regret-12 takaci様
「いいねえ、今夜はクリアーだ」
「気持ち良く攻めれそうだぜ!」
深夜の首都高。
交通量がぐっと減った時間帯を狙い、荒れて危険なこの道を愛車で攻める者たち。
「おっ、後ろからなんか来たぞ」
助手席の男が後ろから迫るライトに気付いた。
「へっ、湾岸ならともかく、ここはC1。しかも汐留から銀座までの最もテクニカルな区間だ。この俺の400馬力FDについて来られる奴なんていねえ・・・ええ!?」
自信満々のドライバーだったが、純白のライトがあっという真に迫り、圧倒的な速度差で抜いていった。
「なんだあれ・・・」
呆然とするドライバー。
「あれターボだ。黒のポルシェターボ。まさかブラックバード・・・」
「バカヤロウ!あれは漫画の世界の話だ。それにポルシェターボでも型が違う。今のは現行の997だ」
「あ、そうか。でもやっぱポルシェってスゲエな。俺たちなんか目にも入ってないだろうな、なんか役者が違うっていうか・・・」
「ああ、なんかやる気無くした・・・」
ありとあらゆる意味で圧倒した漆黒のポルシェはもう視界から消えていた。
箱崎パーキング。
「ん〜やっぱり締切明けはここだよね」
自販機のホットコーヒーを片手に笑みで背を伸ばす東城綾の姿があった。
その傍らに立つのは、同じくコーヒーを手にした真中淳平。
「しっかしこの車、なんか迫力出てきたよなあ」
そう言いながら覗き込むのは、先ほど快走していた黒のポルシェターボ。
「そうだね。でもようやくあたしの理想に近付いてきたかな」
満足げな綾の手には、この車のキーが光っていた。
「近付いてきたってことは、まだ理想じゃないのか?俺的には充分過ぎると思うけどな」
「そうだね。ここまででもたくさん時間とお金使ったからね。でもあと少し高速域の安定性を・・・」
「もう使い過ぎだってえの!そもそもこの車の前に2000万のベンツ潰してるだろうが!自損でベンツ全損だぞ!」
「でもあれはちゃんと保険おりたから。それにあれはベンツじゃなくてAMGだよ。AMGのSL63」
「俺みたいな一般庶民からすればAMGもベンツも一緒!そもそも前のも化け物じみた車だったけど、これはマジで怪物だぞ。しかもチューニングでより凶暴になってるし」
「そうでもないよ。確かに速いけどだいぶ乗りやすいんだ。淳平も運転してみる?オートマだから簡単だよ」
綾はにこやかにポルシェのキーを振る。
「俺は仕事で乗ってる国産のバンで充分。こんな左ハンドルの超高級車なんて乗れん」
「でも車ってやっぱりドイツが1番だとあたしは思う。なんか安心感があるんだ。前のAMGは200キロオーバーでぶつかったから車はくしゃくしゃになっちゃったけど、あたしはかすり傷で済んだ。いざという時でも大丈夫って言うか、なんかそんな感じがドイツ車にはある。このポルシェもそう。じゃなきゃ怖くて踏めないよ」
「綾でも怖いのか・・・」
「踏んでる時はいつも怖いよ。けど、それを乗り越えて初めて見える世界があるんだ」
「そうか・・・」
淳平はそれ以上なにも言えなかった。
「じゃ、横浜まで下りよ!」
綾は上機嫌に愛車のドアを開いた。
淳平もやや呆れ顔で助手席に乗り込む。
野太いサウンドを奏でながら黒のポルシェがゆっくりとパーキングから出て行った。
9号線を抜けて湾岸に合流。
グンと速度をあげて疾走する綾のポルシェターボ。
淳平は非常識な速度で流れる車窓に目を向ける。
(まさか綾にこんな嗜好が芽生えるなんて思わなかった)
高校時代の綾しか知らない者には、超高級スポーツカーで深夜の首都高を走る今の姿は想像に及ばないだろう。
淳平としては、この趣味に綾がのめり込むのは反対だった。
まず第一に反社会的な犯罪行為である。
そしてなにより、あまりにも危険過ぎる。
なにかあれば一瞬で全てを失う。
(でもこれも仕方ないかもしれない。綾の日ごろのプレッシャーは凄まじい。日本ナンバーワンの小説家。並の人間ならその重圧に耐えられないだろう)
(綾にも気晴らしが必要だ。今後も今の仕事を続けていくために。そのために今の走りが必要なら、それは認めるしかない)
湾岸線つばさ橋。
メーターは300キロを振り切った。
(今の俺は、綾についてやることしか出来ない)
(綾はもともと強い人間じゃない。こんな俺でも綾が必要としてくれるなら、俺は綾の側に居続ける)
(なにがあろうとも、俺は綾を見放したりはしない)
漆黒のポルシェ997ターボは湾岸線超高速エリアを抜け、横浜環状線に消えて行った。
「えい!くそ!この!」
正弘の気合いが空振りしている声が通っている。
必死の形相でターゲットを追っているが、視界に入っては消えていく。
「若狭〜完全に遊ばれてるぞ〜」
「うっせえ!これでも必死なんだ!」
秀一郎の気のない声に怒る正弘。
休みなく身体を動かしているので、そろそろ体力的にキツい。
「くっそ、マジで消える。どうなってんだ?」
蓄積する疲労を感じながら、ずっと追い続け稀に視界に入る真緒の笑顔に脅威を感じていた。
「あんたねえ、主の危機に下僕が駆け付けないってありえないわよ!このチキンハート!」
と、芯愛高校の菅野との一件を影でオドオドしながらずっと見ていた正弘に対し、奈緒がキツい言葉を浴びせた。
それだけで済まず、特訓という名目で真緒との組み手をさせられている。
和風のテイストが強めの小崎宅は敷地面積が広めで、軽い運動が出来る大きさの庭がある。
そこで正弘と真緒が組み手をやっており、その様子を秀一郎と奈緒が縁側に座って眺めている。
ただ組み手と言っても手を出しているのは正弘だけであり、真緒は笑顔で軽いステップを踏んでいるだけだった。
今日は天気もよく気温も高め。
正弘は全身汗だくで限界に近かった。
「若狭先輩」
「なに、真緒ちゃん?」
顔は見えないが真緒が呼んだことはわかった。
奈緒と真緒は非常によく似た声だが、奈緒はキツめの口調なので大体わかる。
そもそも奈緒は正弘のことを先輩とは呼ばない。
以前は「正ちゃん」だったが、今は「あんた」に格下げされている。
下僕の辛い立場がよく表されていた。
そんな自分をちゃんと「先輩」と呼ぶ真緒への好感度がぐっと上がる。
「先輩、以前奈緒の恥ずかしい姿を見たそうですね」
「いや・・・あれは・・・その・・・事故で・・・」
息が上がって言葉もままならない。
「でもなんで勝手に佐伯先輩の家に上がり込んだんです?」
「いや・・・だから・・・それは・・・」
鈍くなる動きの中で嫌な危機感が浮かんできた。
「奈緒、凄くショックを受けて影で落ち込んでたんです」
「そんな・・・バカな・・・あいつ・・・が・・・落ち込む・・・なん・・・て・・・」
「すみません、酬いを受けて下さい」
ちらほらと視界に入る真緒の表情が笑顔から真顔に変わった。
正弘の背筋が凍る。
真緒の姿が消えた。
そして、
「ゴハッ!?」
後頭部に強烈な衝撃が走り、
そのまま前のめりに倒れて顔面を強打。
途切れそうな意識の中で、奈緒のはしゃぐ声が届いていた。
「あ〜、まだガンガンする・・・」
正弘は真緒に倒されると、回復する間も与えられずに奈緒によって小崎宅から追い出されてしまった。
「体力なくなったところに予想外の角度から来るからな。ダメージ強烈だぞ」
正弘に付き合う秀一郎。
「佐伯も喰らったことあるのか?」
「奈緒と付き合い出してから、週一くらいで真緒ちゃんのレッスン受けてるからな。そりゃ強烈なのを何度も喰らったさ」
「なんでそんなことしてんだ?」
「真緒ちゃんはマジで強い。だから狙う奴も多い。場合によっては本人だけじゃなく身内も狙われる。奈緒なんて恰好のターゲットさ」
「まあ、そうなるよな」
「だから奈緒と付き合うには、せめて奈緒を護れるくらいの基本は身につけて欲しいって真緒ちゃんの要望なんだよ」
「なるほどな・・・けどあんな消える相手とどうやって組み手なんかするんだ?」
正弘は真緒が持つ[瞬動]の異名が身に染みていた。
「あれもカラクリあるんだ。まあ分かってても対応出来んけど、慣れればなんとかなる」
「カラクリ?」
「真緒ちゃんはとにかく速い。そのスピードをフルに活かすなら距離を取るのがセオリーだけど、真緒ちゃんはインファイトをするんだ」
「それってどうなるの?」
格闘技に疎い正弘は言葉の意味が掴めない。
「近接距離で高速移動するから簡単に視界から消える。で相手の死角から攻撃する。これが真緒ちゃんのスタイルさ」
「それって最強なんじゃね?」
「そうでもない。距離が取れないから攻撃に勢いが付かない。真緒ちゃん自体が軽いから一発の攻撃そのものの威力が弱い。それを手数でカバーしてるんだけど、やっぱ効率が悪いんだ」
「そうなのか?」
「あと近接戦闘だと相手の攻撃を喰らう危険度が飛躍的に増す。だから凄くリスキーなスタイルなんだ」
「でも強いんだよな?」
「絶対に相手の攻撃が当たらない自信、近接距離で高速移動が続けられるスタミナ、弱い攻撃をピンポイントで与える正確さ、それが合わさってあの変則スタイルが確立してるんだ。そんな戦い方をする奴もまずいないから初見の相手はまず対応出来ないからな」
「それが瞬動の秘密かあ、なんかそれがわかれば俺でも何とかなるかも・・・」
「だからわかってても無理だっつうの。よほど慣れないと相手にもされん」
真緒の強さを肌身で知る秀一郎は、正弘の浅はかな考えが気に入らなかった。
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