『真実の瞳』−19.「空虚」 - スタンダード  様



読めば読むほどに、綾はその文章の中に熱中していった。

自分の作品がこんな風に変わるとは思ってもいなかった。


「おいおい!どうなってんの!?」


黙り込んで本の世界へと入り込む綾に対し外村が尋ねる。

先ほどの綾の驚愕の表情が外村も気になるらしい。

綾は外村には答えず、その原稿にざっと目を通し終わると淳平の方を向いた。


「真中君・・・小説書けるの・・・?」


素直な疑問だった。

自分の文章が元になっているとは言え、やはりこれだけの文章を創り上げるにはそれだけの文才がいるはずだ。

ということは、淳平も小説を書いたりしているのでは、と思ったのである。

しかし淳平は全然!と強く否定した。


「そんな無理無理!俺って文章化するのすごく苦手なんだ!」


思いもよらない褒め方をされて照れているようだ。

じゃあ何で、そんな困惑の表情を浮かべた綾に淳平は説明を始めた。


「俺さ、物語を発展させるのが好きなんだ。

 エンディングの後を想像したり空白の中身を考えたり。

 まあ発展させるって言うよりも勝手に思いつくんだけどさ。

 それで今回のは・・・まあ・・・西野のことを考えながら読んでたらそういうのもありかなぁって。

 で、それを書いたんだ。

 だから俺の手が加わってるところって表現とかも稚拙だろ?」


そう言われれば確かにそうなのかもしれない。

特に、中盤で大々的に改稿した部分では顕著に表れている。

小学生の作文という状態だった。

それをふまえて考えれば、淳平に与えられた文才というのは、想像力というものだろう。

さらに言えば、ある程度の土台を与えられた上で発展させていく能力。


淳平の力に感心すると同時に少し悲しくもあった。

自分の文才なんて大したことないのかな・・・。

弱気な綾はすぐ自己嫌悪に陥る。

それでも淳平の、


「だから東城みたいに物語をそのまま作るって言うのは全然無理なんだよ。

 あ、あれに似てる!

 あの〜映画をたくさん見ると結末が分かるようになったりするじゃん?

 あんな感じだよ。

 その予想が外れた場合って言うのは、要するにもう一つのあり得た結末ってわけでしょ」


という言葉に明るく微笑んだ。

単純であるのかもしれないが、やっぱり淳平に褒められると嬉しかった。

それは中学3年の時から植え付けられた潜在意識なのだろう。








「分かったから、一体どういう話しなんだよ」

ほったらかしにされていた外村が、少し怒り気味の口調で尋ねる。

その自分に向けられた怒りに焦りながらもごめんなさいと綾は謝って説明を始めた。





淳平は、削ることの出来ない長編を完全に変えて見せた。

物語の中盤に空白の時間を作ったのである。

綾の本来の脚本の5分の3ほどは空白の時間と変えられていた。

高校生が『万物流転』を経て大人になっていく、という物語の中盤で空白を作った。

高校生が数年の歳月の後大人になって再会すると、『死』を経て『万物流転』していた、と。

その空白の時間を視聴者に想像させることによって物語の厚みと自由度を高めた。



それはまるで今の淳平とつかさであった。

綾にも容易に考えつくことであった。

淳平の「これは西野のための映画だ」という発言もうなずける。



物語の中で、ヒロインは死と出会い変わってしまっていた。

主人公は変わることの悲しさを改めて悟る。

その後ヒロインは立ち直り始める。

死を忘れる、という方法を採って・・・。

どんなに大切な人もやがて忘れられてしまう。



死によって苦しんだ少女が立ち直る、と、一言であらすじを言えばそうなるが、決してその映画はハッピーエンドではなかった。

重く、暗かった。











「へぇ〜」


と外村が感心して頷く。


「お前よく一晩でそんな話を作ったなぁ」


そう言いながら淳平の瞳をジロジロと眺めた。

なんだよ、とそれを拒絶する淳平。

そのやり取りを終え、もう一度外村が口を開く。


「でもそれがつかさちゃんのためになるのか?

 だってつかさちゃんは死によって苦しんでるんだろ。

 それなのに『死は辛くて大変なものですよ』っていう映画作ってどーすんだよ」


その言葉に、あ、と綾も妙に納得して淳平の方に振り返る。

だが淳平は綾の心配そうな顔とは裏腹に笑っている。


「違う違う、そうじゃなくてだな・・・

 う〜ん・・・なんて言うか・・・

 死は辛くて重いけど、そんな大したものじゃないんだよっていう・・・」


「お前・・・そういうのを本当に大切な人を失った人に見せたら反感買うんじゃないか?」


淳平の答えに対し即座にもう一度尋ねる外村。

その反論はもっともであった。

人が死んだ悲しみも知らないで死を語るな、というものである。

真中はどうするつもりだろう・・・

そう期待しながら次の台詞を待ったが、その予想に反して淳平の言葉は単純なものであった。


「ま、大丈夫だろ」



え、と呆ける外村。





「いいんだって。

 悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいって言うだろ?

 大変なことだと思うから悩むんだ。

 大したことないって考えればどうとでもなるさ」


全く意に介していない様子である。

ここまですっきりと言われては外村も何も言えない。

結局は淳平の考えている通りにことは進んでいくことになった。





















「じゃあ俺はそろそろ忙しくなりそうだから帰るよ」


昼食の時間が近づくと淳平はそう言って帰ろうとした。

食べていくと思っていた綾は意外な表情をしていたが、映画の計画のことで色々あるのだろうと思い引き留めなかった。

ただ、その代わりに外村が淳平を引き留める。


「真中、ちょっと待て」


なんだ、と聞き返す淳平に対し、2枚の紙を渡した。

サイン色紙であった。


「なんだよ、これ」


「みりゃ分かるだろ。

 サイン色紙」


「そうだけど・・・」


淳平が尋ねたのはそういうことではなく、何故こんなものを渡したかである。

そのことについて問うと、外村は


「いや、お前はなんかすごいみたいだから一応サインもらっておこうと思って。

 それからお前の師匠の上田栄蔵のサインももらってきてくれ」

と強引に話を進めた。

いきなりの申し出に自惚れかけたが、自分を戒めると同時に外村の計画性に呆れた。

しかし淳平はどこか戸惑っている。


「いや・・・まあ俺のサインならいいんだけどさ・・・

 栄さんのサインなんて・・・」


「いやいやいつでもいいんだよ。

 とりあえずもらっといてくれ」


渋る淳平に色紙を押しつける外村。

仕方ない、という表情でそれを受け取る淳平。

それだけのやり取りを終えて綾の家を出た。























淳平は悩んでいた。

数え切れないほどの悩みだ。

映画のキャスト、進行予定、撮影の準備・・・

やらなきゃいけないことはたくさんあるが、多すぎる故にどこから手をつけていいか分からない。

とりあえずやらなきゃいけないことはと考えると、つかさへの報告だろう。

映画製作が決まったことを報告し、その反応を見たかった。























ガチャッと扉が開くと、そこに広がるのは無機質な空間であった。

顔を出したつかさは淳平を確認するとやはり困惑の表情を浮かべながらも、仕方ないというように招き入れた。

この部屋に入るのは2回目だ。

しかし、前回入ったときと何も変わっていないような気がする。

もちろん、模様替えなどはそんなに頻繁にするものではないのだから当たり前なのだが、それを別にしてもまるで生活をした形跡がないという感じだった。

気分で配置を換えることもあるだろう小物は元々置かれていないし、ゴミ箱はいつも空っぽな気がした。

最低限の生活しかしていないことがすぐに分かった。


その予感は当たっている。

つかさはほとんど一日中この部屋にいながらも、ただぼんやりと日々を過ごすだけであった。

座り込み、思案に浸るのみ。

読書をすることも、テレビを見ることも、何もしない。

空白の時間を進めるのみだった。




淳平はふとテーブルの上にある食べかけの昼食に気付いた。

質素で、地味なものである。


「あ・・・ごめん・・・飯食べてた・・・?」


そう謝る淳平につかさは振り返りもせず、いいよ、と一言だけ返した。

微かな反応に俯く淳平。

戻ってきてから何度もつかさと会ったが、少しも変化が見られない。

自分の力不足なのか、そもそも一人で解決しようとしている自分が悪いのか、そのどちらかも分からない。

つかさを立ち直らせることに挫折しかけていたのかもしれない。

それでも続けることが出来るのは、

「お昼食べてないんだったら・・・食べてく・・・?」

と、時折昔と変わらない優しさを垣間見ることが出来たからであった。

ありがとう、と笑顔で礼を言うが、またもつかさは小さくうん、と呟くだけであった。

その返事は、5年前から比べてあまりにも乏しく、寂しい。

それでも、これでいいのかもしれないと思える。

ちょっとずつ、ちょっとずつ・・・

その内にいつか心を開くことがあるかもしれない。

差し出された昼食は、派手さも豪華さもなかったが、昔と変わらない味の気がした。
























「それで・・・今日はどうしたの・・・?」


洗い物をしながらつかさが尋ねた。


「え・・・・・・あぁ・・・うん・・・」


部屋を眺めていた淳平はいきなりの問いに驚き、すぐには舌が回らなかった。

淳平はこれからする話しのことを考えてか、つかさの方を向いて座り直した。

つかさは返事が返ってこないことを奇妙に思いながら後ろを振り返ると、淳平の真剣な眼差しがこちらを見つめていた。

「淳平君?」と尋ねようとしたその言葉が喉の辺りで止まり、ゴクリと音を鳴らした。

その真剣な表情に固まる・・・。

やがて淳平は顔を緩め微笑んだ。



「映画を作ることになったんだ」

「映画・・・?」

「そう。初めての監督作品。プロとしてのね」


きっと祝福すべきことなのだろう。

つかさも頭ではそれを理解していた。

しかし、そっけない応答しか出来ない自分がいる。

それも無意識のため、どうしようもならない。


淳平から紙の束を渡された。

大きな文字で題名らしきものが書かれていて、その後ろに文字が羅列されている。

映画の原稿だろうと一瞬で分かった。

これを手渡したのが、読んでくれ、という意味を含めていることも。

しかしつかさは受け取ってパラパラとめくるとすぐに淳平に返してしまった。

何故か分からないが、読みたくない。

それを読むことに何故が敗北感を感じる。

ただの意地なのかもしれないが、そのただの意地が今自分を支配する全てなのだ。


突き返された淳平の表情が暗くなった。

落胆の色を隠せない。

それでも食い下がるようにつかさにその脚本の中身を伝えようと試みた。



「この話さ、東城に脚本頼んだんだ。

 やっぱり東城ってすごいよな〜。

 尊敬するよ」


作り上げた笑顔で話を続ける。



「これに登場する主人公とヒロ・・・」



「もういいよ」



それは非情な截断だった。

興味ない、そんな思いが見て取れる。

つかさの拒絶が痛かった。


「あたしには関係ないでしょ・・・」


座り込み、立てた膝に顔を埋めて言った。

淳平の顔が見られない。

自分でも何でこんな台詞を言いたいとは思っていない。

しかし、いつの間にか皮肉を口にしている。


「これは西野のための映画だよ・・・」


優しい口調だった。

全てを包み込むような。

恩を売っているわけでなく、偽善をしているわけでもなく・・・

自分の意志であるということが感じられた。


驚き顔を上げるつかさ。

言っていることが理解できない、そんな様子である。


「何で・・・」


放心したように一言絞り出すと、沈黙に包まれる。

5秒・・・10秒・・・

何で喋らないの、そう尋ねようとしたとき、淳平の一言がやっと沈黙を破った。




「映画とは・・・人を幸せにするためにこそある・・・」


5年前の記憶がフラッシュバックする。

寂れた映画館・・・テアトル泉坂。

再会の場であった。

あそこにいた淳平とまた巡り会った。

あそこで働いていたからこそ、もう一度親しく、好きになれた。


「それって・・・館長さんの・・・」


戸惑うような、困ったような、そんな表情だ。

そのつかさを見て淳平は微笑む。

どことなく悲しげに。


「いや・・・俺の師匠の言葉だよ・・・」



「え・・・それって・・・」




「いや・・・俺の師匠は館長じゃないよ。

 前に言ったでしょ。上田栄蔵。

 日本映画界を代表する無名監督ってとこかな。

 西野は知ってたみたいだけど」



知っていたと言っても、何かの映画のスタッフロールでちらっと見ただけであった。

無名なのは、取材を徹底的に拒否していたからである。

リポーターの中では『口を開かない人』として有名であったりもする。




「じゃあ何で・・・」


じゃあ何で館長さんと同じ台詞を?

すぐそこまで来た言葉を出さず、それよりも、と話を変える。


「何であたしのためなんかに・・・」


「言ったでしょ。

 映画は人を幸せにするためにあるって。

 だから、西野を幸せにするために作るんだ」






なんでこんな恥ずかしい台詞を真剣な表情で言えるのだろう。

そう思い、その真っ直ぐな瞳に苛立った。

なんでそんな希望に満ちた目をしているの、と。






「そんなことしなくても・・・いい・・・」



かすれるような声で、僅かながらも拒否をする。

しかし淳平は言葉を止めない。






「でも・・・でも西野だってこのままじゃいけないって思ってるんなら・・・

 このままじゃやっぱりだめだよ・・・

 もう子供じゃないんだ。

 いつまでも落ち込んだままでいられる訳じゃないんだって・・・」







何に対して怒ったのだろう。

子供じゃないと言われたことだろうか・・・。

いつまでも落ち込んでいるなと言われたことだろうか・・・。

感情は激昂し、気がつくと叫んでいた。






「子供じゃない・・・?

 じゃあ大人ってなによ!?

 大人は悲しんじゃいけないの・・・!?

 淳平君は大切な人が死んでも笑ってられるの!?

 あたしは笑ってなんかいら・・・れない・・・っ・・・」





涙で語尾がかすれる。

何でこんなに悲しいんだろう。





いきり立って睨め付けた先の淳平は至って冷静にその言葉を聞いていた。


なんでそんな冷静なの?

少しは言い返さないの?

淳平君・・・あなたはなんでそんな悲しい目をしているの?






はぁはぁ、とつかさの荒い呼吸音だけが部屋に響いていた。

やがて淳平は口を開いた。


「大人っていうのは・・・悲しみを知っている人間・・・。


 子供のままでいられるのは・・・悲しみも苦しみも味わったことのない人たち・・・。


 偉人はみんなそうだよ。

 出来ると思うんじゃない、出来ないと思わないんだ。

 
 そういう挫折を知らない人が子供でいられる。


 だから・・・西野は大人・・・」




小さな声だった。

なんとか聞こえる程度の。

淳平は確かに自分の問いに答えた。

でもなんだろう、この違和感は。



「淳平君は・・・大人・・・?子供・・・?」


その問いに対し淳平は顔を上げで微笑むが、それは悲しみを携えていた。


「大人に映画は作れないよ・・・」



























雑踏の中、一人歩く。

瞳に映るは虚空、掌に握るは空虚。


俺は何をしたいんだ?


自問すれば、西野を救いたいと即座に答えが返ってくる。


俺が幸せにしなきゃ・・・。


それは責任。

自らに課された最大の使命。


俺じゃなきゃだめなんだ。


大人を救うのは、いつだって大人なんだ・・・。



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