はなさないから - くろろ   様





閑静な住宅街を一人の少年が走りぬける。事情を知らぬ者が見れ


ば、少年のその姿はある種、異様に見えたかもしれない。詰襟の学


生服を着たまま、息も絶え絶えに走る。体力が尽きたのか、何度か


よろめきそうになるが、それでも少年は走る事を辞めようとはしな


い。


(西野。。西野。。西野。。。)


(俺のせいだ。。。いつも、西野を苦しめてばかり。。)


淳平の顔が歪む。走りづめによる肉体的な苦痛なのか、つかさの今


の状況を思う精神的な苦痛なのか、それとも、その両方なのか。。


(次の角を曲がれば西野の家が見える。。。)


淳平は、よろめきながらも力を振り絞るように走る。。。






つかさの家の前で淳平は立ち止まり、塀に体を預け息を整える。


(西野の顔を見たら俺は何て言えば良いんだろう。。。)


(その前に、西野の親が居たら、会わせてくれるんだろうか?)


目を閉じ、天を仰ぎ大きく息を吸う。呼吸が落ち着いてくるのが自


分でもわかる。


(とにかく今は西野に逢いたい。。。西野の顔が見たい。。。)


緊張で震える指でインターホンのボタンを押す。


。。。ピンポーン。。。返事は無い。


(留守なのか?。。。)


更に2度、3度とボタンを押す。


(西野、顔を見せてくれ。。。)






。。。ピンポーン。。。


つかさは遠くで呼び鈴が鳴る音を聞いたような気がした。


(あ、あたしウトウトしてたんだ。。。)


昨夜から少し寝ては目が覚め、またウトウトする。こんな事を繰り


返していた。いかに、覚悟していた事とはいえ、17歳の少女の精


神を不安定にさせるには、十分過ぎる今の状況だった。今も薄いピ


ンクのパジャマ姿で枕を抱きしめ、壁に寄りかかってウトウトして


いたらしい。気付くと瞼が腫れている様な気がする。


(あ、淳平君の事考えて泣きながら寝ちゃったんだ。。。)


ピンポーン。ピンポーン。


呼び鈴が鳴る。今度は夢の中ではない。繰り返し鳴るという事は、


母は今、いないのだろう。


(ママいないのかな。。。こんな顔で人前に出るのイヤだな。。)


更に2度、3度チャイムが鳴る。


(しょうがないな。。インターホン越しに相手をすればいいか。)


つかさは、ベッドから立ち上がり、パジャマの上に白いニットのカ


ーディガンを羽織る。寝不足と精神的な疲れのせいか足元が少しふ


らつく。部屋を出て階段の手摺で軽く体を支えながらインターホン


のあるキッチンへと向かう。


「はい。お待たせしました。どちら様でしょうか?」


インターホンのボタンを押しながら問いかける。


「あ、俺、いや、僕、真中と申しますが、つかささんいらっしゃい


ますか?」


「!」


つかさは玄関に向けて走り出した。廊下で肩に羽織ったカーディガ


ンが落ちる。インターホンから聴こえたのは想い焦がれる愛しい人


の声だ。つかさは淳平の待つ玄関へ無意識のうちに走り出してい


た。玄関までの距離がこんなに長く感じた事が今迄あっただろう


か。


(淳平君!淳平君!!淳平君!!!)


鍵を開けるのも、もどかしく玄関を開ける。すると、そこには愛し


い。。。愛しい人の顔があった。いきなり開いた玄関に少しびっく


りしたような顔、何時もの淳平の顔だ。


「淳平君。。。」


これだけ言葉にすると、つかさの瞳から涙が零れ落ちる。淳平の方


も、いきなり出てきたつかさに言葉を失っていた。そして、つかさ


の零した涙の真意も汲めないまま、また、つかさを傷付けたと、胸


を痛める。


「西野、俺。。。」


泣き出しそうな声で淳平が言葉を発する。それをつかさが遮るよう


に淳平に抱きつく。


「淳平君。。。嬉しい。。。本物の淳平君だ。。。」


淳平の背中に回した腕に力を入れ、きつく抱き付く。まるでそこに


居る愛しい人の体を確かめる様に。


「西野。。。俺のせいで、本当にゴメン。。。」


淳平の中につかさをいとおしく思う気持ちが込み上げ、つかさを抱


き締める。


(西野の体、こんなに細かったんだ。。。)


淳平に抱き締められたつかさが呟く。


「嬉しい。。淳平君に初めて抱き締めてもらえた。。。」


「こうなるのは、覚悟してたの。。。でも、でも。。。」


淳平の腕の中でつかさは涙で声を震わせる。


「怖かったんだよぉ。。。淳平君に逢いたくて。。傍に居て欲しく


て。。ずっと、ずっと、淳平君の名前呼んでたんだよぉ。。」


泣きながらつかさは自らの腕に更に力を込める。


「俺、西野に辛い思いばかりさせて。。。ゴメン。」


「ううん。そんな事無い。そんな事無いよ、淳平君。。。」


淳平の胸元がつかさの涙で濡れてゆく。


「西野、ごめん。ひょっとして、寝てた?」


あまりの嬉しさに我を忘れていたつかさが、淳平の問いに自分を思


い出す。ここが、外で玄関先だという事と、自分がパジャマのまま


であるという事。


「キャッ!あたし、なんでこんな格好で。。。」


途端に恥ずかしさが込み上げてくる。涙で濡れる顔を淳平に向け、


つかさは言う。


「なんか、ちょっと恥ずかしいね。。」


抱き締めていた手を解き、つかさは淳平の腕を取る。


「とにかく上がって、淳平君。」


「あ、あぁ。でも、俺、西野の親に合わす顔ないし。。」


俯く淳平につかさは言葉を継ぐ。


「今、誰も居ないの。それに、昼間はママしか居ないし。ママは淳


平君の事、知ってるし。。。」


「し、知ってるって?」


淳平は驚いたようにつかさに問う。つかさは、顔を赤くして淳平か


ら視線を外す。


「今までの事、全部。。。あたしが淳平君の事どう思ってるのか


も。。。」


そして、少し拗ねた表情を見せ、


「淳平君の煮え切らない態度もね!」


痛い所を突かれた淳平は、つかさに腕を引かれて玄関の中に入って


いく。淳平の顔を見れた事でつかさも何時もの顔を取り戻してい


た。


「さぁ、遠慮しないで上がって、淳平君。」


つかさの涙は既に止まっていた。笑顔で淳平の腕を引っ張る。


「じ、じゃぁ、お、お邪魔します。。」


淳平は少し、緊張気味にそう言い、靴を脱ぐ。


「淳平君、喉渇いてるでしょ?何か飲み物持ってくるから、あたし


の部屋で待ってて。」


つかさは微笑みながら、キッチンの方へ歩いていく。


(淳平君が来てくれた!あたしの気持ちが通じたんだ。。。)


つかさの後姿を見送る淳平には、この時のつかさの満面の笑みは見


えてはいなかった。






つかさの部屋に入った淳平は、所在なさ気に部屋の真ん中で正座を


していた。頭の中には自分のせいでつかさが今の状況に陥った事に


対する自責の念が込み上げてくる。


(俺、いつも西野を泣かせてばかりだな。。。)


(それなのに、逢えて嬉しいって。。。西野。。。)


(西野の力になりたい。西野を守ってやりたい。。。)


そんな事を考えていると、ドアが開く。


「お待たせ、淳平君。紅茶しかなかったけど、いいかな?」


つかさは、二人分のティーセットとケーキを持って部屋に入ってき


た。


「あ、西野、そんなに気を使わなくてもいいよ。」


顔を上げて淳平が言う。


「だって淳平君、すごい汗かいてたんだもん。どこから走ってきた


の?タオル出すね。後で着替えも出してあげる。」


ティーセットとケーキをテーブルに置いたつかさは、箪笥を開けて


タオルを取り出し淳平に渡す。


「何処からって。。。学校からずっと。。。」


タオルを受け取りながら淳平が答える。


「少しでも早く西野の顔が見たくて。。。」


恥ずかしそうに淳平は下を向く。


「淳平君。。。」


つかさも気恥ずかしさに下を向いてしまう。一瞬の沈黙を破ったの


は、つかさの笑顔だった。


「さ、冷めないうちに飲んじゃお♪」




淳平はつかさにトモコから聞いた話をするべきかどうか迷ってい


た。つかさは自分の退学がほぼ、決まってしまった事をまだ、知ら


ないはずだ。


(俺からこんな大事な事を話してもいいのか?。。。)


「。。。いくん?淳平君?」


つかさの声に我に返ると、つかさは身を乗り出し淳平の顔を覗き込


んでいる。頬を膨らませ、少しばかり怒っている。


「淳平君、あたしの話、聞いてる?また、違う事考えてただろ!」


「あ、うっ。。。ゴメン。」


「もう、いいよ。あたしだけはしゃいで何か馬鹿みたい。」


(完全に拗ねちゃったな。。。俺ってこんな事ばっかりやってる


な。。。)


淳平は肩を落とす。と、つかさは淳平の顔を下から覗き込み、ニッ


コリ笑う。


「でも、あたしに逢いに来てくれたから許してあげる!」


その笑顔を見て、淳平は、決意する。


(俺はこの笑顔を守ってやりたい。。。)


「あのな、西野、さっきトモコちゃんと会ったんだ。。。」


淳平はトモコから聞いた事を全て話す事に決めた。






「。。。そっかぁ。。。あたし、退学になっちゃうのかぁ。。。」


つかさは、驚いた様子は無かったが、少し、悲しげな表情を見せ


、飲みかけのカップをテーブルに置いた。


「俺のせいで。。。謝って済む事じゃないけど、俺があんなこと言


わなければ。。。本当にゴメン。」


淳平は頭を下げる。


「何で淳平君が謝るの?あたし淳平君のせいなんて少しも思ってな


いよ。」


「バレたら、こうなるのは覚悟してたし、淳平君が一緒に居ようっ

て言ってくれた事がすごく嬉しかった。」


「何より、あたしが淳平君と一緒に居たかったの。だから。。。後


悔なんかしてないよ!」


つかさは淳平の目を見て笑顔で答えた。


「ただね。。トモコ達と会えなくなるのが少し寂しいかな。。。」


今迄のつかさなら、最後の言葉は淳平には告げずに自分の胸の内に


仕舞っておいたかもしれない。しかし、自分の想いが淳平に通じた


と思える今は、不思議と自分の胸の内を全てさらけ出していた。


暫しの静寂が部屋を包む。淳平はつかさの顔をじっと見ていた。


(俺も西野に自分の気持ちを伝えなきゃ。。。)


と、つかさが何かを決意したように呟く。


「よし、決めた。」


この時、淳平にはつかさが一瞬、悪戯っぽく笑ったように見えた。


「西野、どうしたの?」


淳平が問う。


つかさは慌てたように顔の前で手を振り答える。


「な、何でもないよ。退学になるなら、今後の事を親と相談しなき


ゃなって思ったの。」


つかさの慌て振りを淳平は不思議に思ったが、あえてそれ以上は聞


かない事にした。


「でも、トモコ達が停学にならなくて良かったぁ。それだけが心配


だったんだぁ。」


笑顔を見せるつかさに淳平の胸は締め付けられる。


(西野。。。自分の事でも不安や心配で一杯なのに、友達の事まで


心配するのか。。。)


(俺は西野を絶対独りにしない!西野の支えになりたい!)


(ここで、俺の気持ちを伝えなきゃ、いつ、伝えるんだ。あれこれ


考えてちゃダメだ。逃げてちゃダメだ!)


意を決して淳平は言葉を口にする。


「西野、俺。。。」


淳平の言葉をつかさが遮る。


「淳平君、あのね、お願いがあるの。。。いいかな?」


淳平は続きの言葉を飲み込みつかさに答える。


「俺で出来る事なら、何でもいいよ。言ってみて?」


つかさは、顔を赤らめ、照れ臭そうに下を向き、モジモジしてい


る。


「ほら、西野。言ってみて。」


淳平に促されてつかさは恥ずかしそうに言う。


「あ、あのね、あたし、昨日から殆ど寝て無くてね。。。」


「でも、淳平君の顔見たら安心したのかな。。。?少し眠くなって


きたの。。。それでね。。。」


「うん。それで?」


淳平はつかさの頼みを察する事が出来ずに、更につかさの言葉を促


す。


「あたしが眠るまで、手を繋いでて欲しいの。。。出来れば目を覚


ますまで傍に居て欲しい。。。」


つかさは、両手で顔を隠す素振りを見せたが、耳まで真っ赤になっ


ているので、余り意味を成さない。


「あ、少し寝たらすぐに起きると思うけど、遅くなる様なら、あた


し寝てても、そのまま帰ってもらってもいいから!」


顔を隠したまま、つかさは言葉を継いだ。


そんなつかさに愛おしさが込み上げてくる。


「それ位、全然かまわないよ。俺、西野が目を覚ますまで、傍に居


るよ。」


淳平は優しい笑顔でつかさに答える。


「ゴメンね淳平君。わがまま言って。。。」


ベッドに入り、淳平の手を握り締めたつかさが詫びる。


「これ位、わがままの内には入らないよ。」


つかさの手を握り返しながら淳平は微笑みながら答える。


「淳平君の手、暖かくて、気持ち。。い。。。い。。。」


淳平と手を繋いでいる事に安心したのか、つかさは直ぐに眠りに落


ちた。先程までの不安に涙を流す寝顔とは違い、微笑んでいるとも


見えるような安らかな寝顔だった。


(結局、俺の気持ちは言いそびれちゃったな。。。)


(西野が目を覚ましたら、今度こそ、ちゃんと伝えよう。。)


つかさの寝顔を見て自然に笑みが零れてくる淳平が居た。


暫くして、下のほうで玄関を開ける物音がした。


「つかさちゃん、ただいまー。」


つかさの母親らしき女性の声だった。






続く。。。



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