『真実の瞳』−15.「二天」 - スタンダード 様
結局淳平は、映画を作ろうとしなかった。
前回のえいぞう会が終わって以来、全く、である。
平野から与えられた1週間の期限は、ほとんどが綾の作品を読むことに当てられた。
聞いた話によれば、人気があるわけでもなく、そんなに売れてない、ということだ。
それでも3冊出ていたのが、小説家として暮らしてきたという証明だった。
それらをまとめて買い込み、部屋にこもって読み続けた。
全て長編で、手にずっしりと重たいそれは、綾が創り出した、彼女にしか創れない物である。
そのうちの2つに帯がついていて、一つはデビュー作であった。
『文芸星屑審査員特別賞受賞作家が描く、甘く切ない恋愛・・・』
『衝撃のデビュー作から2年、東城綾の新しい未来!』
当然帯に書かれた評価だけでは内容は分からない。
そもそも、人に買わせるために書くのであって、悪いことは書くはずがないのだ。
ふと唯は立ち上がった。
淳平の部屋がやけに静かだからだ。
足音すら聞こえない。
寝たのだろうかとも思ったが、「寝過ぎた〜」と唸っていたはずだ。
それに、もう6時間近く無音なのだ。
昼食を食べてから、ずっとこもりっぱなしであった。
さすがに異変を感じ様子を見に行く唯。
コンコンと二回ノックをし、恐る恐る扉を開ける。
「淳平?」
返事はない。
わずかに隙間を作り部屋の中を覗いてみる。
だが、淳平の姿は見えない。
もう少し開き、その隙間を広げてみた。
すると、淳平の足が見えた。
なんだいるじゃん。
心の中でそう思い、完全に扉を開く。
「何してんの?随分静かだったけど・・・?」
唯はそう尋ねながら淳平を見た。
もっとも、その答えを待つまでもなく、何をしているかの答えは出た。
ただ本を読んでいるだけである。
しかし、淳平は返事をしない。
無視されたと思い、もう一度話しかける唯。
が、やはり返さない。
こんなに近くにいるのだから聞こえてないはずがない。
その思うと急に腹立たしくなり、淳平に近づいて思いっきり叫んだ。
「淳平!無視すんな!アホ!」
「うわっ!」
耳元で叫ばれた淳平は驚きと戸惑いで飛び上がった。
その際に、ベッドにすねを打ち付け、もがき苦しんでいる。
「いて〜・・・何すんだよ!」
いきなりの行動に、怒り睨み付ける。
ゴゴゴ・・・という擬音が聞こえてきそうな程であった。
しかし、その言葉に唯こそが反論をしたくなる。
何って、淳平が無視したからじゃない。
そう言おうと思ったのであるが、淳平の、何で叫ばれたか本当に分からない、という顔を見たら引っ込んでしまった。
当たり障りのない言葉に置き換え、求められた説明をしてやる。
「あたし・・・何度も呼んだんだけど・・・」
しかし、淳平はきょとんとするばかりであった。
つまり呼ばれたことに気付いていなかったのだ。
あまりの集中力故に。
本の世界に入り込む、その表現が一番正しいようで、それでもしっくり来ない。
まばたきすら忘れたように、羅列した文字を一つ一つ追う。
その作業を、延々6時間。
休憩すらしていなかった。
唯はその想像できない集中力に驚き、唖然とした。
その後、本の表紙に気付き、声を上げる。
「ん?東城さんの本?」
「ああ・・・」
淳平はそっけない返事をする。
というのも、唯がこの本をすでに読んでいることが容易に想像できたからである。
「どう思った?」
「え?」
「この本の感想」
不意に尋ねられて舌が回らない。
その問いが突然だったからだけではない。
淳平の真剣なまなざしに秘められた思いを感じたからである。
なんだか誤魔化したことを言うのが躊躇われ、思ったことをそのままに話した。
「う・・・ん・・・なんていうか・・・
普通・・・かな・・・。
面白くない訳じゃないけど・・・面白くもないというか・・・
あっでもあたし本なんて全然読まないから・・・よくわかんないけど・・・」
自分の意見を言いながらも、綾をフォローする唯。
しかし淳平は気にせず、だよなぁ、と呟くだけだった。
「淳平はどう思うの?」
「俺?まあ唯と同じだよ。
普通・・・かな」
「で・・・でも東城さんはきっともっとすごいんだよ!
だって審査員特別賞ってやつ取るぐらいなんだから・・・!」
そう必死になる唯を淳平は優しく鎮め、
「大丈夫。俺が一番分かってる」と笑った。
淳平は、俺が東城の一番の読者なんだ、という強い自負の念があった。
それだけに、綾の作品を真剣に読み込み、なるべく私的な考えを除いて、一つの作品として評価した。
そして、その結果が『普通』なのだ。
おそらく、自分の評価は間違いではない。
好みはあるだろうが、でも一般的な意見だと思う。
淳平も、映画の仕事に就くに当たって、たくさんの脚本家に出会った。
驚くべき才能を持っていると直感した者、練り込まれたストーリーに努力を感じた者・・・。
それでも、全てこう思っていた。
東城には敵わないな、と。
それも、あの脚本ゆえだった。
「普通の人が書いた脚本でコンクール優勝なんて出来ると思うか?」
淳平は唯に言った。
『第18回高校生金の鷲映像コンクール優勝』
その肩書きは、ダテじゃない。
巧みな心理描写に、あっと驚くクライマックス。
悲しみの中に瞬く一縷の希望。
それらを描いたあの作品を越えるものに、淳平はまだ出会っていない。
あれが、綾の本当の力・・・開花した才能だと思っている。
「だよね!あたしその映画見てないけどすごかったんでしょ?」
「まあな。正直天才だなと思った。」
淳平はあっけなくそう言った。
審査員特別賞を取ったという作品は一度読ませてもらった覚えがある。
軽くではあったが、その内容も覚えていた。
あの時は、確かにすごいと思った。
同じ高校生で、こんな話が創れるんだなと。
しかし、今思い返すとどうだろうか。
コンクールの脚本とはレベルが違う気がする。
今の作品と同じ程度であるような印象がある。
審査員特別賞を取れたのは、まわりのレベルが低かったからではないか。
審査員特別賞止まりだったのは、そのせいではないか。
つまり、綾の作品に成長が見られなかったのだ。
コンクール優勝作品から程度が落ちてしまった。
もちろん、その脚本が良すぎたのもあるが。
もしかしたら、他のいかなる作品も敵わないかもしれない。
そう思い、今まで読んだ本を思い返してみると、一つだけ思い当たるフシがあった。
石の巨人。
未だ終わりを知らぬあの作品・・・。
あれのみが、唯一越えられそうな気がした。
綾はスランプに陥っているわけではない。
だからじっと待っていても、時間解決してくれない。
しかし、淳平は心配もしないし、焦ってもいなかった。
何が原因か分かっているのだ。
それが真実の瞳に依るところなのかは分からない。
一週間。
その期限の間、綾の作品を読み終われば特にすることはなかった。
一度親に、「あんた仕事あるんでしょうね」と聞かれたが、札束をチラリと見せたら笑って一枚取られてしまった。
それからは何も言ってこない。
なんだかんだ言って親は自分のことを心配していてくれた。
それが妙にうれしくて、だがいつものことを思い出すとそのうれしさも半減した。
その後は、綾の家に行って脚本のすすみ具合を聞いたり、外村の家にておのろけ話を聞かされたり。
そしてつかさの家にも顔を出した。
今度こそ門前払いだった。
つかさとの溝がさらに深まったような気がして、なんとも居たたまれない気持ちになった。
それでも、今はまだその時ではないとかたくなに信じ、自分を言い聞かせた。
つかさとの関係はきっと何とかなる。
今あまり気を取られていては、足下をすくわれかねない。
結果的に一週間、自由な時間が与えられたことになったが、あまりハメを外しすぎてもいけない。
自分をコントロールしなければいけない時期だった。
そして、一週間は瞬く間に過ぎた。
ふたたびえいぞう会の日がやってきた。
平野に会うと思うと、それだけで朝起きるのが辛くなったが、なんとか食パンを飲み込んだ。
いつも通りの私服を身につけ、ノートパソコンだけを持って少し早めに家を出た。
これから始める作戦に、ちょっとした気分の高揚を覚え、それが心地よかった。
前回と同じビルの、違う部屋が会合の場所であった。
受付嬢に場所を聞き、勇み足で向かう。
予定時間よりも30分早かったが、映画関係者は集合が早いし、一番若い自分が遅く行くのも悪いと思いすぐに部屋へと向かった。
扉を開けると、案の定半数近くの人はすでに着席していた。
少し大きめの部屋だ。
中央にスクリーンがある。
これから自分の映画がそこに放映される。
そう思うだけで、気持ちが落ち着くことはなかった。
次第に部屋は人で埋まり始めた。
ほとんどの人間が席に着き、準備が整っていた。
空席は2つ。
部屋の中の誰もが、その席の主に気付いていた。
一つは・・・
「セーーフ!!!」
と駆け込んだ下山である。
この人はいつも時間ぎりぎり(基本的に3分アウト)にやってくる。
人となりのおかげで、憎まれることもなく笑い事ですむ。
おう、今日はたった一分の遅刻か。
あれ?生きてたんだ?
そんな冗談である。
今日もいきなりのセーフ発言に、まわりが「アウトだ!」と口をそろえて批判をしている。
しかしもう一人はそうはいかない。
ドアがギィッと音を立て、一人の男がのっそりと入ってくる。
平野である。
室内の全員の目が平野へと向かう。
さっきまでのほのぼのとした雰囲気が、一瞬で凍り付いた。
中には敵愾心むき出しのものもいる。
その状況を汲み取り、下山が話の進行を始める。
前回のあらすじのようなことを話し、淳平に本当に大丈夫かと尋ねる。
淳平は黙ってコクリと頷き立ち上がった。
ノートパソコンと映写機を接続し、放映準備を整える。
少し経って、いいですよ、と下山に声をかける。
「よし、レッツゴーだ。」
下山がそういうと、スクリーンに映像が映し出された。
それはどこか、古さを感じさせる映像だった。
それもそのはず、5年前のものなのだから。
金の鷲映像コンクール優勝作品。
つかさ最後の主演作品。
綾の最高傑作。
そして・・・
真実の瞳、開眼の瞬間・・・・・・
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