regret-33 takaci様
よくドラマ等で手術室前に待つ関係者たちの画があるが、あれは完全フィクションである。
病院にとって手術室は大切な場所。
そこの出入りの場所に一般人の待機を許すはずがない。
左腕の手当てを受けた秀一郎は包帯を巻き、がらんとした夜の待合室で祈るような気持ちでずっと待ち続けていた。
そしてもうひとり、担任教師の黒川栞も重い表情でじっと待っている。
時計の針は午後10時を回った。
(桐山・・・)
脳裏で沙織の顔が何度も蘇る。
(桐山は、俺をかばって刺された。俺のせいだ・・・)
強い、あまりに強い自責の念に駆られる秀一郎。
複数の足跡が近付いて来る。
目を向けると、手術着の医師と看護士たちだった。
赤い血がべっとりと付いている。
「桐山は、彼女は大丈夫ですか?」
たまらず聞く秀一郎。
だが医師たちの回答は、
「・・・全力は尽くしました。でもあまりに血を失い過ぎてます。臓器の損傷も大きい。あとは彼女の生命力次第です」
厳しい現実だった。
「ご家族の方は?」
今度は医師が尋ねる。
「彼女に家族はいません。生活を支えている親戚には連絡しました。ただ、すぐには来れないそうです」
黒川がそう伝えた。
「では早急に来て頂くようお伝えください。これから集中治療室で24時間体勢の看護に入ります。ですが、心の準備だけはしておいて下さい。では失礼します」
(心の準備って、そんな・・・)
あまりに辛い現実だった。
「佐伯、お前は帰れ。ご両親も心配なさっている」
黒川が秀一郎に優しい言葉をかける。
だが秀一郎は、
「帰りません。俺がここに残ります」
震える声でそう伝えた。
「何を言っている。お前がここに残っても・・・」
「じゃあこのまま呑気に帰って、明日授業に出ろって言うんですか?そんなの無理です。もとは俺のせいなんです。俺が油断しなければこんなことにはならなかった。俺のせいで桐山が死にかけてる・・・放っておけません」
「しかし・・・」
「お願いします、俺に残らせてください。親には俺からちゃんと連絡します。せめて親戚の人が来るまで・・・お願いします」
秀一郎は必死の思いで黒川に頭を下げた。
「・・・わかった。だが親の許可をとるのが条件だ。担任教師として、お前の親に心配させるわけにはいかない」
「ありがとうございます、先生」
秀一郎は早速、病院の公衆電話から自宅にかけた。
説明と説得にかなりの時間を要したが、なんとかここに留まる許可を貰えた。
「佐伯、私も残るべきなのだが、この事件で報道陣が騒ぎ出している。本来なら校長や教頭が対応するのだが、私にも対応するように言ってきた。すまないが・・・」
「わかりました。何かあればすぐ先生に連絡します」
ちょうど日付が変わる頃、黒川は学校に戻っていった。
病院でひとり付き添いで残った秀一郎。
ただ沙織はICUでの完全看護なので同じ部屋には入れない。
病院が用意した小部屋で待機することになった。
小さなベッドもあったが、寝る気にはなれなかった。
ソファーに腰を下ろし、ただじっと時が過ぎるのを待つ。
何も物音がしない部屋で、ただ祈り続けた。
(桐山・・・頼むから助かってくれ・・・)
深夜2時過ぎ。
扉が開いた。
「すみません、すぐに来て下さい」
看護士が緊迫した顔でそう告げる。
(そんな・・・まさか・・・嘘だ・・・)
最悪の事態が頭をよぎる。
そのまま沙織が入っている集中治療室に案内された。
「桐山・・・」
沙織には物々しい酸素マスクが付けられ、いくつもの計器が取り付けられていた。
数人の医師と看護士が慌ただしく動いている。
ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・ピー・・・
沙織のバイタルが止まった。
秀一郎の胸にとてつもなく重いものがのしかかる。
だが医師の迅速な心臓マッサージにより、沙織のバイタルは戻った。
そのまま十数分、慌ただしい動きをただ見ていただけだった。
「とりあえず落ち着きました。部屋に戻ってください」
看護士が秀一郎にそう告げた。
「こんなのが・・・続くんですか?」
見ているだけでも辛かった。
「この子はまだ若いので、何度かは乗り越えられると思います。それでも予断は許されない状況が続きます」
「そう・・・ですか・・・」
秀一郎の人生の中でも、最も辛い経験になった。
朝7時。
秀一郎は学校に電話し、黒川に取り次いでもらった。
「佐伯、桐山の様子はどうだ?」
「今は落ち着いているみたいです。けど、夜中に2回、心臓が止まりました。その度に蘇生を繰り返している状況てす」
「そうか。お前は大丈夫か?ちゃんと休んでるか?食事は?」
「正直、きついです。けどもう逃げる気はありません。最後まで向き合います」
「そうか、わかった」
黒川は何も言わなかった。
「学校のほうはどうですか?」
「さすがに少しバタバタしている。報道陣もごった返しているしな。生徒も混乱している。だがこっちは心配するな。学校の規律を正すのが我々教師の仕事だ。お前は自分の心配をしてろ」
「わかりました」
電話を切る。
黒川と話して多少は気が紛れるかとも思ったがあまり変わらない。
沙織が死ぬかもしれない。
そう思う度に胸が締め付けられる。
昼頃、両親が心配そうな顔でやって来た。
秀一郎の様子を見て、一緒に帰るよう促したが、秀一郎は拒否した。
どうしても今の沙織を放っておけなかった。
夕刻、
コンコン・・・
「センパイ、あたしです。真緒です」
真緒が心配そうな顔でやってきた。
「真緒ちゃん、来てくれてありがとう」
「桐山先輩は?」
「まだ危険な状態が続いてる。でも少し落ち着いてるみたいだ」
「そうですか・・・」
真緒の表情が曇る。
「・・・大丈夫だ。たぶん大丈夫。桐山は助かる」
「はい。でも、センパイも心配です。たった一晩ですごくやつれてます。ちゃんと休んでます?ちゃんと食べてます?」
「俺は大丈夫。これくらいなんてことない」
虚勢を張る秀一郎。
「でも・・・」
「大丈夫、ホント大丈夫だから」
真緒は不安な表情のまま病院をあとにした。
2日目。
沙織の状況は変わらない。
ちらっと目にしたニュースでは今回の事件が大きく取り上げられていた。
だが秀一郎はどうでもよかった。
沙織が助かって欲しい。
その一心だった。
夕刻、
「佐伯くん」
「あ、御崎」
今度は里津子がやって来た。
「はいこれ」
コンビニ袋を差し出した。
「あ、差し入れ?ありがとう」
「差し入れだけど、条件ある」
「条件?」
「どうせこの2日、ろくに食べてないし一睡もしてないでしょ。見ればわかるよ」
「ああ、まあ・・・な」
否定はしなかった。
「だからそれを今から全部食べること。大した量じゃないし食べやすいものだから簡単に入るよ。ほらほら!」
「わ、わかったよ・・・」
里津子に促され、袋の中から朝食用のゼリーを取り出し、口にした。
「夜も寝れないと思うけど、そういうときは部屋を暗くして横になって目を閉じておくだけでも体力回復するから。辛いけど乗り切ってよ」
「ああ、ありがとう。心配かけてすまない」
「友達だもん当然だよ。でも佐伯くんがそこまで責任感じることないよ。無理し過ぎだって」
「かもな。でも、ひとりぼっちにさせるわけにはいかないんだ」
「それって、沙織のこと?」
「ああ」
秀一郎はスポーツドリンクのキャップを開けた。
一口つけると、
「もうこれでまる2日。でもこれだけ経っても、桐山の親族がまだ来ない。いま生死の境で必死に戦ってるのに、誰も来ない。桐山はホントにひとりなんだ。そんなの、放っておけるわけないだろ」
「・・・沙織の親戚は、誰も来ないよ、きっと」
「えっ?」
里津子の悲しげな表情が目に映る。
「生活支えているおじさん、あの議員秘書の騒ぎで相当落ち込んでいま入院してるんだって。おばさんもそれに付きっきり。こっちに謝りに来たお姉さんも海外で仕事してるから簡単には帰って来れないんだって。そもそも親戚でもかなり遠い親戚みたい。だから・・・」
「そんな・・・じゃあ桐山はホントにひとりっきりなのか・・・」
秀一郎の胸にさらに重いものがのしかかる。
ガラッ。
手術を担当した医師がやって来た。
部屋に緊張が走る。
「先生、桐山は・・・」
「まだ予断は許さないが、危機的状態は脱した。彼女の生命力が危機を乗り越えた」
微笑む医師。
「それじゃ・・・」
秀一郎の緊張が抜ける。
「目を覚ますまでまだ数日かかる。またその時になったら連絡する。もう帰っていいよ。君もよく頑張った。ありがとう」
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
秀一郎は医師に何度も頭を下げた。
「佐伯くん、よかったね!ホントによかった・・・」
涙ぐむ里津子。
2日間、ずっとのしかかっていた重圧からようやく抜け出した秀一郎だった。
(なんか、すげえ疲れた。そりゃそうだよな。まる2日寝てないもんな)
家路につく頃はすっかり陽が落ちていた。
病院からすぐに学校と親に連絡を入れたら、溜まりに溜まった疲れがどっと出た。
(帰ったら風呂入ってさっさと寝よう・・・って風呂入れなきゃな。どうしよう、なんか面倒だな・・・)
忙しい両親は仕事で自宅に不在なのを思い出した。
家の前。
ポケットから鍵を取り出そうとしたとき、
「あれ?」
誰もいないはずの自宅の明かりが点いていた。
(・・・まさか・・・)
扉に手をかける。
ガチャ・・・
開いた。
(まさか)
玄関に、見慣れた小さな靴。
家族のものではない。
パタパタパタ・・・
スリッパの音。
「秀!」
「奈緒、なんでここに・・・」
「それよりケガ!大丈夫?痛くない?」
包帯を巻いている左腕を指す。
「あ、ああ。こんなんかすり傷だよ。対したことない」
「よかった・・・」
奈緒は泣き出して、秀一郎に抱き着いた。
「奈緒・・・」
「秀がケガしたって聞いたからすごく心配したんだよ。病院から出られないって聞いたからホント不安で、あたしも行きたかったけどお姉ちゃんが絶対行くなって・・・だからここでずっと待ってた。すっごく心配したんだから・・・」
秀一郎は奈緒のことをすっかり忘れていた。
小さく、温かい感触が懐かしく感じる。
「奈緒、ゴメンな。あと、ありがとう・・・」
帰る場所の温かさを実感する秀一郎だった。
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