第7章『Mad Compass』 - 光  様



「あぁー!西野さん!」

「ち、ちなみちゃん・・・!?」

「真中!?」

「小宮山・・・何で?」



































 旅の恥は掻き捨て

意味:旅先では見知った人がいないのだから、多少の恥を晒しても

その場限りである


 一体、どこの誰がこんな諺を創ったのだろうか。少なくとも、今

の自分たちには無縁の諺だ、と淳平は心の中で、その“どこかの誰

か”に向かって文句を言った。

 つかさと一緒に空港を出発してから今までに出会った人間の中

で、顔見知りでなかったのは、前日に会った奈々と、その母親ぐら

いのものであるからだった。

「西野さん、いつ日本に帰ってきたんですか?」

 興味津々といったちなみの言葉に、小宮山も既に淳平へ向けてい

た目を逸らしつかさの顔を注視していた。つかさは、なんか、こっ

ちに来てから会う人会う人、皆に同じこと聞かれてる気がするな

ぁ、等と心の中で呟きながら、トモコや綾にしたのと同じ説明を繰

り返していた。

「ところで、小宮山達はこんなとこで何してんの?」

 つかさの説明が終わるのを待ってから、淳平が小宮山に聞くと、

それまで聞きに回っていた小宮山が口を開く。小宮山曰く、とある

バラエティー番組のコーナーでこの美楼祭のことを取り上げるらし

く、ちなみはその番組の出演者としてロケに来ているとのことだっ

た。

「ってことは、外村は来てないのか?」

「あぁ。普通、社長自ら撮影現場には出て来ねぇよ」

 それもそうだ、と納得したように頷きながら、小宮山とちなみを

見た時から、ひょっとしたら会えるかも、と心のどこかで期待して

いたので、淳平としては少々残念でもあった。








































「でも、小宮山君もちなみちゃんも、あんまり変わってないね。」

 まだ撮影があるから、と言って小宮山たちと別れた後、淳平の隣

を歩きながら、つかさが面白そうに言うと、淳平も「確かに」と苦

笑した。

「でも、東城さんはすっごく綺麗になってたよね?」

「そうなんだよなぁ、あとこの前会った時はさつきも・・・」

 淳平をからかう意図で発せられたつかさの言葉の真意に気付か

ず、淳平は数日前の映研の皆で集まったときのことを思い出しなが

ら、大きすぎる独り言のようにそう言い、直後、はっとなって、つ

かさの方を振り向く。目を向けた先には、つかさが膨れっ面でジト

ッと淳平を睨んでいた。

「あ、いや・・・べ、別にそう言う訳じゃなくて!」

「そう言うわけ、ってどういうわけなのかなぁ〜?」

 つかさが、パニックを起こしている淳平の揚げ足を取り、ぷいっ

とそっぽを向いて、より一層不機嫌顔を作ってみせる。一方の淳平

はというと、つかさの態度に焦りに焦って、何とか上手く言い繕お

うと頭の中で必死に言葉を捜し、酸欠の金魚宜しく口をぱくぱくさ

せていた。

「その・・・西野だって、すごい綺麗になったなぁ、って思うし、

むしろ西野の方が綺麗だなぁって・・・」

 つっかえつっかえ言う淳平に、つかさが「本当にそう思って

る?」と聞くと、淳平が首を千切らんばかりに激しく首を縦に振っ

た。

 つかさが、淳平に見えないところで、クスリと笑いを漏らす。久

しぶりに日本に帰ってきて再会した彼は、体格ががっしりとしてい

て、顔つきも精悍になっていて、逞しく大人っぽいイメージを受け

たのだが、自分への言い訳に必死になっているところなどが子ども

っぽく感じられ、高校時代を思い出させていた。

 つかさがくるりと振り向き「じゃあ、そろそろ許してあげようか

な」と言って、淳平の肩をぽんと叩こうとした。その時だった。



























































「真中ぁ〜!」

 空耳では片付けられないような大音声で、自分の名前を呼ぶ者が

一人。血相を変えて、と言う表現が一番合っているのだろうか、先

ほど別れたばかりの小宮山が、人ごみを掻き分け―――何人かは、

必死の形相の小宮山を見て自ら道を空け―――猛スピードで迫って

きていた。








































































「おい、真中!出演依頼だ!」

















































































 目の前で立ち止まり、苦しそうに肩で息をしている彼に大丈夫

か、と訪ねる間も与えず、小宮山が爆弾を一つ落とした。淳平の思

考回路が一瞬停止する。あまりに突然のことで、いまいち言われた

日本語を理解できていないのだが、何かとんでもないことを言われ

た気がして、淳平は「は?」と間の抜けた音を発し、言っているこ

との意味がこちらに伝わらなかったことを、小宮山に伝えた。

「だから、出演依頼だって!一緒に来てくれ!」

 言うが早いか、淳平の左手首をむんずと掴むと、そのまま元来た

道を戻ろうとする。

「ちょ、ちょっと待ってよ!どういうこと?」

 呆気にとられていたつかさが意識を取り戻し、強制連行されよう

としている淳平の、余った方の手首を掴み、二人を―――というよ

り小宮山を―――引き止めた。

「真中のことを番組のプロデューサーに話したら、“ちなみちゃん

が思いがけないところで高校の時の先輩と遭遇した”って設定の映

像を撮りたいんだって。」

 そういうわけだから、とだけ言うと、本人たちの意向など全くお

構いなしに淳平を引き連れて、あっという間につかさの視界から消

えてしまっていた。

「全くもう。一人でどうしてろって言うのよ・・・。」

 もう見えない二人の背中に向かって、つかさがそっと呟いてみる

が、当然その声が聞こえているはずもなく―――小宮山のあの慌て

方から察するに、聞こえていても無視されそうだったが―――仕方

なしに、あまりその場を動かないようにしながら、周りの人や屋台

や、風が吹くたびに花びらを散らしている桜を眺めることにした。


































しかし、



















































(淳平君・・・)

 こうして一人になって、他にすることがなくなってしまうと、嫌

でも思い出す。

 昨夜、淳平と綾は、間違いなく部屋の前で密談していた。話の内

容は、最後のほうしか聞き取れなかったが。


『ね・・・お願い。』


『ふふっ、良かった・・・』

 薄く開けた扉越しに見えた、綾の顔がつかさの脳裏に蘇る。綾が

頼んだ何かに対して淳平が了解の意を示した後、綾はこれ以上ない

くらいに喜んでいたようだった。




































「バカみたい」

 つかさが、自嘲気味にそっと呟く。

(淳平君は浮気なんかする人じゃないし、東城さんだって、そんな

人じゃ・・・)

 どうかしてるよ、と自分自身を嘲笑った。昨夜のあれは、結局自

分の思い違いだったのだろう。トモコにおかしなことを言われ、気

が動転していたから、普通なら有り得ないようなマイナス思考に陥

ったのだろう。その直前にはおかしな夢も見ていたし、もしかした

ら、本当は夢に過ぎないものを、勝手に現実だと思っているのかも

しれない。そう考えると、つかさは、先程までの自分の行動が、恥

ずかしくすら思えてきた。

「淳平君、早く戻ってこないかなぁ?」

 すっかり機嫌を良くしたつかさが後ろを振り返り、背伸びをして

淳平がいるであろう場所を見た。すると。










































「えーっ、マジ!?」

 つかさの方に向かって歩いてくる、恐らく地元の人間ではない男

性が数人、その中の一人を茶化しながらつかさの脇を通り過ぎよう

としている。

















































「お前、何人同時に付き合えば気が済むわけ?」

「もう五人目、だっけ?」

「バーカ!男ってのは、同時に何人もの女を愛せちゃうもんなんだ

よ!」

 季節はずれの台風の如く現れた彼らは、正に台風の如くそのまま

通り過ぎていった。

 つかさはちょっとの間呆然としていたが、やがて、湧き上がって

くる嫌悪感に身震いし、後ろから彼らの背中をキッと睨みつけた。

(淳平君は、あんな奴らとは違うもん・・・)







































「えーっ!?ヒッドーイ!」

 ありったけの非難を込めた目で睨んでいたつかさの耳に別の誰か

の声が飛び込んでくる。

「でしょ!?私が久しぶりに帰ってきたら、もう他のコといるの!

信じらんない!」

 今度は、女子高生の三人組だった。ぷりぷりと怒りながら、それ

でも最後は、自分がどんな風にその男を振ってやったかの話で、三

人とも大笑いしていた。












































「・・・」

























































 つかさは、ぼーっと立ち尽くしていた。色々なことを考えている

ようで、何も考えることができなかった。様々な物が、頭の中で渦

を巻いている。たった今聞かされた話。それに対する下卑た笑い。

綾の顔。淳平の顔。全てが溶けて、混ざり合っていった。


























































(でも、あれは・・・)
























































 夢だった。そう言い切ろうとして、直後に自ら疑問を投げかけ

る。だとすれば、先程綾が駅で見せたウィンクは、一体何だったの

だろうか?あれは、昨夜の光景が事実であると言うことの証拠では

ないのだろうか?

































































「お待たせ!」

 つかさが、落雷に打たれたかのようにビクリと反応し、サッと振

り向く。ようやく解放された淳平が、よれよれの格好で苦笑いを浮

かべていた。

「参ったよ。中々逃がしてくれなくてさぁ。」

 二人で祭りを見て回り、淳平が撮影でどんなことをやらされたか

を面白おかしく話している間、つかさはじっと黙っていた。始めは

気付かなかった淳平も、そんなつかさの様子を徐々に不振がるよう

になっていった。





















































「ねぇ・・・何か、あったの?」

 太陽が西の空を昨日と同じ真っ赤な色に染めるころ、淳平は漸く

つかさにそう問いただした。つかさは、しばらくの間黙ったまま何

も言わなかったが、やがて、ポツリと言った。

























































「淳平君・・・」










































 神妙な面持ちに、淳平も緊張して、ごくりと唾を飲み込んだ。




































































「淳平君さ・・・東城さんと仲良いよね?」









































 淳平の肩から力が抜ける。もっと、ずっと重い話が出るのかと身

構えていたので、つかさの言葉を耳にした瞬間、少し拍子抜けして

しまったのだった。

「は?・・・いきなり、何を・・・」

「淳平君さ!」

 つかさが、何の予告もなしに大きな声を出す。それまで、絶対に

淳平のほうを見ないようにしていたつかさが、急に向きを変え、淳

平とまともに向き合った。






















































「昨夜・・・東城さんと、何話してたの?」






















































 淳平の顔から、サーッと血の気が引いていく。






















































「何で、西野・・・えっ?」

「昨夜、見ちゃったんだ・・・」

 淳平が、ぐっと口を噤む。言い訳の一つも唱えようとしない淳平

の態度が、つかさの奥底の感情をますます強くしていった。

 気まずい沈黙。周囲の人々も、二人が放つ異様な空気を感じ取

り、徐々に注目し始める。













































「西野、あのさ・・・」

「別にね!」

 最初に口を開いた淳平に、つかさが自分の言葉を割り込ませる。

割り込まれてなお、淳平は何かを喋ろうとするが、つかさが無理矢

理押し切ってしまう。

「アタシは、良いんだよ?東城さんのこと好きだし、淳平君にも、

一番一緒にいたい人といて欲しいし。」

 つかさが、顔中に笑みを浮かべている。どこからか持ってきて、

無理に切り貼りされたようなそれは、却って悲しみの表情を浮き彫

りにしていた。

「西野、だから・・・」

「ごめん・・・ちょっと、別行動にしよっか・・・」

 再び、淳平が何か言うのを遮ってそう言うなり、つかさは脱兎の

如く駆け出し、どんどん淳平から遠ざかっていった。

「西野!?待って!聞いてくれよ!西野!!!」

 近くの木から、桜の花が、花びらに分かれることなく、丸ごと一

つボトリと落ちてきた。




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