東西逆転!? 2 - 小鈴  様


「うわぁっっ!!!やばい、寝坊したっ!!!!!!」

 一人の男子高校生の大音声が、マンション内にこだました。

 いつでもどこにでもあるほのぼのとした情景‥‥。

 とはいえ当事者は大真面目であり、マンションの他の住民達には

迷惑極まりない。

「くっそ〜!母さん、どうして起こしてくれないんだよ!」

 またしても怒鳴りながら、その男子、真中淳平は頭に制服のズボ

ンを被り、部屋から転がり出た。『それでもメシ食うひまはある』

と言わんばかりに、机の上のパンをつかむ。
 
 息子の理不尽な台詞、無様な格好に母親はため息をついた。

「まったく、何度起こしても起きずにいるくせに何言ってんの!い

つになっても直らないんだから!」

「うるさいなあ!しょうがないだろ!最近は部活やバイトで忙しく

て‥‥もぐもぐ‥‥」

ズボンを穿き直しながら、口にパンを詰め込む。

 ボサボサの髪がゆさゆさ揺れ、辺りにパン屑が舞い落ちた。

「それ、にきの、うはと、くに、‥‥ごくんっ、おそかったか

ら‥‥‥」

言い訳がましく淳平は呟く。

 しかし昨夜未明のことを思い出したとたん、身体が麻痺したよう

に動かなくなった。

 ・・・淳平の頭の中の映写機が、勢いよく動き出したのである。




 

 

 深夜の中学校。

 誰もいない校舎の保健室。

 消毒液のにおいが濃厚に広がる中で、微かに石けんのような甘い

香りが漂ってくる。
 
 源はベッドに座っている少女。暗闇の中でもつややかに光る金髪

が眩しい。
 
 少女はこちらをひたと見つめ、微笑んた。
 
 つられてこちらも明るくなれる天使の微笑‥‥‥。

 現実とは思えない光景。だが昨夜、淳平はこの場所にいた。そし

てつかさの声を確かに聞いたのだ。



(多分同じこと。淳平君と同じこと考えてる‥‥)









「‥‥ドックン!!」

淳平の心臓が宙に飛び上がり、三回転した。口からパンがポロリと

落ちる。

 わずかの時間で、遅刻寸前の事態は完全に脳から離れ、淳平の頭

の中はつかさ一色に染まっていた。

「ああ‥‥、昨日もし西野の携帯が鳴らなかったらなあ‥‥‥‥」

 ついに現実から妄想に向け、映写機がますます加速し始めたと

き‥‥。






「さっさと行きなさい!!!」

「うおお?!」

淳平は襟首を捕まれ、玄関から外に投げ出された。

 燃え上がった男の激情が冷水をかけられたように一気に冷める。

「何すんだよ、母さ‥‥‥」

抗議の声は閉ざされた扉にぶつかり、むなしく弾かれたのだった。












 それから数分後、淳平は、教室の机の上に倒れ込んでいた。

「はぁ、はぁ、はぁ‥‥。きっつ〜」

「はははは、大丈夫?真中ぁ‥‥。」

 楽しげに笑いながら、淳平の背中を叩いたのは、北大路さつき

だ。彼女の方は普通に、時間通り登校したようである。

「ギリギリセーフだったね。でもそんなに無理してまで、来なくて

もいいのに。‥‥‥まっ、あたしはうれしいんだけどさぁ!」

言いながら、さつきは淳平に抱きついた。淳平の背中に豊満な胸が

押しつけられる。

「バッ、バカ!やめろ、さつき!!」

 思わず淳平は飛び上がって叫んだ。しかしその顔は赤くなってお

り、満更でもない様子である。そんな淳平を見ながら、さつきはニ

ヤニヤして言った。

「あれ、あたしとこういう事するために来たんじゃないの?」

「バカ!文化祭前だから休めないだろっ。遅刻して掃除当番にでも

なったらよけい厄介だし‥‥」

 昨夜、一度は休むつもりになった淳平だが、いろいろやるべき事

を思い出したのである。映画は完成したとはいえ、会場の確保、整

備、などまだまだ考えることがあったのだ。

 そして遅刻者にはトイレ掃除を課すという、厳しい担任の方針に

よって、淳平は急がざるを得なかったのである。

「ふぅ〜ん。じゃあ、今日からまた部活忙しくなるんだ!」

やりますかっ、と言うようにさつきは右手でガッツポーズをした。

それを見て淳平も自然と笑顔になる。

 そのとき‥‥‥

「おっ、気合い入ってるなあ。」

何処からともなく外村ヒロシが現れた。

 相変わらず長い前髪で、目つきは謎に包まれているが(おそらく

やらしいだろう)、かなり頼りになる性格の持ち主である。

「よう、外村。お前も今日、部活来いよな!」

笑顔のまま淳平は言った。

「ああ。でも東城は今日休みらしいぜ」

「えっ!!そうなのか?!」

淳平の顔色が変わった。

「さっき黒川先生に聞いた。風邪だってよ。」

「へぇ〜〜」

あまり興味なさそうにさつきが言った。すると‥‥。

(ガラガラ‥‥)

「お〜い、一時限目の授業始めるぞ!」

「あっ、先生来た!じゃあ、後でな。」

 ・・・席に戻っていく外村を見送りながら、淳平は浮かない顔だった。

「ただの風邪ならたいしたことないよ。昨日いろいろあったし、疲

れが出たんじゃない?」

 さつきの言葉に、うん、とだけ答えて淳平は視線を窓の外に向け

た。二羽の鳩が交錯しながら、青く澄んだ空高く舞い上がってい

く。

(東城は来てないのか‥‥‥)

なぜか妙な胸騒ぎを覚える淳平だった。


東西逆転!? 3 - 小鈴  様


 淳平達が、眠気のみを促進する授業に時を費やしている、ちょう

どその頃‥‥。

 ここ、西野つかさの部屋には、つかさと綾の姿を見いだすことが

できる。

 先ほど東城家にて衝撃の事実に直面した二人は、興味津々な東城

正太郎を何とかごまかし、逃げるように外に出た。その時つかさの

黒髪は寝癖でボサボサ、服装はパジャマ、精神的にはアセアセであ

り、両者とも通学できる状態ではなかった。そこで二人は、両親が

都合よく外出している、西野家を訪れることになったのである。



(‥‥‥。西野さんはここに住んでるんだ‥‥)

 綾にとって、つかさの部屋に入るのはこれが二回目だった。今

朝、部屋の所有者の姿形となって起きた時の事を、一回と数えるの

ならば。

 今朝の綾の仰天の度合いもつかさと大差なかったが、「まさ

か‥‥‥」という疑惑を持って、東城家に駆けだした辺り、まだ冷

静さを保っていたと言えるだろう。むしろ疑惑が確信に変わった現

在のほうが動揺している。部屋を見渡しながら、綾は懸命に落ち着

こうとした。まったく、落ち着いていられるはずがなかった。



「これからどうしよう‥‥‥」

 沈黙に耐えきれなくなったように、ベッドに座っているつかさが

呟いた。

「誰かに話した方が良いのかなあ。」

「‥‥‥‥。」

「でも、誰か信じてくれるかなあ。」

「‥‥‥‥。」

 つかさの呟きは明らかに綾に向けられていたが、綾は返答できな

かった。

 つかさも敢えてそれ以上なにも言わなかった。

 部屋の雰囲気はさらに暗く沈んでいく。

 ここは、つい最近訪れた淳平をして「明るくなったね」と言わし

めた部屋である。

 なぜ今はこんなに暗いのか?

 部屋自体の責任でないことは疑いないのだが‥‥。



「あっ、あのねっ!」

 唐突に綾が立ち上がった。

 つかさは驚いて、今は自分の姿をした綾を見上げた。

「べっべつに他の人とかに無理に言う必要はないんじゃないかな?

きっとすぐ元に戻れるし‥‥」

金髪を振り乱しながらしどろもどろに言い出す綾を眺めて、つかさ

は(あたしってこんな感じなんだ‥‥)と思った。口に出してはこ

う言った。

「どうしてそう言えるの?」

「え‥‥?」

「だって、あたし達、何のきっかけもなく入れ替わったんだよ!も

しかしたらずっと‥‥」

「そんなことないわ!きっと戻れる!」

綾らしくない強い口調だった。

「でなきゃ、あたし耐えられないよ!‥ずっとこのままなん‥‥」

突然綾は口をつぐんだ。正面からの強い視線が、舌の回転を止めた

のである。

 つかさのかける、黒縁メガネの奥の瞳には、微かだが非難の色が

浮かんでいた。不審に思った綾は、だが一瞬後に悟った。自分がな

にを言ったかを‥‥。相手がどう受け取ったかを‥‥。

「やっ‥‥!ちっちがうのっ!そういう意味じゃなくって‥‥!別

に西野さんがどうとか、そういうわけじゃないの‥‥。ただ自分の

方が‥‥って、そうでもなくて‥‥ああもう、なに言ってるのあた

し!」

 頬を真っ赤に燃やして、綾は肩にかかった髪を払うような仕草を

した。むろんそこにいつもの黒髪はない。綾の右手は何かに触れる

ことなく、宙を泳いだのみだ。

 ふいにつかさが笑顔になった。‥‥唇の両端をつり上げ、目を細

めることをそう呼ぶのなら、である。

「ううん、東城さんの気持ちはよく分かるよ‥‥。あたしだって元

に戻りたいもん。早く‥‥」

 つかさの声に抑揚がないとしたら、それは感情を押し殺した結果

だった。それよりも、いっそ怒鳴ってくれたほうが綾は楽だったか

もしれない。

 再び喉を締め付けるような沈黙が続いた。

「ちょっと、トイレ借りるね。」

そう言って綾は部屋を出ようとした。

「うん。‥‥でも、これからしばらくこの家は東城さんちになるん

だもん。いちいち言わなくても良いよ。」

つかさの辛辣な台詞が、綾のBカップの胸に突き刺さった。綾はや

や鼻白んだが、

「じゃあ、このままで生活するの?」

と言った。

「そうだよ。すぐ戻れるって東城さんが言ったんじゃん。」

「そうだけど、誰にも言わないつもりなの?‥‥その、‥‥真中君

にも」

綾にそう言われ、つかさは苦渋の表情を浮かべた。

(やっぱり東城さんも、淳平君のこと考えてたんだ‥‥)

(あたしだって本当は淳平君に言いたい‥‥だけど)

「淳平君にも言わないでおこうよ。」

はねつけるようにつかさは言った。綾も辛そうな顔になった。

「‥‥。トイレ借りるね。」

もう一度呟いて、綾は部屋を出ていった。






 一人部屋に残されたつかさは、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。

(東城さんにあたっちゃった‥‥。)

ついさっき見た寂しそうな自分の顔が胸を締め付ける。

(あたし一人が辛いんじゃないのに‥‥)


(この部屋ともしばらくお別れか‥‥)

(いつまで、とはもう考えないようにしよう。東城さんの言う通り

だ。ずっとこのままなんて有り得ないよ!)

 急につかさは胸の躍動を覚えた。東城綾として淳平と同じ学校に

通えると気づいたのである。

しかし‥‥。

「淳平君‥‥」

呟いたつかさの声は弱々しい。所詮西野つかさとしては淳平に会え

ないという事実が苦しかった。

 なぜ、淳平に知らせるのを拒んだのだろう‥‥。それはつかさ自

身よく分からない。

 ただ、綾の方が先に淳平について触れ、それがつかさの心理に何

らかの効果を与えていたのである。

「淳平君はこの姿を見ても、気づいてくれるかな?」

到底無理な注文だろう。

(でも、中三の時に人間は中身だとか叫んでたような‥‥。)

思わずにやけた、つかさの右手に何か冷たいものが触れた。

「‥‥あっ。」

それは苺のペンダントだった。淳平にもらったのは昨夜のはずなの

に、遠い昔のことのような気がする。

 昨日まではあんなに幸せだったのに‥‥。自然とこみ上げてくる

涙をつかさは必死でこらえた。

(泣いちゃだめ!辛いのはあたしだけじゃないんだ!)

 部屋の外の足音が近づいてくる。つかさは目をふき、ペンダント

を、ポケットにそっとしまった。

「今は着けられないけど‥‥、これはあたしが持ってなきゃだめな

の!」

ポケットの中でペンダントを強く握りしめた。

 まるで自分が西野つかさであることを、証明するかのよう

に‥‥。



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