東西逆転!? 4 - 小鈴  様



 物体(肉体)の属性を延長とし、精神(心)の属性を思惟として二種

類に分断するという考え、いわゆる物心二元論を唱えたのは近代哲

学者の一人、ルネ・デカルトである。彼によって、広がりをもつ、

つまり空間を満たすだけの存在とされた肉体は、精神の支配を享受

することになった。



 …では、自分達に起きている事態は、近代的思想に基づいている

のだろうか。


 少女は、本のページをめくる速度を落とし、考え込んだ。


 まだまだ夏の面影を濃く残して、沈んでいく太陽を背に…。

 いつもならケーキ屋で忙しく働いているはずの少女は、本屋で立

ち読みをしていた。その可愛さは街でも注目の的であり、本屋の店

員はすでに顔を覚えている。彼は、普段は料理雑誌を眺めている少

女が、「近代哲学」などと題された分厚い本を読み始めたので、い

ささか驚いていた。

「これも違うなぁ…」

 少女は、読んでいた本を閉じ、棚に戻した。今日何度目かの長い

ため息が漏れる。

 泉坂高校学年二位の学力を持つ頭脳は、哲学、精神学に解決法を

求めたようだ。だが、完全に人格が入れ替わるといった前例は見つ

からない。たとえ自分たちが人類初だとしても、全く嬉しくないだ

ろう。

 結局何も得ることなく、店員の不快な笑顔を乗り越え、金髪の美

少女は本屋を後にした。










「東城さんの家族の事教えて!」

 トイレから部屋に戻って早々、つかさにそう言われたとき、綾は

激しく瞬きした。

 綾は本気にしていなかったが、つかさは東城綾として生活する決

意を固めていたのである。

 そしてさも当然のようにこう言った。

「東城さんも、あたしの人間関係覚えてね。」


 邪気のない純粋な笑顔はつかさの持ち味だ。表面は東城綾の顔で

あっても、その本質はまったく変わらない。

 先刻とは比較にならない輝く笑顔を向けられて、綾は眩しさを感

じながらも、反駁を試みた。

「で、でも、そんな事して、バレたら…」

「だから、情報交換しとくんだよ。」

「だけど…」

「だって、外見は完全に入れ替わってるんだし…。自分だって証明

する方が難しいよ」

「……。」

「東城さんが誰にも言わなくて良いって言っただろ〜。お互い入れ

替わって生活する以外にどんな方法がある?」

つかさの言うことはもっともだ。

 わずかな時間の間に、つかさは完全に立ち直っていた。少なくと

も表面上は。そのきっかけを綾は知らないが、西野さんの魅力はこ

ういうところなのかな、と感じた。


 …だが、でも、いや、しかし、but……


 依然として、綾の頭の中では、逆接表現が群を成して飛びまわっ

ている。

 そりゃあ、西野さんは大丈夫だろう。何しろ今年の映研映画の主

演女優なのだ。

でも……、

「やっぱり、あたしは無理だよ…」

綾は小声で言った。訴えるようにつかさを見やる。

 その視界に、二冊のノートを用意した黒髪の少女が映った。

「このノートに書き込んで持ち歩こうよ!」

「……。」

「じゃあ、さくせん会議開始!!」

あくまでも明るく振る舞うつかさ。

 結局、綾は何も言わなかった。これ以上弱音をはいたら、全てが

壊れてしまうような、そんな気がした。











 本屋を出た綾は、ぼんやりと歩き続けていた。

「とにかく早く元に戻ればいい、と思ったけど…。簡単なことじゃ

ないよね…」

 そして、このまま生活することも…、と綾は身震いする思いであ

る。

 明日からは桜美学園に通わなければならない。

 唯一の救いは、お店に迷惑がかかるのは必至ということで、つか

さが泣く泣くケーキ屋のバイトを休みにしてもらったこと。それ以

外にほとんど救済措置はないのだ。

 不安の重圧に悩みつつ歩くうちに、いつしか綾の足は自分の家の

方に向かっていた。


 …もし西野家に向かっていたら、そもそも本屋に行かなければ、

この出会いは生じなかっただろう。

 綾にとって幸か不幸かは、誰にも分からない。

 その角を曲がったとき、綾はこの人物とはち合わせてしまったの

である。






「にっ、西野!!」




この男子の声に、綾は地面を滑っていた目線を上げた。


「まま、真中君?!」

淳平と綾、どちらがより驚いただろうか…。

(なっなんで、西野がここに?!)

 淳平は休んだ綾のことが気にかかり、何となく東城家の方に来た

のだった。昨晩は西野にあそこまでせまりながら、と淳平は良心の

カシャクを感じていた。その上、当人に会ってしまっては…。

 動揺を隠せずに、淳平は“つかさ”から視線を逸らした。

ふと気づいて視線を再び“つかさ”の顔に戻す。今彼女は自分のこ

とをなんと呼んだ?…真中君?

 綾も淳平の視線に気づいた。

(そうだっ。ノートの最初に……)

 二人の情報を書き込んだそれぞれのノート。綾の最初のページに

はこう書いてある。

(真中君は淳平君と呼ぶ!!)

「…え〜と、…じゅんぺぃくん…。こんにちは」

 ほとんど聞き取れないような声で呟き、綾は首まで真っ赤にして

俯いた。

 思いもかけない“つかさ”の姿。

 淳平はその弱々しい姿に、むしろ圧倒された。

(?! どうしたんだ? 急に。

名前呼んだだけで…。

……だけど、



 マジ、かわいすぎるよ。西野!)

 淳平は今までの綾モードから一転、目の前の“つかさ”に釘付け

になった。“つかさ”は視線を落としたまま、落ち着かずに身動き

している。

 男のつぼを刺激する行為に見入っていた淳平は、理由に思い当た

って、みるみる赤くなった。

 恥ずかしがっている“つかさ”も、淳平には

(やっぱり西野も、昨日のこと……)

としか映らない。

 二人はそろってもじもじしながら、お互いをちら見し、しばらく

は声も発せられなかったのである。



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