『真実の瞳』−12.「信頼」 - スタンダード 様
社会の汚さとはこういうことを言うんだろうか。
淳平はそんなことを考えていた。
平野のあの下卑た笑いが鮮明に甦る。
結局あの男は権力がほしいだけだ。
実際のところ、信用の伴わない権力など無意味に等しいのであるが、それでもあのような人間がえいぞう会に入り込んでいることが腹立たしい。
恥さらしである。
ふと顔を上げるといつの間にか家の近くまで来ていた。
つい我を忘れて考え込んでいたらしい。
嫌な気分が尾を引きながらも、振り切るように玄関を開けた。
直後、ドタドタと足音が聞こえてくる。
唯だ。
こっちへきてからというものの、毎回毎回唯が迎えてくれている気がする。
暇人めと思いながらも、悪い気分はしていなかった。
しかし、自分で言ったただいまという声が刺々しくなってしまったこともわかっていた。
もちろん唯へ当てつけてどうにかなる訳でもないのだが、コントロールできない状況だった。
お帰り、と笑顔で現れた唯はすぐに異変に気づいた。
「なんかあったの?」と明るく聞き返す。
淳平は、さすが唯、とは思いつつも、だが答えようとはしない。
話してこの怒りが伝わるかといったら、少し無理がある。
それにこんな個人的な怒りをぶつけたところで唯に迷惑がかかるだけだ。
そう思うと、話す気になんてならなかった。
一週間で映画を作れなど無理な注文だ。
間に合わせようとして、適当に脚本をたて、適当に撮影し、適当に編集する。
そんな心のこもっていない映画のどこがおもしろいか、
結局駄作となり、「この程度か」と思われてしまう。
と、そこまで考えて気づいた。
平野はそれが狙いなんだ。
若くして『真実の瞳』という異名までを得た自分の名声が。
だから自分に映画を作らせ、「この程度か」とあしらいたいのだ。
そう思うと、わざわざ平野なんかのために考え込むことすら馬鹿らしくなってくる。
不意に黙り込んだ淳平に対し、唯が再度尋ねる。
「何があったのさ〜
言わなきゃわかんないでしょ」
それでもやはり淳平は口を開かなかった。
そもそも何をどう話していいかわからなかった。
「ちょっとほっといてくれ」
そう言うしかなかった。
そして直後、自分がたった今放った台詞に後悔した。
すぐ目の前にいる、幼なじみの瞳も淀んだのがわかった。
自分がとんでもないことを言ってしまったような気になる。
実際、心配してくれる唯を突き放したのだ。
謝ろうと思い、だが切り出せない。
一瞬の沈黙が訪れ、空気が重たくなる。
その空気を断ち切るように、先に唯が口を開いた。
「な〜にがほっといてくれ、よ。
ほらほら〜お姉さんに話してみな〜」
淳平の声を真似る仕草をし、その後淳平の首を抱え込む。
「ねぇねぇ〜あたしが胸を貸してあげるからさ〜」
そう言いながらぐいぐい押しつけられる胸の感触に、淳平は頬を染めながら脱出した。
「ばっか!今のお前がそういうと冗談じゃすまないだろ!」
「なによそれ〜」
「何でもないわ!」
訳のわからない言い合いをしながら淳平は部屋へと駆け込んだ。
一瞬・・・唯の目が揺れたあの瞬間、焦った。
たぶん唯は傷ついただろう。
避けられている、嫌われている、煙たがられている、そんな感情だ。
が、唯の次の行動が予想とは違った。
いや、ただ唯の性格を忘れていただけかもしれない。
確かにこういうやつだった。
次第に唯の行動パターンというものが思い出された。
そして、これまでの付き合いと思い出から、自分のなすべき行動も導き出されていった。
元気になるということだった。
彼女が望むことは、自分が謝ることではなく、ちょっとした悪態をつくことだろう。
なんとも自分勝手な解釈ではあるが、概ね間違いではなかった。
唯は、謝って湿っぽくなるのは望まない。
お互い悪口を言い合えるぐらいが、居心地のいい環境だった。
だから、そう行動した。
部屋に駆け込む淳平を見ながら、唯は小さく「ば〜か」と呟いた。
「さ〜って今日の夕飯は〜」
この発言を聞くとまるでおばさんだ。
が、彼女の笑った去り顔は、23歳のそれだった。
部屋で淳平はうずくまっていた。
パソコンは何の意味もなく稼働している。
どうしよう・・・
それが本音だった。
映画制作を見込み、綾に脚本を頼んではあった。
仲のいいスタッフと、今度撮るときは頼むぞ、なんてことも話していた。
それが・・・すべて無駄に終わろうとしているのか。
そう考えればやるせなくなった。
一体どうすればいいのか。
平野は自分が駄作を作ることを期待している。
その期待に応えていては意味がない。
そもそも向こうの無茶な要求に応えていては、それこそストレート待ちのスラッガーにど真ん中のストレートを投げるようなものだ。
だったらどうするか。
変化球で攻めるしかない。
平野の裏をかいて、一泡吹かせてやろう。
しかし方法は?
答えに対し、また問いが現れ、結局解決せずに悩み込んでいるうちに唯に呼ばれた。
コーヒーをいれてくれたらしい。
下に降りていくと確かにいれたてのコーヒーはあった。
その気遣いがうれしかったが、だからといって気分が晴れるわけでもなく、自分でも気付かぬうちにうつむいていた。
それを見て唯が尋ねる。
「ね〜やっぱり今日の淳平変だよ〜
何があったのさ〜」
しかし淳平は答えない。
もう一度唯は同じように尋ねるが、大したことじゃないと言うばかりである。
その煮え切らない態度に、唯の我慢は限界に達した。
「もういい加減にしなさい!」
急にそう叫んだ唯を、淳平はただ呆然と見ているしかなかった。
「昔っから淳平は一人じゃ何にもできなかったでしょ!
いっつもいっつも唯が助けてあげたの覚えてないの!?」
突然の話に戸惑いながらも、少なからず過去を思い出した。
取られたゲームを取り返してくれたり、お姉さん気取りでお遣いにつれてかれたり。
よく考えればずいぶん甘えた少年時代だったと思う。
だけど、そのことと今にどんな関係がある。
そう思って顔を上げたときに目に飛び込んできたのは、必死に涙をこらえる唯の姿だった。
予期せぬ事態に淳平は固まる。
すぐ後に、雫は頬を流れ床へ音を立て落ちた。
「な・・・なんでお前が泣くんだよ」
「だって・・・だって淳平こっちに来てからなんにも話してくれないんだもん!
なんとなく元気ないし・・・口数だって減ったし!
おじさんもおばさんも気にしてるんだよ!
でも淳平が話したくないんならって・・・
何で話してくれないの!?
もっと頼ってよ・・・。
どうせ淳平のことだから、話しても迷惑をかけるだけだとか考えてるんでしょ!?
でもあたしたちは話してほしいんだよ!?
迷惑だとか迷惑じゃないとか・・・そんなのあたしたちが決めることでしょ!?
なんで淳平は話す前から勝手に決めつけちゃうの!?」
いつしか涙を流していることすら忘れたように、必死に訴えかける唯。
その正論に、淳平は返す言葉を見つけられなかった。
「話してくれないと・・・不安になるじゃない・・・」
急にそれまでとはうってかわった、語気の激しさもなくなり、涙にかすれるような声が聞こえた。
「嫌われてるのかなとか・・・頼りないのかなとか・・・
あたしってもしかして役立たずなのかなって・・・」
しっかりと目を見開きこちらを見つめる唯。
その瞳の真っ直ぐさに、話さず曖昧にごまかしていた自分が急に恥ずかしく感じられた。
「わかった・・・から・・・もう泣くな・・・」
ようやく答えたその言葉に唯は、何で?と聞き返したが、淳平は「泣かれるとズキズキ俺に刺さるんだよ」とごまかすように背いた。
約5分の沈黙が続き、その間二人はお互いの表情をチラチラと伺いながらコーヒーを飲んでいた。
家には他に誰もいない。
当然なんの物音もない。
ちょうど二人ともがコーヒーカップを置いた時、待っていたように唯が大きな溜め息をついた。
「なんだよ・・・」と淳平。
「なんだよ、はないでしょ」
「ん・・・まあ・・・そうだけど・・・」
特に意味のない主張をしあい、それはその歪んだ雰囲気を戻すような行為であった。
また短い沈黙を迎え、その後唯が口を開いた。
「何であたしは泣いたんだろうか・・・」
まるで自問するような口調にたじろぎながらも、淳平は次の言葉を待ち再度コーヒーをすすった。
「いやまあ淳平が頼ってくれないからなんだけどさ」
自問に自答する、というように、淳平に話をさせないような間の置き方で、淳平自身発言するタイミングを失ったようだった。
また沈黙が訪れ、ただカップとスプーンのふれる音だけが響いていた。
淳平は唯が続きを語るのを待っていたが、なかなか切り出そうとしない。
誤解を解く意味もかねて、淳平は言いにくそうに口を開いた。
「別に頼りにしてない訳じゃない。
けど・・・まあ自分自身のことだからさ・・・
俺が解決しなきゃいけないんだよ」
そこまで言うと淳平は立ち上がり、腕を上げたポーズをし、
「いわば俺に与えられた試練なのさ」
と、キザに言ってみた。
もちろん冗談半分で、この張りつめた空気をどうにかしたかったのだが、唯は俯いたままで反応しない。
淳平はいたたまれぬ気持ちになり、仕方なく座り直して続きを話した。
「とにかく頼りにしてない訳じゃない。
言っておくけど、唯は本当に頼りにしてるから。
ある意味俺の一番の理解者かもしれないしさ。
だから苦しい時は頼ると思うよ。
だけどさ、頼ってばっかじゃだめだろ?
そりゃできる限りのことは自分でしなきゃ。
だから、今回のことは大丈夫だよ。
不安にさせたのは悪かったけど、大丈夫だからさ」
すべて本心であった。
唯は頼りにしている。
今回のことは自分自身の問題。
ただ解決法がわからなかっただけ。
だから心配しないでくれ。
物分かりのいい唯はすぐに納得してくれた。
なにせ淳平の一番の理解者なのであるから。
「まあ・・・どうせそんなところだと思ってたけどね・・・。
昔っから変わってないね。
まあそのせいでかわいい彼女を逃がしてしまったわけですが。
そもそもね、人のことを第一に考えながら、それでいて自分勝手に行動してるんだよ、淳平は。
解釈が淳平の視点だからいけないんだよね。
楽しいとか、好きとか、迷惑ってのはシュカンテキなものなんだからさ。
そういうことも含めて考えなきゃ」
少し得意げに話した唯。
その誠意に誠意で応じるかのように聞き入る淳平。
なんだかんだ言って、唯はちゃんと自分のことを見ていて、心配してくれていると再確認した。
と、その時。
淳平はふと微笑むのも相づちをうつのも止めた。
気持ちよさそうに話していた唯も気づき、怪訝な表情をする。
「・・・だ」
微かに聞こえた音に、唯がさらに顔を歪める。
「あたしに怒られてショック受けちゃった?」
そう冗談を言ってみるが反応しない。
手を目元に持っていき振ってみる唯。
すると急に淳平がそうだよ!と叫んだ。
いきなりの大声にあわててよろめく。
が、淳平は気にも止めず歓喜し、自分に向かって言い聞かせるように言葉をつないでいた。
「そうだよ、あいつが権力を目当てにやってるのに、こっちがわざわざ権力賭けてたら意味ないんだよな。
あいつが『大人の汚さ』で勝負してくるんだったら・・・」
そこまで言うと、淳平はまた自室へと走り込んでいった。
一連の行動をあっけからんと眺める唯。
少したって自分が置き去りされたことに気付き、ちょっと待ちなさいと声をかけるも、淳平はすでに部屋に収まっていた。
「こらー!あたしの話と関係ないところで納得するなー!」
そう叫んでみても返事がない。
シーンと家が静まりかえるのが肌に感じられた。
急につまらなくなり、あほうめ・・・と呟きながら、唯はキッチンへと戻っていった。
飲みかけのコーヒーを口に含み、テレビの電源をつけると一つくしゃみをした。
そばにあったティッシュで鼻をかむ。
そして一言呟いた。
「いかんいかん・・・花粉症の時期にコンタクトはきついな・・・
涙が止まんないよう・・・」
陽気と夕焼けの光線が混じりあう鮮やかな世界。
淳平の『大人の汚さ』という言葉が少し気になりながらも、今そこに見える世界の美しさを認める唯であった。
また一つ、くしゃみの音がこだました。
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