オリジナルSF 全年齢対象 「夢のあとさき」プロローグ-たゆ管理人


「私」は第五層東居住区からメモリースペースに向うため中央エントランスホールへと向う。
久々の休暇時間だ。
カウント1100より1000までの僅か23カウントの間であるがこうしてゆっくりと艦内を歩き回れる事は単純に嬉しい。
以前より上司に勧められていた、この艦の成り立ちを標したメモリースペースが今回の休暇目的だ。
軽重力路を手摺の動きに合わせて身体を泳がせ通る。
人が多く行きかうこの通りをゆっくり魚----資料館の立体映像しか知らないが----のようにたゆたう。
プレゼントの箱を開ける前の高揚感に包まれながら、あちらこちらに点在する商業スペースをのぞき見る。
そうしている内にあっという間に中央エントランスホールに到着した。
娯楽施設が主なスペースである。揉め事が多いのか居住区ではあまり係わりのない保安員の姿が見られる。
ここは通常重力で廊下を自分の足で歩くことになる。
常に開放されている賑やかな娯楽施設とは対照的な、聖域のような空間へ歩みを進めた。

人のいないそこは図書室か斎場のように静かであった。
入室すると正面には巨大な窓がある。10メーター四方はあろうかと思うほど大きなものだ。
壁面を飾る艦の歴史を綴った功労者達のレリーフを横目にたどりつく。
窓の中央には真っ黒な虚空にぽっかりと浮かぶ青と赤のまだらのモヤが映し出されていた。
よく見るとうねうねと蠢いている。時折、きらめいて見えるのは星雲ガスの爆発の所為であろうか。
輝く宝石を見るように暫く眺めていると、高齢の男が声をかけてきた。

「若いのにここに来るとは感心だ。
 アレは未だに私達を受け入れてはくれない。
 神の怒りに触れたという者もいる。
 しかし、わしはそうは思わんよ。
 試練の時さ、失くしたものも多いが得たものも多い。
 この広大な空間に城を築いたのだ、人間の勝利の賜物だ。」

「私」は窓の中央を指差しながら語る男にそれがなんなのか解らないと正直に答えた。

「これが何か知らないとは・・・」

男は半ば絶句し「私」を見た。
怒りを通り越し呆れてるらしい年老いた風体のその男を「私」もまじまじと見詰めた。 
灰色の艶のなくなった髪はウエーブして、くたびれたモップの先のようにばさばさだ。
男の顔には幾筋もの皺があった。
一本一本が彫像のように深く刻まれ、男の辿った道筋が必ずしも平坦ではなかったと語らせている。
目は細められその奥から眼光を発している。強い光だ。
多分、間抜けな顔をして見返していただろう「私」に男は噛んで含む様に言った。

「ニルヴァーナ」
「はい?」
「これはニルヴァーナだ」
「・・・ニルヴァーナ・・・」
「還る所だ」

男は言葉を紡ぐあいだ、輝きうねるそれを見詰め続け目をそらさずにいた。
愛しい家族を見るようなそんな目で、広大な闇の中に浮かぶ青と赤のまだらを眺めていた。

言い訳をするなら艦内に窓はない。この大窓も遥か遠くにある「ニルヴァーナ」を衛星監視してる中継映像でしか他ならない。
見る機会もここしかないのだ。
資料館にある映像は大昔に人間が星の上で闊歩し、恋人が瞬く空の星を仰ぎ見て愛を語りあうことが出来た時代のものだ。
初めて見てそれがなんなのか分からなくても恥ずかしい事ではない。
「私」はこの艦生まれだ、一生ここを出ることもない。
目の前にいる男が経験したような大昔の武勇伝を聞きながら育った世代でもない。
今や大多数の人間がそうだった。

二人が見詰める先にあるもの。
眺めるそれは、ぬばたまの闇に散らんとする、一つの花であった。


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私が朝目覚めると、心の中で一つの言葉が響いていた。
口先から自然と出てくる。
口に軽く、やさしく響くそれを舌先で転がすように呟く。
そんな想いを無視し、朝餉の仕度と仕事へ行く準備を機械的にこなした。
いつもの時間に家族へ挨拶をして出勤する。
車にキーを差しこみ、セルが回るうるさい音と始動するエンジンの振動確かめる。
玄関前のスペースより公道へ出て行く。
ありきたりの日常のはずであった。
只一つを除いて。

心地よい響きを持ったその言葉は私を魅了し離れる事はなかった。
或いは遥か遠くの物語か、過去に誰かが経験した事かもしれない。
どこかで読んだ小説なのか確かめることもしなかった。
今はそれでいい。
私は束の間の旅人であったのだ。

星の名を呟く。
惑星「ニルヴァーナ」
私の還る所。


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