『真実の瞳』−17.「変進」 - スタンダード  様



えいぞう会の翌日、淳平は再度下山と会った。

映画に使う費用や、当面の計画などのためである。

費用は全額支給すること、脚本の元、スタッフ、様々な準備を整えるのには、一日のほとんどが使われてしまった。

結局下山と別れたのは夜の9時頃で、淳平はそのまま綾の家に向かった。





インターフォンを押すとすぐに綾が出てきた。

突然の訪問に驚いた様子だったが、淳平が来たことに喜び中へ招き入れた。

リビングに通され淳平は呆れた。

そこに外村がいたからである。

隣には少し申し訳なさそうにしているこずえ。

何でお前がいるんだよ。

そう無言で尋ねると、

「前にも行ったろ?ここは俺の基地なんだよ」

と、当たり前のように答えた。

さすが、と呆れながらもその行動力と傍若無人さを尊敬した淳平だった。


その後、何事もなかったのかのように「何しに来たんだ?」と尋ねる外村。

お前の言う台詞じゃないだろうと、心の中で文句を言いながらも淳平はえいぞう会での出来事を話した。

綾もその話に聞き入り、こずえも興味深そうに聞いていた。




嫌のヤツを見返してやったこと、新たに映画を作ることが決まったこと。

終始笑顔で語り続けた。

外村は、その話のスケールの大きさに圧倒され気味であった。

高校時代からのあの冴えない友人が、汚い大人達に向かって勇敢に立ち向かっている。

若手パワーズという間抜けな名前であったが、一応取材にあうほどのエネルギーを持っているのだ。

そして、その友人の戦う場。

そこらへんで、庶民同士争っているわけではない。

日本を代表する会の中で、しっかりと自己を主張しているのだ。

そのことを笑顔で話す淳平。

もしかしたらすごいヤツなのかもしれない。

そう思うと、知らず知らずのうちに口にしていた。

その言葉を聞き、綾はさつきの発言を思い出す。

[本当はすごいことなのかもね]

それは、淳平が映画を撮り続けていることに対して言ったものだった。

高校時代、それは節目の時代とも言える。

大人というものを自覚し始め、考え始める。

同時に、夢というものに諦めをつける時でもある。

それゆえに、高校時代の夢を実現するというのは困難を極めることと言える。

努力、才能、それらを併せ持ってこそ叶えることが出来る。

その職に就くため、何かを捨てる覚悟もいる。


自分は小説家をやっている。

だが、小説家と映画監督ではやはり違うだろう。

主婦をしながら、30分の時間を作ってこつこつと小説を書くことは出来る。

しかし、30分の時間を映画製作に向けるだけでは、決して映画監督にはなれない。

淳平は、時間と努力を賭け、そして故郷を離れ、夢に向かったのである。



自分の友人が夢に向かって突き進んでいる姿は嬉しくもあった。

ただ、同時にその話に自分は入り込めないと思っていた。

突き進む淳平と、中途で挫折した自分。

若手映画監督期待の星と、売れない小説家。

そこに劣等感を感じていた。

それでも淳平はそんなことを気にしない。

「そういえば、東城の脚本もめちゃくちゃ褒められてたんだよ!」

まるで子供のような笑顔でそう言われた。

その一連の話を聞いてみると、まさにべた褒めであり、恥ずかしくなるほどだった。

確かにあの頃、自分の作品には自信が持てたし、充実していたようにも思う。

しかし、あの頃と今の自分の差・・・。

作品のレベルが落ちたことは実感している。

それでも書けないのだ。

ストーリーが思いつかない訳じゃない。

言葉が浮かばないわけでもない。

それでも、何か引っかかる。

売れないのが納得できてしまう。

何が理由かも分からず、ただそこに漂流しているようだった。






それでさ、と淳平が話を戻した。

「脚本ってどれぐらい進んだ?」

急かして申し訳ない、そんな表情で尋ねる。

その問いに綾は即座に答えた。

「もう出来てるよ」

作品の出来は分からない。

自分でも良作なのか、駄作なのかが判断できない。

しかし、ただ分かっていることはある。

いつもと違う。

それが言い方向にか悪い方向にかはやはり不明だ。

それでも、映画の脚本という特別な条件の下に書いたためか、いつもと違う手応えがあった。



綾自身、驚くべき早さで筆が進んだ。

といってもパソコン上のデータではあるが。

淳平から「脚本を書いてくれ」と言われてから、四六時中物語のことを考えていた。

暇さえあればパソコンと対峙し、推敲を繰り返す。

与えられたテーマ、万物流転。

どんな風に扱おうか、逆に考えればどんな風にでも扱える。

それが嬉しく、自分だけの世界を構成していった。



綾は印刷した原稿を渡しながら尋ねた。

「そういえば・・・テーマの万物流転って・・・」

「ああ・・・あれは・・・」

そう唸る淳平は、どこか返答に困っているようであった。

逡巡の末、なにかを決めたかのように答えた。

「5年経って戻ってきて・・・

 いろいろ変わったなあと思いながらもあんまり変わってなかったり・・・。

 そういうのってなんかこう・・・感動するなぁと思ってさ」

少し憂いげな表情だ。

綾はその言葉の中に、西野つかさの存在を感じる。

5年の変化の中で、彼女が一番衝撃的だったはずだ。

それが映画に関わってくるのかどうかは分からない。

それでも、万物流転というテーマが与えられた理由としては十分だった。



不意に外村が呟く。

「あれ・・・?もう10時じゃん・・・」

ただの独り言のようだったが、それを聞いた淳平は少し焦る。

「え?もう10時か・・・。

 やばいな〜唯に怒られる・・・。

 じゃあ東城、これ読ませてもらうから」

そう言って原稿をぱらぱらとめくると、帰る支度を始めた。

そそくさと玄関へ向かい小走りで出て行ったかと思うと、すぐに後ろ姿も見えなくなった。

見送った綾が部屋に戻ると外村が大の字で寝ている。

ふぅ、と溜め息をつく外村。

その行動が、らしくないように思えなんとなく聞いてみた。

「どうかしたの?」

軽い気持ちで聞いてみたはずだったが、しかし外村の表情は真剣である。

その迫力に戸惑いを覚えながらも、口を開くのを待つ。

すぐ近くのこずえも外村の様子に気付き、不安げに見つめている。

「どうかしたのはこっちの台詞だよ・・・」

外村の口から漏れたのはそんな言葉だった。

意味はすぐに理解できた。

「真中君・・・?」

「ああ・・・。

 あいつ変わりすぎだと思わないか?

 別に映画監督目指して頑張り続けるってのは高校時代から予想ついたけど、まさかあそこまで大きなことやってるとはなぁ。

 それになんか・・・たまにだけど険しい顔してるしさ・・・」

「険しい顔?」

綾はその表情を見たことがなかった。

同じくこずえも外村の顔をのぞき込む。

外村自身も、何か触れてはいけないことのような気がしてはいたが、それでもやはり気になり、相談するかのように話した。

たまに見せる悲しい表情、激しい表情。

昔の淳平にはなかったものである。

それらのことを話し、その状況も伝える。

初めて見たのは、帰ってきてすぐ。

1年前のことを話していたときだ。

日暮が死んだ際に電話をかけたつかさ。

しかし何故か出られなかった淳平。

その理由こそ言わなかったが、「出られなかったなぁ」と一言呟いたのを覚えている。

その表情と口調がしっかり記憶に残っている。

そして2回目。

淳平が映っているという映像を見せたときだ。

下山という人物とのやり取りが映っていて、真実の瞳という言葉、そしてその由来・・・。

あの映像を見せ、振り向くと淳平の表情は歪んでいた。




「2つとも昔のことに関係あるのかな・・・?」

そう言ったのは綾だ。

「まあそう考えるのが妥当だろうな・・・」

外村が答える。

しかしそれ以上の答えは出ない。

考えて分かることではない。

いつか淳平が口を開いてくれることを待つしかないのだ。

ただ、少しだけ感ずることはあった。

悲しい表情、激しい表情。

しかしその中でも、激しい表情は怒りから来ているわけではないように思えた。

どこか悔しがっているようにも見えた。

結局それが何を意味するかは分からなかったが。

一体真中のヤツになにがあったんだ?

その疑問は霞んで消えた。






















淳平が家にはいると、案の定唯に怒鳴られた。

「ちょっと淳平!今日は家でご飯食べるって言ってたじゃない!」

頬を膨らませて怒る。

別にかわいく見せようとやったわけではなく、素でその表情を見せるからこそ、唯は幼く見える。

ごめんごめんと平謝りをし、言い訳もしておく。

唯は納得したのか、まあいいやと言って夕飯を出してくれた。

「でも今から食べたら寝られなくなっちゃうんじゃない?」

「大丈夫だよ。寝るのは遅くなると思うから」

「ん?何で?」

「ほら。これ」

淳平が見せたのは綾からもらった原稿である。

何それ、と尋ねる唯に説明をし、原稿を渡しながら自分は食卓に着く。

唯は「新作?」と尋ねる。

淳平は口にものを含んでいたために答えられなかったが、唯は別に聞いた見ただけの様子であった。

綾の作品がまた脚本に使える。

そう思うと知らず知らずのうちに頬がゆるみ、微笑んでいる。

すかさず唯に「何ニヤニヤしてんの?」とツッコミをいれられたが、それでもこみ上げてくるうれしさは押さえがたいものだった。




自室に戻ると、早速渡された原稿の文字を追い始める。

それも結構な枚数だ。

100分程度の脚本という注文をつけたはずだったが、きっとそんなことは無視して書きたいように書いたのだろう。

もちろん、全く気にしていない。

綾らしいといえば綾らしいミスも、予想内のことだった。

逆に、ここからが監督の腕の見せ所というものでもある。

しかし、まずは脚本を読み物語を把握しなければならない。

少しずつ物語に入り込み、淳平の神経は鋭く研ぎ澄まされていった。




基本的に映画監督という職人は、本をよく読む。

読めば想像力もつくし、感受性や教養、様々なものが得られる。

だからといって全ての監督がそれに当てはまるわけではない。

素の才能、センス、それらをもって素直な映画を創るというやり方もある。

淳平はどちらかといえば後者に当たった。

昔から本を読むのは好きではなかった。

せいぜい漫画や雑誌程度で、小説といった類のものはほとんど読まない。

それは大人になってからも相変わらずで、師である栄蔵から速読の技術を学んではどうかという提案もあったが、どうせ使わないからという理由で断ったこともあった。

つまり、普段から本を読まないために読書のスピードはすこぶる遅い。

常人よりも遅く、それだけ疲れる。

精神的な面は持ち前の想像力と負けん気で何とかなるが、時間だけは刻一刻と過ぎゆく。

そこは何を持ってしてもカバーできないものであって、結局のところ多大な時間を要するわけだ。

だが、手に持ったずっしりと重たい原稿には、綾の一週間が詰まっているのである。

綾が一週間で『書いた』のならば、自分は一日ぐらいで『読み』終えなければ申し訳が立たない。

となれば、時間を作るには睡眠時間を削るという方法しか残らないのであった。














さっきまでやっていたテレビ番組も終わり、リビングにいた唯はそろそろ寝ようかとソファーから立ち上がった。

用を済まし、さて寝るかと言うときに淳平の部屋を通ると明かりが漏れてきていた。

淳平が自室にこもってからかれこれ3時間近くになる。

時計の針はすでに1時を回っていた。

そろそろ寝なさいと声をかけてやろうか。

そんな気持ちで淳平の部屋を開けてみる。

軽い気持ちで扉を開け中をのぞき込むが、そこにいたのは先日と同じ異常な集中力を見せる淳平であった。

一切の音を遮ったかのように、全く反応を見せない。

まるで心だけがどこかへトリップしているかのようにも見える。

声がかけづらかった。

無論、声をかけても反応しないだろうという予想もしていたが。

仕方なく扉を閉めてさっさと布団へはいる。

頭に浮かぶのは淳平のことだ。

一体どうしたんだろう。

昔はあんな集中力を見せることなんてなかったのに。

思い出を探ってみても、あの淳平は見当たらない。

一度だけ、夜中に起きたときに絵コンテを描いていた淳平を見た覚えがあった。

確かにあの時は集中していた。

ただ、それでも今回のそれとは違う気がしていた。

5年のうちに何があったんだろう。

こっちに来てから語ることの少なくなった淳平に、謎は深まるばかりであった。

それでも何も分からず、最後には考えるのも面倒くさくなってうつぶせになった。

もういいや、寝よう。

そう思ってから実際に眠りに落ちるまでは、まるで閃光のごときスピードだった。



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