[memory]17 - takaci  様



カラカラカラ・・・


つかさはおそるおろる扉を開け、中を覗き込む。


(変わってないや、6年前と同じだ・・・)


そっと足を踏み入れ、ゆっくりと扉を閉める。





(この匂い、懐かしい・・・)


ずっと忘れていた雰囲気に包まれたつかさの脳裏に、幼少時代の記憶が鮮やかに蘇る。





(やっと見つけた・・・あたしの足跡・・・)


自然と優しい笑みがこぼれ、目じりから涙がすっと流れ落ちた。










先日、つかさは5年ぶりに泉坂の地に足を踏み入れた。


(もしあたしを知ってる人が見たら驚いちゃうかもしれない・・・)


そう考え、深く帽子をかぶり、伊達メガネをして泉坂の街を歩いた。





街の様子に大きな変化こそ無いが、ところどころに小さな違いが見られ、5年の歳月を感じさせられた。


そこから自分の家に向かったが、周辺の住宅街はほとんど変わっておらず、懐かしさで自然と口元が緩んでくる。


だが家の側まで来ると、その微笑は一瞬で吹き飛んだ。





「あたしの家が・・・ない・・・」





つかさの家があった場所は、公園に姿を変えていた。





あんな痛ましい事件があった場所に住もうとする人間が居るはずも無く、市が土地を買い取って公園に改修してしまっていた。


両隣の家は変わっておらず、ぽっかりと開いた空間にある小さな公園。


その姿に過去の面影は一切無く、つかさの心は大きな悲しみに包まれた。





その後、市役所に行って自身の戸籍を確かめた。





(あたし・・・本当に死んでるんだ・・・)


戸籍上、つかさは5年前のあの日に両親と共に死んだ事になっている。





このことはつかさに大きなショックを与えた。


他の場所も巡ろうとしたが、大きなショックでその気力も削がれ、とある公園の噴水の側にあるベンチに座り虚ろな目で空を見上げる。





(もう、ここにはあたしの居場所はないんだ・・・)


現在の泉坂には『西野つかさ』という人物の痕跡は、全く残っていない。


(・・・そうだよね。五年経ってるんだもんね・・・しかもあたし、もうこの世に存在してない事になってるもんね・・・)


大きな孤独感に包まれる。


(それに、みんな立派になってる。外村くんは芸能プロダクションの社長、大草くんとさつきちゃんは芸能人・・・)


(さつきちゃん、あたしの名前使ってたんだ。ひょっとしてあたしを忘れないため・・・かな?)





(それに淳平くん・・・夢を叶えて映画監督になってるなんて、本当に凄い・・・)


(東城さんも凄い。誰もが知ってる立派な小説家。歩美は東城さんの本を沢山持ってたし、ウチにもお母さんが買ってきた本が何冊かあったなあ)





(たぶん・・・ううん、間違いなくふたりで支えあってきたんだろうな。そんなふたりの間にあたしの入り込む余地なんて・・・)





(たとえ淳也が・・・淳平くんの子だったとしても・・・)





このときはまだ淳平と綾の破局を伝える雑誌は発売されておらず、つかさはこのふたりが結婚間近だと思っていた。


(そもそも淳平くんが父親だって確証は何も無い。ただあたしがそう思ってるだけ・・・)


(だけど記憶を失ってたあたしが、産まれたあの子の姿を見て・・・『淳』の字を付けた・・)


つかさは自身の直感を信じていた。


記憶の奥底に隠れた強い想いが、我が子に愛する人の名を付けたのだと信じていた。





だがその一方で、冷静な考えがつかさの心を揺さぶる。


淳也の生年月日から逆算すると、つかさを襲った3人の男の誰かが父親である可能性もある。


(淳也もあたしもB型だから、父親は全ての血液型が当てはまる。誰が父親なのか、正直わかんないよね・・・)


(あたしは淳也を愛してる。あたしのかわいい息子。父親が誰だろうと、それは絶対に変わらない。でも・・・)





(淳平くんが父親じゃなかったら、あたしは2度と淳平くんには会えない・・・会うわけにはいかない)


(もう、いいや。西野つかさはもう存在しない。もう、西野つかさには戻れない。それに、あたしを待っている人が居る)





(お店に戻ろう。これからは上岡理沙として、生きて行こう)


つかさはペンチから立ち上がり、ゆっくりと足を進めて行く。


(・・・でも最後に、あそこだけ行ってみよう。なんとなくだけど、あそこなら・・・)





そう思い、やってきたのがここである。


幼少時代に過ごした田舎の家。


6年前の夏、淳平と過ごした思い出は色濃く残っている。





そしてその場所は、6年前と何ら変わっていなかった。


つかさ自身はそれほど大きな期待を抱いていなかっただけに、この家の佇まいを見たときは嬉しさで心が大きく躍っていた。





「あれ?あなたは・・・」


「え?あ・・・」


不意に声をかけられて振り向くと、隣のおばさんが驚きの表情でつかさをじっと見つめている。


「あ、あの・・・このあたりの方ですか?あたし上岡って言いまして・・・この家の・・・ここに住んでいた方のこと、ちょっと伺っていいですか?」


つかさはあくまで『上岡理沙』として、驚くおばさんに対応した。


『自分に良く似た人がここに住んでいたって聞いた』と話すと、おばさんは目頭を押さえながらつかさの事を話し、しかもこの家の鍵まで渡してくれた。


『これも何かの縁だわ。つかさちゃんそっくりのお嬢さんが尋ねてくるなんて・・・家の中もゆっくり見てって。もし宿が無いならここに泊まってもいいから。何か困ったことあったらいつでも声かけてくださいね!』


そう言ってにこやかに去っていくおばさん。





(なんか騙したみたいでちょっと後ろめたい気がするけど・・・まいっか。せっかくだし、中に入ろ)


こうしてつかさは6年ぶりに、思い出の場所に足を踏み入れた。





「ここで・・・いろんな事があったな・・・」


家の中の空気、目に映るもの、耳に届く小さな音・・・


ありとあらゆるものが、西野つかさの記憶を呼び覚ましていく。





祖母の姿・・・





両親の優しい微笑み・・・





親戚の面々・・・





そして、淳平と過ごしたひと時・・・





(どこにも無かったものが・・・ここにはあった)


(あたしの思い出・・・あたしの存在・・・)


何も無い薄暗い部屋だが、つかさの心は温かい安らぎに包まれていく。


「そうだ、あの神社に行こう!淳平くんと縁日に行って、笹舟浮かべた・・・」


つかさはまるで無邪気な子供のような表情で、更なる思い出を求めて家から飛び出していった。















このとき、舞い上がっていたつかさの心は、家のすぐ脇の道に停めた車の中から自らに邪悪な視線を向ける存在に全く気付かなかった。


「へへっ、つかさちゃん見―つけたっ!」


「さすが上杉と言うべきか。お前のカンと情報網には毎回感心させられるよ」


「じゃあ、彼女を出迎える準備しよっか。その後は長戸に頼んだよ!」


「森友に周辺の警戒を怠らないようメール打っとけ。じゃあ行くぞ!」


長戸と上杉は車から降り、つかさが出てきた家の中へと入っていった。















そしてその頃、淳平もこの周辺に居た。


確証は何も無いのだが、淳平の心が『つかさはここに来るはずだ』と言い続けていた。


だが、


「確かこのあたりだと思ったんだけどなあ・・・」


6年前のあやふやな記憶を必死になって探り、つかさと過ごしたあの家を探す。


車からだと当時と見える景色が異なるので、駅の近くに車を停めて自らの足を使った。


「この道・・・通ったっけ? 確かもう一本向こうの角を曲がったような・・・?」





淳平も家探しに気を取られていたので、背後から忍び寄る人影に気付かない。





「うわっ!?」




















つかさは淳平に出会うことなく、再び家に戻ってきた。


(神社は変わってなかった。何もかも昔のまんま・・・)


幼い頃の思い出と変わらない神社の景色は、つかさの心に更なる安らぎを与えていた。





(でも・・・もうこれで充分・・・)





(いろいろ周って・・・いろいろ思い出して・・・良くわかった・・・)





(西野つかさという人物はもういない。でも・・・当たり前だけど、あたしが生きている限りは、あたしの中に存在し続ける)





(だからもう大丈夫。迷わない)





(あたしは、あたしを待っている人の元に帰る。これからは上岡理沙として生きて行こう)





つかさはそう決心していた。





襖を開け、荷物が置いてある部屋に入る。


「おばさんは泊まってもいいって言ってたけど、やっぱり帰ろ。もう目的は果たしたし、これ以上遅くなるとお母さんに迷惑かけちゃうし、淳也がぐずつくと厄介だし・・・今、お店ってどうなってるんだろ?」


泉坂で受けたショックが大きかったので、つかさは上岡の家にここ数日電話していない。


(そういえば、この部屋だったよね。淳平くんが泊まったのって・・・)


あの夜の記憶が明確に呼び覚ます。





「本当に・・・タイムマシンがあったらいいのにな・・・そうすれば、何もかもやり直せるのに・・・」





「あたしの想いも・・・やり直せるのに・・・」





だが、つかさは自らの想いに蓋をした。


(あたしは上岡理沙。淳平くんとのつながりは何も無いの。それに淳平くんには東城さんが居るんだから・・・)


気を取り直し、鞄を手にとる。










「えっ?」


ビクッといきなり手を離した。


(なに・・・この違和感・・・)


見た目は何も変化の無いように見える自分の鞄だが、





(・・・誰かが・・・触った・・・)





(誰かが入った? でもちゃんと鍵かけといたし、 隣のおばさんなら・・・でも無断で他人の鞄を触るような人じゃないし・・・)


つかさの緊張感が高まり、五感が研ぎ澄まされていく。


そして・・・










(誰か・・・居る!)


この部屋を飛び出し、別の部屋へと向かう。










(ここも・・・特に何も変わってない。でも何かおかしい!)





(この・・・とてもいやな感じ・・・絶対に誰か居る・・・)





つかさは自らの身に危機が迫っているのを察知していたが、それでも逃げ出そうとはしなかった。





大切な思い出の場所に足を踏み入れる人間は出来る限り排除したい。





沸き起こる恐怖心を理性で押さえ、険しい表情で辺りを見回す。















ガタッ・・・





つかさは突然の物音にビクッと反応した。





(この・・・向こうから?)





部屋を仕切る襖をきっと睨みつける。




















「あ〜あ、気付かれちゃったみたいだね」





「まあいいだろ。どうせすぐ逝ってもらうんだ。大きな問題じゃないさ」










(男の声! しかもどっかで聞いたことあるような・・・)





さらに緊張感が高まり、身構えるつかさ。










そして、襖がすっと開いた。





















「あ・・・ああああああ・・・」





押さえていた恐怖心が一気に湧き上がる。





それと共に、思い出したくもないおぞましい記憶まで蘇った。




















いやな笑みを浮かべてじっと見つめる長戸と上杉を前にして、





つかさは恐怖心で腰が抜け、しりもちをついてしまった。




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