ichigoWAR-7  - takaci 様




(うわ・・・なんか・・・)


初めて目にするひとみの私服姿は、平一の鼓動を急速に高める。


だがそんな平一の心を知らずに、ひとみは笑顔で語りかけてきた。


「平一くん、いま帰り?」


「あ、ああ。大西さんは・・・ここでバイト?」


ひとみが身に付けているエプロンには、この花屋のロゴマークが記されている。


「うん。あ、そうそう、名字で呼ぶのやめて欲しいなあ。下の名前で読んでよ、へ・い・い・ち・くん!」


「じゃ、じゃ、じゃあ・・・ひとみ・・・ちゃん、で、いい?」


さらに鼓動が高まる。


「うん!あ、そうだ、時間あるでしょ?ちょっと寄ってってよ、ほらほら!」


ひとみは笑顔でそう言いながら、平一を店の中へ招き入れた。





「あ、ちょっと・・・」


平一は何も言わせてもらえなかった。


(この娘ってめっちゃマイペースだなあ。俺も一応予定があるんだけど・・・)


(・・・でも、まあ仕方ないか・・・)


釈然としない思いを抱きつつも、平一はひとみに呼ばれて店の中へと入っていった。


依然として、心の鼓動は高いまま・・・





(うわあ・・・綺麗だなあ・・・)


店内は色とりどりの花で埋め尽くされている。


(でも・・・この感覚はちょっと・・・)


視覚とは裏腹に、他の感覚が平一に不快感を抱かせる。


生きる草木系が発するにおい。


高い湿度。


単体ではほのかな良い香りを放つ花も、多数集まれば香りが強すぎて『異臭』と感じる人も多い。


平一はそう感じていた。





「あ、平一くんてこの空気苦手なの?」


ひとみは平一の不快感を敏感に感じ取っていた。


「う、うんちょっと・・・においがちょっと強い感じで、あと湿気も多いよね」


「そうなんだよねえ、あたしも最初は嫌だった。けど慣れれば平気だよ!」


ひとみは笑顔を崩さない。





(この笑顔・・・マジでヤバイ・・・)


平一の鼓動はなかなか収まらない。


また、ひとみが『学年一のアイドル』と言われる所以を肌感覚で感じ取っていた。


その魅力に平一の心は急速に惹かれていく。


「そ・・・そんなもんなんだ・・・でも改めて見ると、花っていろんな種類があるんだね」


自分の心を悟られないために、平一はひとみから陳列されている花たちへと目線を逸らした。


「そうだね。あたしもこんなに種類があるとは思わなかった」


「あの・・・花が好きだからここでバイトしてるんじゃないの?」


平一は抱いた疑問を素直に口にした。


ひとみの言葉からは、以前はさほど花に関心が無かったように感じ取れる。


「うん、前はさほど関心なかったんだけど、まずこれに惹かれたんだ」


ひとみは陳列されている花たちから、一本のオレンジ色の花を取り出した。


「これは?」


「ガーベラ。花言葉は『神秘』で、日にちは10月の・・・いつだったっけ?」


「花言葉は聞いたことあるけど、日にちって?」


「誕生花って言って、1年366日全ての日にそれぞれ花があるの。まだあたしも勉強中なんだけどね」


「へえ、それは知らなかったなあ。誕生花かあ」


「ガーベラは色によって花言葉も違うんだ。他に黄色やピンクや白のガーベラもあるけど、全部違うんだよ」


「へえ・・・」


平一は他の色のガーベラを見ながら、ひとみの知識を素直に感心した。


「あたしは最初にこのオレンジ色のガーベラに惹かれたんだ。まずガーベラが好きになって、いろいろ調べたら他にたくさんのことが分かって・・・気付いたら花全部が好きになってた」


「あ、その感覚は俺も分かる。好きになるとどんどん知りたくなって、のめり込んでいくって言うか・・・」


「そう。だからあたし平一くんのこと、もっと知りたんだ!」


ひとみはとても愛らしい笑顔を平一に向けた。





(こ、この表情・・・俺負けそう・・・)


平一の心全てを掴んでしまいそうなほどに惹かれる笑顔だ。


それでもなお平一の心はギリギリの所で耐え止まり、逆に疑問をぶつけた。





「な、なんでそこまで俺のことを?やっぱ・・・アレがあったから?」


『アレ』とは、先日の事件のことだ。


「それに大・・・ひとみちゃんって俺のことあまり知らないんじゃない?俺ってオタクだし、他にもっといい男いるんじゃ・・・」





「そんなの関係ないよ」


ひとみは平一の言葉を遮るようにそう言うと、今までとは異なる笑顔を見せる。


顔は笑っているが、その眼差しはとても真剣だ。


(この娘・・・マジだ・・・)


平一もそう感じ取る。


「アレはきっかけに過ぎないよ。あたしの心は平一くんに惹かれた。人を好きになるのって理屈じゃないんだよ。たぶん・・・」


「理屈じゃない、か・・・」


「平一くんがオタク系ってことは聞いてる。あたしを助けてくれた人がどんな人なのか、友達にちょっと聞いたんだ」


「へえ、そうなんだ」


「正直言って、友達では少し敬遠してた子もいる。けどあたしの心は気にならなかった。だからもっと平一くんのことを知って、確かめたいんだ。自分の心もね!」





「なるほどね。俺も、少しひとみちゃんのことが分かった気がしてきたよ」


ひとみの花に対するスタンス。


そして自分に対する真剣な眼差しと、打ち明けた心。


それらは平一に『大西ひとみ』という、どこか不思議な女の子の一面を垣間見たような気がしていた。


気が付くと、ずっと高まっていた鼓動もかなり収まっている。


お互いが少しずつ心を打ち明けることで、心の壁が低くなっていく。


それを繰り返し、人は惹かれあっていく・・・


平一とひとみの距離も、今ここからゆっくりと縮まり始めた。










その後ひとみは仕事をしながら、平一とたわいも無い会話を交わす。


心の壁が低くなった平一も、かなりリラックスしてひとみと話せるようになっていた。


そしてそのリラックスした心が、外の変化に気付く。


「あれ?店の外、ちょっと騒がしくなってない?」


店の外から多くの人の気配が感じられる。


「あ、たぶんすぐそばのケーキ屋さんだよ。確か今日テレビの取材があるって聞いてる」


「ケーキ屋?」


「うん、『パティスリー鶴屋』って言って、かなり有名だよ。一流と言われてる美男美女のパティシエが一人ずついるんだよ」


「へ〜え、そんなケーキ屋さんがこんな所にあったんだあ」


洋菓子に関して全く興味がない平一には、鶴屋の名前とその評判は初めて聞く。


「ちょっと前に雑誌でも紹介されてたよ。あ、店長、その雑誌ってありませんでしたっけ?」


ひとみがこの花屋の女性店長にそう尋ねると、


「うん。確かこの号の・・・このページ!」


店長はとあるタウン情報誌のカラーページを平一に見せた。





「あ、ホントだ、パティスリー鶴屋・・・それと職人さんが・・・日暮龍一と、西野つかさっていうのか・・・確かにふたりとも美形だね」


平一は雑誌に掲載されているふたりのパティシエの写真を見ながらそうつぶやいた。


「でしょ!見た目だけじゃなくって評価も高いんだよ!ほらこの記事読んでよ!!」


ひとみはとても嬉しそうに、平一に雑誌を押し付ける。


「う、うん・・・」


平一はひとみにやや押されるような形で雑誌を受け取り、その記事に目を通した。




記事はカラー3ページも割いており、かなり克明に書かれている。


平一はひと通り記事に目を通して、


「確かに有名なお菓子屋さんで、一流の職人さんみたいだね。特に日暮さんは世界的に有名みたいだね」


平一は記事の感想を一言、まず語る。


「でしょでしょ!!」


ひとみはとても嬉しそうだ。


「でも、西野つかさの評価は微妙じゃないかな?」


「えー、なんで?なんか悪いこと書いてあったっけ?」


ひとみはやや不機嫌そうな表情を浮かべて、平一が持つ雑誌の記事を覗き込んだ。


「ほらここ、日暮さんのコメントで『いい時は俺以上のモノを作る。あとはムラが減って安定した品質で作れるようになって欲しい』って書いてあるじゃん」


「うん、そう書いてあったはずだよ。でもそれって悪いことなの?」


「そりゃ良くはないと思うよ。要は『品質にバラつきがある』ってことだよね。いくらいいモノが作れても、ムラが大きいのはプロの職人としてはまずいと思うよ。俺はね」


「でもでも、プロならおいしいお菓子が作れればいいでしょ!西野さんのケーキはいっつもおいしいんだよ!」


「いや、いくらおいしくても、日によってムラが大きいのは・・・」


ふたりは少し揉め始めた。




「ハイハイヤメヤメ!」


そんなふたりを店長は一言で止める。


「ひとみちゃん、確かにあなたはつかさちゃんに近い所にいるけど、ちょっと贔屓目で見すぎよ」


「はぁい・・・」


店長の言葉でひとみはしおらしくなった。


「それと君、その考えは間違ってないと思うけど、女の子相手にムキになるのはどうかと思うな。それ嫌われる原因になるよ」


「は、はあ・・・」


平一も大人しくなった。


店長は大人の女性らしく、若いふたりのたわいもないケンカをいとも簡単に止めた。


そして、あらためて店長の考えと事情を口にする。


「でも、つかさちゃんのムラのことはこの商店街の人ならほとんど知ってるだろうけど、上のレベルを目指すのなら大きな問題でしょうね」


やや不安げな表情でそう語った。


「え、そうなんです?」


驚く平一。


「つかさちゃんはとても素直な娘だから、感情がストレートに作品に表れちゃうの。特に彼氏のことで悩んでるときはあまり良くないみたいね」


「彼氏、ですか?」


「うん、つかさちゃんの彼氏は今時珍しく素直で性格はかなりいい男だと思うんだけど・・・ま、年頃の女の子だから色々悩みが出てくるのよ。私もそんな時代があった」


「はあ、そんなもんなんですか・・・」


平一には、そのあたりの複雑な女心は全く分からない世界だ。





「大丈夫だよ!西野さんは大丈夫、いつも明るく笑ってるし、ホント幸せそうだもん・・・」





(ん?)


平一はひとみの口調が徐々に暗く、小さくなっていることを変に感じた。





「ちょ、ちょっと!?」


ひとみの目は涙を浮かべて、今にも溢れ出しそうだ。


思いっきり慌てる平一。





「あたし、彼氏の真中さんとも話したことある。とてもいい人で・・・ホント西野さんのこと好きなんだなあって・・・思ったもん・・・だから・・・大丈夫・・・」





「わ、分かった!分かったから!だから泣かないで・・・ね?」


平一は必死になってひとみを優しくなだめようとする。


だが逆に、その優しさが引き金になってしまった。





「ぐすっ・・・ううっ・・・」


結局泣き出してしまい、平一の右肩に小さな顔をうずめる。





「ちょ・・・マジゴメン!だからその・・・」


心の底から思いっきり慌てる平一。


女の子を泣かせただけでも十分に気まずいのに、その女の子が自分の身体に密着して涙を流している。


人生初の体験に平一の心は大きく戸惑う。





「あ〜あ、泣かせちゃったあ〜」


店長は冷ややかな笑いを浮かべてふたりの様子を見ていた。


「ちょ・・・店長さん・・・あの・・・ホントゴメン・・・だから、ねっ!」


あまりの慌てぶりに平一は言葉もままならない。


収まっていた鼓動もまた一気に跳ね上がる。





ひとみが泣き止んで身体から離れるまで、平一は競技中のアスリートのような高い鼓動がずっと続いていた。





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