親から子へ・・・6 takaci様
レースは丁度折り返し地点を過ぎた頃。
タイミング的には各車が3回目のピットインになる。
通常ならエンジンバイクのチームは給油ホースが、電動バイクのチームは交換用バッテリーパックが用意されているのみだが、機械化Bチームのピットにはさらに2本のタイヤと物々しいジャッキが鎮座していた。
「来たぞ!」
ゼッケン3のバイクがピットに滑り込んできた。
機械科Bのスタッフの周りを、他のチーム関係者が遠巻きで見守っている。
指定の場所に止まる。
ライダーが降り、通常ならすぐ他のライダーが跨るところだが乗らずに支える。
素早くジャッキがかけられ、バイクが持ち上がる。
ふたりのメカニックが電動ドリルのような形の治具をホイールセンターの部品にはめた。
カチン!!
軽い金属音がしたと同時に、ホイールシャフトがすぽんと抜けた。
そして素早くタイヤが外され、新しいタイヤを入れて抜けたシャフトを押し込んだ。
ジャッキが下ろされ、次のライダーが跨ると同時にバッテリーパックが換えられる。
シュイイイン・・・
電動バイク特有のサウンドを響かせながら、他チーム関係者の視線を一身に集めてゼッケン3のバイクが勢い良く駆け出して行った。
作業を終えたスタッフ達はハイタッチで喜びを表している。
真司はその様子をじっと見ていた。
「何秒だった?」
「バッテリー交換込みで32秒。噂どおり20秒のタイヤ交換だったな。敵ながら鮮やかだ」
真司はそう話す先輩たちの声を、厳しい表情で聞いていた。
(くそ、レースが始まれば俺たちが有利だと思ったのに、まさかこんな手を使ってくるなんて・・・しかも亜美のチームが)
ツーリング部は大学部と高等部まとめてひとつのクラブであり、在籍人数はそれなりの数にのぼる。
中等部の予備軍を集めて若手育成のためにチームを結成(ツーリング部RP)して走らせるほどの人員が居る。
その中から去年の優勝チームのライダーに選ばれたことは真司にとって誇らしいことであり、またデビューウィンの大きなチャンスでもあり、それを確実に狙っていた。
だがレース期間に入ると一般の注目は機械化Bチームから参戦した亜美に集まった。
今大会唯一の女性ライダーが有力チームからエントリーし、かわいい顔立ちを持ち、予選では見事最速タイムを記録。
『美少女天才ライダー』として報道部も一般観衆も亜美ばかり注目され、真司には一切そのような視点は当てられなかった。
もともと真司は目立ちたがる性格ではないが、自分の得意分野に限ればある程度は世間から注目を集めたいと感じていた。
だが今の真司は完全に蚊帳の外だった。
『さあ、鮮やかなタイヤ交換を決めたゼッケン3の機械科B、現在7番手まで順位を落としましたが、ペースが明らかに違います!怒涛の追い上げが始まるのでしょうか?あーっいま前を走るゼッケン7をオーバーテイク!ポジションをひとつ上げました。6位です!そしてさらに5番手のバイクをもう視界に捕らえています!ライダー小河選手絶好調だ!』
アナウンスの声が観客の亜美への声援を助長する。
コース全体が亜美に注目していた。
(ちぇっ・・・)
真司はそれも面白くない。
毎朝一緒に走っているので亜美のライディングについてはよく知っており、それが自分より勝っていると感じたことはない。
(亜美に負けたくない)
真司はそう強く思い、集中を高めていく。
レース開始から2時間。
真司のチームは現在トップを走っており、後ろとの差は6秒ほど。追い上げを見せているゼッケン3とは一時は13秒ほど開いたが、今は9秒まで詰められている。
(よし行くぞ!)
真司はやる気を漲らせてヘルメットを手に取った。
だが、
「東村待て、お前は今は待機だ。最終スティントを走ってもらう」
監督が真司を制した。
「俺が最終ですか?なんで?」
突然の順番変更に戸惑う真司。
「勝つための作戦だ。まともに戦ったら3番に負ける。ここは一発ギャンブルに出る」
そう言った監督の表情はあまりにも真剣だった。
真司が乗る予定だったピットストップではライダー交替はせず、エースライダーの連続走行になった。
(塚本先輩2スティント連続か・・・キツイだろうな)
一回30分の走行でも真司は疲労困憊だった。それを今、エースライダーは2回連続約1時間の走行をすることになる。
真司は先輩ライダーに敬意の念を払いながら、どんどん高まるプレッシャーを感じていた。
(後ろとの今の差なら、塚本先輩ならキープするだろう。けど問題は亜美のチームだ。あそこはタイヤ交換したからペースが明らかに速い。2位に上がってくるのにそう時間は掛からない)
(最後に俺が乗るときは、塚本先輩ならトップで繋いでくるはずだ。で、3番が2位になってる。向こうの最終ライダーは亜美だろう)
(互角の条件なら亜美に負ける気がしない。でも向こうはタイヤが新しい。エンジンバイクのほうがタイヤに優しいって言っても限界がある)
電動バイクはエンジンバイクに比べて低速からの立ち上がり加速が鋭いが、その分リアタイヤに負担がかかり磨耗が激しい。
逆にエンジンバイクは高速域の出力で勝るが、タイヤへの負担はさほど厳しくない。
でもだからと言って電動バイクにタイヤ交換されてしまえばその優位性は消し飛んでしまう。
機械科Bの通常より1分以上短い短時間でのタイヤ交換はレースにとても大きな影響を及ぼしていた。
(ウチは勝たなければならない・・・俺が勝たなくちゃいけない・・・)
(・・・出来るか?俺に・・・)
プレッシャーが不安に変わっていく。
「・・・真司くん?」
「ん?・・・あ・・・」
呼びかけられた目線の先に、遠慮がちに立っているあや乃の姿があった。
「あや乃ちゃん、何でここに?ここ関係者しか入れないんだけど・・・」
「西岡くんにこれ貰ったの。どこでも入れるよって言われて・・・その通り入れちゃった」
あや乃はトートバックから関係者にしか配られないピットパスを差し出した。
「啓太のやつ、こんなもの簡単に渡すなよな」
「なんで?どこでも入れるから便利じゃないの?」
「ここは結構危ないんだよ。バイクは結構なスピードで入ってくるし燃料は危険物だ。メカの人たちは火傷なんてしょっちゅうなんだよ」
「そうなんだ・・・」
ピットの中は緊迫した空気が漂っているが、その中であや乃は唯一暖かい雰囲気を醸し出していた。
真司は一息ついて立ち上がると、あや乃をピットの隅に誘導した。
「あまりうろつかないほうがいい。レース終盤でみんなピリピリしてるから。ここでじっとしてて」
「うん、ごめんね突然来ちゃって。迷惑だった?」
「いや、そんなことはないけど・・・でも俺ももうすぐ出番だからさ」
「みんな、凄いスピードで走ってるよね。西岡くんも亜美ちゃんも、真司くんもそうなの?」
「ああ。今ウチのチームはトップだからさ。俺が最後まで順位を守らなきゃならないんだよ」
「危なくない?」
「それより、負けたくないんだよ。特に後ろから亜美のチームが来てるからな」
「あたし、なんかこの会場全体が亜美ちゃんで盛り上がってる気がする」
「そうなんだよ。亜美がトップを奪ったら大盛り上がりだろうね。俺達は完全に悪役さ。はは・・・」
空笑いを浮かべる真司。
「・・・真司くん、頑張ってね」
「えっ?」
「みんなは亜美ちゃん応援するかもしれないけど、あたし真司くん応援するから」
「あや乃ちゃん・・・」
真司はあや乃の温かい笑みに釘付けになった。
あや乃がここに現れるとは思わなかった。
あや乃が自分に向けて、こんな温かい声援を送ってくれるとは思わなかった。
「ありがとう、頑張るよ」
自然にすっとこの言葉が出てきた。
「よかった。真司くん凄く緊張してるように見えたから」
「え、そう?ま、まあかなり緊張してたのは事実かな・・・」
「真司くん、自然体で行こうね。そうすればきっと大丈夫だよ」
今のピットはかなり緊迫した空気に包まれている。
その中で、あや乃の笑顔はとても温かった。
ピリピリとした空気を漂わせているこのピットの中で、唯一の優しい笑みだった。
レースクイーンのような華やかさや派手さはないが、とても温かく柔らかい微笑だった。
「おい東村そろそろだぞ、準備しろ」
メカニックの先輩が緊迫した声で真司を呼ぶ。
「分かりました」
真司はそう短く答えてヘルメットを身に着けた。
「真司くん、気をつけてね」
「ああ」
ヘルメットの中で笑みを浮かべながら、真司はピットガレージから出て行った。
「2位に機械科Bが上がった。踏ん張ってくれよ」
メカニックが真司にそう告げたすぐ後にゼッケン1のバイクがピットに滑り込んできた。
この追い詰められた状況の中で、真司はとても落ち着いた気持ちで最終スティントに飛び出して行った。
(タイヤの喰い付きが悪くなってる。あまり寝かせられないし、立ち上がり加速も気持ち鈍い気がする)
現在のオートバイはコンピュータによる姿勢制御技術が進んでおり、コーナリングで限界以上に傾けようとするとセンサーが危険を感知して自動的に起き上がるような動きをしながら速度も落ちていく。
コーナー脱出時に必要以上にアクセルを開けても、リアタイヤは滑ることなく現状で受け止められるパワー上限の力で加速していく。
タイヤのグリップが落ちている現状では、レース前半のような走りは出来なくなっていた。
(でもこの状況で目いっぱいの走りをするしかない!)
[東村、いま3番がピットイン。最終ライダーは亜美ちゃんだ・・・いま出て行った!]
この無線を聞いたとき、真司はホームストレートを駆け抜けていた。
そして視界の隅で、ピット作業を終えて加速するゼッケン3、亜美の姿を捉えていた。
[東村、後ろのゼッケン3との差は4.8、4.8。このまままともにやり合ったらウチが不利だ。いいか、追いつかれるのは覚悟でマップ3でタイヤと燃費を稼げ。いまはマップ3で踏ん張れ。こっちから指示するまで後ろは見るな、気にせずに走れ。追い付いて来たらマップ5で勝負だ。全力で押さえ込め。集中を切らすなよ]
「了解」
真司は無線の指示通り、マップ3でバイクをいたわりつつ全力で逃げに入る。
(でもこのペースじゃいずれ追い付かれる。けどそれでいいんだ。追い付かれてからが勝負だ)
真司は自分を信じ、バイクを信じ、チームを信じて集中したライディングを続ける。
限られた状況の中で全力を尽くしたが、亜美はぐんぐん追い付いてくる。
そして残り15分。
『さあ、ついにゼッケン3がトップのゼッケン1を射程距離に捉えたあ!今年もツーリング部と機械科の戦いだあ!』
亜美が真司のぴったり後ろまで追い付いてきた。
[よし東村、マップ5で全力で飛ばせ!燃料は最後まで持つ。とにかく逃げ切るんだ!]
無線で監督のGOサインも飛んできた。
(よし行くぞ!)
真司は後方からの亜美の気配を察知しながら、マップを切り替えてさらに気合を入れ直す。
(ストレートじゃウチが完全有利だ。問題はコーナー区間)
真司と亜美は連なって連続コーナー区間に入っていく。
『さあ小河選手仕掛ける!』
亜美が低速コーナーを小さく回り、立ち上がり加速で真司に並びかけて次のコーナーに向かう。
(させるか!)
アウト側で半車身前にいた真司は構わずに亜美のラインを塞ぐ。
ガシャン!
2台が軽く接触し、姿勢制御機能が働き車体が軽く震える。
ラフな走りで真司は亜美の頭を抑えた。
(亜美は速いかもしれないが、サイドバイサイドの走りは好まない。ラインを塞いでいけば簡単には抜けないはずだ)
バックストレートへの立ち上がり、亜美は真司に再び並びかける。
(ここで並ばれても絶対に抜かせない!)
アクセル全開で亜美に一歩も譲らない。
ストレートは真司のほうが圧倒的に速く、並びかけた亜美を突き放した。
真司はコーナー区間で亜美のラインを塞ぐようなコーナーリングに徹底し、ストレートではエンジンバイクの優位性を活かして付け入る隙を与えない。
[よしいぞ東村その調子だ。とにかく押さえるんだ。踏ん張れ!]
無線で監督も激を飛ばす。
(押さえ込むのも結構辛いな。コーナー区間は亜美のほうが全然速いからな。このまま行ったら後で亜美にどやされそうだな。俺に塞がれて相当イライラしてるだろう。観客だって亜美が勝ったほうが盛り上がるだろう。俺は完全に悪役だな。でも・・・)
(俺は勝ちに行くんだ!たとえ観客からブーイングが出ても、あや乃ちゃんが応援してくれているんだ!絶対に譲るもんか!)
真司は気合を漲らせてアクセルを握る。
残り5分。
真司は亜美を抑えながらホームストレートに飛び出した。
『さあ残り5分です。ゼッケン1は最後までトップを守れるか?それともゼッケン3の大逆転が・・・ああああーーーーーっ!!!!!?????』
アナウンサーの絶叫がこだまする・・・
『第7回3時間耐久ロードレース、優勝は・・・チーム機械科Bです!』
表彰台の中央に3人のライダーが上がる。
その中心にいた亜美はとても嬉しそうな笑顔を輝かせていた。
カメラが向けられ、フラッシュが瞬く。
勝者に与えられる光だった。
その逆、敗者には暗い影が立ちこめる。
ツーリング部Aチームのピットガレージは、ゼッケン1の汚れたバイクを中心に重い空気が漂う。
その隅で、パイプ椅子に座っている真司は肩を落としていた。
暗いピットにも表彰式の歓声が届き、虚しさが広がる。
「東村、トラブルはお前のせいじゃない。今回は厳し過ぎる戦いだった。お前は良くやったよ」
監督が落ち込む真司に歩み寄り、励ましの言葉をかける。
残り5分のホームストレート。
ゼッケン1のバイクが派手な煙をあげた。
エンジンブロー。
機械科Bに対抗すべく決勝レースでもマップ5を多用した結果だった。
ゼッケン1は残り5分までトップを快走しながら、一転してリタイアになった。
真司は煙を吹いて力を失ったバイクをゆっくりとストレート脇に止めた。
チームにとっても、真司にとってもあまりに虚し過ぎる結果だった。
そしてゼッケン3は労せずしてトップを奪いそのまま走りきって優勝。
タイヤ交換の奇策を見事にこなし、さらに女性ライダーの優勝も重なって会場は大盛り上がりの結末を迎えた。
「すみません・・・」
そう漏らした真司から涙があふれ出た。
真司にはあまりにも悔しい結果だった。
そんな真司に、ガレージの外から静かに見守る視線があった。
(真司くん・・・)
あや乃だった。
優勝した亜美、レースクイーンの志穂らが大いに盛り上がっている表彰台には足を向けずに、暗いピットガレージの側から離れずにいた。
ただ、足許を悔し涙で濡らす真司をじっと見守っていた。
NEXT