第3章『惚気100%』 - 光   様



 一日で、およそ数百台。年間ではそれこそ何百何十万という車両

が行き来する高速道路。そんな場所にあるサービスエリアなのだか

ら、自然とそれらが通過する時の騒音が生じたり、排気ガス量が増

えるのは当たり前のこと。それは、正直に言って気持ちのいいもの

ではない。とは言え、都会を離れた土地。そもそもの緑の量が決定

的に違うそこの空気は、都心のそれよりもはるかにおいしく感じる

し、長時間車に乗っていた者にとっては、適度な気分転換にこれ以

上のものはない。

 淳平とつかさも、偶然に立ち寄ったのだが、少し手足を伸ばしが

てら先刻から悲しく鳴いている胃の腑を黙らせるために遅めの昼食

を摂ることにしたのだった

「そう言えば、淳平君が卒業した後の映研ってどうなったの?」

 注文した料理を待つ間、つかさは頭に浮かんだ疑問を口にしてみ

た。

「俺たちが引退した直後に、部員が外村の妹一人だけになっちゃっ

てその後休部になっちゃったんだけど、去年からまた新入生が入っ

てきた、って黒川先生が言ってた。」

 つかさが「じゃあ、そろそろ今年の映画の台本作ってるころだ

ね」と言うと、淳平は「ちょっと早いんじゃないかな」と、苦笑い

をし、自分たちのことを思い返していた。東城が台本をしあげてい

たのはだいたい5月の終わりから6月の上旬にかけて。その台本に

全員が目を通した後、キャストを決定し、絵コンテの作成に取り掛

かる。

(そう言えば、よく徹夜で描いてて次の日一日中居眠りしてたな)

 当時のことを懐かしみながら、淳平がクスリと笑う。と、

「コラ。二人っきりの時に、一人でアタシがいない思い出に浸る

な!」

 不満そうな声を出しながら、つかさは淳平の頬を指で摘み、ぐい

っと左右に引っ張る。

「いはい、いはい!いはいっへは!」

 淳平が情けない声を出しながら、つかさの手を解こうとする。そ

の時だった。

「お待たせいたしました。」

 料理を運んできたウェイトレスが淳平たちのテーブルのすぐ脇に

立っていた。しかし、どうにも様子がおかしい。一応笑顔ではある

ものの、営業スマイルと言うよりは、むしろ大笑いするのを必死で

こらえているといった様子である。周りの客に目を向けてみると、

同じように笑うのを我慢しているようだったり、呆れ返っているよ

うだったり、中には露骨に引いてしまっているものもいる。今のや

りとりは完全に周囲の注目を集めていた。あまりの恥ずかしさに、

二人は―――特につかさが―――一言も喋らずに、黙々と食事を済

ませ、大急ぎでその場を離れた。

 急ぎの旅と言うわけではなかったし、むしろ到着が早過ぎてもチ

ェックインできないから、と言うことで、本当なら食事が済んでも

多少ゆっくりしていくつもりだったが、外に出てしまった手前、い

や、そうでなくてもレストラン内に戻るわけにもいかず、二人は時

間を持て余すこととなった。

「見て見て、淳平君。」

 別に何を買うでもなく、ただ売店をブラブラしている時、つかさ

が楽しそうに淳平に話しかけた。つかさの指差す先には、掌サイズ

のネコのマスコットの付いたキーホルダーが売られていた。

(あ、西野っぽい)

 淳平の第一印象がそれだった。いたずらっぽく笑っているその表

情が、照れ隠しにおどけてみせた時のつかさに似ているのだった。

 ふと、つかさがそのキーホルダーを手に取った。

「コラ、淳平君!ちゃんと安全運転しなきゃだめだろ!」

 右手に持ったマスコットを動かしながら、可愛らしく甲高い声で

つかさが言った。

「だ、だから、あれは悪かったってば・・」

 苦笑いしながら、謝る淳平。

 するとその時、淳平の右脚に何かがぶつかってきた。

「おっと。」

「あ・・・」

 見れば、そこには小さな女の子がいた。緑色のワンピースを着

て、ピンクのゴムバンドで長い髪を束ねている。4,5歳位だろう

か、目尻にはうっすらと涙の跡が見える。

「お嬢ちゃん、どうしたの?」


 不安そうな表情を浮かべている女の子に、つかさが優しく声をか

ける。どうしたの、と聞くまでも無く、つかさにも、勿論淳平にも

帰ってくるであろう言葉は容易に想像できた。

「えっと・・・あのね・・・・・お父さんとお母さんが、どこにい

るかわからなくなっちゃったの」

 案の定迷子だった。

「えっと、お名前は何て言うのかな?」

 淳平がしゃがみこんで、目線の高さを女の子にあわせて聞いた。

「んとね、奈々っていうの」

「今、いくつ?」

 淳平に聞かれて、「4さい」と言って、親指以外の指を伸ばした

手を淳平に見せた。

「奈々ちゃんか。良いお名前ね。」

 つかさにそう言われて頭を撫でられると、幾らかホッとしたらし

く、女の子の表情が随分と安らいだ。

 だが、順調なのはそこまでだった。どこから来たのか、どこに向

かう予定だったのか、更にはいつどのタイミングで両親とはぐれて

しまったのかが全くわからないらしい。

「どうしよう。迷子センター・・・が、あるわけないよね、こんな

とこに。」

「さっき、あっちに総合案内所ってとこがあったから、とりあえず

行ってみようか。」

 淳平の提案により三人は、つかさと淳平が奈々を挟んで立ち、手

を繋ぎながら歩きだした。案内所で淳平が係の女性に簡単に事情を

説明すると、場内にアナウンスをしてもらえることになった。

「もうすぐお父さんやお母さんに会えるからね。」

 淳平が優しく慰めてあげると、奈々はくしゃっと顔をほころばせ

笑顔になり、小さな子どもらしく、元気な声で返事をした。

「うん!ありがとう、お父さん!」

「「えっ?」」

 奈々の口から出てきた言葉に、つかさと淳平はパッと後ろを振り

返り、次いで互いに顔を見合わせる。そんな二人の様子を見て、口

元に手を当て、「あっ」と小さく声を上げた奈々を見て、淳平は苦

笑いを浮かべる。

「う〜ん、お兄ちゃんは奈々ちゃんのお父さんじゃないんだけどな

ぁ。」

 一瞬、奈々の父親がもう迎えに来たのかと思ったが、どうやら

奈々は淳平のことを間違えて、お父さんと呼んでしまったらしい。

小学校の高学年の子どもでさえ、教師に対して同じ間違いをするこ

ともあるというのだから、4歳の女の子なら仕方がない。

 奈々は少し照れて、エヘヘと笑い「間違えちゃった」と、おどけ

てみせた。

「もう、奈々ちゃんってば♪」

 つかさがクスリと笑い、人差し指で奈々の額をつん、と押した。

「あっ、お姉ちゃんもお母さんみたい。」

「えっ?」

「お母さんもね、奈々が間違えるとそんな風に奈々のおでこ、つん

ってするんだよ!」

 奈々が楽しそうに、一生懸命につかさに説明する。すると、

「奈々ちゃん!」

 背後から聞こえた声に、三人が振り返る。

「あっ、お母さん!」

 大声の主、奈々の母親が現れ、早速飛びついてきた奈々をしっか

りと抱きとめる。

「奈々、ごめんね。大丈夫だった?」

「うん!お兄ちゃんとお姉ちゃんがとっても優しくしてくれた

の!」

 奈々の言葉で奈々の母は顔を上げ、淳平とつかさに対して何度も

頭を下げ、礼を言っていた。

「可愛かったね、奈々ちゃんって。」

 互いの姿が見えなくなるまで手を振っていた奈々を見送って、同

じように笑顔で手を振っていたつかさが、ふっと息をつきながら言

った。

「ホントに。それにしても、“お母さん”だってさ。」

「淳平君こそ、“お父さん”だって。」

 互いに顔を見合わせ、くすっと笑う。と、

(あれ?俺が奈々ちゃんのお父さんで、西野がお母さんって事は)

(アタシが奈々ちゃんのお母さんで、淳平君がお父さんってことは)

 二人が時を同じくして同じ考えが頭の中に浮かび、揃って同じ答

えにたどり着き、これまた同時に赤面する。互いの顔の赤さから、

相手も同じ事を考えていたのだと悟ると、恥ずかしさのあまり目も

合わせられなくなってしまった。いささか気まずく、妙に長い沈黙

が流れた。

「・・・そろそろ行こうよ。遅くなっちゃう」

 つかさが急に沈黙を破り、歩き始める。やはり淳平の方をまとも

に見れていない。スタスタと早足に行ってしまうつかさを、淳平が

慌てて追いかける。こちらもまだ頬が赤いまま。

「・・あ、あのさ・・・・」

 駐車場に戻ってきて、車の前まで来た時に、たまらなくなり、淳

平が声をかける。つかさは足を止めると、くるりと振り返り

「えっ!?ちょっ・・・」

 棒立ちしている淳平の腕にしなだれ、その肩に頭を乗せるように

して囁いた。

「いつか、アタシと淳平君も・・・なれたらいいね。」

 再び淳平がオーバーヒートする。つかさも自分の言葉に更に頬を

染め、しかし、穏やかな笑顔を浮かべている。

「その・・・・・西野が、嫌じゃないなら」

 掠れそうな声を何とか絞り出し、淳平が囁き返す。つかさはくす

ぐったそうに微笑み、

「淳平君がまぁたアタシのこと“西野”って呼ぶからヤダ!」

 そう言って奈々にして見せたように淳平の額を人差し指でぐいっ

と押した。

「あ、早く行かないと遅くなっちゃうな。」

「コラ、誤魔化すな!」

 つかさに可愛く叱られながら、淳平は運転席へと逃げ込む。それ

でつかさも諦めて、大人しく助手席に収まった。

「じゃ、安全運転でね、淳平君。」

「わかってま〜す。」

「アタシの命、預けたからね♪」

「へ、変なプレッシャーかけないでよ・・」

 淳平が苦笑しながらエンジンをかけると、車が走り始める。二人

分の笑い声と、幸せな空気を乗せて。



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