東西逆転!? 5 - 小鈴  様



 ところで、淳平はまったく認知していないことだが、泉坂高校か

ら東城家に向かう者は他にもいた。

 その男子は、授業が終了するやいなや教室を抜け出し、街を駆っ

飛びながら自分に問いかけた。病気で苦しんでいる綾さんを一人き

りにしておくことができるだろうか。そして、すぐ自分で答える。

できるはずがない、と。

 それでは、と彼は再び問う。誰が綾さんに付き添うのにふさわし

いだろうか。そしてまた、自分で答える。僕しかいない、と。

…少なくとも、真中淳平だけは絶対にふさわしくない、と。

(……!!)

 今にも叫び出しそうな形相で、天地は走る。その卓越した容姿

で、彼は泉坂高校の女子の人気を二分する立場にあるが、淳平や外

村辺りに言わせると、

(どこか大事なネジが緩んでいる…)

のだそうだ。

 ちなみに、天地に比肩する、あるいはその上をいく泉坂高校の男

子はサッカー部の大草だが、面識があるかどうかは不明である。も

しあれば、お互いさぞ嫌い合っているだろう…。





 さて、天地は淳平とは違い、何の障害もなしに東城家に到着し

た。何と淳平が“つかさ”と会う一時間前、驚異的なスピードだ。

 荒い呼吸を整え、震える指先で呼び鈴を鳴らす。この機会に家族

の方からも好感を得ようと思うと、さすがの天地も緊張していた。

(…落ち着くんだ!とにかく悪い印象は与えないように…。)

まるで結婚の挨拶に来たかのような勢いだ。

「………は〜い?!」

 やがてインターフォンからの声を聞いて、天地は軽く胸をなで下

ろした。間違いなく綾の声だったからである。

「こ、こんにちは!天地です!…綾さんですか?お見舞いに来たん

です」

 熱烈な歓迎を期待していたわけではなかったにせよ、綾の反応は

天地を失望させるのに十分だった。

 まるまる十秒にわたって沈黙したあげく、インターフォンは、

「……え〜と、ちょっと待ってね…」

などという意味不明な発言を残して、事切れたのである。

「あ…や……さん?」

天地は呆然として、立ち尽くした。綾の声からは、困惑、失望、忌

避というような感情がにじみ出ていた、と天地は思った。

 …自分が全面的に嫌われている、と考えることは、この男にとっ

て不可能に等しい。

「真中か……」

天地は低く呻いた。

 何ということだろう。奴が僕より早く来ている?

 …しかし、綾さんが僕を拒む理由はそれしか考えられない。








 これは天地の劣等感が生んだ、的外れな偏見だった。












「やばいっ…、誰だよ、天地って……」

 つかさは、焦ってノートをめくった。「天地」という名をどこか

で聞いた気もするが、淳平以外の男子など、いちいち覚えていない

のだ。

「あった!…え〜と、映研の合宿の?………そっか。あの熊の人

だ!淳平君と台詞合わせしてたときに」

 淳平と関連づける事で、ようやく思い出した。

「確か東城さんに気があるみたいな…。……会わないわけにもいか

ないよね」

 まだ男に対する警戒心の薄いつかさである。家に誰も居ないのが

やや不安だったが、玄関に出ることにした。

 つかさは扉を開け、直立しているオレンジ色の髪の美青年と向き

合った。

「天地君。わざわざごめんね〜」

「……。」

「でも、もうほとんど治ったから大丈夫だよ!」

 つかさは穏やかな笑みを浮かべて言った。見舞いに来てくれた相

手にはそれなりに誠意を見せるべきだ、と信じていたし、天地を嫌

う理由もないのである。

 だが、天地はすでに偏見という、どきついレンズを装着してい

た。それでも、せいぜいやさしい声で、

「あっ、よかったら今日の授業とか教えましょうか。…ほら、ノー

トもあります!」

「え?ありがとう…。でも風邪うつしたら悪いし……。」

「大丈夫ですよ。それに綾さんの風邪をいただけるなら本望です!

さあ、お身体に障りますから、 ……部屋の中に…。」

 目の中に奇妙な光を蓄え、天地は家に入り込もうとする。綾、い

や、つかさは、この強引さには唖然とした。

(淳平君なら絶対こんなことしない…)

のである。

 さすがにそうは言わず、

「やっぱり今日はダメだよ。…明日学校でね。」

決然として、つかさは言った。嫌悪感を隠すのに多少努力が必要だ

った。

 少しの間、天地は“綾”を見つめていた。目の前のつかさは、静

かな決意を込めて、微笑んでいる。

「……中に誰か居るんですか?」

 天地は自分の声が震えるのを自覚した。

「……真中ですか?」

「……え!?」
 
 つかさが声を発したのは、ちょうど淳平のことを考えていたから

にすぎない。だが、天地の疑惑は確信に変わった。

彼は理性を失った足取りで、“綾”に近づいた。

「やっぱり真中が来てるんですね。」

つかさの顔から微笑の欠片が昇華していった。

「なに言ってるの?来てないよ」

 天地はどんどん近づいてくる。つかさはそう言うのが精一杯だっ

た。天地の奇怪な雰囲気におびえ、後退する。

「なんであいつが、……あいつは、……あいつめ…。」

意味不明なことを口走りつつ、天地は“綾”に接近する。



…そのときだ。

















 「おい!なんだ、お前!」

 天地は驚いて振り向いた。制服姿の男が、駆け寄ってくる。彼は

素早くつかさと天地の間に立ちはだかった。

(……淳平君?)

思わずつかさは制服の袖を掴んだ。

 だが、彼は淳平ではない。綾と同じ長い黒髪、天地に劣らぬ顔立

ち、そしてずば抜けた長身。

 東城正太郎だった。むろん天地とは初対面である。“綾”に袖を

掴まれた様子を見て、天地がこう思ったのも当然だった。

(真中じゃなくて、こいつを綾さんは待ってたのか?)

彼はその疑問を口に出した。

「綾さん、その人は………?」

その質問には、正太郎が答えた。もっとも彼はまず行動を起こし

た。

 正太郎はつかさの肩を引き寄せ、天地を睨みつけた。

「……綾に手を出したら、彼氏の俺が許さねえぞ!」

天地は半歩後退し、“綾”を見た。“綾”は困惑しつつも、天地を

見返した。

(そんな、まさか?

綾さんがこいつと?)

 目眩を感じ、視界が歪む。“綾”が否定することを彼は望んだ。

しかし、求めるものは、堅く閉ざされたままだ。

(…ここから離れたい!!)

その思いが胸に充満したとき、天地は引きつった顔に、微笑の残骸

を押しつけた。

「……分かりました。綾さん、それじゃあ、お元気で……」

 精一杯の強がり。

 最後は涙声となり、天地は走り去った。正確には逃げ去ったので

ある。





「…で、いつまでやってるの!?」

天地の姿が見えなくなってから、つかさは正太郎を突き飛ばした。

「うわおっ!!」

大げさにすっ転んだ正太郎は、その場に座り込んだ。

「姉ちゃん、あいつなんだよ。」

「なにって、…ただのクラスメートだよ。」

 つかさの声は動揺を隠せなかった。天地に対して罪悪感を抱いて

いたし、綾に何と言えばいいのか…。

「ふぅ〜ん。…まあ、気をつけろよな!」

正太郎はそれ以上何も言わず、家に入った。

つかさも後に続く。

(初日からとんでもないことになったなあ…。

東城さんになんて言おう……。)

(それに天地君も…。まあ、明日誤解を解いとけばいいか!)



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