第4章『再開二重奏』 - 光   様



 太陽が、また一段低くなる。昼ごろまでは深く、海洋を髣髴させ

る様な青一色だった空は、その名残を失っている。単純に橙色とも

言い切れず、また、その色を正確に表現し得る言葉は存在を許され

ていない。その色は、宇宙という画家が“太陽”と“地球の大気”

という絵の具を用いてのみ、作られる特別な色。この惑星のみで鑑

賞可能な、大自然の芸術であり、“太陽光の散乱”という、偉大な

る先人の科学的な説明は、無粋なものに他ならない神々しさを持

つ。若干強さを残した夕日が差し込み、つかさは小さなくしゃみを

漏らし、車窓の外に目をやる。

 彼女の視線の先には、二人の人間が映っている。夕日が逆光とな

り、二人ともシルエットとしてしか確認できず、しかも二人のうち

の片方は見知らぬ他人。シルエットの片方が、もう片方に対して何

度か頭を下げ、礼を言われた方は軽く会釈をして去っていった。

「どうだった?」

 車に戻ってきて、今度はちゃんと姿が確認できる状態の淳平につ

かさが声をかける。淳平は運転席に滑り込むと、右手に持っていた

地図を後部座席に放り投げ、口を開く。

「わかったよ。やっぱり、さっきの所で良かったみたい。」

 目線で軽くつかさに謝り、エンジンをかけ、アクセルを踏んだ。

 淳平とつかさを乗せた車は高速道路を降り、長閑な田舎道を“順

調に”走っていた。ように思われた。少なくとも、最初の2,30

分は。都会の複雑な道に慣れているから、という油断が原因か、は

たまた持っていた地図があまりにも大雑把過ぎたせいか、二人を乗

せた車は、500メートル前に気付かずに通り過ぎた道を探して西

へ東へ。そもそも存在すらしていないはずの曲り角を探して北へ南

へ。延々1時間彷徨い続け、それらしい十字路を見つけても、なん

となくと言う理由でその場をパスし、最終手段として地元の人に聞

いてみれば、結局、その道であっていると言われ、なんとも疲労感

の溜まる解決を迎えたのだった。再び二人で例の曲り角に来てみ

て、特別に見つかりづらい場所でもないということを再認識し「お

互いドジだね」からかい合い、直後に見つけた宿泊先のペンション

のでかでかとした―――おおよそ見逃しそうも無い―――看板を見

つけ、二人で大笑いした。そうして辿り着いたペンションは、大き

くはないが、真っ白な壁に若草色の屋根のよく映える、綺麗でさっ

ぱりとした、感じの良い建物だった。正面から見て、二階に五つ、

一階に三つ、桟の部分に見事な意匠を凝らした窓が陽光を照り返

し、美しく輝いていた。

 トランクから荷物を引っ張り出し、3段ばかりの石段を登ってド

アをくぐり、玄関口に置いてある呼び鈴を鳴らした。

「はーい!」

 奥から女性の声が聞こえ、次いでぱたぱたと廊下を走る足音が近

づいてくる。

「ようこそ、いらっしゃいま・・・・・」

 笑顔で現れた女性が途中で言葉をプツリと切り、同時に固まる。

そして、

「うそ・・・」

 彼女の呟きが、直後の沈黙をより一層際立たせる。ちなみに、先

程から彼女と似通った反応をしている女性がこの場にもう一人。

「な、なんで・・・」

 旅行用鞄の取っ手をしっかりと握り締めたつかさが、目をまん丸

に見開いて、同様に呟き、素っ頓狂な声を出す。











「なんでこんなトコにつかさがいるの!?」

「なんでこんなトコにトモコがいるの!?」


 二人が発した大声が見事にハモり、林間に響き渡る。共に目を大

きく見開き、利き手の人差し指をビシリと伸ばして相手をさす。淳

平はと言えば、つかさの隣で固まったまま、つかさとトモコの間で

視線を行ったり来たりさせていた。

 話を聞いてみれば、このペンションは彼女の叔母が経営している

らしく、トモコは手伝いがてら、ここでバイトをしているのだと言

う。

「アンタねぇ、こっちに帰ってきたなら連絡してよ。」

「そんなこと言ったって、今日のお昼ごろに着いたばっかりだも

ん。」

 久しぶりに会話を弾ませている女性二人の脇で、淳平が未だによ

く解っていないような顔をしていたので、つかさが説明しだす。

「私の高校の時の友達。淳平君も会ってるよね?ホラ、修学旅行の

時・・・」

 言われてはじめて気付いたらしく、淳平は「あぁ、あの時の」と

言って大きく頷いた。もっともトモコの方も、その時のことを――

―あの時は順平のことを代理の人間だと思っていたので仕方ない気

もするが―――忘れていたのだが。

「それにしても・・・ふんふん、成程。」

 淳平と簡単な挨拶を交わしたトモコが、淳平とつかさを観察する

ように、見比べるかのようにしげしげと遠慮もなく眺め始めた。

「ど、どうしたの、トモコ?」

 つかさの発した問いが聞こえているのか、いないのか、トモコは

ニヤリと笑うと、さも意味有り気に、何度も頷く。

「帰国直後に、誰も連れずに二人っきりでこんなとこまでね

ぇ・・・」

 そう言うと今度は今までの危険な感じの笑みを拭い、

「私は、何があっても二人の味方だからね!頑張りなよ!」

と、励ますような表情を浮かべ、力強く宣言した。

「ちょっ、コラ!トモコ絶対に何か勘違いしてるだろ!?」

 彼女の目には、二人が駆け落ちでもしているように見えているら

しく、楽しそうにニヤニヤしながら、「照れるな、照れるな」と、

つかさの肩をポンポンと叩いた。

「では、真中様ご夫妻をお部屋までご案内〜♪」

 再びつかさの「トモコ!」と言う怒鳴り声が、辺りにこだまし

た。


 フロントのすぐ脇の階段を上り、二階へ。17段の急な階段を上

りきると、すぐに突き当たり、そこから左右に廊下が伸びている。

部屋の扉は全て片面に集まっており、反対側の窓からは、外の景色

が見えるようになっている。遠く、はるかに見える山の、夕日に染

まる様などもさることながら、その窓は本来、眼下の内庭を見るた

めに作られたものだった。庭には、石英を多く含んだ真っ白な石が

一部の隙も無く敷き詰められ、真ん中よりもやや奥まった所に、立

派な金木犀の木があった。今は花はおろか、蕾すらつけてはいない

が、10月を迎えるころになると、鮮やかな色彩と、言わずと知れ

た香りが、宿泊客達の鼻腔をくすぐり、彼らの旅のおおきな思い出

の一つとなっている。

 階段を上って、右側の一番奥の部屋。ドアに取り付けてある表札

のようなものに『葵』と書かれている部屋に、淳平とつかさは案内

された。

「ここが二人の部屋ね。トイレは部屋に備え付けてあるけど、一応

この階の反対側にもあるから。お風呂は階段を下りたら左に行って

突き当たった所。日毎に男湯と女湯が逆になるから気を付けてね。

2つ隣の『楓』の部屋に仕事で来てるお客さんが一人いるけど、そ

の人も明日の朝チェックアウトらしいから、ほとんど二人の貸しき

り状態。」

 部屋の入り口付近にドスンと荷物を置いたトモコがテキパキと説

明する。随分と慣れた感じで、言葉が淀みなく出てきていること

が、ここでのバイトの経験が浅くないことを示している。そこまで

を一気に言い切って一呼吸置くと、トモコが再び口を開く。

「今日の夕食は、7時から。ここは家族風呂もあるから、夕飯まで

“何してても”良いよ。お二人さん♪」

 トモコのぐふふと笑った顔目掛けて、つかさが渾身の力を込めて

投げた枕が飛んでいくが、既にバタン、と言う音と共に閉まってい

るドアにぶつかり、そのまま床に落ちる。

「アハハ・・・で、実際どうしようか?まだ、結構時間あるけ

ど。」

 淳平が腕時計を覗きながら苦笑する。確かに、このまま7時まで

何もしないで過すには、少々時間がありすぎる。

「とりあえず、ちょっとゆっくりして・・、その後お風呂行こっ

か?」

「えっ・・・」

 淳平が咽を締め付けられたような声を出す。淳平の頭の中は、

様々な表情、様々なはしゃぎ方をしているつかさでいっぱいにな

る。唯一共通していることは、その全てが湯煙の中で、一糸纏わぬ

姿であること。

「何想像してんだよっ!別々に決まってるだろ!」

 夢の中で落下した時の様な衝撃を受けて、妄想の中から一気に現

実に引き戻される。たった今トモコに言われたことも手伝ってか、

つかさの口から“お風呂”と言う単語が出た瞬間に妄想を炸裂させ

ていた。

「べ、別に変なことなんか考えてないってば!」

「そういう言い訳は、伸びきってる鼻の下縮めてからした方がいい

と思うなぁ〜。」

 つかさに突っ込まれて、淳平はばつの悪そうな顔をしながら、慌

てて口と鼻の周りを手で覆った。

「そ、そう言えば、『楓』の部屋に泊まってる人って、どんな人な

んだろうね。」

 鼻の下を元に戻し、誤魔化し笑を浮かべながら、淳平が何とか話

題を逸らそうとして言った。

「誤魔化し方が不自然だって・・・。それより、早くお風呂行こ

う。」

 つかさが呆れたように言いながら、バスタオルを引っ張り出すの


を見て、淳平も準備を始める。支度が終わると、二人は風呂場に向

かった。

「でも、本当にどんな人なんだろうね。」

 淳平が部屋に鍵をかけるのを見ながらつかさは淳平が先程出した

話題をもう一度取り出した。

「ん〜、仕事で来てる、って言ってたから、紀行雑誌の記者と

か・・・」

 考えながら廊下を歩いていた淳平が突如口をつぐむ。噂をすれば

なんとやら、『楓』の部屋の前に差し掛かった時、突然開いた戸

が、淳平の顔に見事直撃し、鼻に激痛を走らせる。

「あっ!ご、ご、ごめんなさい!ごめんなさい!」

 淳平に不可抗力の一撃を与えた人間が、大慌てで何度も謝る。

「だ、大丈夫、淳平君!?」

「えっ?」

 蹲って悶絶している淳平につかさが声をかけると、部屋から出て

きた人物は下げていた頭をぱっと上げ、淳平とつかさをぽかんと見

つめていた。

「ん?」

「イテテ・・・あれ?」

 二人も何かを感じ取ったように、顔を上げてその人物と目を合わ

せる。女性だった。しかも、二人が全く見知らぬわけではない。む

しろ、セミロングの黒髪といい、思わず見惚れてしまいそうになる

ほど整った風貌といい、その女性は間違いなく・・・。











「真中君と、西野さん!?」




「と、東城!?」

「東城さん!?」



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