regret-56 takaci様
7月の最初の日曜日。
「桐山、お待たせ」
秀一郎は自分の車を沙織のアパートに横付けした。
「これが佐伯くんの車かあ。やっぱり凄いね」
素直に驚く沙織。
「まだ乗り出してひと月くらいだからスムーズに運転出来ないけど、それは勘弁してくれよな」
「誰でも最初は不慣れなもんだよ。そんなの気にせずに楽しく行こうよ。初のロングドライブなんでしょ?」
「ロングっても箱根までだから知れてるよ。それより新しく付けたナビのチェックしたいからさ」
「今はいろいろ便利になってるよね。じゃあ今日一日よろしくね」
沙織が助手席に乗り込みベルトを締めると、秀一郎はゆっくり発進させた。
「で、奈緒ちゃん大丈夫なの?」
沙織が心配そうに訪ねてきた。
「ただの夏風邪だよ。ちょっと熱があるからまだ寝てる」
「でも、奈緒ちゃんがなんで代役にあたしを指名したのかな?」
「それは俺にも全く理解出来ん。でもゴメンな、突然無理言って付き合わせて」
「ううん、どうせ予定なんてなかったもん。むしろ奈緒ちゃんに感謝かな。せっかくの機会を作ってくれて」
「そっか」
秀一郎は笑顔を見せながらも、内心は複雑だった。
今日のドライブは以前から予定してあり、奈緒も楽しみにしていた。
だが金曜日に体調を崩してダウン。
それを受けて秀一郎はひとりで行くつもりだったが、どういうわけか奈緒はベッドの中で沙織とメールのやり取りをして、勝手に今日の代役を頼んでいた。
(ホントに奈緒はなに考えてんだ?桐山をあれだけ敵視してたのに、そんな子にデートの代役頼むなんて・・・)
秀一郎は奈緒の考えが全くわからなかった。
そんな頃、奈緒は不機嫌そうな顔を浮かべてベッドで横になっていた。
「その顔は、体調とは関係ないみたいね」
妹の様子を見に来た真緒が苦笑いを浮かべる。
「これも苦肉の策よ。別に他の子と行かれるより、知ってる子と行ってくれたほうがマシよ」
「センパイなら他の女の子を誘うような真似はしないと思うけど?」
「だからってせっかくの初の遠出をひとりで行かせるなんて、なんかやだった。なんか器を小さく見られるような気がして」
「まあわかる気もするけど、桐山先輩はいろんな意味でまずくないかな?奈緒の次にセンパイとの距離が近い人だよ」
「でもマークする相手はひとりで済む。複数の子に目を光らせるより、ひとりだけ見てればいいんだから」
「それもわかるよ。でも桐山先輩を軽く見すぎてない?」
「これが秀から誘ったのなら危ないけど、あたしが切り出した。それなら大胆な行動は出来ないはずよ、たぶん」
「そうかもね。桐山先輩って遠慮がちなところがあるからね。でもこんな又とないチャンスを無駄にする人でもないと思うよ」
「うー・・・」
奈緒の不機嫌さがさらに加速した。
そんな奈緒を余所に、秀一郎はドライブを楽しんでいた。
東名高速を120キロ程度で流す。
これくらいが気持ちいい車だった。
「ホントにいい車だよね。乗り心地もいいし、とてもスムーズ。そんなに安いなんて信じられない」
沙織にこの車の購入価格を話したが、信じられない顔をしている。
「さすがモータージャーナリストの目に適った車だと思う。このスカイラインって車そのものがいいのか、それともこの車が特別なのかはわからないけどな」
「ノーマルじゃないんだよね?」
「エンジンも足回りも手が入ってる。外観はほとんどノーマルだけどな」
「たぶん前のオーナーの人が大切にしてたんだろうね。ホントに綺麗な車だもんね」
「いい買い物だったと俺は思うよ。ちゃんと走らせられれば結構速いからね」
「そういえば綾先輩も凄い車に乗ってるんだよ」
「それ聞いた。奈緒の親父さんもポルシェ乗ってて、同じショップに出入りしてるってさ。なんか有名な車らしいよ」
「そうなんだあ。あたしもちらっと見せてもらったけど、凄い迫力だった。でも綾先輩があんなポルシェ乗ってるなんてなんか意外だった」
「そんなイメージないよな。まあファッションでポルシェ乗ってる人も多いけど、東城先輩は現行の997ターボでさらにチューンしてるらしいから、本気で走ってるんだよなあ」
「佐伯くんは行かないの?首都高」
「たまに流す程度かな。奈緒が湾岸とかベイブリッジあたりが好きだから。けど本気で走る気にはなれんよ。いろんな意味で凄い世界だ。ちょっとついてけんな」
「お金も時間もかかるみたいだし危ないもんね。綾先輩も今のポルシェの前にベンツをぶつけて全損にしちゃったんだって」
「それ真中先輩から聞いた。2000万のベンツ一発全損したけど、それでもまだ懲りずに走ってるって呆れてた」
「たぶんそれだけ魅力のある場所なんだね」
「俺にはちょっと理解出来んけどな。なんなら今度一緒に走ってみる?夜の首都高」
「ホントに?あたし行きたい」
目を輝かせる沙織。
「まあ夜景は綺麗だし走ってて退屈しない場所ではあるよな。けど飛ばしてとかは言わないでくれよ」
「そんなの言わないよ。普通に流すだけで楽しそうじゃない。てゆーかそんなこと言う人がいるの?」
「奈緒。あいつはいつも飛ばせってさ。親父さんの影響もあるんだろうけど、絶叫マシンみたいなもんだと思ってる節がある。こっちのほうがずっと危ないってのに」
「それはどうかと思うなあ。危ないし、スピード違反で捕まったらまずいよね」
「たぶんその辺のことは全然わかってない。困ったもんだよ」
呆れ顔の秀一郎。
「なんでそんな無茶を佐伯くんに言えるのかな?一緒にドライブするだけで充分楽しいじゃない」
「俺も運転してるだけで楽しいし、まだ慣れてないからペース上げたら危ないんだ。その辺はわかって欲しいんだけどな」
高速を降りて、箱根の山を目指す。
景色もよく、気持ちいい。
ワインディングロードはついペースが上がりがちになる。
普通の大衆車なら大きくロールして不快感を伴うが、このスカイラインのサスは適度に固められていてハイペースも難無くこなす。
秀一郎もかなり慣れてきて、車の特性を掴み、同乗者に不安を与えない走りが出来ていた。
「ホント気持ちいいね。天気もよくて富士山も綺麗だし、東京より涼しいし」
上機嫌の沙織。
「ホントだな。東京からたった100キロでこんなに違うのか」
「佐伯くんも箱根は初めて?」
「ガキの頃に親と来たような記憶あるけど、よく覚えてない。俺は桐山ほど記憶力ないよ」
「あれはたまたまだよ。あたしってお母さんと旅行行ったのってあの一度きりだから、強く印象に残ってるの。ホントにいい思い出」
「・・・いろいろ大変だったんだな。俺って結構恵まれてるんだなって思う。両親は会社経営しててそれなりに大変だけど、収入は一般家庭より多いし、車だってウチに車庫があるから駐車場代タダだし、絶対に桐山より楽な人生だったろうな」
「そんなの関係ないよ。あたしはいっぱい辛いことあったけど、あたしなりに不幸だなんて感じたことはないよ。それに今、こうして佐伯くんとデート出来てる。今はとても楽しいよ」
「桐山は強いな」
「そうかな?でも佐伯くんも強いよ。ホント頼りになるし、安心感あるもん。だから今日もいろんなところに連れてって。どこでも付き合うよ」
「そっか、じゃあ買い物でも行くか」
「ここからなら御殿場のアウトレット近いもんね。あそこ興味あったんだ」
「んじゃ行こう」
御殿場のアウトレットは休日だとかなりの賑わいになり、駐車場に入るだけでかなりの時間がかかる。
普通の人間ならイラつき、これが奈緒なら不平不満が口から出るに決まっている。
だが沙織はなにも言わなかった。
奈緒と過ごす時間も楽しいが、沙織と過ごす時間も心地よく感じていた。
アウトレットは珍しい品がかなりのお買い得価格で並んでいて、つい財布が緩みがちになる。
だが沙織はしっかりしていて、本当に必要なものしか買わなかった。
ただアクセサリーショップに入り、
「わあ、これいいかも」
珍しく目を輝かせる。
「桐山ってアクセサリーの類いってあまり着けないよな」
「うん、あまり興味ないけど、でもこれはいいなあ・・・」
小さな飾りのシルバーのネックレス。
「でもちょっと高いかなあ・・・」
値札と品物をにらめっこして悩んでいる。
そんな沙織を見て秀一郎は店員を呼び、
「これ下さい」
とネックレスを指差した。
「さ、佐伯くん?」
「これくらい買ってやるよ。今日付き合ってくれたお礼だ」
「そ、そんな・・・こんな高価なもの・・・ダメだよ」
「いいっていいって。桐山には世話になりっぱなしなんだし、何かしたいとずっと思ってたんだ。それにこれ気に入ったんだろ?」
「・・・うん。でも・・・」
「欲しいものは欲しいときにちゃんと欲しいって言ったほうがいいぞ。あとで悔やむほうが悔しいからな」
「・・・そうかも。でも・・・」
モジモジと悩ましげな表情を見せる沙織。
こんな姿は普段はまず見せない。
並の男がこの姿を見せられたら一発で落ちそうな威力があった。
「ここは俺に男を立てさせてくれ」
「・・・うん。ありがとう」
早速身につけると、沙織の笑顔がパッと輝いた。
外で夕食を済ませ、沙織のアパートまで送る。
「佐伯くん、今日はありがとう。本当に楽しかった」
車を降りた沙織は運転席側に廻り、秀一郎に笑顔を見せる。
「こっちこそありがとな。俺も楽しかったよ。じゃ」
車を発進させようとしたとき、
「あ、佐伯くん待って」
「え?」
「ちょっと目を閉じて、お願い」
「ん?」
言われた通りに目をつむる。
(えっ?)
唇に温かく柔らかい感触。
驚いて目を開けると、沙織が唇を重ねていた。
その沙織の顔が離れる。
「どうしても今日のお礼を形にしたかったから。油断したね佐伯くん」
悪戯っぽい笑みを見せる。
「え・・・あ・・・その・・・」
「おやすみなさい」
沙織は軽いステップでアパートの階段を昇っていった。
その後ろ姿が視界から消えると、秀一郎はウィンドウを上げて車を発進させた。
(俺・・・桐山と・・・キスした?)
予想だにしなかった事態に秀一郎の頭はしばらく混乱していた。
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