『真実の瞳』−16.「継承」 - スタンダード 様
場から歓声が上がっていた。
「すごい脚本だな・・・」
「一流じゃないか?」
「普通に小説家としてもやっていけそうだな・・・」
そういって、脚本家、つまり綾のことを賞賛している。
その言葉は淳平にとってもうれしいものだった。
やっぱり、と心の中で呟く。
自分が今まで読んだ中で、最高の物語だと思っている。
それが他人に認められて、素直にうれしいのである。
と、そこでずっと黙り込んでいた下山が口を開いた。
「おまえらなぁ・・・監督は褒めねぇのかよ・・・」
その口調はどこか呆れ気味である。
もちろん、作品に呆れているわけではない。
その映像の中に秘められた淳平の才能に気付かない会員にである。
監督、という言葉に、また雑談に近い話し合いが始まる。
それでも、あまり淳平を褒める言葉は出てこない。
「・・・監督って言っても・・・これっていうすごいところは見つからないっていうか・・・」
そう答えた者は、どこか困っているようだった。
ここは淳平を褒めるところなのだろうが、本心でそう思ってしまったのである。
脚本の素晴らしさに霞んでしまっている、ということだ。
淳平も苦笑いを浮かべる。
またもや下山は呆れたように頭を抱えた。
「お前らなぁ・・・。
『脚本を目立たせること』はすごいことじゃないのか?」
その答えに、皆がお互いの顔を見合い、そして納得したように感嘆の声をもらす。
「そう・・・だ・・・・・・。
確かに、目立つ演出はないけど、それが脚本の邪魔をしていない」
まるで、なぞなぞの答えを教えられたかのように、なるほどと言う声が上がる。
昨今の映画は、無駄な演出が多い。
場に不釣り合いな盛り上げ方、異常な演出。
セットと金で映画を製造しているようなものだった。
しかし、高校生にそんなまねは出来ない。
セットを作るだけの技術や時間、人材もなければ、金銭的な面での制限も大きい。
そこで淳平の採った策が、演出の単純化である。
彼は、綾の才能を心から認めていた。
自分よりもずっと才能があって、素晴らしい作品を作っている。
その綾がわざわざ脚本を書いてくれているのだから、これを活かさない手はない。
そう思い、映画のメインを綾の脚本にしたのだ。
そして、映画の中身が安くならないように不自然な演出はさけ、より自然な演技を求めた。
つかさの熱演もあって『創られた映像』というイメージから随分離れ、『身近にある物語』へと近づいていった。
監督は主役じゃない。
そう考えていた。
そして、結果的にこの考えが、彼の運命をえいぞう会へと導いた。
「監督は主役じゃない」
下山が、みんなに聞こえるような声で言う。
監督は主役じゃない。
この言葉は、えいぞう会のスローガンでもあった。
淳平がえいぞう会にいるのは、たまたまその考えが一致したからである。
直々に上田栄蔵からスカウトされたことになる。
最初は大学で映像について学んでいた。
その時に教えてもらった先生が、たまたま栄蔵と知り合いであり、淳平のことを紹介したのである。
始めは冗談半分であった。
俺の生徒に随分熱意のあるヤツがいるんだ。
へぇ、面白いな。育てがいがありそうだ。
そんな会話である。
しかし、栄蔵と淳平が対面したとき、栄蔵が一方的に強く惚れ込んだのである。
その時も、この5年前の映画を見せた。
栄蔵は一瞬で淳平の才能を見抜き、そして淳平はえいぞう会へと入った。
淳平も、「監督は主役じゃない」という考えに共感し、喜んで受け入れた。
室内の声は、完全に淳平を賞賛したものとなった。
改めて淳平の才能を見直し、真実の瞳の力を見せつけられた。
しかし、室内に『真実の瞳』という言葉を漏らすものはいない。
それでも、皆理解した。
栄蔵の愛弟子である理由が。
タイミングを見計らって、下山が一言呟く。
「平野さん、どうですか?真中の自己紹介は?」
そう。
この映画は自己紹介なのだ。
平野の策略であったはずだ。
しかし、今となっては何の利益も持っていなかった。
新入りの若造を陥れる予定が、逆にその才能を見せつけられた。
皮肉を言う立場だってはずが、いつの間にか皮肉を言われている。
「・・・・・・」
平野は何も言い返せなかった。
周りの人間はすごいすごいと騒いでいる。
その様子に腹を立て、苦し紛れのように淳平を挑発した。
「まあ本当に真中君が撮ったか分からんがね」
完全な侮辱であった。
その悪あがきとしか思えない言葉に一人が反論する。
「そんな・・・あんた自分が真中に敵わないと思ったからって」
しかし、そこまで言うと、下山に遮られた。
なんで・・・、そう言い返したく不服の表情を見せるが、下山には何も言わせない無言の迫力があった。
「平野さん・・・残念ですけど、あなたにはえいぞう会から出て行ってもらいます」
その言葉に全員が固まる。
数秒後、発言の意味に気付いた平野が反論する。
「な・・・ふざけるな!お前に何の権限があってそんなことを言う!?
そんなことが許されるのは栄蔵だけだ!」
しかし、下山は全く動じない。
余裕を持った表情で平野の話を聞き、周囲の騒ぎを静める。
その後、下山は急に鞄を探り始めると、一枚の紙を取り出した。
不振な動作に平野を含めた室内の者全てが注目し、部屋は沈黙に支配された。
気まずさに一つ咳払いをする下山。
そして、紙に書かれた内容を声に出して読み始めた。
「退会令書。
何らかの理由で会員に問題があった場合、当事者を除く会員全員の賛成があればそれを強制的に退会させてよい」
達筆で書かれたそれには、最後に上田栄蔵と署名入りであった。
どうです?
そんな表情で平野を見つめる下山。
みるみるうちに平野の頬が紅潮し、荒い鼻息が聞こえてくる。
やがてぷるぷると震えだしたかと思えば、くそっ、と苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「な・・・なんでそんなものを・・・
栄蔵は今・・・」
「栄さんからもらっといたんですよ。
あなたの横暴が目立つから。
まあもらっといたというよりも渡されたに近いですけど。
ということで、決を採ります」
下山は令書を静かに置くと、姿勢を正し声色を変えて言った。
「えいぞう会から平野喜介氏を退会させることに賛成の者、手を挙げてください」
一斉に動くそれぞれの手。
皆が皆思った。
間違いなく平野は退会させられるだろうと。
それぞれ辺りを見回し、他の人の反応を確かめる。
手が挙がっているのを見ては、やっぱりな、と心の中で呟く。
しかし、そんなたくさんの視線はある場所において止まっている。
淳平だった。
「真中・・・?」
淳平は何も言わずに、ただ平野をじっと眺めている。
下山も平野自身も、その視線に気付き、淳平の次の言葉を待つ。
「別に・・・退会してほしいわけじゃないんです」
今までの話と繋がらない文節。
その話し方はまるで独り言を呟くようで、違和感を感じさせた。
淳平は続ける。
「平野さんは、映画を作っているわけでもないから、えいぞう会に属していても金銭的な損失はないでしょう。
それにえいぞう会の本来の目的はお互いの向上にあるのだから、経験の豊富さで言えば役に立ちます。
なにが問題かって言うと、その権力です。
だから、権力を最低にするって言う条件とかを付ければ・・・」
淳平は平野の長所を始めに述べた。
しかし、それは褒めているわけではもちろんない。
それだけしか脳がないように皮肉った。
何も言わず、ただじっと耐えてきた淳平であるが、実際のところ、平野についてはかなり頭に来ている。
そうはいっても、ただ単に辞められたんでは仕返しもできないし、こちらにとって利点がない。
そもそも相手にダメージがない。
だからである。
0よりも-1をとったのだ。
平野の答えは予想がついていた。
プライドが高く、特に世間に対しては以上でもある。
だから、外ヅラをよくするためにもえいぞう会には属していたいと思うはずだ。
「仕方がない・・・」
絞り出すように放ったその言葉には、すでに権威などなかった。
「退会させなかったこと・・・後悔するなよ・・・」
平野は捨て台詞を残し、逃げるように退室した。
一つの嵐が過ぎ去った部屋には安堵の声が漏れる。
今度は本格的に淳平の作品について考察が行われている。
自分達が創った作品をどうこう言われるのは恥ずかしくもあったが、みんなが熱心でいてくれてうれしかった。
やがて下山がタイミングを見計らったかのように立ち上がり、
「さて、高校生ながらこんなに素晴らしい作品を創ってくれた真中君でございますが」
と口を開く。
「修行を積んだ今の彼が、どこまで出来るか見たくありませんか?」
それはすでに問いですらなかった。
完全にその雰囲気である。
いきなりの出来事に淳平自身は戸惑い気味であったが。
「え・・・でも俺なんかが創っていいんですか?
その・・・まだ下山さんも監督やったことないのに・・・」
「いいんだよ。
俺は栄さんの下働きがてら、完全自作映画を作ったんだぜ?
発表してないだけだ」
下山はそう言って笑った。
淳平にはなんとなく分かっていた。
それが嘘であることを。
しかし、それほどまでして自分に映画を作らせてくれる下山の思いと、周囲の期待・好奇の目から、映画制作を決定した。
「じゃ・・・じゃあ・・・やらせてください」
その言葉に、スタンディングオベーションのように総立ちで歓声が送られる。
自分が映画を作る。
しっかりとした技術とスタッフを用意されて。
どこまで出来るか分からない。
でもとにかく・・・
頑張ろう。
何かが動き始めている気がする。
あるいは西野も・・・。
様々の思いが頭を駆けめぐり、気持ちが次第に高まってくる。
映画を作ろう。
最後にただそう思った。
公的な会議が終わり、ビルの外で雑談をしているのは淳平と下山である。
さっきまでは平野のことについて話していた。
あんなんでよかったのか?
あんなんでいいんですよ。
結局退会こそしなかったものの、ぎゃふんと言わせた、という感じである。
上機嫌ゆえに、まあいいかという気持ちにもなれた。
「それにしてもお前結構古くさい取り方するんだな」
「そうですかね。
でも、高校生じゃお金もないから大したこと出来ないんですよ。
だから逆に50年代とか60年代の作品みたいな取り方が生きるかなと思って」
「なるほどな・・・。
あの時代はハンパなく面白いのがあるからな」
そうは言いながらも内心では別のことを考えていた。
こいつが現代の取り方をしたらどうなるんだろう。
そこから話は脇道へそれる。
「そういえばさ・・・さっきのあれの主演の女の子・・・誰なんだよ・・・?」
下心見え見えの表情でそう尋ねる下山。
鼻の下がのびている。
淳平は一瞬呆れるが、自分も同じようなものかと思い直す。
「彼女は・・・」
彼女は何だ?
今は恋人でもない。
昔の恋人。
昔って?
いつからいつまで?
様々な想い出が蘇る。
最初に思い出されるのは、あの痛い別れ。
その次に、桜海学園での痛い思い出。
さらには修学旅行、保健室、止めどなく湧き上がる。
それらを一言で表すのは何だろうと考えてみたが思い当たらない。
どんな言葉で言えばいいんだろう。
「たすき・・・」
「は・・・?たすき・・・?
たすきってあのリレーとか駅伝で使うたすきか?」
「そう・・・です」
「なんだそりゃ?
女の子がたすきってどういうレースだよ?」
西野はたすき。
一人のパティシエから受け継いだたすき。
前の走者は転んでしまった。
俺はそのハンデを抱えている。
敵はどこを走っているんだろうか。
見回してもどこにもいない。
そもそも相手なんていないのだから。
現実というトラックを走る、俺と西野。
敵なんていない。
ただ転ばずに、しっかりとたすきを持っていればいいんだ。
「おい?」
下山に問われて我に返る。
どんなレース?
「人を・・・幸せにするレース・・・かな」
無意識にそう呟いていた。
下山は一瞬戸惑っていたが、にっこりと微笑んで言った。
「得意種目じゃねーか。
映画とは人を幸せにするためにこそあるってな」
その言葉に淳平が反応する。
下山の笑顔につられて微笑む。
「どこぞやのへんぴな映画ジジイの言葉ですね」
「いーや。日本を代表する偉大な映画監督の言葉だよ」
二人はお互いを見合ってもう一度笑った。
落ち着くと、下山がもう一度尋ねる。
「で、あの子は誰なんだよ。
お前は詩人じゃねーだろ。
もうちょい分かりやすく言え」
そうは言ってもいろいろあって言い表せないんだよなぁ・・・
そんなことを心の中で呟いているうちと、不意にぴったりの言葉が見つかった気がした。
「う〜ん・・・・・・あ・・・
俺の好きな人です」
ずっとずっと。
その恥ずかしい台詞は続けなかったが、本心である。
いろんなことがあったけどずっとずっと君のことが好き
そんな言葉も思い出される。
淳平の素直な言葉に下山は呆気にとられるが、取り直して一言。
「おまえらしいよ」
そうですか?と軽い相づちをうって笑う。
やがて淳平と下山は歩き始めた。
その姿は段々離れていき、ついには二人とも見えなくなった。
ゴールが見えてきた。
そろそろラストスパートをかけなきゃ。
この絆を握りしめて。
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