『真実の瞳』−11.「予兆」 - スタンダード 様
立ち並ぶ高層ビル群。
その中の一つが淳平の目的地である。
昨日受け取った手紙の住所と、携帯からアクセスした地図で場所を確かめる。
なんとか目的のビルを見つけ出し、回転式のドアをくぐった。
綺麗なビルだった。
まだ建てられて新しいのか、汚れている部分は見あたらなかったし、デザインもシンプルで清楚なものだ。
受付でえいぞう会の名前を出すと、場所と順路を教えてくれた。
エレベータに乗り、階を上へと進む。
その間、淳平の鼓動の激しさが収まることはなかった。
実際に淳平がえいぞう会の一員として会に出席することは初めてだった。
もちろん中には見知った相手もいる。
というよりもほぼ全員と面識がある。
そもそもえいぞう会に入るということは、えいぞう会のメンバーからの許可投票をくぐらなければならない。
参加には賛成が半数以上、つまり必然的に半分以上の人間と知り合いであるわけだ。
が、淳平は半数以上知り合いがいることには変わりがないのだが、許可投票を経たわけではなかった。
会員、その中でも権威のある人間の強い推薦によって入ることもある。
淳平はその一人だったのである。
気さくな性格で信用を集め、情熱が期待を呼び、若さが可能性を見せる。
それらが入会の理由だった。
気が付くと指定された部屋の前に立っていた。
扉を開ければ見慣れた面子がいることは分かっている。
それでも何故か緊張している自分がおかしく、武者震いともつかないように体を震わせていた。
やっと思い切って扉に手をかけたのは思案の後だった。
「失礼します」
そう言って入室する淳平。
案の定、そこには見慣れた顔が集まっていた。
「おっ来たか」
そう言ったのは、淳平の大学における先輩であり、また映画監督としても尊敬している人物、下山健二だった。
いや、実際には下山は監督として作品を撮ったことはない。
それでも淳平は映画関係者として、また助監督としてやってきたその人を尊敬していた。
気むずかしい人ではあるのかもしれない。
しかし考え方を変えれば江戸っ子とでもいうように、自分の信念に基づいて行動しているだろう。
向こうが自分のことをどう思っているかは定かではないが、かわいがってもらっているように思う。
まるで子分のように、雑用などをやらされてはいるが、仲のいい親分子分ということで居心地はよかった。
そのように、下山が話しかけたことで淳平の緊張や焦りは消えようとしていた。
他のメンバーも、おっ真中か、といった反応を見せ、軽く手を挙げたりもしていた。
淳平がそれらのにこやかな反応に同じように手を挙げ返そうとしたときだった。
和んだ雰囲気をじっとりとした低い声が遮る。
その部屋の中にいる全ての視線が声の元へと注がれる。
その先にスーツ姿の男が一人、静かに座っていた。
その男は、完全に異質な存在だった。
会員は私服。
その自由なルール故に、ジーンズやジャージなど、様々な服装が見られる。
当然、スーツ姿で来るものなどその男を除いていない。
もちろん私服なのだから、スーツで来るな、という制限があるわけではないので問題はない。
しかしそれでも、完全に場違いとも言える格好だった。
「君が真実の瞳か…」
男の口がゆっくりと開いた。
淳平は目を見開き、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
拳には知らずの内に力が入り、震えるまで握りしめている。
「ふ……
初めまして。
私は平野喜介だ。
以後よろしく」
手を組み、気味の悪い笑みを浮かべる平野。
その男に淳平は激しい嫌悪感と苛立ちを覚えた。
「はい。よろしく…お願いします」
今は何も言えるはずがない。
ただそれだけの社交辞令とも言えるあいさつを済まし、下山に促された席へと腰掛けた。
自分の胸の内で、激しい、憎悪に近いものが渦を巻いていた。
真実の瞳…
その言葉を軽はずみに口にして欲しくなかった。
淳平はこの男を知っていた。
噂と言うには確実で有名すぎるほど、この男の話は耳へと入り込んだ。
とにかく嫌なやつ、そう聞くことも少なくはなかった。
性格が悪いというよりも、寄せ付けぬ暗い雰囲気がまとわりついているのだ。
中には金の亡者だというものもいた。
えいぞう会には当然、許可選挙によって入ったわけではない。
平野はたまたま会長である上田栄蔵と認識があった。
若い頃、同じ制作会社で働いた。
その後二人は別々の道を歩いたのであるが、ある時急に平野が栄蔵に向かって、助けてとしがみついてきたそうだ。
話を聞いてみると、所属していた制作会社が倒産状態に陥ったのだという。
人のよい栄蔵は断れず、同期のよしみもあってか、上司へ頼み込み編入させてもらったそうだ。
それからというものの、平野は栄蔵につきまとい、いつの間にかえいぞう会にまで入会していた。
これまでにも何度か脱会投票をしようという案があり、栄蔵も悩み続けていた。
しかし、結局ことはそのまま進み、退会させることもなく今に至る。
会議の前に、淳平は一応自己紹介をした。
名前や年齢、今までの経緯や好きな作品、様々なことである。
お願いします、と頭を下げると拍手をもらったが、平野が少しも腕を動かさなかったこともしっかりと確認した。
別に拍手してもらいたいわけではない。
ただ、そういう人物であるということを確認しただけである。
その後、会は何の問題もなく進んだ。
基本的に司会進行は下山だった。
今回の話ではハリウッドで撮影され、アカデミー賞を複数獲得した作品がテーマだった。
えいぞう会は、国の機関でもなければ、スポンサーが付いているわけでもない。
その実態は勉強会に近いもので、時には講義、時にはディベートのように、お互いを高めることに目的がある。
となれば、本場ハリウッドや、最近ではその地位を確かにしつつある中国映画などを見本とし、日本の映画を考えたりすることもしばしばある。
今日もそうだった。
会員は遠慮をしないようにし、何度も発言することに心懸けている。
遠慮があっては本当の意見が取り入れられないのは明らかであるからだ。
しかし、そうは言っても、淳平は発言しなかった。
遠慮していたのか、それとも平野への気持ちで頭が働かなかったか。
たまに下山や他のメンバーから、真中はどう思うと尋ねられたが、その度に当たり障りのない答えを探した。
下山は淳平の異変に気付いていたようで、あまり強く問いただすこともしなかった。
周りの人間もどことなく気付き、下山が何も言わないから、ということで、淳平が咎められることはなかった。
あるスーツ姿の男を除いては。
「真中君、君も少しは意見を言ったらどうかね?
遠慮をするのも分かるが、それだけではどうにもならないからな」
そう言ったのは平野である。
淳平はまたか、そう思った。
だが腹を立てるわけでもない。
別に今の平野の行動はおかしなことではないし、間違いは自分にある。
注意をされて腹を立てるほど子供ではなく、感情変化が激しいわけでもない。
それでも、次の言葉に反応せずにはいられなかった。
「せっかくの瞳がもったいないだろう?」
まるであざ笑うかのようなその表情に激しい怒りを覚えた。
おそらく相手は悪気があっての行動ではない。
それでも平野だって状況を全く知らないわけではない。
真実の瞳、その言葉が今淳平にとって禁句であることは察せられたはずだ。
それでもなお、言ったのである。
その時は下山が、真中は一回目だからいいだろうとかばってくれた。
次から積極的に参加してもらえれば十分だ。
そう言いながら、皆に気付かれないよう淳平をなだめた。
淳平は誰にも見せぬように、表情を歪め、まるで何かに襲われるような苦しみに耐えていた。
その話は唐突に訪れた。
会議も終わりが近づいたころであった。
下山がそろそれ終わるか、と言うと、周りからも同意の声が漏れた。
淳平は神経を消耗していることに気付き、溜息をついた。
それでも充実感のある会議だったことに感謝し、入ってよかった、入れてもらえてよかったと心から思った。
しかし、その喜びを壊すかのように、あの低い声が響いた。
「ちょっと待ってくれ」
そう言う平野に皆の視線が向けられる。
平野は少し間をおき、その後言葉を続けた。
「今日の会議はこれで終わりで構わない。
しかし、真中君のことで話があってな。
みんなは違うかも知れないが、私は真中君のことをあまり知らない。
そこでだ、真中君にもっとちゃんとした自己紹介をして欲しくてな」
部屋には低い、ねっとりとした声だけが響いていた。
しかし内容を聞くにつれて疑問の声が上がる。
「これ以上何を?」
一人の会員がそう尋ねた。
確かに淳平は先程自己紹介をした。
短く、簡単なものであったが、必要事項は喋ったように思われる。
他の人も同じことを考えていて、また何を言い出すんだ、そんな視線が向けられていた。
しかし当の平野は気にしない。
「ああ、真中君についての情報は先程ので大丈夫だ。
ただ私たちは映画関係者なんだ。
名前や誕生日を知ったところで、本当に知りたいことは分からないだろう。
私が知りたいのは彼の感性だ。
真実の瞳とまで言わせたその感性だよ」
平野はそこまで早口で言い切った。
淳平は途中の言葉に反応にながらもその発言内容を把握しようと試みていた。
「じゃあどうするんです?」
もう一度疑問の声が上がる。
その問いに対し、平野は待っていたかのように、
「映画を作ってもらうんだよ」と笑った。
メンバーからは疑問と動揺の声が上がる。
急じゃないか?
出来るのか?
そんなことだ。
しかし淳平はというと、ある種の優越感を感じていた。
この展開は予想したことだったからだ。
綾にはそれを見越しての脚本制作依頼だ。
ただ単純に、映画を作れるという興奮が淳平を支配しようとしていた。
平野は続ける。
「私たちは映画関係者だから、見るのが早いだろう。
そこから彼を感じることが出来るのではないかね?」
そこまで言うと、次第に賛成・同意のものが現れ、流れのままに映画制作が決まっていた。
「まあ、俺がいろいろ見てやるよ。
ちなみに期限とか予算は?」
下山が尋ねる。
えいぞう会は、スポンサーこそ持たないが、過去の実績からそれなりの金銭余裕がある。
その金は成長のための資本となり、また状況によっては寄付される。
会員が映画を作るときには、基本的に映像会から借金をすることが出来る。
おそらく淳平はそのシステムを知らないだろうということで、下山が事務を代理で行うつもりだった。
しかし、平野からの返事は予想外であった。
「期限は…そうだね…一週間で行こう」
室内に沈黙が流れ込み、その後反論へと変わった。
初めに叫んだのは下山だった。
「一週間って…ふざけてるんですか!?
そんな急な話!
台本だってセットだって何もないのに!」
当然のことだった。
一週間で映画が撮れるはずがない。
そんなことは言うまでもないことだ。
そもそもこの映画は言わば淳平の第一印象となるのだ。
適当に作って終わり、というわけにはいかない。
自分の満足のいくまで作らせたい、そんな気持ちがあった。
が平野は全く取り合わない。
「予算はそんなに気にしないでくれ。
まあ一週間で何億と使えるわけでもないだろうからな」
気味の悪い笑いを見せ、そう呟いた。
会場が騒然となる中、あろうことか平野は携帯電話を取り出し、どこかと会話をし始めた。
そして何事もなかったかのように立ち去っていく。
扉を閉める際、「じゃあ頑張ってくれ。応援しているよ」と言った。
誰もが嫌味であることを分かっていた。
下山は淳平に向かって話しかけようとした。
このえいぞう会の名誉を守るため、だろう。
近寄り、どうしよっかと笑いかけるつもりだった。
しかし、淳平の表情を見、息を呑んだ。
そこには見たことのない、激しい淳平がいた。
あの穏やかで、間抜けな淳平とは思えなかった。
「真中、今からのことはお前が全部決めろ。
ただし聞きたいことがあったらなんでも言え。
金が使いたくなったら何百億でも使わせてやる」
半分は皮肉を込め、淳平にそう言った。
その後、大きな声で本日は解散と叫び、一番に帰って行った。
取り残されたものたちは顔を見合い、首をかしげたり陰口をたたいたりしている。
淳平はもう帰る準備をしていた。
あまり使わなかったノートパソコンをカバーへとしまい、立ち上がった。
その後、周りに微笑んで見せ、
「じゃあお先に失礼しますね。
なんか大変なことになっちゃったみたいで」
そう頭を下げた。
まるでさっきの険しい表情が嘘のようだった。
穏やかで、いつも通りだった。
退室した淳平はエレベータへと向かった。
その扉が開いた際に、受付嬢らしき人が降りてきた。
その女性は淳平を確認すると会釈をした。
が、淳平は返さない。
無礼な人なんだろうか?
女性がそう訝って淳平の顔を盗み見ると、直後、彼女は動かなくなった。
否、動けなかった。
淳平が、何もないところをじっと見つめ、その瞳が妖しい輝きを放っていたからである。
真実の瞳が、今開かれようとしていた。
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