regret-44 takaci様
修学旅行初日。
午前10時。
「ではこれより班行動だ。全員予定通り行くように。高校生らしい節度ある態度を心掛けること。なにかあればすぐ先生に連絡しろ。では解散」
岐阜羽島駅から自由行動が始まった。
秀一郎、正弘、沙織、里津子が集まる。
「んじゃ行くか。まず岐阜まで行って、そこから犬山だ」
秀一郎が音頭をとる。
「1時間くらいだっけ?」
里津子が所用時間を確認する。
「そんなもんだな」
「じゃ、行こうか。忘れ物は・・・って、いまさらどうしようもないね」
照れ笑いを見せる沙織。
修学旅行となると大きな鞄が付き物だが、今回は小さな手荷物のみで、旅行鞄は学校からそれぞれの宿泊先に直送になっている。
いろいろ勝手が違う修学旅行が、
「よし、行くぞー♪」
里津子の元気な声で、
始まった。
「ええっと、犬山駅の手前で降りるんだよね?」
沙織が確認してきたので、秀一郎は笑顔で頷いた。
4人が降りたのは、
「犬山遊園、犬山遊園です」
犬山駅のひとつ前の駅。
「あ、犬山城だ」
眼前に小高い山にそびえ立つ天守閣が見えた。
「歩いて20分ってとこだな。思ってたより景色もいいな」
一通り辺りを見回した秀一郎の第一印象だった。
「この川があるからなんかいいね」
里津子が城の側を流れる大きな川に目を向けた。
「岐阜との県境の木曽川だ」
「へぇ〜っ」
皆、犬山の風景に高印象を抱いていた。
だが犬山城の入り口に着いた頃には、
「つ、疲れた〜」
急勾配の坂が若者の体力を奪っていた。
犬山城は小高い丘の上に建つ小さな天守閣のみだが、この天守閣が国宝に指定されている。
中に入ることも出来、最上階からは犬山市が一望出来る。
4人は古い城下町の景色を堪能して、城を出た。
「ねえ、写真撮ろうよ!」
里津子がデジカメを出し、近くにいた老夫妻をつかまえた。
4人並んで、天守閣を背景に記念写真。
「ありがとうございます」
里津子は笑顔でカメラを受け取った。
「ひょっとして修学旅行かい?」
おじいさんが尋ねる。
「はい。東京からです」
「へえ、珍しいね。この町に来る修学旅行の子なんて初めて見るよ」
秀一郎が今回の修学旅行の内容を教えると、
「ほお、最近の高校はそんな旅行をするのかい。いやあ、時代は変わったもんだ」
楽しそうな笑顔を見せた。
「いろいろ行ってみたいところがあったんですけど、この辺りって電車やバスがないから行けないところが多いのが少し残念です。関とかに行きたかったんだよね、沙織?」
「あ、うん」
里津子に話を振られた沙織は少し残念そうな顔で頷いた。
「関かい?もしよければ乗せてってあげるよ」
「えっ?」
突然の申し出に4人揃って驚く。
「私たちの帰り道で関は通るんだよ。車ならここから小1時間ほどだ。せっかくの機会だ。東京からこっちに来ることなどそうはないだろう。遠慮はいらんよ」
「あの、本当にいいんですか?」
沙織の顔が輝く。
老夫妻は笑顔で頷いた。
「桐山?」
秀一郎が呼ぶと、
「あ、ご、ゴメン。勝手にそんなことしちゃダメだよね。予定通り班行動しないと・・・」
沙織は我にかえってそう口にするが、明らかに残念そうな顔を浮かべている。
「沙織、行ってきなよ」
そこに里津子が笑顔で背中を押した。
「御崎、おい!」
さすがに驚いた秀一郎は止めようとするが、
「佐伯くん、沙織ってホントに関に行きたがってたんだよ。こんな機会もうないよ。だから眼をつむってあげようよ」
「そうだな。俺たちの今日のルートで先生たちのチェックが入ることはないもんな。旅館に4人一緒に入ればバレんだろうな」
「若狭まで・・・」
「佐伯くん・・・」
ここで沙織がじっと秀一郎を見つめる。
「・・・わかった。なら俺が桐山と一緒に行く。若狭と御崎は予定通り廻ってくれ」
「オッケー!」
笑顔で親指を立てる里津子。
正弘も笑顔で頷いた。
「佐伯くん、若狭くん、りっちゃん、みんなありがとう」
沙織の笑顔が輝いた。
秀一郎と沙織は老夫妻のワンボックスカーに乗せてもらい、犬山をあとにした。
道中、この老夫妻は賑やかだった。
ハンドルを握る気の良さそうなおじいさんは、若かりし日はかなり血気盛んだったようで、面白い武勇伝を話してくれた。
(やっぱりな。真面目で堅い人なら、いくら自由行動でもこんな風に誘わないもんな)
秀一郎は笑いながら、この気の良さそうなおじいさんの若き頃の無茶な様子が頭に浮かんでいた。
道中は和やかな空気で、車はローカル線の関の駅前に着いた。
「本当にありがとうございました」
頭を下げる秀一郎と沙織。
「いやいや、じゃあ旅行楽しんでいい思い出作りなよ」
老夫妻は優しい笑顔を残し、駅前をあとにした。
「さて、と。どうする?」
秀一郎は沙織に尋ねた。
完全に予定外で、沙織の希望でやって来た関の町。
ここの行動は沙織に任せるしかない。
「うん、行きたいお店があるんだ。確かこっち」
沙織が足を進め、秀一郎はそれに続く。
地図も見ずに沙織は古い町を歩いていく。
「桐山、ひょっとしてこの町に来たことあるのか?」
「うん。もう10年前かな。お母さんと一緒にここを歩いたんだ」
「まさか、その時の記憶を頼りに歩いてんのか?」
「実は、そうなんだ。あたしもちょっと自信なかったんだけど、たぶん大丈夫。この町、10年前とほとんど変わってないから」
沙織は狭い路地をいくつか折れて行く。
後ろを付いて行く秀一郎は少し不安になる。
(かなり入り組んだ道だよな。10年前っつったら小学校1年か2年だ。そんな頃の記憶を克明に覚えてるもんなのか?)
だが沙織の足取りに迷いは感じられなかった。
そして、
「よかった。まだあった」
かなり古い造りの店の前で足を止めた。
「ここ?」
「うん」
外からだと何の店かよくわからない。
沙織はこれまた古そうなガラス扉を開け、静かに店に入った。
それに続く秀一郎。
(へえ・・・)
中に入ると、壁とガラスケースにたくさんの包丁が並んでいた。
(そういや関って刃物の町だったな。包丁の店か)
様々な大きさ、刃の形が異なる包丁。
こんな店に入るのは秀一郎は初の経験だった。
(いろいろあるんだなあ・・・って、げっ?)
包丁に付いている手書きの小さな値札には、かなり高額な数値が記されている。
(こんなに高いのか・・・)
「いらっしゃい」
奥からかなり年配の老人が出てきた。
「あの、すいません、これを見ていただきたいんですが・・・」
沙織はその老人に声をかけ、鞄から白い布に包まれた物を取り出し、差し出した。
(10年前に母親と来た関の町、たぶんこの店に来たんだろう。あれはたぶん・・・)
老人が丁寧に布をほどくと、一本の包丁が表れた。
(やっぱりな)
秀一郎の想像通り。
老人は鋭い目を包丁に向ける。
「確かにこれは、わしが造ったもんだ。丁寧に使い込んであるのお」
「はい。ですが少し切れない感じなんです。あたしの使い形が悪いんだと思うんですが、研いでも切れ味が戻らなくて・・・」
「確かに、これでは切れんじゃろ」
「あの、研いでいただく事は出来ないでしょうか?」
再び目を光らせる老人。
「確かこれは・・・子供連れのご婦人が買っていかれたものだったのお」
「えっ、母を覚えていらっしゃるんですか?」
「わしは人の顔を覚えるのは苦手じゃが、包丁のことは大体覚えておる。東京から来たご婦人が良いものが欲しいと言っとったからこれを勧めたんじゃ。母親ということは、あんたはあの時連れとったお嬢ちゃんか・・・」
「はい」
「そうかそうか。もうそんなになるのか。お母さんはお元気かい?」
「あの・・・母は去年他界しました。その包丁は母が遺してくれた一本なんです」
「そう・・・か。まだ若いのに・・・」
空気が重くなる。
老人はすっと立ち上がり、
「ばあさん、水を用意しとくれ」
奥に向かってそう告げると、砥石をいくつか取り出した。
「ちょっと待ってなさい。この程度ならすぐに新品同様になる。任せなさい」
笑顔を見せると、
「ありがとうございます!」
沙織も笑顔を見せた。
(人って凄いな。10年前、母親とたった一度きり通った道を覚えてた桐山、その桐山に売った包丁を覚えてたこのおじいさん・・・)
秀一郎は目の前のふたりに少し感動を覚えていた。
程なくして、奥からおばあさんが大きな水桶を抱えて出てきた。
「はいおじいさん、っと・・・」
膝が少し折れてバランスが崩れる。
「危ない!」
桐山が慌てておばあさんに手を伸ばし、身体を支える。
バシャッ!
「キャッ!?」
転ぶのは防いだが、水桶を落としてしまい、沙織とその周辺が水びだしになってしまった。
「佐伯くん、なんかゴメンね、いろいろ迷惑かけて」
「いいって、気にするなよ」
ふたりは奥に通され、秀一郎は居間で出されたお茶をすすり、沙織は隣の部屋で用意された服に着替えをしている。
「でも、あたしってやっぱり嫌な性格だよね。ここに来れない予定なのに、こっそり鞄に入れておくなんて。ちょっと自己嫌悪」
「んな事ないよ。まあ来れるとしたら今日しかないし、どんなイレギュラーが起きるか分からん。用意に越したことはないよ」
「佐伯くんはそうやって言ってくれても、他の人は気分悪くするよ。これもバチが・・・キャッ!」
突然、沙織の小さな悲鳴が聞こえた。
「どうした?って、おい、ちょっ?」
慌てる秀一郎。
隣の部屋から沙織が飛び出し、抱き着いてきた。
しかも上半身は裸で下着のみの姿。
「ご・・・ゴキブリが・・・」
「ちょっ・・・わかったから落ち着いて。そのカッコは・・・」
まずい、と言おうとしたが、口が止まった。
目に入ってしまった。
沙織の白い肌。
そこに入った大きな傷跡。
「え・・・あっ?」
秀一郎の視線に気付いた沙織は慌てて傷跡を手で覆い、背を向ける。
「い、嫌なの見せてゴメン」
「嫌なのって・・・と、とにかく何か着ろよ。俺、隣から服持って来るから」
「う、うん。ありがとう」
秀一郎は隣の部屋に入り、着替えを手に取った。
(俺はバカだ。なんで今の今まで気付かなかったんだ。あれだけの怪我なら残って当然だろ)
新たな事実が、秀一郎の心に重いものを残した。
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