ichigoWAR-21  - takaci 様





(ったく、今日は酷い目に遭ったなあ・・・)


平一は夕闇に包まれた住宅街を歩きながら、今日一日を振り返っていた。


ひとみが美奈の素顔を晒し、さらに平一にキスしたことによって多くの男子生徒から袋叩きに遭ってしまった。


幸いにも怪我はほとんど無かったのだが、その直後から美奈が姿を消していた。


平一は学校中を探し回ったが、美奈の姿は見つからなかった。


その後は後夜祭に出ることなく、美奈の家に向かっていた。


(俺とひとみちゃんのキスが東山を傷つけた。そんな東山が後夜祭に出るとは思えない)


(少しでも速く逢って、謝らないと・・・)


体の痛みは無かったが、心が痛かった。





そして美奈の家の前に着いた。


(東山、いるっぽいな)


外から美奈の部屋の明かりが点いているのが確認出来る。


と同時に、気が重くなった。


(東山怒ってるだろうなあ。許してくれるかなあ・・・)


心に不安を抱えたまま、インターフォンのボタンを押した。





『はい?』


予想に反して、スピーカーから美奈本人の声が聞こえた。


「あ、俺。中山だけど・・・」


鼓動が高くなる。


『あ・・・ちょっと待ってね・・・』


(東山、いつもと違うなあ。でも拒否られなかっただけまだマシか・・・)


様々な思いが平一の心を駆け巡る。





しばらく後に玄関の扉が開いた。


(うわ・・・)


美奈は髪を下ろして、メガネを外していた。


平一の鼓動がさらに高まる。


「ゴメンね。勝手に帰っちゃって・・・」


美奈も気まずそうに目を伏せている。


「いや、俺のほうこそいろいろゴメン」


まずは頭を下げる平一。


「そのことは部屋で話そうよ。さあ上がって」


「あ、じゃあお邪魔します」


平一は少しホッとしつつも、緊張が続く。


「あれ、ところでおじさんとおばさんは?」


今現在美奈の家からは他の人影が感じられなかった。


「ふたりで京都、奈良に旅行行ってるんだ。あたしだけお留守番。ひどい話でしょ?」


「あ、ああ。そうだね・・・」


美奈の言葉で平一の心に重いものがのしかかる。


(おばさん居ないのか。ちょっときついなあ・・・)





美奈と付き合うようになってから、お互いの家を行き交うようになっていた。


どちらの両親も我が子の恋人の存在は歓迎したが、中でも一番喜んでいたのが美奈の母親だった。


やや人付き合いが苦手で友人も少ない娘にボーイフレンドが出来たことを心の底から喜んでいた。


だから美奈の家でふたりが少し揉めるような事があると、率先して仲裁に入ってくれたのが美奈の母だ。


(おばさんが居ないとなると俺ひとりで説得かあ・・・上手く行くかなあ・・・)


少しずつ不安が大きくなる。


(でも仕方ない。何とか今日中に仲直りしておかないとまずいことになりそうな気がする。俺一人の力で何とかするんだ!)


大きな危機感を前にして、平一は自らを奮い立たせた。





ふたりは美奈の部屋に行き、平一は床の上に座った。


美奈はベッドに腰掛け、傍に転がっていた大きな猫のぬいぐるみを抱きかかえる。


「とにかく、ホントーにゴメン」


平一は深々と頭を下げた。


「なんで謝るの?」


「いやだって、ひとみちゃんとキスなんてしちゃって・・・」


「あれって中山くんの意思なの?大西さんが勝手にしたんじゃないの?」


美奈の口調にはやや厳しさが感じられる。


「いやそうだけど・・・言い訳するつもりじゃないけどホント俺もびっくりして・・・嫌な思いさせてゴメン」


「別に・・・中山くんが悪いわけじゃないからあたし気にしないよ・・・」


そう言いながらも、美奈の言葉と表情には不満の色が窺える。


「でも東山不機嫌そうに見えるけど・・・ホント気にしてないの?」


「そりゃあ・・・嫌だよ。目の前で彼氏が他の女の子とキスする光景を見たんだからさ・・・でも仕方ないじゃない」


「そりゃあそうなのかもしれないけど・・・けど東山には機嫌直して欲しいんだ。今の顔を見ちゃったらどうしても心に引っかかるものがあって・・・」


「中山くんに怒ってるわけじゃないよ。たぶん、あたし自身に怒ってるんだよ・・・」


「え、なんで?東山は何も悪くないじゃないか?」


美奈の言葉が理解できない平一。


「・・・だって、中山くんさ・・・大西さんにキスされた直後はでれっとしてたもん・・・」


ぬいぐるみに顔を半分埋めて、不満を述べる美奈。


「え?ま・・・マジで?」


この言葉で平一の背中に冷や汗が流れる。


「うん・・・あのときの中山くんの顔を見て・・・凄く腹が立った・・・」


「ごっゴメン!!マジで本当にゴメン!!」


「そんなに謝らなくてもいいし、謝って欲しくもない。逆にあたしが情けなくなる・・・」


「え?な、なんで・・・」


平一は今の美奈の心がいまいち掴めない。


「やっぱり男の子ってかわいい女の子に惹かれるんだなあって感じてね。だからあたしもかわいくならなきゃって思って、今メガネ外してるんだよ・・・」


ぬいぐるみを抱きかかえてそう話す美奈の姿はとても愛しく感じる。


「そうだったのか・・・でも東山は東山でいいよ。かわいくなって目立つの嫌なんだろ?」


「うん。でもだからってその中山くんの言葉に甘えてたから、今日嫌な思いしちゃったんだと思うんだ。だから自分のせいでもあるんだから、中山くんだけに腹を立てるのは、ちょっと情けないかなって・・・」


美奈の顔が少しずつ赤くなっている。





美奈の思いを聞いた平一は心が熱くなる。


(東山・・・俺が悪いのに、自分でも責任感じてるなんて・・・)


平一の中にある美奈に対する想いが急速に高まる。


「東山、そんなに自分で抱え込まなくていいよ。不満や要望があるならがあるなら俺にぶつけてよ」


平一は美奈の傍により、両手をしっかりと握り締める。


「あ・・・」


美奈の頬がやや紅くなる。


「東山の気持ち、メッチャ嬉しかった。俺、東山がますます好きになった。俺、東山のために頑張るからさ!」


真剣な表情で美奈に自分の正直な思いを伝える。





そしてその平一の熱い思いは、美奈の心をも熱くした。


「中山くん・・・」


瞳をゆっくりと閉じて、キスを求める美奈。


「東山・・・」


平一もそれに応え、優しく唇を重ねる。





感情が熱くなっているふたりは、自然と互いを求め合う。


平一は自然と美奈をベッドに押し倒し、上から覆いかぶさっていた。


(東山・・・とてもいいにおいがする・・・)


本能がどんどん高ぶっていく。


とそれと同時に、平一に危機感も抱かせた。


「東山、俺ヤバイよ。このまま行くと止まらなさそうで・・・」


上から覆いかぶさりながら、感情の高ぶりを美奈に伝える。


(このまま突き進みたいけど、東山は嫌がるだろう。東山が止めれば、俺も自分を抑えるんだ・・・)


本能が強まる中で、理性を必死になって働かせる。





だが美奈の回答は、平一の予想とは逆だった。


「ねえ中山くん、お願いがあるんだけど・・・」


「な・・・なに?」


「今日みたいに大西さんに迫られても、あたしをずっと好きで居てくれる?他の女の子に本気になったりしないで欲しい・・・あたしも頑張るから」


「東山・・・」


平一は真剣な表情で大きく頷いた。


「俺、東山が好きだ。本当に大好きだよ・・・」


「美奈って呼んで。下の名前で呼ばれたほうが雰囲気いいし、嬉しい・・・」


「じゃあ・・・大好きだよ。美奈・・・」


「平一・・・あたしも大好き・・・」


互いの身体をしっかりと抱きしめあい、濃厚なキスを交わすふたり。


若いふたりは、ここから未知の領域へと突入していく・・・














「最近、つかさちゃんの評判がいいんじゃよ。ムラが無くなったと言われてのう」


そう笑顔で話す鶴婆。


「確かになあ。ここ数日見てるけど、安定したモノを造れるようになってるよな。俺も驚いた」


先日帰国した日暮も、つかさの変貌振りに驚いている。





その日の感情に左右されて、菓子の出来が日によってまちまちである。


これが今までのつかさの評価だった。


だが最近のつかさは常に安定したモノを造れるようになっていた。


「なあつかさ、この進化の理由は何だ?あの坊主と上手く行ってるのか?」


日暮は単刀直入に理由を尋ねた。


「淳平くんは関係ありませんよ。たぶんこれが理由だと思いますね」


つかさはそう言って一本のナイフを差し出した。


「えっ!つかさ、ナイフ変えたの?」


驚く日暮。





料理人にとって、ナイフ類はまさに手先である。


全く同じ銘柄の同じロットのナイフでも、モノが変われば仕事に大きな影響が出る。


つかさの師匠である日暮は、つかさが長年にわたって愛用していたナイフの存在はもちろん知っていた。


だが今つかさが手にしているナイフは、今までのものとは生産国も銘柄も全く異なるものだった。


手先に相当するナイフを変えることは、料理人にとっては一大事だ。


それをつかさが行い、しかもそれで進化していることに日暮は驚きを隠せない。


「良くもまあそんな大胆なことをしたなあ。今までのナイフはどうしたんだ?」


「あっちは調子が良いときのスペシャルナイフにしようと決めたんです。こっちに変えてから、心の乱れに関わらず同じようなものを造れるようになりました」


「でもよく決断したなあ。勇気要ったろ?」


「いま淳平くんと少し距離を置いてるんで、心の状態はよくないんですよ。それに比べたらナイフの変更は大して気にならなかったですね」


「そうか・・・まあいろいろあるとは思うが、これでつかさも一皮剥けたな。パティシエとしては大きな進歩だと思うぞ」


「日暮さんにそう言われると嬉しいですね。あたしも・・・頑張ります・・・」


やや微妙な微笑を見せるつかさ。





パティシエのつかさにとって、日暮から評価を得られることは最大の喜びだ。


だが今のつかさは、さほど喜んでいなかった。


喜べなかった・・・





ナイフの変更。


この真意は、つかさを除いてはだれも予想がつかない理由だった。





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