[memory]12 - takaci 様
「毎度おおきに。またお越しやす」
丁寧な京言葉を背に受け、理沙は老舗の佃煮屋を後にした。
「はあ、お母さんはこれが目的だったんだよね・・・」
右手に持つ紙袋は、中に佃煮がどっさりと入っていてかなり重い。
『あっそうだ。東京行く前に京都寄ってあの店の佃煮買って来とくれ。ついでに京都観光もしてきたらどうだい?』
この母の言葉で決まった京都立ち寄り。
「京都観光かあ。ここに来るのは中学の修学旅行以来なんだよねえ」
古都の風景を見ながら昔を思い出そうとする・・・が、当時の光景は全く浮かばない。
「やっぱり記憶は完全に戻ってないんだなあ。歩美の話だと、この辺りは来てる筈なんだけど・・・」
5年前のある日、理沙は地元の病院のベッドで目が覚めた。
その時、自分の名前や年齢も含め、全ての記憶を失っていた。
その後、家族や友人たちの話や幼い頃の写真を見たことによって、地元での記憶はほとんど取り戻していた。
だが旅行での記憶や、ひとりで行った大阪での生活の記憶は全く戻っていない。
どうやって大阪から地元に戻ってきたのかすら、理沙はまだ思い出せていなかった。
「修学旅行の話は歩美や学からさんざん聞かされたなあ。当時のしおりとかも見せられて、あと写真もいろいろ・・・」
修学旅行で理沙と歩美は長いスカートのセーラー服姿で京都の街をいろいろ回っていたようだ。
「・・・楽しかったんだろうなあ。でもあたしは・・・」
硬く閉ざされた記憶の扉は開く気配すら見せず、思い出せないことがとても辛い。
(でも前向きに考えなきゃ! 落ち込んでたってしょうがないよね。それにいろいろ回ればそのうち扉が開くかもしれないし!)
理沙は心の奥に辛さを隠し、笑顔を作る。
「さあて、京都観光に行きますか! でもその前に・・・」
重い紙袋を改めて覗き込む。
こんな物を持っていてはせっかくの観光が台無しになってしまう。
「宅急便で送ろ!」
理沙は近くのコンビニに向かっていった。
理沙は紙袋の重さから開放され、晴れやかな表情で古都を回る。
中学の修学旅行ルート意識して巡るが、他に行きたいところもあるので気のまま行動する。
この身軽さが一人旅の良いところだ。
「でも、こんな山奥に来てもしょうがなかったかな?」
やや道に迷ったのと気の迷いが重なり、理沙は観光名所が集まった場所からだいぶ離れたところに来てしまった。
「さすがに京都でもちょっと外れるとなんにも無いんだね」
そんな事をつぶやきながら山道を歩く。
「あれ? ここって・・・」
そんな理沙の目に、ひとつの長い階段が目に留まった。
「集恋神社?」
修学旅行でこんな山奥に来る筈も無く、理沙がここに訪れるのは初めてのはずだが、
「あたし・・・ここに来た事が・・・」
記憶の扉がわずかに開きかけた。
惹かれるように理沙は階段を上っていく。
(あたし・・・ここに来たことある・・・セーラー服着てた・・・じゃあ中学の時?)
記憶の扉の向こうから、少しずつ光景が飛び出してくる。
その中に映るのは、学生服を着た男子生徒の姿。
(この制服・・・学かな? でも中学の時は男女別の班行動だったし・・・)
(あれ・・・あたし・・・スカートの裾押さえてた・・・とても短いスカート・・・)
(何でこんなスカート穿いてるの? これ、中学の制服じゃない?)
浮かぶ光景に戸惑いながら、理沙は階段を上りきった。
理沙以外の参拝客は誰も居ない。
(あの時も誰も居なかった・・・あたしと・・・誰だろ?この男子生徒・・・)
石畳を進み、社に近付く。
(そのあと・・・あたし・・・お参り・・・ してないような?)
(この下に・・・入った?)
社の下を覗き込む。
とても信じられないが、その光景が扉の向こうから浮かんでくる。
さらに、当時の心境も・・・
(あたし、とてもドキドキしてた・・・何かから逃げてて・・・ それと・・・)
(一緒に居る人に・・・ドキドキしてた・・・)
(あ・・・男子生徒の顔・・・浮かびそう・・・)
頭を抱え、扉の向こうからやってくる光景を待つ。
そして・・・薄暗い中で目前に迫る男子生徒の顔が、はっきりと浮かび上がった。
(真中・・・淳平?)
「・・・あ〜〜あ、何よこれ。せっかくいい感じだったのに・・・」
身体から力が抜けた。
芸能人が記憶に浮かぶなど、理沙には考えられなかった。
せっかく浮かび上がった光景も、理沙の想いが作り出してしまった紛い物のように思えてしまう。
「でも・・・今までこんな事は無かった・・・」
ずっと硬く閉ざされていた記憶の扉は、わずかではあるが少しだけ開いたのは事実だ。
(全てが間違ってるわけじゃないと思う。中には・・・正しい記憶も・・・)
(でもそうなると修学旅行の記憶じゃ辻褄が合わない。じゃあこれは・・・ひょっとして大阪時代の記憶かな?)
(そもそも、何であたしはこんなところに来たんだろ・・・ここに来たきっかけは・・・)
理沙は気を取り直し、再び記憶の扉に手をかけた。
そして、ある観光名所が頭に浮かび上がる。
(何でこの場所が? こことはものすごく離れてるし・・・関連も無いような?)
「・・・って、考えてても仕方ないか」
理沙は立ち上がり、思い浮かんだ場所に向かう。
理由は分からなくとも、手がかりはそれしかないのだから。
そして時は夕刻。
理沙は清水寺の長い階段をひとりで登っていく。
脳裏に浮かんだ光景が、この清水寺だった。
ここは修学旅行でも来ているし、写真で見たこともある場所だ。
先ほどの神社と違って有名な観光スポットなので人の姿も多い。
(あたし・・・この階段・・・上った・・・)
再び記憶の扉が開き始め、少しずつ光景が浮かび上がってくる。
(あたし・・・胸元でなんか握ってた・・・ 周りは・・・女の子ばかり・・・同じ制服・・・女子校?)
(あれ? あたしも同じ制服・・・ブレザー着てる・・・ なんで?)
理沙が通っていた中学、そして中退した高校はセーラー服なのでブレザーの制服を着ることは考えられない。
(またこれも・・・あたしの作った記憶? あ・・・でも・・・他に・・・何か・・・聞こえそう・・・)
『清水寺にね地主神社ってとこがあって縁結びで超有名なのよー』
『あんた男に縁ないのに!?』
今までは景色だけの記憶だったが、そこに声が加わってきた。
(これは・・・あたしの作ったものじゃない。 確かな記憶・・・)
(何であたしは・・・ブレザーを・・・)
記憶の辻褄が合わず、理沙の頭は混乱を極めている。
そんな中で、有名な清水の舞台に上がった。
舞台には観光客があちこちに点在している。
(あの時もそうだ・・・ あちこちに人が居て・・・ 同じブレザー着た生徒がたくさん・・・)
(あたし・・・ここを・・・走ってた・・・ 誰かに追っかけられて・・・)
『ねえ!さっき地主神社行ったでしょー お守り買ったの?見せてよ!』
『気になるならトモコも買えばいーだろー?』
(これ・・・あたしの声・・・ トモコ・・・ そう、トモコ! あたしの親友!!)
『いーじゃん見せてよ!ねえ〜〜っ』
(あ、この時・・・凄くショック受けて・・・学生服のカップルがキスしそうになってて・・・)
(・・・東城さんと・・・ 淳平くん!? )
『つかさ!』
(つかさ? これは・・・)
(あ・・・あああああああああああああああ)
わずかに開いていた記憶の扉が・・・
・・・一気に開いた。
大量の光景や声が、一気に理沙の頭の中に溢れかえる。
「あ・・・あああああ・・・」
理沙は両手で頭を抱え、目を大きく見開き、
ドサッ・・・
[先生!東城先生!今の音は何ですか!?]
「あ・・・あ・・・ す、すみません。驚いて本を落としちゃって・・・」
同時刻。
綾は自宅で小鳥遊からの知らせを聞いていた。
以前依頼したDNA鑑定の結果である。
[先生すんません。ワシもこの結果聞いて伝えようかどうしようかえらい迷いました。せやけど・・・科捜研で調べてもらったんで、これがあの事件の捜査本部に伝わってしまいまして・・・]
「そう・・・ですか。 当然・・・です・・・よね・・・」
[先生のとこにも警察が事情聴取に行くと思います。でも・・・なんでこんな結果が・・・]
小鳥遊の声は申し訳なさと、鑑定結果にまだ信じられないといった感じが伝わってくる。
この結果は、綾にとって『地獄に叩き落されるようなもの』なのだから。
綾の推測とそれに基づいた今回の依頼は、まず99,9%間違っていると誰もが思うような内容だった。
だが、結果は0.1%の方。
これには誰もが慌て、特に鑑定をした科捜研と警察が大慌てになっている。
[先生、ワシからこんな事言うのも何やけど・・・気を強く持ってください!! ワシはこの先いつでも先生の味方です!! だから一人で抱え込まんと、何でも言ってください。ワシに出来る事なら何だってやりますよって・・・]
「ありがとう・・・ございます・・・」
綾はそっと受話器を置いた。
そして部屋の片隅においてある写真立てを取る。
綾と淳平の幸せそうな笑顔が映った写真。
「ただふたりで笑っていたい・・・それだけで・・・よかったのに・・・」
「なんで・・・あたし・・・気付いちゃったのかな・・・」
「気付か・・・なけ・・・れ・・・ば・・・良・・・かっ・・・た・‥ の・・・ に・・・ 」
写真の上に悲しみの雫がポタポタと滴り落ちる。
「うう・・・ うっ・・・ 」
人は悲しみが募ると、それを『涙』という雫に換えて流し出して行く。
綾の涙は止まらない。
あまりにも大きすぎる悲しみは、どんなに雫に換えようと、全てを流しきれないのだから・・・
「おいどうしたん! あんさん大丈夫か?」
(あれ、あたし・・・)
気がつくと、理沙は膝を着き前のめりに倒れていた。
倒れた際にバッグを落としてしまい、財布や口紅などの小物類が辺りに散乱している。
「あ・・・だ・・・大丈夫、です」
理沙はそう答えながら散らばったものを鞄に入れ、慌ててその場から立ち去ろうとした。
「あっおいちょい待ち!あんさん大事なもん忘れとるで!」
「えっ?」
「これ、あんさんの免許証やろ?」
「あ、ご・・・ごめんなさい・・・」
理沙は虚ろな目で免許証を受け取った。
「おいあんさんマジで大丈夫かいな? 旅行客やろ? 宿どこや? なんならそこまで送ってったろか?」
「え・・・」
理沙はここで初めて、声をかけている男の顔をしっかりと見た。
心配そうな表情を浮かべてはいるが、見るからに軽そうな関西弁の男だ。
「あの〜ひょっとして、ナンパ?」
警戒感が表に出てしまい、やや不機嫌そうにそう尋ねてしまう。
だが男は見た目と違ってまともだった。
「アホッ!弱っとる女にナンパなんぞするかいな! それにすぐそこにカミさんがおるんや! ただでさえ怖い京女なのに目の前で他の女ナンパなんかしとったらマジ殺されるわいっ!!」
言葉は冗談交じりだが、口調と表情はそれなりに怒っている。
「くすっ・・・あっ、ごめんなさい!」
その様子がおかしくて、理沙は思わず笑ってしまった。
「何や失礼なやっちゃなあ。でもそれだけ笑えれば大丈夫やな。じゃあ俺は行くさかい、気いつけてな! あとこの俺が素晴らしくいい人間だったって事を覚えといてくれよな、ほな!」
男はそう言い残し、妻らしき女性を連れて去っていった。
理沙はしばらくその後姿を見ていたが、やがて手渡された免許証に目を移した。
「・・・」
普段、自分の運転免許証を見ても特別何も感じないだろう。
だが、理沙の胸はとてもいやな感じでぐっと締め付けられている。
なぜなら・・・
(違う・・・ あたしは・・・ 上岡理沙じゃない・・・)
(あたしの名前は・・・ あたしは・・・ )
(・・・ 西野・・・ つかさ・・・ )
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