[memory]13 - takaci 様
京都市内のとあるホテルの一室で、浴衣姿の美女が缶ビールに口をつける。
「ふう・・・」
観光で1日歩き回った疲れをシャワーで洗い流し、すっきりした身体に冷えたビールを注ぎ込む。
誰もが最高の気分になるところだが・・・
この美女の心は晴れていなかった。
(修学旅行最初の夜だっけ。淳平くんが会いに来てくれて、あたしも先生の目を盗んでこっそり抜け出して・・・)
(とっても嬉しかったな。でもあたしは・・・)
(・・・ずっと忘れてた。今日まで、5年もの間・・・)
上岡理沙から西野つかさへ・・・
今日、ずっと忘れていた5年前までの記憶と共に、本当の名前も取り戻した。
(取り戻したと思ってた上岡理沙の記憶は、あたしが作り出したものだったんだ・・・)
つかさは改めて記憶の整理を始めた。
(5年前、あたしは淳平くんと付き合ってた。淳平くんは志望大学に受かって、あたしはパリ留学目前で・・・)
(離ればなれになるのは辛かったけど、でも希望を持ってた。とても幸せだった)
(でも突然、あの夜・・・)
5年前のある日の夜、つかさは自室にいた。
そこに突然やって来た侵入者。
驚く間もなく、つかさは侵入者によって気を失った。
そして・・・
「うっ・・・」
ベッドに座るつかさは硬く目を閉じ、首を左右に振る。
自然と身体は震え始め、肩を抱えてうずくまる。
つかさをそうさせるのは、5年前の辛い記憶。
気を失い、その後目を覚ました後に訪れたのは『地獄の日々』
いや、地獄という表現すら甘く感じるほどのおぞましい環境だった。
つかさを連れ去ったのは、面識の無い3人の男だった。
その男たちの手により、つかさの身体と心は休む間もなく徹底的に陵辱され尽くした。
(何であんな目に・・・こんなの・・・思い出したくない!)
つかさの瞳からは自然と涙が溢れていた。
(でも確かこのとき、テレビのニュースを見せられた・・・お父さんと、お母さんと、あたしが・・・死んだニュースを・・・)
(それで・・・あたし・・・本当に絶望して・・・)
そこで、地獄の記憶は終わっていた。
(気を失って・・・目が覚めたら・・・病院の白い天井が見えたんだ。その時はもう、何も覚えていなかった)
(そこから、あたしは上岡理沙に・・・)
(でもなんであいつらはあたしを解放したんだろ? もしあたしが記憶を失ってなかったら、あいつらは警察に捕まってたはずなのに・・・)
(それに本当の上岡理沙さんは今どこに? あたしとそっくりの彼女がどこかに居るはず・・・)
(それにまだまだいろいろ・・・)
記憶が戻ったとはいえ、分からないことはたくさんあった。
つかさはしばらく思案にふけっていたが、
「・・・あ〜〜〜っ、だめだあ。考えててもわかんないや。ちゃんと調べないと・・・」
ゴロンとベッドの上に大の字になった。
つかさは決して頭は悪くないが、静かにじっと考えるのは苦手だ。
「泉坂に行こう。いろいろきちんと調べよ。考えるのはそれから・・・」
正直、不安はある。
監禁された時に見せられたニュースが事実ならば、つかさ本人と両親は死んだ事になっている。
辛い現実と向き合うのは、怖い。
(でも、逃げちゃダメだよね。あたしが・・・西野つかさが今どうなっているのか、ちゃんと確かめなきゃ)
そんな事を考えているつかさに、部屋備え付けの電話が目に入った。
(家に電話しなきゃ)
今回の東京行き、当初はパパッと調べてさっさと帰るつもりでいたが、記憶が戻ったからにはそんなわけにはいかない。
つかさは受話器を取り、上岡家の番号をプッシュした。
(やだ・・・凄く緊張してきた・・・)
呼び出し音の間隔がいつもより長く感じられる。
記憶が戻った事、自分が西野つかさである事を上岡の母にはいつか伝えるつもりである。
だが、それは今ではない。
(今ばれたら、お父さんもお母さんも凄くショックを受けるはず。だから上手く誤魔化さないと・・・)
5年間ずっと親身になって接してくれた優しい両親を騙すのは心苦しいが、今は仕方ないと自分に言い聞かす。
両親が決して悪い人ではないことはつかさ自信も良く分かっているが、つかさが『実の娘じゃない』と分かったらどんな反応をするのか分からない。
そしてその両親の元に、我が子が居るのだ。
(淳也だけはあたしが守らないと・・・だから今だけは上手く・・・)
[はいもしもし?]
受話器から母の明るい声が聞こえる。
それと同時につかさの緊張は一気に高まった。
「あ・・・おかあさん、あたし・・・」
[ああ、理沙かい。今どこにいるの?]
「あ、うん・・・京都。お風呂入ってさっぱりしたところ・・・」
「そうかいそうかい。ゆっくり羽を伸ばせた?」
「あ、うん・・・あ、あと、佃煮・・・・宅急便で今日送ったからね」
[ありがとうねえ! じゃあ明日には届くね! 久しぶりにあの味が楽しめるよお。今から楽しみだねえ・・・]
佃煮の話で母の声は一気に弾んだ。
その一方、つかさの緊張は高鳴るばかり。
(今は・・・まだバレてないみたい・・・ここから上手く・・・)
「あ・・・あのねお母さん・・・」
[ん、なんだい?]
「あの・・・明日から・・・東京に行くんだけど・・・」
[そうそう、それが今回の目的だからねえ。でも調べるのは簡単にして観光を楽しんできなさい]
「うん。でも・・・あの・・・ あたし、ちゃんと調べたいんだ」
[えっ?]
「その・・・あたしとそっくりな・・・西野・・・さん? やっぱり凄く気になって・・・ だからちゃんと調べたいの・・・ 泉坂で・・・ だから・・・帰るの少し・・・遅くなるかもしれない・・・」
つかさの動悸は最高潮に達していた。
わずかな時間の沈黙がとても長く感じられる。
(ダメだあ・・・いつものように話せない。でもお願いだから気付かないで!)
受話器を持ちながら硬く目を閉じ、心の中で強く祈る。
[ええよ〜。めったにない機会なんだから存分に観光楽しんできなさい。お店も淳也もお母さんらに任せておきなさい!]
受話器から返ってきたのは、母のそんな呑気な声だった。
「あ、ご・・・ごめんね。勝手言って・・・」
母の対応に今度はやや拍子抜けのつかさ。
(でも、バレなくてよかったあ・・・)
ほっと胸をなでおろし、緊張が解ける。
だが、母の力はつかさの予想よりずっと偉大だった。
[理沙、ええか、でもこれだけは覚えといてくれ]
「ん、なに?」
[東京で調べた結果がどうだろうと、私にとってあんたは理沙だ。私と、お父さんの、大切な一人娘なんだからな]
「えっ・・・」
[過去がどうだろうと、これからどうなろうと、あんたの実家はここだ。だから必ず帰ってきなさい。みんな、あんたの帰りを待っとるからな]
緊張を解いた心に届いた、母の愛がいっぱい詰った熱い言葉。
つかさはこみ上げてくるものを押さえられない。
「な・・・に・・・言ってるの・・・よお・・・ 淳也・・・放って・・・ おくわけないでしょお・・・ 」
涙で声が詰まる。
[どうしたんだい? 理沙、あんた泣いてるの?]
「お母さんの・・・せいだよお・・・ いきなり・・・変なこと・・・言うから・・・」
[全く変な子だねえ。とにかく今日は早く休みなさい。明日に備えてな]
母の優しい口調は変わらない。
娘に対する愛も、ずっと変わらない。
「うん・・・ありがとう・・・ じゃあ・・・おやすみ・・・」
つかさはそっと受話器を置いた。
その後も、つかさの涙は止まらなかった。
(お母さん・・・分かってた・・・あたしが・・・理沙じゃないことを・・・)
(でも・・・それでも・・・優しく背中を押してくれた・・・)
(あたしの・・・居場所を・・・与えてくれた・・・)
(お母さん・・・本当に・・・ありがとう・・・)
血のつながりは無いが、つかさは理沙の母に実の母以上の愛を感じていた。
(あたし・・・絶対に逃げない・・・ どんな辛い現実も全部きちんと受け止める・・・)
(全部きちんと確かめて・・・それでまた・・・帰るから・・・)
(お店に・・・あたしの家に・・・ お母さんの元に帰るからね!)
涙を流しながらそう心に強く誓うつかさだった。
それから数日後、
仙台の夜は、小雨がぱらついていた。
市内のホテルの空いた駐車場に、淳平の車が入ってきた。
適当な場所に止め、小雨の中、足早にエントランスに向かう。
その途中、1台の車が目に止まった。見慣れたドイツ車のセダンだ。
(外村、あいつも来てるのか?)
思わぬ来客に驚きつつ、淳平はホテル内に入っていった。
仙台市内では1、2を争うホテルなので、中の造りは予想以上にしっかりしていた。
(綾の部屋は・・・11階か)
今日、仙台市内の書店で綾の新刊のキャンペーンがあり、今夜はこのホテルに部屋を取っていた。
淳平は東京都内で映画制作の打ち合わせがあったのだが、手早く切り上げて綾の居る仙台にやって来た。
だがその表情は、恋人に会う前の優しい表情ではなく、どこか緊迫している。
そうさせるのは、つい先日綾から届いた『ある物』であり、それは今淳平のスーツのポケットに入っている。
淳平は緊張した表情のまま、エレベーターに乗った。
そして淳平は静かなホテルの廊下を歩く。
ここの造りも立派だが、やはり東京都内のホテルと比べるとやや劣る。
そんな事を考えながら、綾の部屋の前に立ち、扉をノックした。
(いったい綾はどういうつもりなんだろうか? それに外村の車があったって事は、ひょっとすると・・・)
扉が開く。
「よっ、真中、おつかれ」
現れたのは、淳平の予想通り外村だった。
「なんでお前がここに居るんだ?」
「お前と一緒で東城に用があるんだよ。もちろん別件なんだけど、理由は一緒らしいぜ。東城の話だとな」
「はあ?」
「まあとにかく入れよ。中で東城が待ってるぜ」
外村に促されて、淳平は部屋に入った。
部屋の奥に進むと、窓際のテーブルに座る綾の姿が目に入った。
「淳平ごめんなさい・・・こんなところまで来てくれて・・・」
(綾・・・)
淳平は驚きを隠せなかった。
綾の姿は明らかに憔悴しており、心が大きく傷ついているのが分かる。
そして綾をそうさせたのが自分自身であることを直感的に理解した。
淳平は綾に対してある程度強い言葉も用意していた。
だがこの様子を見てしまっては、それを放つわけにはいかない。
「なあ綾、早速だけど、この手紙と、これを送り返した理由を話してくれないかな?」
淳平は優しい口調でそう話しながら、便箋と青い小さな箱を取り出した。
箱の中には、淳平が綾に贈った婚約指輪が収められている。
『突然でごめんなさい。本当に身勝手で申し訳ないけど、あたしはこの指輪を受け取れません。だからお返しします』
便箋にはそう書かれていた。
「その前に・・・外村くん、淳平にもあの記事を・・・」
「記事?」
「俺がここに飛んできた理由だよ。明日発売の週刊誌さ」
外村はそう言いながら淳平のそのページを見せた。
「な、なんだこれ・・・」
淳平が驚くのも無理は無い。
淳平と綾と迷子の男の子、以前雑誌に掲載された微笑ましいひと時を写した写真に、
『真中淳平×東城綾 破局!!』
『真中淳平に隠し子発覚!?』
という派手な見出しが書かれている。
「な、何だよこれ? いくらでまかせでもこれは・・・」
「俺もそう思って出版社に問い合わせたんだけどな、この情報をリークしたのが東城だったんだよ」
「な、何だってえ!?」
「だから俺も東城に真偽を確かめるために慌てて飛んできたんだよ。そしたら婚約指輪を返したって聞いて・・・2度びっくりさ」
外村もそう言いながら驚きをあらわにした。
「ねえ、これを読んで。これがあたしの答えだから・・・」
綾は驚く二人に二つの冊子を差し出した。
綾は何とか平静を保とうとしているが、今にも壊れそうな表情だ。
淳平は黙って受け取り、冊子に目を通す。
冊子はそれぞれA4の用紙を何枚かホチキス留めしてあり、さらに1番上には髪の毛が入ったビニール袋が留めてある。
「なんだよ・・・これ・・・」
淳平は冊子のひとつに自分の名前らしきものを確認したが、それ以外はなにがなんだかさっぱり分からないのでそのまま外村に渡した。
そして外村もさっと目を通すが、こちらは淳平とは違いこの冊子の意味を見抜く。
「これってDNA鑑定の結果か?ひとつは真中の物で、もうひとつは・・・4才の男の子・・・」
「はあ? 俺の鑑定・・・」
淳平はますます訳が分からない。
「淳平、その記事の写真の男の子、覚えてる?」
綾が今にも泣き出しそうな声で淳平に尋ねた。
「あ、ああ覚えてるよ。とても人懐っこくて、どこかずうずうしくって・・・」
「あたしね、その男の子と淳平が触れ合っている姿を見て、心の奥でピンと来て、ずっと引っかかってたの。それは考えれば考えるほど非現実的でありえない事でとても小さな疑惑・・・でもその小さなものが・・・ずっとずっと・・・引っかかってたんだ・・・」
「それで・・・DNA鑑定を?」
外村がそう尋ねると、綾は小さく頷いた。
「あたしもこの男の子を抱いて、その時にこの子の髪の毛が服に付いてたのよ。淳平の髪の毛はいつでも手に入るし・・・淳平には申し訳ないと思ったけど、出版社の人が科捜研とパイプを持ってて・・・それでお願いしたんだ」
「あたしの疑惑に確固たる根拠は全く無いの。あるのはあてにならないあたしのカンだけ。だから99%、ううん、99,9%外れると思ってたし、出版社の人も笑いながらそう言ってた。あたしも最初から疑うつもりは全く無くって・・・ただ心の小さな棘を完全に取り除きたかっただけ・・・でも・・・」
「・・・結果は・・・0.1%の・・・ほうだったの・・・」
綾は搾り出すように必死になって声を出している。
その姿はとても痛々しく、見ているのも辛い。
だが、だからといってかけるべき言葉も無く、ただ黙ってみているしかない。
「淳平・・・ あの男の子は・・・ あなたの子供・・・ なのよ・・・ 」
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