第二章
Xodo!(愛しい人!)
先につかさが入る事になった。
疲れているのはつかさの方で少しでも休ませてあげたい、かなり後手に回ったが真中の素直な気持ちだった。
「はい、テレビのリモコン、まだ何かしてると思うから見ててね」
つかさは真中に気遣い、手渡すと慌ただしく出て行く。早く真中に入らせたい為に。
未だ浴衣姿のつかさを目で追いながら考える。
今夜このまま行けばつかさの部屋で泊まるのだろうと。
(もう一度、抱く事になるかもしれない、いや、抱いてしまうかも・・・、それでいいのかな、
傷つける事になるんじゃないか?・・・俺・・・ばっかりだよな、いい思いしてるの・・・)
つかさに見せられない程の情けない顔をして、見る気も無いテレビを付ける。
身体から力は抜け落ち、椅子に縫い付けられた様。同じ考えばかりが巡って来る。
つかさは早速脱ぎ始め、浴衣を普通のハンガーにかける。
ずり落ちそうなそれを壁に掛け、洗面台の鏡の自分に気付く。
華奢な首筋から駆け下りるように始まり、白い肌の胸の谷間で深紅の花が幾つも咲き乱れる。
つい先ほどの秘められた出来事を改めて思い起こさせる。
「ふふ」つかさの唇の端が上がる。愛しい様にそれに触れる。
下着に手をかけゆっくり下げる。
何も無い野外での出来事ゆえに、ハンカチで押さえられたそこは真中と自身のそれで溢れそうになっていた。
(大変、浴衣大丈夫かしら)浴衣には何も付いてなかった。安堵する。
真中に尽したく、自分の身など考えてなかった。すばやく脱ぎ、それらと共に風呂に入る。
不思議と嫌悪感も無い。かなり危険な行為と知っているのだが、受け入れた喜びのほうが強い。舞い上がっているとは気付かない。
折角、真中が張ったお湯を汚したくは無い、早く替わってあげたい。後から入る真中に気付かれたくない。
つかさはシャワーで手軽く、済ませる事にした。
今日は独りではなく、孤独の中で過す日常ではない。暖かな存在がある。それだけで違う、目に映る全てが。
真中の事しか考えられない。考えたくない。
つかさが居間に入ると真中が笑顔で迎える。パジャマ姿のつかさもそれに答える。
風呂上りで上気した肌が美しい、ショートヘアから肩のタオルに滴が落ちている。
「お先でした〜」
「早いなぁ、もっとゆっくりでいいのに」
「ううん、それより淳平くん入って、お湯冷めちゃう、着替え準備するね」
「ありがとう入るよ、ごめん、色々させちゃって」
「いいから、早く、ね」
半ば追い立てる様に風呂場に行かせる。眠たげに見えたのだ、居間に入る瞬間に見せた彼の顔。
真中は願う。気付きません様に、その悲愁よ。
今は只、憂うだけ、狂おしいほどに恋しい、切なき一夜(ひとよ)。
真中が脱衣所に入るとそれに気付く。
壁に掛けられた浴衣は未だに形を保っていて、その人を思い起こさせる。
華奢な肩から胸のふくらみの跡が、帯で絞られた腰のラインもそのままで、
ピップの盛り上がりには横皺が入っている。
丁重にたたまれた帯が性格を現して、ここに居る筈の無い人を強く感じる、意識する。
真中はふらりと近づく、浴衣に手を触れ呟く。
「西野」
頬に寄せ顔を埋めると、つかさの薫りが鼻腔をくすぐる。
友人より親しい存在になった筈である。自らも望んだ形で。だが実際はどうであろうか。
真中が自覚する。その度に遠くなる想いが哀しい。つかさの抜け殻を抱きしめ、想い彷徨う。
半開きの瞳には先程の白い肌が乱舞する。強烈に身体が反応する。
「西野・・・にしの・・」呼ぶ、うわ言の様に呻く。何かを乞うが如く。
ほんのひと時、うなされていた。甘美過ぎて、現実に帰れない夢。
暫くすれば、つかさが着替えを持って来るのを思い出す。
見られたくなど無い。これ以上にそれ以下に自己嫌悪に陥りたくない。
潤んだ目を擦り、乱暴に着衣を脱ぎ捨てる。ポケットの小銭がチャリンと鳴る。
下着とTシャツを真ん中に、ズボンで丸めると部屋の隅に投げた。
ベルトの金具と小銭がカチャンと騒がしい。素っ裸の真中は慌てて風呂場の扉を開けた。
つかさは時間を見計らったかの様に持ってきた。
真中は座り込んでかけ湯をしたばかりであった。湯船に入る前に洗おうと、シャンプーを手にとって頭に付ける。
「バスタオルの横に着替え置いとくよ、ゆっくり入ってね」つかさが声をかける。
「ああ、うん」声をかけられた事にどきっと胸がなる。何もやましくなど無いのだが。
つかさは足元の丸められた真中の服に気付く。明日の着替えが無い事に気付き、洗濯機に早く入れようと行動する。
下着はなるべく見ないようTシャツと一緒に、ズボンはベルトを外し、ポケットの財布と小銭を取り出し、
何も無いのを確認してから洗濯機へ入れる。
「淳平くん、服洗濯するよ、乾燥機で乾かせば明日着れるから大丈夫だよ」
「えっ、ええっ、そんな事までしなくていいのに、にっ西野ごめん」
トランクスを見られた事に動揺を隠せない、頭を洗いながら赤くなる。
「ふふふ」そんな真中に気が付いているのか、つかさは微笑みながら見守る。
彼のそれを洗うのは二度目だと思い出しながら。
暫しの間、低く唸る洗濯機にすがりながら、つかさは磨りガラス越しに朧に映る真中の背中をぼんやりと眺める。
その顔は落ち着いていて凪いでいる水面のようだ。普段と変わらぬ顔のままである。しかし彼女の中で何かが凄む。
ゆったりと川面に映る月光のような青い焔が瞳の奥に一瞬ちらっと現れる。巣籠る。
そしてつかさは彼女を知る人には決して想像もつかない行動に出た。
つかさの左手が肩にかけているタオルを外す、右手がパジャマのボタンにかかった。
当たり前の事のようにパジャマの上着を脱ぐ。ブラを外す。下着もズボンごと足を抜き取る。全てを晒す。
シャワーで温められた肌はまだ熱を保っており、桜貝のようにあえかで美しい紅色だ。
バスタオルを手に取り、風呂場のドアノブに手をかけた。
突然、つかさが入ってきた。既に居ないと思っていた人が目の前に、タオルで簡単に隠すだけの姿で。
身体を洗っていた真中は、振り返ったまま唖然とし、はっと息を呑みその艶姿にすい込まれる。
「背中流してあげようと思って、今日は疲れたでしょ、驚いた?ふふふ、タオル貸して、背中まだでしょ」
驚く真中の顔にいたずら心を刺激されたのか、つかさは子供に帰ったかのようだ。
「えっ・・・あっ・・・はい・・・」泡の付いたタオルを渡すと前を見たまま硬直する。
(西野、どうして・・・まさか・・・ね)
つかさが何を考えているのか解らない。否、解りすぎているかもしれない。只その考えは自分の妄想だと考える。
「はい、流すよ〜」洗い終わり、流される。子供のように扱われる。真中の危惧は外れたようだ。
真中は考えていた。今日はもうつかさを抱かないようにしたかった。
雰囲気に流されてしまうかもしれない、だがこのまま抱けば身体だけが繋がるだけで、つかさの気持ちと繋がらない、
釣り合わなくなる。追い付こうとする自分の気持ちを置いて行ってしまう。そう考えた。
しかし、想いを反して身体は猛っていく、つかさが触れる背が敏感に指の動きを追う。
それを隠す為のタオルはつかさが持っている。足を閉じ大人しくしているしかない。
「あの、ありがとう、もう良いよ」精一杯につかさに声をかける。
「・・・うん、終ったね・・・」後ろに居るつかさは動かない。触れる事も無くじっとしている。
「西野・・・その、お風呂に入っていい?」困惑した真中が言う。
「・・・うん・・・」つかさの瞳には青い焔が揺らめく。
「タオル貸して欲しいんだけど・・・」肩越しに後ろに手を出す。
「・・・」
「西野?」
「!」真中の脇の下から白い華奢な腕がまわされた。つかさの身体が密着する。力強く抱きしめられる。
(はあっ・・・西野・・・だめだよ・・・我慢できない・・・)
タオル越しのそれでも真中には十分だった。つい先刻の出来事に脳が焼ける、身体の中心が更に鼓動を増して行く
「西野!あのっ今年さ、海行こう!海、」突然の会話につかさは目を丸くする。ぎりぎりの真中。
「うっうん、そうだね。でも今月中は無理かな」残念そうには聞こえない声。
「えっどうして?バイトで行けないわけないし・・・」シフトを合わせている二人である。それは無い。
「だって、ほらぁ、見てよ・・・水着、ビキニ着れないでしょ」
さも可笑しいと言う感じでくすくす笑いながら身を離し、真中に見せる。
タオルを完全に取り、胸から下にも、開かなければ見えない所にも色濃く残る、それを。
真中はつかさの傷ついたであろう身体を労わりたかった。
その時までは
「ふふふ」と目の前に魅惑の笑みを浮かべる少女。
その肌には自分が付けた印が、花咲くように無数にある。
抑えたものが大きいほどに、箍が外れる時の反動も大きい。
大切にしなければと思うほどに、自分だけのモノにしてしまいたい。
全部。喰らいたい。どこまでも。
男の中で何かが飛んでいった。飢えたそれが起き出す。
只、見詰める。身体がかっと熱くなる。轟と荒ぶる。業であろうか。
つかさには見えない位置の真中自身が、動悸を起こした胸の高鳴りそのままに自らの身体に打ちつける。
内から湧き出る熱の所為で、視界が霞む。つかさの白い身体だけが生きている。この世界にはそれしかない。
その他のものは色褪せ虚ろに、身近にあるはずの自分の肉体も思考も既に無い。
渇望。次第に獣の目付きになる。真中が決して心から望んではないものに変化していく。
獣が吼える。
「にしの・・・」ひりつく喉から絞り出すその声に理性は無い。
獲物を定める。
激しく響く音。深夜の風呂場でけたたましい音がする。切れ切れの悲鳴が一つ。
無音。全ての音は幽寂の闇へ消散する。
修羅が一人。人は誰しも修羅が身の内に存在する。
捕らえられ、動きを封じ込まれた女の身の内にも然り。
蒼い焔は未だ消えずにその瞳の中、夜中のカンテラの如くぽつりとある。
嵐が来てもその小さな光は消えない、業の篝火。
修羅の時。暖かな照明の下、肌は再び重なる。