるその言葉に、淳平は苦笑い、周りは大笑いである。
ちょうどそのタイミングでスタッフが遅刻してくると、説教の矛先はその若者へと向いた。
開放感に浸る淳平、訳も分からず怒られる若者、笑う俳優。
撮影は大きく遅れた。
でもそのことに不平を言うものは誰もいない。
もっとこの現場にいたい、そんな願いすら聞こえてきそうな、明るい世界。
帰宅すると家からは夕食の匂いがしていた。
疲れた、と溜め息をつきながら家にはいると、大きな足音が近づいてくる。
誰だろうか。
人間というのはなかなか素晴らしいもので、十年ほど暮らすと階段を下りる足音だけで誰か分かるようになるものだ。
現在、美鈴は両親と3人で過ごしているが、その二人の足音じゃないような気がする。
父はもっとのっそり歩くし、母はもっと軽やかだ。
しかし今鳴り響くのはその中間、元気もよく、スピードもある。
聞き覚えのある足音。
誰だっけ。
「あっ!」
そう叫ぶと同時に足音の主は姿を現した。
「お兄ちゃん・・・なんでいるの・・・?」
突然の訪問に驚く美鈴。
何せ、たまには戻ってこいと言われても戻ってこない兄が訪れていたのだ。
「お前もなかなか酷いことを言うな・・・
ここは一応俺の家でもあるのに・・・」
「だって帰ってきて欲しくないんだもん」
「酷い・・・」
そんなお決まりのコントをした後、二人とも中へと入っていった。
「で、何で来たわけ?
来いって言っても来ないくせに」
「ん?ああ・・・
いや・・・今日お前真中の撮影現場に行ったんだろ?」
「え?うん・・・まあ行ったけど。
それで来たの?」
「まあそういうこと」
何故だろうと訝る美鈴。
その心中を察してか、問われる前に兄は答えた。
「お前は知らないかもしれないけどさ、最近あいつ変なんだよ。
なんかすごすぎる」
「え・・・」
美鈴が驚いたのは心当たりがあるからであった。
今日会って、変と感じる部分はなかったと言って良い。
ただ、すごすぎる、という表現には幾分か納得できるものがあった。
始めは楽しそうに雑談をしていたし、撮影中も笑顔だった。
しかし、撮影が終わった後、その撮影した映像を見ていたときの表情が頭から離れない。
異常なまでの、迫力、真剣さ・・・。
結局話しかけづらくそのまま帰ってきてしまった。
あれは何だったのか?
その疑問の答えが兄によって解決されるかもと思い、続きを待った。
しかし、やはり答えは出ない。
「でも・・・何でか分からないんだよなあ・・・
たぶん・・・つかさちゃんのことが絡んでるんだろうけど・・・違うのかな?
お前はなんか心当たりある?」
そう尋ねられた美鈴は今日あったことを話した。
話を聞いている間、外村はうんうんと頷いていたが、話を聞き終わるとゴロンと横になり溜め息をついた。
「最近・・・あいつが分かんねぇよ・・・
何にも話さないしさ・・・」
兄にならい、妹も同じようにゴロンと横になった。
自分は一回会っただけでこんなに困惑しているのだから、何度も会っている兄が溜め息をつきたくなるのも分かった。
自然と言葉も漏れる。
「そういえば、真中先輩・・・訳の分からない基準でOKとNG出してたなぁ・・・」
「は?」
「だってセリフも噛まずにうまくやったなと思ってもNG出したり、
逆にセリフ噛んだりしてるのにOKだったり・・・」
「それって昔からじゃなかったっけ・・・?
たしかあいつ、セリフ噛んでも[ちょっとぐらい噛んでた方が自然でいい]っていつも言ってただろ」
これは兄が正しい。
昔から淳平は微妙なラインでOK、NGを区別していた。
実際のところ、ほとんどが美鈴のダメ出しをくらい、半ば強制的に決められていた部分もあったが。
これは、外村も言ったように、ちょっとぐらい噛んでた方が自然でいい、と思っていたからである。
そう言われれば、と美鈴も思い出した。
今日、撮影の後でチラッと見せてもらった映像を思い出す。
そこには、本当に身近で、自然な画があった。
「なんか・・・あたし・・・
真中先輩の限界が見えないよ・・・」
その言葉にすぐさま反応する兄。
「お・・・今の色っぽいセリフ・・・!」
しかし美鈴はその冷やかしを無視し、続ける。
「自分には才能がないとか、あの人には才能があるとか・・・
そういう言い方はしたくないけどさ・・・
これが『趣味』と『仕事』の違いなのかなぁ・・・」
美鈴は今、大学で映像に関係したサークルに所属している。
泉坂高校における映像研究部と同じ匂いのするサークルで、居心地もいい。
映像関係に就職するつもりはないが、きっと趣味として一生関わり続けるだろう。
その点、淳平はすでにプロとして、映画を仕事としている。
そこに自分との圧倒的な差を見せつけられた気がしていた。
兄は妹の言葉を無言で聞いていた。
趣味と仕事の違い。
確かにそれは大きな部分を占めている。
しかし、同時に言えることもある。
あいつは映画を仕事で撮ってない、昔のまま、楽しんで撮ってる。
結局言葉には出さなかった。
淳平は今回も仕事として映画は撮っておらず、撮りたいから撮るというようだ。
だが、その中に少なからずつかさへの義務感が感じられる。
自分のために映画を作っていた淳平は、今つかさのために映画を作っている。
それが吉と出るか凶と出るかは分からない。
それでも、あの根拠のない期待感は拭えない。
あいつなら何とかするだろう、そんな思いがいつまでも心にあった。
撮影の行程は短かった。
場面が移ることも少ないため同じロケ地で複数のシーンが撮影できたし、スタッフが一丸となって精力的に撮影を進めたからであった。
その間、淳平は一度もつかさと会わなかった。
特に訳はない。
忙しくて会う時間がなかったのもあるし、監督の士気はやはり多大な影響を与えるもので、つかさと会って精神的に不安定になるのは避けたかった。
そのためか、今、淳平はつかさに会いに行きたい衝動に襲われている。
ただ、一ヶ月ほど時間を空けた後、どんな顔をして会っていいか分からず、途方に暮れている状態であった。
とりあえず、今はえいぞう会のことを考えなければいけない。
下山に電話をかけ、完成したことを報告し、集まりを開いてもらう必要がある。
しかし、何故だろうか、その気力が起きない。
バーンアウト・シンドロームに近い、強い脱力感。
その言葉が頭が浮かんだとき、映画を作ることを使命って思ってるようじゃダメだよな、と自らを戒したが、もちろん淳平の疲れはそこから来ているだけではない。
極端に短い睡眠時間や、こちらに帰ってきてからずっと続いているつかさへの罪悪感など、身体的にも精神的にもハードな日々が続いていたのだ。
「疲れた・・・」
腹の奥から、そんな言葉が漏れる。
淳平はベッドの上でよだれを垂らしながら寝ていた。
今日ぐらいはいっか・・・
そう思うと、何をする気も起きなくなった。
もう一回寝るか・・・・・・。
よく晴れた一日の、何の変哲もない柔らかい風景。
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